1977年の野球
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< 1977年 | 1977年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 パシフィック・リーグプレーオフ
1.1.3 日本シリーズ
1.1.4 個人タイトル
1.1.5 ベストナイン
1.1.6 ダイヤモンドグラブ賞
1.1.7 オールスターゲーム
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 1月
2.2 2月
2.3 3月
2.4 4月
2.5 5月
2.6 6月
2.7 7月
2.8 8月
2.9 9月
2.10 10月
2.11 11月
2.12 12月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 3月
3.4 4月
3.5 5月
3.6 6月
3.7 7月
3.8 8月
3.9 9月
3.10 10月
3.11 11月
3.12 12月
4 死去
5 出典
6 外部リンク
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 80 | 46 | 4 | .635 | - |
2位 | ヤクルトスワローズ | 62 | 58 | 10 | .517 | 15.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 64 | 61 | 5 | .512 | 15.5 |
4位 | 阪神タイガース | 55 | 63 | 12 | .466 | 21.0 |
5位 | 広島東洋カープ | 51 | 67 | 12 | .432 | 25.0 |
6位 | 大洋ホエールズ | 51 | 68 | 11 | .429 | 25.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 前・後 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 69 | 51 | 10 | .575 | 1・2 |
2位 | 南海ホークス | 63 | 55 | 12 | .534 | 2・3 |
3位 | ロッテオリオンズ | 60 | 57 | 13 | .513 | 5・1 |
4位 | 近鉄バファローズ | 59 | 61 | 10 | .492 | 3・6 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 58 | 61 | 11 | .487 | 4・4 |
6位 | クラウンライターライオンズ | 49 | 73 | 8 | .402 | 6・5 |
- 優勝はプレーオフにより決定。2位以下の順位はプレーオフの結果にかかわらず勝率順とした。
パシフィック・リーグプレーオフ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月9日(日) | 第1戦 | ロッテオリオンズ | 1-18 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月10日(月) | 第2戦 | ロッテオリオンズ | 3-0 | 阪急ブレーブス | |
10月11日(火) | 移動日 | ||||
10月12日(水) | 第3戦 | 阪急ブレーブス | 1-3 | ロッテオリオンズ | 県営宮城球場 |
10月13日(木) | 第4戦 | 阪急ブレーブス | 4-2 | ロッテオリオンズ | |
10月14日(金) | 第5戦 | 雨天中止 | |||
10月15日(土) | 阪急ブレーブス | 7-0 | ロッテオリオンズ | ||
年間優勝:阪急ブレーブス |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月22日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 2-7 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月23日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 0-3 | 阪急ブレーブス | |
10月24日(月) | 移動日 | ||||
10月25日(火) | 第3戦 | 阪急ブレーブス | 3-5 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月26日(水) | 第4戦 | 阪急ブレーブス | 5-2 | 読売ジャイアンツ | |
10月27日(木) | 第5戦 | 阪急ブレーブス | 6-3 | 読売ジャイアンツ | |
優勝:阪急ブレーブス(3年連続3回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 王貞治 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 | | |
最優秀新人 | 斉藤明雄 | 大洋 | 佐藤義則 | 阪急 | | |
首位打者 | 若松勉 | ヤクルト | .358 | 有藤道世 | ロッテ | .329 |
本塁打王 | 王貞治 | 巨人 | 50本 | L.リー | ロッテ | 34本 |
打点王 | 王貞治 | 巨人 | 124点 | L.リー | ロッテ | 109点 |
最多安打 | 若松勉 | ヤクルト | 158本 | 福本豊 | 阪急 | 165本 |
盗塁王 | 柴田勲 | 巨人 | 34個 | 福本豊 | 阪急 | 61個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 王貞治 | 巨人 | 272個 | 加藤秀司 | 阪急 | .405 |
最優秀防御率 | 新浦寿夫 | 巨人 | 2.32 | 山田久志 | 阪急 | 2.28 |
最多勝利 | 高橋里志 | 広島 | 20勝 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 20勝 |
最多奪三振 | 池谷公二郎 | 広島 | 176個 | 村田兆治 | ロッテ | 180個 |
最高勝率 | 新浦寿夫 | 巨人 | .786 | 稲葉光雄 | 阪急 | .739 |
最優秀救援投手 | 鈴木孝政 | 中日 | 23SP | 江夏豊 | 南海 | 22SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 小林繁 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 木俣達彦 | 中日 | 加藤俊夫 | 日本ハム |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 加藤秀司 | 阪急 |
二塁手 | 高木守道 | 中日 | B.マルカーノ | 阪急 |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 有藤道世 | ロッテ |
遊撃手 | 河埜和正 | 巨人 | 石渡茂 | 近鉄 |
外野手 | 若松勉 | ヤクルト | 福本豊 | 阪急 |
山本浩二 | 広島 | 門田博光 | 南海 | |
張本勲 | 巨人 | L.リー | ロッテ | |
指名打者 | 高井保弘 | 阪急 |
ダイヤモンドグラブ賞
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 堀内恒夫 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 大矢明彦 | ヤクルト | 加藤俊夫 | 日本ハム |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 加藤秀司 | 阪急 |
二塁手 | 高木守道 | 中日 | 山崎裕之 | ロッテ |
三塁手 | 高田繁 | 巨人 | 島谷金二 | 阪急 |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 大橋穣 | 阪急 |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | 福本豊 | 阪急 |
柴田勲 | 巨人 | 弘田澄男 | ロッテ | |
若松勉 | ヤクルト | 大熊忠義 | 阪急 |
オールスターゲーム
詳細は「1977年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
第49回選抜高等学校野球大会優勝:箕島(和歌山県)
第59回全国高等学校野球選手権大会優勝:東洋大姫路(兵庫県)
大学野球
- 第26回全日本大学野球選手権大会優勝:駒澤大
- 第8回明治神宮野球大会優勝:法政大
東京六大学野球連盟優勝 春:法政大、秋:法政大
東都大学野球連盟優勝 春:駒澤大、秋:駒澤大
関西大学野球連合優勝 春:立命館大、秋:大阪商業大
社会人野球
第48回都市対抗野球大会優勝:神戸製鋼
第4回社会人野球日本選手権大会優勝:住友金属
メジャーリーグ
詳細は「1977年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ
ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)(4勝2敗)ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ)
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
1月5日 - 巨人の王貞治が球団と契約交渉を行い推定6360万円で更改し、日本プロ野球史上初めての年俸6千万円台となった[1]。
1月11日 - 日本ハムの坂井勝二が体力の限界を理由に引退、パ・リーグは坂井を任意引退選手として公示[2]。
1月14日 - 大洋ホエールズのオーナーで大洋漁業社長の中部謙吉が心筋梗塞で都内の病院で死去[3]。
1月21日 - 水原茂と西沢道夫の野球殿堂入りが決まる[4]。
1月26日 - 大洋の長田幸雄が引退[5]。
1月28日 - 大洋は新オーナーに大洋漁業副社長の中部新次郎が就任したと大洋漁業本社にて発表[6]。
2月
2月2日 - 野球殿堂に森茂雄、西村幸生が特別表彰として殿堂入り[7]。
2月16日 - 株式会社横浜スタジアムの創立総会が開かれ、新役員が選出されて新会社として発足[8]。
2月25日 - 中日はキャンプ地の浜松市営球場にて、トレードを拒否して球団からキャンプへの自費参加と開幕からの出場停止処分を受けていた藤波行雄について、反省の態度が見られるとして4月7日までに短縮すると発表[9]。
3月
3月14日 - ヤクルトは球団代表の徳永喜男が退任し、後任に相馬和夫が就任したと発表[10]。
3月31日 - 阪神の笹本信二と阪急の竹村一義・新井良夫の交換トレードが成立[11]。
4月
4月1日 - プロ野球の公式戦がセ・パ同時に開幕[12]。
4月8日 - 第49回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、箕島高校が中村高校を3-1で破り、1970年大会以来2度目の優勝[13]。
4月10日 - 巨人の柴田勲が対中日3回戦の八回表に4号3点本塁打を放ち、プロ通算150号本塁打を達成[14]。
4月18日 - 阪急の島谷金二が平和台球場での対クラウン2回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[15]。
4月22日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対巨人3回戦に出場し、800試合連続出場を達成[16]。
4月24日 - 阪急の笹本信二が西宮球場での対ロッテダブルヘッダー第一試合の3回戦の3回から出場し、1試合5度の盗塁刺のパ・リーグ新記録[17]。
4月29日 - 川崎球場での大洋対阪神3回戦で、阪神の外野手佐野仙好が九回裏大洋の清水透の左中間への打球を追いフェンスに激突、頭部骨折で1か月の重傷を負う[18]。
5月
5月3日 - 巨人の柴田勲が対大洋戦4回戦の一回裏に二盗を決め、プロ通算500盗塁を達成[19]。
5月8日 - 大洋のジョン・シピンが甲子園球場での対阪神8回戦の二回表に6号本塁打を放ち、プロ野球通算150号本塁打を達成[20]。
5月15日 - 阪急の福本豊が大阪球場での対南海8回戦の九回表に三遊間安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[21]。
5月29日 - 巨人の張本勲が甲子園球場での対阪神9回戦の一回表に安打、四回表に安打を放ち、プロ通算4500塁打を達成[22]。
6月
6月5日 - ヤクルトの大杉勝男がナゴヤ球場での対中日7回戦の四回表に2点適時打を放ち、プロ通算1000打点を達成[23]。
6月9日 - 野球解説者の小西得郎が自宅で心筋梗塞で死去[24]。
6月14日 - 中日の高木守道がナゴヤ球場での対大洋10回戦の一回裏に8号本塁打、二回裏に9号本塁打を放ち、12日の対阪神ダブルヘッダー第一試合の最終打席で6号本塁打、第二試合で7号本塁打を放っており、4打席連続本塁打のプロ野球タイ記録[25]。
7月
7月2日 - 阪急対ロッテ13回戦が西宮球場で行われ、阪急がロッテを2-1で下し、前期優勝を達成[26]。
7月4日 - パ・リーグの後期が開幕[27]。
7月5日
- クラウンの土井正博が仙台宮城球場での対ロッテ後期1回戦の九回表に中前安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[28]。
- ロッテの有藤通世が宮城球場での対クラウン後期1回戦の四回裏に7号本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[29]。
7月6日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対南海の後期1回戦の四回裏に二盗に成功し、通算597盗塁のプロ野球記録を達成[30]。
7月14日
- 巨人の王貞治がナゴヤ球場での対中日11回戦の一回表に星野仙一から21号本塁打を放ち、通算5000塁打を記録[31]。
- 阪神のハル・ブリーデンが甲子園球場での対大洋15回戦の七回表に27号本塁打を放ち、これで阪神は21試合連続本塁打となり、ロッテが1971年に記録した20試合連続本塁打を抜くプロ野球新記録[32]。
7月16日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対広島16回戦の五回表に松原明夫から四球を選び、通算で2056四球となりベーブ・ルースの記録に並ぶ[33]。
7月19日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対クラウン後期1回戦の三回裏に二盗を決め、通算600盗塁を達成[34]。
7月20日 - 巨人の張本勲が後楽園球場での対中日13回戦の二回裏に星野仙一から14号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[35]。
7月21日 - 近鉄の鈴木啓示が神宮球場での対ロッテ後期2回戦に先発してロッテを4-0と無四球完封勝利を収め、プロ通算47無四球試合となり、土橋正幸の46を更新するパ・リーグ新記録[36]。
7月31日 - 近鉄の米田哲也が対クラウン後期7回戦の四回表から登板し、プロ通算945試合となり、金田正一の持つプロ最多登板944試合を抜いてプロ野球新記録を達成[37]。
8月
8月11日
- ヤクルトの大杉勝男が神宮球場での対大洋17回戦の一回裏に間柴茂有から21号本塁打を放ち、日本プロ野球史上8人目の通算350本塁打を記録[38]。
- 広島の山本浩二が広島市民球場での対阪神16回戦の八回裏に31号本塁打を放ち、通算200本塁打を達成[39]。
8月20日 - 第59回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、兵庫県代表の東洋大姫路が愛知県代表の東邦を4-1で破り初優勝。
8月22日 - 中日の高木守道が神宮球場での対ヤクルト17回戦の一回表に13号本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[40]。
8月26日 - ヤクルトの大杉勝男が岡山県野球場での対阪神21回戦の一回表に安打を放ち、プロ通算1500本安打を達成[41]。
8月29日 - 【MLB】セントルイス・カージナルスのルー・ブロックが対パドレス戦の1回表に二盗を成功させ、タイ・カッブの持つメジャー記録892を抜いてメジャー新記録を更新[42]。
8月31日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対大洋22回戦の1回裏に39号本塁打を放ち、これで通算本塁打がハンク・アーロンのメジャーリーグ本塁打記録の755本に並ぶ[43]。
9月
9月3日
- 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト23回戦の三回裏に鈴木康二朗から40号本塁打を放ち、ハンク・アーロンのMLB本塁打記録を上回る通算756号本塁打[44][45]。
- 巨人の張本勲が対ヤクルト23回戦の八回裏に22号本塁打を放ち、プロ通算1500打点を達成[46]。
9月6日 - 広島の池谷公二郎が広島球場での対中日23回戦に先発登板し、三回表に大島康徳に、7回表に田尾安志に本塁打を打たれ、これでシーズン被本塁打が44本となり、金田留広が1971年に記録したシーズン最多被本塁打の記録42を更新する[47]。
9月14日
- 中日の高木守道が対巨人19回戦の八回表に二塁打を打ち、通算300二塁打と3000塁打を達成[48]。
- ヤクルトが川崎球場での対大洋21回戦の8回表にチャーリー・マニエル、ロジャー・レポーズ、渡辺進、松岡弘、若松勉が本塁打を放ち、1イニング5本塁打のプロ野球タイ記録[49]。
9月23日 - 広島球場で広島対ヤクルト24回戦でヤクルトが広島に0-7で敗れたため、巨人のリーグ優勝が決まる[50]。
9月25日 - 南海の江夏豊が後楽園球場での対日本ハムダブルヘッダー第2試合の後期12回戦の九回裏一死から登板し、プロ入り通算500試合登板達成[51]。
9月27日 - ロッテの村田兆治が西京極球場での対阪急後期12回戦の六回裏に島谷金二から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[52]。
9月28日 - 南海は選手兼任監督の野村克也に対して監督を解任したと電話で通告[53]。
10月
10月1日 - 南海は外野手の広瀬叔功の新監督就任を発表、大阪市内の南海ホテルで記者会見[54]。
10月5日
- 阪急対近鉄戦で阪急が敗れたため、ロッテのパ・リーグ後期優勝が決定[55]。
- 南海の監督を解任された野村克也が大阪市のロイヤルホテルで記者会見し現役続行を表明。また、自身が解任された背景について、南海OBからの圧力があったと主張する[56]。
10月7日 - 近鉄の米田哲也が対阪急後期13回戦の4回裏から登板して2イニングを投げて勝利投手となり、通算350勝を達成[57]。
10月8日 - 【MLB】ナ・リーグのプレーオフ第4戦が行われ、ロサンゼルス・ドジャースがフィラデルフィア・フィリーズを4-1で破り、1974年以来通算15度目のリーグ優勝決定[58]。
10月14日 - 近鉄は投手コーチの杉浦忠を解任を発表[59]。
10月15日 - パ・リーグプレーオフの第5戦で阪急がロッテに7-0で勝利し、パ・リーグ優勝を決める[60]。
10月17日
- 阪神は監督の吉田義男が大阪市北区の阪神電鉄本社をにオーナーの野田誠三と球団社長の田中隆造を訪ね、成績不振の責任を取るため辞任したいと申し出、了承される[61]。
- 中日は午後4時より名古屋市にある中日ビル「クラブ東海」で記者会見を行い、中利夫の就任就任を発表[62]。
10月18日
- 近鉄の米田哲也が大阪市森之宮にある球団事務所を訪れて引退を申し入れ、了承される[63]。
- セ・リーグの公式戦全日程が終了[64]。
10月19日 - 沢村賞選考委員会が東京・数寄屋町のニュートーキョーにて正午から選考を行い、巨人の小林繁を選出[65]。
10月20日 - オーナー会議が東京・九段下のホテル・グランドパレスにて行われ、ロッテのフランチャイズを神奈川県に移転することを了承[66]。
10月27日 - 日本シリーズの第5戦が後楽園球場にて午後1時から行われ、阪急が6-3で勝利し、4勝1敗で3年連続日本シリーズ優勝達成。MVPは阪急の山田久志[67]。
10月28日 - 1977年度のプロ野球の表彰選手を決めるプロ野球担当記者投票の開票が東京・銀座のコミッショナー事務局で行われ、最優秀選手にセ・リーグは巨人の王貞治、パ・リーグは山田久志が選出される。最優秀新人にセ・リーグは大洋の斎藤明夫、パ・リーグは阪急の佐藤義則を選出[68]。
11月
11月1日 - 中日は午後3時から名古屋市中区の中日ビル「クラブ東海」にて記者会見し、野球評論家の稲尾和久が一軍投手コーチに就任したと発表[69]。
11月2日 - 阪神は午後2時より大阪市内の阪神電鉄本社にて記者会見し、後藤次男の監督就任を発表[70]。
11月7日 - クラウンは根本陸夫と大阪市大淀区の「ホテルプラザ」にて監督要請の話し合いを行い、根本は監督要請を受諾[71]。
11月8日
- 第1回正力松太郎賞の選考委員会が東京・九段のホテル・グランドパレスにて正午から行われ、巨人の王貞治を選出[72]。
- ナ・リーグMVPにシンシナティ・レッズのジョージ・フォスターが選出される[73]。
11月14日 - クラウンライターは午後4時より福岡市内の西鉄グランドホテルにて記者会見し、根本陸夫の監督就任を発表[74]。
11月16日 - 【MLB】大リーグのアメリカン・リーグのMVPにミネソタ・ツインズのロッド・カルーが選出される[75]。
11月17日 - ロッテは南海を退団した野村克也の入団を発表[76]。
11月21日 - ヤクルトは新橋のヤクルト本社にて野球評論家の森昌彦と交渉を行いバッテリーコーチとして正式契約、記者会見を行い正式発表[77]。
11月22日 - プロ野球新人選択会議が午前10時より九段下のホテル・グランドパレスにて行われる[78]。
11月26日 - ロッテの村上公康が体力の限界を理由に球団代表の西垣徳男と退団について話合い、球団は村上の退団を了承[79]。
12月
12月3日 - クラウンライターからドラフト1位指名された法政大学の江川卓が午後3時より平河町の全共連ビル4階の会議室にて記者会見し、入団拒否を正式表明、江川は高校卒業時に続いて2度目の入団拒否[80][81]。
12月9日 - 元巨人の投手中尾碩志が入院先の川崎市内の病院で急性胆嚢炎で死去[82]。
12月15日 - 大洋の杉山知隆・間柴茂有と日本ハムの野村収のトレードが成立し、両球団が発表[83]。
12月16日 - 日本ハムと南海は小田義人・杉田久雄と柏原純一のトレードで合意しそれぞれ選手に通告するが、柏原は野村克也が入団したロッテへのトレードを主張する[84]。
12月22日
- プロ野球実行委員会が東京・九段のホテル・グランドパレスにて正午から開かれ、大洋の横浜スタジアム、ロッテの川崎球場移転、ジュニア・オールスターの単独興行を決定[85]。
- 南海の球団代表の森本昌孝と広島の球団代表の重松良典がロ野球実行委員会の後会談し、江夏豊を南海から広島へ金銭トレードすることで合意[86]。
12月26日 - 広島は先に南海ホークスと金銭トレードで獲得した江夏豊の入団発表を広島市の球団事務所の会議室にて行う[87]。
誕生
1月
1月11日 - リック・ガトームソン
1月30日 - 新井貴浩
2月
2月23日 - 田中秀太
3月
3月15日 - エイドリアン・バーンサイド
3月18日 - フェルナンド・ロドニー
- 3月18日 - ターメル・スレッジ
3月28日 - 多村仁
4月
4月4日 - エリック・バレント
4月14日 - 上坂太一郎
4月19日 - ジョージ・シェリル
4月23日 - アンドリュー・ジョーンズ
4月24日 - カルロス・ベルトラン
4月25日 - 三木肇
4月26日 - 福留孝介
4月27日 - 高橋和幸
4月28日 - 吉川勝成
4月30日 - 江尻慎太郎
5月
5月1日 - 松本奉文
5月5日 - 田中雅興
5月6日 - 青木勇人
5月9日 - 的場直樹
5月12日 - 藤井秀悟
5月13日 - クリス・オクスプリング
5月14日 - ロイ・ハラデイ(+ 2017年)
5月17日 - 奈良将史
5月19日 - 山下勝充
- 5月19日 - 飯田雅司
5月29日 - 十川孝富
5月30日 - 鶴岡一成
6月
6月1日 - 横山道哉
6月5日 - 杉山俊介
6月6日 - マーク・エリス
- 6月6日 - クリストファー・ライト
6月13日 - ホセ・オーティズ
6月14日 - 川崎泰央
6月16日 - ケリー・ウッド
6月17日 - 的場寛一
7月
7月1日 - 谷浩弥
7月12日 - 大場豊千
7月13日 - 今村文昭
7月16日 - 長谷川昌幸
7月19日 - 木塚敦志
7月22日 - ライアン・ボーグルソン
7月26日 - ホアキン・ベノワ
7月29日 - 星野智樹
8月
8月5日 - エリック・ヒンスキー
8月6日 - 山口弘佑
8月11日 - 佐藤宏志
8月12日 - 小石澤浄孝
8月15日 - 日高剛
8月18日 - 宮出隆自
8月21日 - 小林聡
- 8月21日 - 田中総司
8月27日 - ジャスティン・ミラー(+ 2013年)
8月29日 - ロイ・オズワルト
8月30日 - 原俊介
- 8月30日 - 松本輝
9月
9月13日 - 荒木雅博
9月14日 - 石井弘寿
9月21日 - 佐藤和宏
9月26日 - アーロン・マイエット
9月28日 - 葛城育郎
9月29日 - 鈴衛佑規
10月
10月4日 - 藤本敦士
- 10月4日 - 前田忠節
10月5日 - 木村一喜
10月9日 - ブライアン・ロバーツ
10月13日 - 吉年滝徳
10月24日 - ラファエル・ファーカル
10月25日 - 花田真人
11月
11月4日 - ラリー・ビグビー
11月17日 - アレックス・グラマン
11月19日 - 吉野誠
11月30日 - 斉藤和巳
12月
12月4日 - 野田浩輔
12月11日 - 天野勇剛
12月21日 - バディ・カーライル
- 12月21日 - フレディ・サンチェス
12月27日 - 安藤優也
12月29日 - ジャック・ウィルソン
死去
1月14日 - 中部謙吉(大洋ホエールズのオーナー、*1896年)
5月14日 - 木次文夫(読売ジャイアンツ他の元内野手、*1937年)
6月9日 - 小西得郎(松竹ロビンスの元監督、野球解説者、*1896年)
6月24日 - 森茂雄(大阪タイガース・大洋ホエールズ他の元監督、*1906年)
9月26日 - アーニー・ロンバルディ(元メジャーリーガー、*1908年)
10月26日 - 岡田源三郎(明治大学硬式野球部・名古屋金鯱軍の元監督、*1896年)
11月16日 - ホセ・アコスタ(元メジャーリーガー、*1891年)
12月9日 - 中尾碩志(読売ジャイアンツの元投手、*1919年)
12月18日 - 西沢道夫(中日ドラゴンズの元選手・監督、*1921年)
出典
^ 朝日新聞1977年1月6日15面「日本初の20万ドルプレーヤー 巨人、王選手、10%アップ」縮刷版p131
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^ 朝日新聞1977年1月15日23面
^ 読売新聞1977年1月22日17面「水原、西沢氏 殿堂入り」読売新聞縮刷版1977年1月p653
^ 読売新聞1977年1月27日17面「"ポパイ"長田引退」読売新聞縮刷版1977年1月p817
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^ 読売新聞1977年2月3日「森氏、故西村投手野球殿堂入り」読売新聞縮刷版1977年2月p81
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^ 読売新聞1977年2月26日17面「藤浪の出場停止短縮 反省認め4月7日まで」
^ 読売新聞1977年3月15日17面「ヤクルト 新代表に相馬氏」読売新聞縮刷版1977年3月p487
^ 読売新聞1977年4月1日19面「笹本⇄竹村・新井 神・急がトレード」読売新聞縮刷版1977年4月p17
^ 読売新聞1977年4月1日夕刊7面「V2熱気プレーボール 後楽園は超満員」読売新聞縮刷版1977年4月p67
^ 毎日新聞1977年4月8日1面「箕島、2度目の優勝 センバツ 健闘の中村くだす」毎日新聞縮刷版1977年4月p211
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^ 読売新聞1977年4月25日17面「阪急・笹本捕手が盗塁阻止のパ新記録」読売新聞縮刷版1977年4月p827
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^ 読売新聞1977年5月16日17面「阪急・福本が通算1000本安打」読売新聞縮刷版1977年5月p453
^ 読売新聞1977年5月30日17面「巨人・張本が通算4500塁打」読売新聞縮刷版1977年5月p935
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^ 読売新聞1977年6月9日夕刊11面「『何と申しましょうか』あの名調子 野球解説小西得郎さん死去」
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^ 読売新聞1977年9月1日1面「王755号 『世界タイ』プロ入り19年目 アーロンと並ぶ」読売新聞縮刷版1977年9月p1
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^ 読売新聞1977年10月18日19面「吉田監督ついに辞任 慰留工作けり 『不振の責任とる』」読売新聞縮刷版1977年10月p535
^ 読売新聞1977年10月18日19面「『中・中監督』正式に決定」読売新聞縮刷版1977年10月p535
^ 毎日新聞1977年10月19日15面「近鉄の米田が引退」毎日新聞縮刷版1977年10月p527
^ 読売新聞1977年10月19日17面「『セ』全日程終わる 最多勝・高橋里 防御率・新浦 王、11年連続出塁王」読売新聞縮刷版1977年10月p535
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^ 売新聞1977年10月21日17面「ロッテ移転を了承 オーナー会議」読売新聞縮刷版1977年10月p707
^ 売新聞1977年10月28日17面「阪急 3年連続日本一 加藤秀、千金の2ラン また逆転 山田、連日の好救援」読売新聞縮刷版1977年10月p963
^ 売新聞1977年10月29日17面「MVP 王は満票 4年ぶり 山田"3冠" 公式戦・プレーオフ・シリーズ」読売新聞縮刷版1977年10月p1005
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^ 読売新聞1977年11月2日17面「第1回 『正力松太郎賞』に王選手 ホームラン世界記録、満場一致で」読売新聞縮刷版1977年11月p292
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^ 読売新聞1977年12月17日15面「柏原、ハム移籍を断る」読売新聞縮刷版1977年12月p593
^ 読売新聞1977年12月23日15面「ジュニアオールスターは単独興行で プロ野球実行委」読売新聞縮刷版1977年12月p773
^ 読売新聞1977年12月23日15面「江夏、広島入り決定」読売新聞縮刷版1977年12月p773
^ 読売新聞1977年12月27日15面「江夏・伊藤・中出・小松 続々、年の瀬入団」読売新聞縮刷版1977年12月p887
外部リンク
日本野球機構(NPB)オフィシャルサイト
- NPB達成記録一覧
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