1991年の野球
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< 1991年 | 1991年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 日本シリーズ
1.1.3 個人タイトル
1.1.4 ベストナイン
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 1月
2.2 2月
2.3 3月
2.4 4月
2.5 5月
2.6 6月
2.7 7月
2.8 8月
2.9 9月
2.10 10月
2.11 11月
2.12 12月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 3月
3.4 4月
3.5 5月
3.6 6月
3.7 7月
3.8 8月
3.9 9月
3.10 10月
3.11 11月
3.12 12月
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
|
|
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月19日(土) | 第1戦 | 広島東洋カープ | 3-11 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月20日(日) | 第2戦 | 広島東洋カープ | 4-2 | 西武ライオンズ | |
10月21日(月) | 移動日 | ||||
10月22日(火) | 第3戦 | 西武ライオンズ | 1-0 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月23日(水) | 第4戦 | 西武ライオンズ | 3-7 | 広島東洋カープ | |
10月24日(木) | 第5戦 | 西武ライオンズ | 0-3 | 広島東洋カープ | |
10月25日(金) | 移動日 | ||||
10月26日(土) | 第6戦 | 広島東洋カープ | 1-6 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月27日(日) | 第7戦 | 雨天中止 | |||
10月28日(月) | 広島東洋カープ | 1-7 | 西武ライオンズ | ||
優勝:西武ライオンズ(2年連続10回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 佐々岡真司 | 広島 | 郭泰源 | 西武 | | |
最優秀新人 | 森田幸一 | 中日 | 長谷川滋利 | オリックス | | |
首位打者 | 古田敦也 | ヤクルト | .340 | 平井光親 | ロッテ | .314 |
本塁打王 | 落合博満 | 中日 | 37本 | O.デストラーデ | 西武 | 39本 |
打点王 | 広沢克己 | ヤクルト | 99点 | O.デストラーデ | 西武 | 92点 |
J.トレーバー | 近鉄 | |||||
最多安打 | 野村謙二郎 | 広島 | 170本 | 佐々木誠 | ダイエー | 158本 |
盗塁王 | 野村謙二郎 | 広島 | 31個 | 大野久 | ダイエー | 42個 |
最高出塁率 | 落合博満 | 中日 | .473 | 白井一幸 | 日本ハム | .428 |
最優秀防御率 | 佐々岡真司 | 広島 | 2.44 | 渡辺智男 | 西武 | 2.35 |
最多勝利 | 佐々岡真司 | 広島 | 17勝 | 野茂英雄 | 近鉄 | 17勝 |
最多奪三振 | 川口和久 | 広島 | 230個 | 野茂英雄 | 近鉄 | 287個 |
最高勝率 | 北別府学 | 広島 | .733 | 工藤公康 | 西武 | .842 |
最優秀救援投手 | 大野豊 | 広島 | 32SP | 武田一浩 | 日本ハム | 22SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 佐々岡真司 | 広島 | 郭泰源 | 西武 |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 伊東勤 | 西武 |
一塁手 | 落合博満 | 中日 | J.トレーバー | 近鉄 |
二塁手 | 高木豊 | 大洋 | 辻発彦 | 西武 |
三塁手 | 山崎隆造 | 広島 | 松永浩美 | オリックス |
遊撃手 | 野村謙二郎 | 広島 | 小川博文 | オリックス |
外野手 | R・J・レイノルズ | 大洋 | 秋山幸二 | 西武 |
広沢克己 | ヤクルト | 佐々木誠 | ダイエー | |
原辰徳 | 巨人 | 平井光親 | ロッテ | |
指名打者 | O.デストラーデ | 西武 |
高校野球
第63回選抜高等学校野球大会優勝 広陵(広島県)
第73回全国高等学校野球選手権大会優勝 大阪桐蔭(大阪府)
大学野球
- 第40回全日本大学野球選手権大会優勝:東北福祉大
- 第22回明治神宮野球大会優勝:愛知学院大
東京六大学野球連盟優勝 春:慶應義塾大、秋:慶應義塾大
東都大学野球連盟優勝 春:東洋大、秋:駒澤大
関西学生野球連盟優勝 春:関西大、秋:近畿大
社会人野球
第62回都市対抗野球大会優勝:東芝
第18回社会人野球日本選手権大会優勝:日本石油
メジャーリーグ
詳細は「1991年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ:ミネソタ・ツインズ(4勝3敗)アトランタ・ブレーブス
アメリカンリーグ東地区優勝:トロント・ブルージェイズ
- アメリカンリーグ西地区優勝:ミネソタ・ツインズ
ナショナルリーグ東地区優勝:ピッツバーグ・パイレーツ
- ナショナルリーグ西地区優勝:アトランタ・ブレーブス
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
1月6日 - 中日ドラゴンズの音重鎮、山田和利と広島東洋カープの長島清幸との交換トレードが成立[1]。
1月8日 - 【MLB】ロッド・カルー、ゲイロード・ペリー、ファーガソン・ジェンキンスのアメリカ野球殿堂入りが、全米野球記者協会の投票で決定。
1月16日 - 日本プロ野球コミッショナーは湾岸戦争勃発に伴い、日本国外でのキャンプの再検討を要望。西武ライオンズの国外キャンプは中止、福岡ダイエーホークス、近鉄バファローズの国外キャンプは予定通り行われた[2]。
1月18日 - ロッテオリオンズは重光昭夫の球団社長代行就任を発表[3]。
1月22日 - 中日はマーク・ライアルと契約を結ぶ[1]。- 1月22日 - パシフィック・リーグの会長に原野和夫が就任[2]。
1月23日 - ヤクルトスワローズは湾岸戦争の激化を理由に、アメリカのユマでのキャンプの中止を決定し、2月1日より14年ぶりに日本国内キャンプとなる宮崎県西都市で行った[4]。- 1月23日 - 西武の高山郁夫と広島東洋カープの高木宣宏の交換トレードが成立[5]。
2月
2月26日 - 【MLB】トニー・ラゼリとビル・ベックのアメリカ野球殿堂入りが、ベテランズ委員会の選出により決定。
3月
3月8日 - 日本人選手初の年俸調停となっていた中日の落合博満について、調停委員会は球団提示の2億2千万(落合は当初3億を要求、その後2億7千万に)の結論を出した[6]。
3月27日 - ヤクルトの球団オーナーに桑原潤が就任[4]。
4月
4月5日 - 第63回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、広陵が松商学園を6-5で破り、65年ぶり2度目の優勝。
4月6日
- この日、セ・パ両リーグ公式戦が開幕[1]。
- 広島の前田智徳は開幕戦の対ヤクルト戦で1番でプロ入り初先発出場し、1回の第1打席で日本プロ野球史上初の「新人による開幕戦で初出場、先頭打者、プロ入り初本塁打」[7]。
- 4月6日 - 中日の森田幸一が対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に4番手で登板し、22年ぶりの「開幕戦で新人がプロ入り初登板、初勝利投手」[1]。
- 4月7日 - 中日の西本聖が対巨人戦(東京ドーム)で日本プロ野球通算2500投球回[8]。
4月10日 - 中日の森田幸一が対広島戦(ナゴヤ球場)で8回裏のプロ入り初打席で秋村謙宏から初本塁打。投手による初打席初本塁打は史上4人目、新人では1950年の東映フライヤーズの塩瀬盛道以来41年ぶり。初打席初本塁打で勝利投手となったのは史上初[9]。
4月12日 - 日本ハムは対オリックス戦(東京ドーム)で、田村藤夫の「本塁打による1安打勝利」、パ・リーグ史上5度目。スコアは1-0。日本ハムは前日の対ロッテ戦(東京ドーム)に続いての「2試合連続の1安打試合」、パ・リーグ史上2度目[10]。
4月14日 - 中日の宇野勝が対大洋戦(長良川球場)で日本プロ野球通算1500試合出場[8]。- 4月14日 - 広島対巨人戦(広島)は2-1で巨人が勝利し、原辰徳に逆転打を打たれた津田恒美が敗戦投手。津田はこれが現役最後の登板となり、この後登録抹消で検査のため入院となる[11]。
4月16日 - 阪神の田村勤がプロ入り初登板の対広島戦(広島)の7回1死三塁の場面で、初打者の小早川毅彦に日本プロ野球史上34人目の「初登板、初打者に本塁打」[12]。
4月17日 - 中日対ヤクルト戦(明治神宮野球場)で、中日の小松崎善久がヤクルトのティム・バートサスの投球に激高し、乱闘騒ぎとなり、両者退場処分[1]。
4月24日 - 日本ハムの芝草宇宙が対ロッテ戦(川崎球場)でパ・リーグ史上6人目の「プロ入り初登板で完封勝利」、スコアは6-0[12]。
5月
5月1日
- 【MLB】テキサス・レンジャーズのノーラン・ライアンが7回目のノーヒット・ノーランを達成。自身の持つ最多記録と最年長記録を更新。
- 【MLB】 オークランド・アスレチックスのリッキー・ヘンダーソンがルー・ブロックの938盗塁を更新するメジャーリーグ新記録の939盗塁。
5月3日 - 中日の宇野勝が対ヤクルト戦(ナゴヤ)でティム・バートサスから日本プロ野球通算300本塁打[8]。
5月10日 - ロッテの監督の金田正一が対日本ハムファイターズ戦で日本プロ野球新記録の通算8度目の退場処分。ロッテの7回に日本プロ野球タイ記録の1イニング5投手を登板。試合は8-7で日本ハムが勝利[13]。
5月15日 - 広島は津田恒美が水頭症であると発表するが実は悪性の脳腫瘍で、当時はこの事実が伏せられており、津田は2年後の1993年7月20日に死去[11]。
5月19日 - 近鉄対ロッテ戦(秋田八橋球場)で、近鉄のジム・トレーバーがロッテの園川一美からの死球に激昂して園川を追いかける乱闘騒ぎを起こした。トレーバーは暴力行為で退場になった。
5月25日 - 千葉マリンスタジアムで初の公式戦となるヤクルト対中日戦が行われ、ヤクルトの荒井幸雄が同球場での公式戦第1号本塁打(ランニング本塁打)を記録[14]。
5月26日 - 中日の川畑泰博とオリックス・ブルーウェーブの南牟礼豊蔵の交換トレードが成立[1]。
5月28日 - 広島の高沢秀昭が金銭トレードでロッテに復帰[15]。
5月29日 - 近鉄対オリックス戦(日本生命球場)の11回表、打席に立ったオリックスの投手のドン・シュルジーが赤堀元之から本塁打を放つ。パ・リーグが指名打者制を導入して以来、投手が本塁打を打ったのは初めて。
5月31日 - 西武の呉俊宏と大洋の藤野正剛の交換トレードが成立[5]。
6月
6月10日 - 【MLB】1993年からナショナルリーグに新加盟する2球団がフロリダ・マーリンズとコロラド・ロッキーズに決定。チーム名は7月6日に発表。
6月12日 - 日本プロ野球は支配下選手枠を70人(一軍40人、二軍30人)とすることを内定。トレード期間は6月30日までとすることにした[1]。
6月16日
- ヤクルトの角富士夫が対横浜大洋ホエールズ(横浜)戦で日本プロ野球通算200犠打、史上10人目[4]。
- ダイエーの今井雄太郎が40歳10カ月で球団史上最年長登板[16]。
6月18日 - 中日対大洋戦(ナゴヤ)の10回裏、中日の彦野利勝は盛田幸妃から3号サヨナラ本塁打を放つが、一塁を回ったところで右膝を押さえて倒れ、代走の山口幸司がホームイン。彦野は右膝じん帯断裂で全治3カ月の重傷[17]。- 6月18日 - 西武のオレステス・デストラーデが対オリックス戦(山形)で5回に右打席、7回に左打席で日本プロ野球タイ記録の2度目の両打席で本塁打[18]。
6月27日 - 西武対日本ハム戦(西武)は西武が秋山幸二のパ・リーグ史上16度目の「サヨナラ本塁打による1-0で勝利」[19]。
6月28日 - 西武は対ロッテ戦(川崎球場)の1回から5回までの5イニング連続本塁打、パリーグ新記録[20]。- 6月28日 - 近鉄対オリックス戦(藤井寺)で5回裏無死一塁の場面で、近鉄の打者の吉田剛のバントの自打球が当たったことについて、アウトかどうかで判定が3度覆り、両チームの監督が抗議、21分間の中断。判定した審判の村田康一が後に戒告と制裁金3万円の処分[21]。
6月29日 - 中日対巨人戦(ナゴヤ)で、巨人の村田真一の右翼ポール際への打球が一度は本塁打と認定され、中日のマイク・ライアルのアピールでファウルと認められ、幻の本塁打に[21]。
6月30日 - 中日の落合博満が対巨人戦(ナゴヤ)で香田勲から日本プロ野球通算3000塁打[8]。
7月
7月10日 - 巨人の篠塚利夫が札幌円山球場での対広島16回戦の九回裏に安打を打ち、プロ通算1500本安打を達成[22]。
7月14日 - 中日の宇野勝が東京ドームでの対巨人13回戦の二回表に桑田真澄から三振を喫し、日本人選手としてプロ野球新記録の23試合連続三振[23]。
7月18日 - オリックスの石嶺和彦が北九州市民球場での対ダイエー12回戦に4番・指名打者として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[24]。
7月19日 - 中日の中村武志がナゴヤ球場での対巨人14回戦で、八回裏一死満塁の場面で代打で登場し12号満塁本塁打、十回裏に13号サヨナラ本塁打を放ち、史上5人目の一試合で満塁本塁打、サヨナラ本塁打の両方を打った選手となる[25]。試合後、巨人ファン約30名が巨人ナインの乗せたバスを取り囲み立ち往生する騒ぎが起きる[26]。
7月31日
- 千葉マリンスタジアムでのプロ野球初の公式戦となるロッテ対西武16回戦が行わ、西武が3-2で勝利[27]。
- ロッテの球団社長代行の重光昭夫はこの日に開かれたオーナー会議にて、来季より本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムへ移転することを表明[28]。
8月
8月1日 - 第62回都市対抗野球大会決勝戦(東芝対三菱重工長崎)で、東芝の丹波健二が1大会9本塁打の都市対抗野球個人大会最多本塁打記録を達成。
8月2日 - ダイエーの水上善雄が西武球場での対西武15回戦に8番・遊撃で先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[29]。
8月4日 - 大洋のロバート・レイノルズが横浜スタジアムでの対ヤクルト19回戦の一回裏の第一打席で安打、三回裏の第2打席で8号2点本塁打を打ち、日本プロ野球新記録となる11打数連続安打を達成[30]。
8月7日 - ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム19回戦の五回裏に安打を打ち、プロ通算2500本安打を達成[31]。
8月12日 - 広島の大野豊が広島市民球場での対阪神14回戦の九回表から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[32]。
8月19日 - 中日の郭源治が対巨人戦(東京ドーム)で日本プロ野球通算1500投球回[8]。
8月21日 - 第73回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、大阪代表の大阪桐蔭高校が沖縄代表の沖縄水産を13-8で破り初優勝。
8月22日 - 中日はナゴヤ球場での対ヤクルト21回戦で、セ・リーグタイ記録の1試合5併殺打[33]。
8月25日 - 巨人の川相昌弘が東京ドームでの対大洋23回戦の七回無死一塁で犠打を決め今季58個目となり、自身が1990年に記録した年間最多犠打58と並ぶ[34]。
8月27日 - 広島は広島市民球場での対大洋22回戦でセ・リーグタイ記録の1試合5盗塁刺殺[35]。
8月30日 - 中日の落合博満が広島市民球場での対広島15回戦の六回表に24号本塁打を打ち、プロ通算400号本塁打を達成[36]。
9月
9月1日 - 巨人の川相昌弘が甲子園球場での対阪神23回戦の一回表に無死一塁から犠打を決め、自身が1990年に記録した年間最多犠打58を更新する今季59個目の犠打となる[37]。
9月4日 - プロ野球実行委員会が名古屋市内のホテルで開かれ、ロッテの千葉への本拠地移転を正式に承認[38]。
9月5日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対大洋23回戦の七回裏に盛田幸妃から四球を選び、プロ通算1000四死球を達成[39]。
9月6日 - オリックスのブーマー・ウェルズがグリーンスタジアム神戸での対ダイエー19回戦に出場し、1000試合出場を達成[40]。
9月7日 - 広島の川口和久が東京ドームでの対巨人23回戦の四回表に岡崎郁から三振奪い、プロ通算1000奪三振を達成[41]。
9月20日 - ジュニア日本選手権の広島対巨人戦が平塚球場で行われ、7回裏巨人の攻撃中に降雨のため試合が中断し、5-5の引き分けに終わり再試合となる[42]。
9月21日 - ジュニア日本選手権の再試合が平塚球場で行われ、巨人が広島に8-7でサヨナラ勝ちし、2年連続5度目の優勝達成[43]。
9月23日 - 中日の球団社長の中山了は、監督の星野仙一が今季限りで辞任を申し出ていることを明らかにする[44]。
9月26日 - 阪神の真弓明信が甲子園球場での対ヤクルト26回戦で二回裏に17号本塁打、四回裏に二塁打、六回裏に適時二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[45]。
9月27日 - ダイエーは今井雄太郎と広橋公寿が今季限りでの現役引退すると発表[46]。
9月28日
- ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム25回戦で2三振を喫し、これでプロ通算1479三振となり、野村克也の通算1478三振を抜いて、プロ野球史上2位の三振数となる[47]。
- 洋の屋鋪要が東京ドームでの対巨人25回戦で2盗塁を決め、プロ通算300盗塁を達成[48]。
9月29日 - ロッテの西村徳文が川崎球場での対近鉄25回戦で2盗塁を決め、プロ通算300盗塁を達成[49]。
10月
10月1日 - 日本ハムの監督の近藤貞雄が本拠地・東京ドームでの最終戦となる対近鉄24回戦の試合終了後に記者会見し、今季限りで監督を退任すると表明[50]。
10月2日 - 西武の渡辺久信が西武球場での対ロッテ24回戦の三回表に佐藤兼伊知から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を記録[51]。
10月3日 - 西武球場で西武対日本ハム26回戦で西武が13-1と勝利し、、2年連続のパ・リーグ優勝が決定[52]。
10月4日 - 阪神は田尾安志が今季限りで現役引退すると発表[53]。
10月8日
- 阪神の高橋慶彦が六回表に得点してプロ通算1000得点を達成[54]。
- ダイエーは島田誠が今季限りで現役引退すると発表[55]。
10月10日 - 横浜スタジアムでの大洋対阪神ダブルヘッダー第二試合の26回戦は大洋の田代富雄の引退試合となり、田代は現役最後の最終打席となった三回裏の第二打席で1号満塁本塁打を打つ[56]。
10月12日 - ヤクルトは尾花高夫が今季限りで現役引退すると発表[57]。
10月13日
- 広島対阪神のダブルヘッダーが広島市民球場で行われ、第二試合の25回戦で広島が阪神に2-1で勝ち、5年ぶり6度目のセ・リーグ優勝[58]。
- 中日の落合博満が神宮球場での対ヤクルト26回戦で1試合6四球のプロ野球新記録[59]。
10月14日 - 大洋は打撃コーチの大杉勝男が退団したと発表[60]。
10月15日 - 中日の宇野勝がナゴヤ球場での対広島26回戦の二回裏に川島堅から適時打を打ち、プロ野球通算1500安打を達成[61]。
10月16日 - セ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[62]。
10月17日 - パ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[63]。
10月18日 - 中日は野球評論家の高木守道が来季より監督に就任すると正式に発表[64]。
10月21日 - 沢村賞の選考が東京都内のホテルで行われ、広島の佐々岡真司を選出[65]。
10月27日 - 【MLB】ワールドシリーズはミネソタ・ツインズがアトランタ・ブレーブスに4勝3敗で優勝達成。
10月28日 - 日本シリーズ第7戦が西武球場で行われ、西武が広島に7-1で勝利し、4勝3敗で2年連続の優勝達成[66]。
10月29日 - 正力松太郎賞の選考委員会が開かれ、西武の秋山幸二を選出[67]。
10月30日 - プロ野球セ・パ両リーグの最優秀選手、新人王、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、最優秀選手はセは広島の佐々岡真司、パは西武の郭泰源を、最終週新人にセは中日の森田幸一、パはオリックスの長谷川滋利を選出[68]。
11月
11月13日 - ロッテは重光昭夫球団社長代行のオーナー代行就任と、監督の金田正一の解任と後任監督に八木沢荘六の就任を発表[3]。
11月18日 - 【MLB】ピッツバーグ・パイレーツからFAとなっていたボビー・ボニーヤがニューヨーク・メッツと史上初の年俸500万ドル(以上)で契約。
11月19日 - ロッテは翌年からの球団名を「千葉ロッテマリーンズ」にすることを発表[3]。11月21日に改称[2]。
12月
12月2日 - ロッテの荘勝雄が日本に帰化[2]。
12月5日 - 阪神甲子園球場のラッキーゾーンが撤去される[69]。
12月18日 - 西武の岡田展和と巨人の松原靖の交換トレードが成立[5]。
12月20日 - 西武の立花義家が阪神にトレード[5]。
12月25日 - 大洋の中山裕章が強制わいせつおよび公然わいせつの容疑で逮捕される。
誕生
1月
1月2日 - 林羿豪
1月6日 - ケビン・ゴーズマン
1月7日 - タッカー・バーンハート
- 1月7日 - 伊藤準規
- 1月7日 - 郭阜林
1月8日 - 鈴木駿也
1月9日 - 笠原将生
1月11日 - 中島卓也
1月12日 - アレックス・ウッド
1月13日 - 角晃多
1月14日 - スティーブン・ピスコッティ
1月17日 - トレバー・バウアー
1月24日 - フェリペ・リベロ
1月31日 - ギジェルモ・エレディア
2月
2月2日 - マット・ボイド
2月5日 - 王躍霖
2月4日 - 杉谷拳士
2月6日 - ルーク・メイリー
2月12日 - レイモンド・フエンテス
2月21日 - デボン・トラビス
2月26日 - ケビン・プラウェッキー
3月
3月6日 - 西野勇士
3月11日 - 中崎雄太
3月16日 - コーリー・スパンジェンバーグ
3月18日 - J.T.リアルミュート
- 3月18日 - レウリー・ガルシア
3月26日 - ロブ・レフスナイダー
- 3月26日 - エルナン・ペレス
- 3月26日 - マイケル・テイラー
3月30日 - ジェイク・マリスニック
4月
4月1日 - シーザー・プエロ
4月4日 - マーティン・ペレス
4月16日 - ノーラン・アレナド
4月17日 - 今村猛
4月24日 - タイラー・ネイキン
4月26日 - 秋山拓巳
5月
5月1日 - マーカス・ストローマン
5月2日 - ジョナサン・ビヤー
5月5日 - ジェームズ・パゾス
5月7日 - エミリオ・パガン
5月24日 - チャド・グリーン
5月29日 - 近藤大亮
5月31日 - マット・ボウマン
6月
6月5日 - アンドリュー・ヒーニー
6月12日 - アビサイル・ガルシア
6月17日 - 菊池雄星
6月19日 - 鬼屋敷正人
6月21日 - ジェフリー・マルテ
6月27日 - フリオ・テヘラン
7月
7月1日 - マイケル・ワカ
7月6日 - ニック・グッディー
7月13日 - タイラー・スカッグス
7月16日 - トミー・ジョゼフ
7月18日 - エウヘニオ・スアレス
7月22日 - ジェイク・バレット
7月27日 - ワンディ・ペラルタ
8月
8月2日 - パーカー・ブリッドウェル
8月6日 - ウィルマー・フローレス
8月7日 - マイク・トラウト
8月13日 - ランドル・グリチャック
8月17日 - 堂林翔太
8月21日 - メイソン・ウィリアムズ
8月24日 - エンリケ・ヘルナンデス
8月31日 - エリック・ゴンザレス
9月
9月3日 - カール・エドワーズ・ジュニア
9月12日 - ホセ・ウレーニャ
9月14日 - ティム・アサートン
9月21日 - カルロス・マルティネス
9月28日 - エディ・ロザリオ
10月
10月1日 - ロビー・レイ
10月2日 - キャム・ベドローシアン
10月7日 - マイク・フォルテネービッチ
10月11日 - ジオバニー・ウルシェラ
10月16日 - ジョナサン・スコープ
10月26日 - ドミニク・レオン
11月
11月5日 - ジョン・グレイ
11月18日 - ジェイムソン・タイヨン
11月22日 - ジャスティン・ニコリーノ
11月23日 - 山川穂高
11月26日 - コーリー・クネイブル
- 11月26日 - 筒香嘉智
12月
12月5日 - クリスチャン・イエリッチ
- 12月5日 - 岡田俊哉
12月9日 - アダム・エンゲル
12月14日 - アダム・フレイジャー
- 12月14日 - ホセ・オスーナ
12月20日 - 平井克典
死去
1月3日 - ルーク・アップリング(*1907年)
1月19日 - ロイ・ウェザリー(*1915年)
1月21日 - 桑田武(*1937年)
3月7日 - クール・パパ・ベル(*1903年)
4月20日 - バッキー・ウォルターズ(*1909年)
6月16日 - ハッピー・チャンドラー(*1898年)
7月15日 - 永川英植(*1956年)
9月1日 - 外山義明(*1947年)
9月29日 - 野上清光(*1914年)
10月7日 - レオ・ドローチャー(*1905年)
10月11日 - 鈴木美嶺(*1921年)
11月22日 - 麻生実男(*1937年)
12月6日 - 服部受弘(*1920年)
脚注
- ^ abcdefg『中日ドラゴンズ70年史』 中日ドラゴンズ 編、中日新聞社、2006年、170頁。ISBN 4806205141。
- ^ abcdパシフィック・リーグ略史(1949年~2000年) Archived 2014年02月16日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ abc“チームヒストリー 1993”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト. 2015年12月29日閲覧。
- ^ abc“球団のあゆみ 1990年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2015年12月29日閲覧。
- ^ abcd日付は出典の記述に基づく公示日。『ライオンズ60年史―獅子の記憶―「西鉄」から「埼玉西武」まで』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2010年、116頁。ISBN 9784583616858。
^ 『日本プロ野球事件史 1934-2013 秘蔵写真で振り返る衝撃のプロ野球史』 ベースボールマガジン社、2013年、57頁。ISBN 9784583619323。
^ 『広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009 躍動!赤ヘル軍団』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、62頁。ISBN 9784583616001。
- ^ abcdeドラゴンズ70年史 2006, p. 284.
^ “【4月10日】1991年(平3) 中日・森田幸一、41年ぶりの投手初打席初本塁打は決勝弾”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年3月30日). 2015年12月29日閲覧。
^ 記録メモ(チーム・その他編) Archived 2014年02月13日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ ab“【4月14日】1991年(平3) 炎のストッパー・津田、悲しい最後のリリーフ”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2008年4月7日). 2015年12月29日閲覧。
- ^ ab記録メモ(個人投手編) Archived 2013年12月12日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
^ 宇佐美徹也 『日本プロ野球記録大鑑』 講談社、1993年、802頁。ISBN 4062061082。
^ “【5月25日】1991年(平3) 荒井幸雄 千葉マリン公式戦1号本塁打は「しんどかった」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2015年12月29日閲覧。
^ “【5月28日】1991年(平3) 異例 1年で出戻り 高沢秀昭 シーズン中に古巣復帰”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2015年12月29日閲覧。
^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2013年8月26日、 96頁。
^ “【6月18日】1991年(平3) 前代未聞のサヨナラ本塁打で代走 彦野利勝、天国から地獄へ”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2010年6月18日). 2015年12月29日閲覧。[リンク切れ]
^ 宇佐美徹也 1993, p. 427.
^ 記録メモ(個人打者編) Archived 2013年12月12日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
^ 宇佐美徹也 1993, p. 435.
- ^ ab事件史 2013, p. 99.
^ 読売新聞1991年7月11日19面「巨人・篠塚が通算1500本安打」読売新聞縮刷版1991年7月p525
^ 読売新聞1991年7月15日19面「中日・宇野が日本選手では最多の23試合連続三振を記録」読売新聞縮刷版1991年7月p717
^ 読売新聞1991年7月19日21面「オリックス・石嶺和彦外野手(三〇)が1000試合出場」読売新聞縮刷版1991年7月p941
^ 読売新聞1991年7月20日21面「中村、史上5人目の快挙」読売新聞縮刷版1991年7月p989
^ 読売新聞1991年7月20日21面「巨人のバス立ち往生」読売新聞縮刷版1991年7月p989
^ 読売新聞1991年8月1日17面「鈴木健V打 西武3連勝」読売新聞縮刷版1991年8月p17
^ 読売新聞1991年8月1日17面「ロッテ千葉移転本決まり」読売新聞縮刷版1991年8月p17
^ 読売新聞1991年8月3日21面「ダイエー・水上善雄内野手(三三)が1500試合出場」読売新聞縮刷版1991年8月p109
^ 読売新聞1991年8月4日夕刊17面「レイノルズ 連続安打『11』新記録 8号2ランで金字塔 10年ぶり更新」読売新聞縮刷版1991年8月p193
^ 読売新聞1991年8月8日19面「門田6人目2500本安打 43歳、22年目で達成 今季3度目の快記録」読売新聞縮刷版1991年8月p313
^ 読売新聞1991年8月12日19面「広島・大野が500試合登板」読売新聞縮刷版1991年8月p485
^ ドラゴンズ70年史 2006, p. 171.
^ 読売新聞1991年8月26日20面「川相『犠打日本新』に王手 原、逆転25号3ラン 宮本9勝目」読売新聞縮刷版1991年8月p1150
^ 読売新聞1991年8月28日21面「広島が5盗塁死のタイ記録」読売新聞縮刷版1991年8月p1275
^ 読売新聞1991年8月31日21面「落合400号 中日アーチ攻勢 広島砕き3.5差 山本完投6勝目」読売新聞縮刷版1991年8月p1453
^ 読売新聞1991年9月2日19面「川相、59犠打日本新 巨人3連勝、Aクラス復帰」読売新聞縮刷版1991年9月p59
^ 読売新聞1991年9月5日19面「ロッテ千葉移転正式決定」読売新聞縮刷版1991年9月p231
^ 読売新聞1991年9月6日19面「中日・落合博満内野手(三七)が通算1000四死球」読売新聞縮刷版1991年9月p289
^ 読売新聞1991年9月7日19面「オリックスのブーマー・ウエルス内野手(三七)が1000試合出場」読売新聞縮刷版1991年9月p339
^ 読売新聞1991年9月8日18面「広島・川口和久投手(三二)が通算1000奪三振」読売新聞縮刷版1991年9月p386
^ 読売新聞1991年9月21日19面「巨人・広島、分ける きょう再試合 ジュニア日本選手権」読売新聞縮刷版1991年9月p1055
^ 読売新聞1991年9月22日19面「巨人、4度目V 橋本、サヨナラ安打 ジュニア日本選手権」読売新聞縮刷版1991年9月p1115
^ 読売新聞1991年9月24日19面「星野監督 辞意 "9月の失速"で引責表明」読売新聞縮刷版1991年9月p1197
^ 読売新聞1991年9月27日19面「真弓が3千塁打 阪神初の5連勝」読売新聞縮刷版1991年9月p1333
^ 読売新聞1991年9月28日19面「ダイエー今井 広橋 現役引退」読売新聞縮刷版1991年9月p1389
^ 読売新聞1991年9月29日19面「ダイエー門田外野手が史上2位の三振」読売新聞縮刷版1991年9月p1437
^ 読売新聞1991年9月29日19面「大洋・屋敷が300盗塁」読売新聞縮刷版1991年9月p1437
^ 読売新聞1991年9月30日18面「ロッテ・西村が300盗塁」読売新聞縮刷版1991年9月p1476
^ 読売新聞1991年10月2日19面「史上最年長 近藤監督今季限り」読売新聞縮刷版1991年10月p75
^ 読売新聞1991年10月3日19面「西武・渡辺久が1000奪三振」読売新聞縮刷版1991年10月p127
^ 読売新聞1991年10月4日1面「西武2連覇 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1991年10月p165
^ 読売新聞1991年10月5日19面「阪神・田尾引退へ」読売新聞縮刷版1991年10月p239
^ 読売新聞1991年10月9日19面「阪神・高橋慶彦外野手(三四)が通算1千得点」読売新聞縮刷版1991年10月p443
^ 読売新聞1991年10月9日19面「島田誠が引退」読売新聞縮刷版1991年10月p443
^ 読売新聞1991年10月11日19面「大洋お別れ満塁278号」読売新聞縮刷版1991年10月p527
^ 読売新聞1991年10月13日19面「14年間で112勝 尾花引退発表」読売新聞縮刷版1991年10月p631
^ 読売新聞1991年10月14日1面「広島5年ぶりV セ・リーグ」読売新聞縮刷版1991年10月p653
^ 読売新聞1991年10月14日19面「落合ムッ6四球 "首位打者"古田は欠場 中日大勝」読売新聞縮刷版1991年10月p671
^ 読売新聞1991年10月15日19面「大洋・大杉コーチが退団」読売新聞縮刷版1991年10月p737
^ 読売新聞1991年10月16日19面「中日・宇野勝(三三)が通算1500安打達成」読売新聞縮刷版1991年10月p793
^ 読売新聞1991年10月17日19面「古田逆転 初の首位打者 パは平井 3年目の栄冠 捕手で最高.3398 セ全日程終了」読売新聞縮刷版1991年10月p847
^ 読売新聞1991年10月18日19面「D砲連続2冠 本塁打 打点 野茂も最多勝と奪三振 パも全日程終了」読売新聞縮刷版1991年10月p899
^ 読売新聞1991年10月19日19面「中日新監督に高木氏が就任」読売新聞縮刷版1991年10月p955
^ 読売新聞1991年10月22日19面「沢村賞に佐々岡 V貢献を高く評価」読売新聞縮刷版1991年10月p1119
^ 読売新聞1991年10月29日1面「西武 連続日本一 広島に4勝3敗」読売新聞縮刷版1991年10月p1497
^ 読売新聞1991年10月30日19面「正力松太郎賞 西武・秋山に 『走・攻・守』の三拍子 外野手の受賞は初めて」読売新聞縮刷版1991年10月p1575
^ 読売新聞1991年10月31日19面「セは佐々岡、パは郭 MVP 2年連続投手が独占」読売新聞縮刷版1991年10月p1635
^ “阪神タイガースヒストリー 1990-1994”. 阪神タイガース公式サイト. 2015年12月29日閲覧。
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