フィル・ニークロ































































フィル・ニークロ
Phil Niekro

PhilNierko1982.jpg
基本情報
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
オハイオ州ブレイン
生年月日
(1939-04-01) 1939年4月1日(79歳)
身長
体重

6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
投手
プロ入り
1958年
初出場
1964年4月15日
最終出場
1987年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)




  • ミルウォーキー・ブレーブス
    アトランタ・ブレーブス (1964 - 1983)


  • ニューヨーク・ヤンキース (1984 - 1985)


  • クリーブランド・インディアンズ (1986 - 1987)


  • トロント・ブルージェイズ (1987)

  • アトランタ・ブレーブス (1987)




アメリカ野球殿堂


Empty Star.svgEmpty Star.svgEmpty Star.svg殿堂表彰者Empty Star.svgEmpty Star.svgEmpty Star.svg

選出年
1997年
得票率
80.34%
選出方法
BBWAA[:en]選出

フィリップ・ヘンリー・ニークロPhilip Henry Niekro, 1939年4月1日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州ブレイン出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。


ニックネームは「Knucksie」。MLBを代表するナックルボーラー(ナックルボールを中心とする投手)の一人。


5歳下の実弟ジョー・ニークロは元投手で、甥のランス・ニークロも元MLB選手。




目次






  • 1 経歴


  • 2 エピソード


  • 3 詳細情報


    • 3.1 年度別投手成績


    • 3.2 獲得タイトル・表彰・記録




  • 4 脚注


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





経歴


1958年6月19日にミルウォーキー・ブレーブスと契約。1964年4月15日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー[1]


28歳の1967年に初の10勝をあげ、50日間に及ぶストライキでシーズンが中断された1981年を除いて、47歳の1986年まで19回の二桁勝利をあげ、シーズン20勝も30歳の1969年、35歳の1974年、40歳の1979年と3回記録している。この間、1981年を除いて毎年200イニング以上を投げた息の長さ、しかも現在のメジャーではまずあり得ないシーズン300イニング[2]も4回あり、ここまでのコンスタントな活躍は驚異的である。


弟ジョーもナックルボーラーとして通算221勝を挙げた投手で、兄弟の合計勝利数539はMLB最多記録である。1979年には日米野球で来日しているが、この時、弟ジョー(当時ヒューストン・アストロズ)も共に来日している。日本のファンにナックルボールの脅威を見せつけた。


1973年8月5日、サンディエゴ・パドレス戦でノーヒットノーランを達成。守備にも優れ、ナショナルリーグのゴールドグラブ賞を5回受賞した。1980年にはロベルト・クレメンテ賞を受賞している。


45歳にして、20年在籍したブレーブスを離れニューヨーク・ヤンキースに移籍。1985年には弟ジョーもヤンキースに移籍。10月6日のトロント・ブルージェイズ戦で完封勝利を収め、通算300勝を達成。46歳189日での300勝達成はMLB史上最年長。同時にこの完封勝利もMLB史上最年長となった。この時、ジョーが真っ先にマウンドに駆け寄り、兄を祝福している。


1986年開幕直前に突如ヤンキースを解雇され、クリーブランド・インディアンスに移籍。この年も47歳で11勝を記録。翌1987年も夏までに7勝をあげるが、地区優勝を狙うトロント・ブルージェイズに移籍。しかし、3回の先発で打ち込まれて解雇され、引退を決意した。かつて所属していたブレーブスが引退登板のために契約し、シーズン最終戦に先発。48歳にして現役を引退した。背番号35はアトランタ・ブレーブスの永久欠番となっている。


40歳以降に121勝を挙げており、これはMLB記録である。24年間の選手生活で一度もワールドシリーズに出場することなく引退し、これもMLB記録となっている。ポストシーズンに出場したのも1969年と1982年のわずか2回のみであった。通算3342奪三振は歴代10位。投球回数5,404回1/3は歴代4位だが、ライブボール時代開始の1920年以後のみに登板している投手に限れば1位である。


1997年、アメリカ野球殿堂入り。


甥のランスは2003年にサンフランシスコ・ジャイアンツで内野手としてメジャーデビューした。2008年に解雇されたが、現在フィルの下ナックルボーラーとなるべく指導を受けているという。



エピソード


  • ニークロが投じるナックルのあまりにも激しい変化量に、相手チームからはたびたび「隠し持った紙やすりか何かでボールに傷を付けている(エメリーボールと呼ばれ、反則行為にあたる)のではないか」と疑いの声が上がっていた。そうした声を受けある試合中、マウンド上のニークロに審判が駆け寄り彼のグラブを調べると一枚の紙切れが出てきた。そこには本人直筆で「俺はお前たちが考えているような、反則行為を必要とするレベルの投手ではない」と書かれていたという[3]
    • ただし、フィルと同様に実父からナックルボールを伝授された弟のジョーは、キャリア末期の1987年シーズンのミネソタ・ツインズ時代、8月3日のカリフォルニア・エンゼルス戦において、主審のティム・ツシーダ(英語版)のボディチェックを受けた際に、ズボンのポケットに板状の爪ヤスリ(エメリー・ボード)と紙ヤスリの小片を入れていた事が発覚し、試合からの退場処分の後に10日間の出場停止を受け、翌1988年に現役引退している。一連の状況は映像で記録されており、ジョーが身の潔白を証明する為にズボンのポケットを引っ張り出し、「何も入っていないだろ?」と両手を掲げるジェスチャーを行った際に、彼の右手の指の間からヤスリの小片が転がり落ち、一瞬彼が動揺する光景は衝撃的な映像 - YouTubeとして全米に報道される事になってしまった。ジョーは「爪ヤスリはネイルケア、紙ヤスリは汗で爪ヤスリが傷んだ場合の予備として、ナックルボーラーとしてのキャリアの当初から携行しているもの。決してボールを傷つける為のものではない。」と主張した。ヤスリ類と共に証拠物件として審判団に回収された5個の公式球にも、ヤスリによる加工の痕跡は特に発見されなかったが、当時のアメリカン・リーグのコミッショナー、ボビー・ブラウン(英語版)はジョーの弁明を認めなかった[4]



詳細情報



年度別投手成績











































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































W
H
I
P

1964

MLN
ATL
10 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 66 15.0 15 1 7 0 1 8 1 0 10 8 4.80 1.47

1965
41 1 0 0 0 2 3 6 -- .400 324 74.2 73 5 26 3 3 49 9 0 32 24 2.89 1.33

1966
28 0 0 0 0 4 3 2 -- .571 224 50.1 48 4 23 5 2 17 3 0 32 23 4.11 1.41

1967
46 20 10 1 2 11 9 9 -- .550 827 207.0 164 9 55 3 7 129 19 1 64 43 1.87 1.06

1968
37 34 15 5 7 14 12 2 -- .538 1019 257.0 228 16 45 3 5 140 16 3 83 74 2.59 1.06

1969
40 35 21 4 6 23 13 1 -- .639 1143 284.1 235 21 57 7 5 193 15 0 93 81 2.56 1.03

1970
34 32 10 3 0 12 18 0 -- .400 980 229.2 222 40 68 2 6 168 6 2 124 109 4.27 1.26

1971
42 36 18 4 2 15 14 2 -- .517 1101 268.2 248 27 70 6 3 173 8 1 112 89 2.98 1.18

1972
38 36 17 1 6 16 12 0 -- .571 1150 282.1 254 22 53 3 5 164 10 3 112 96 3.06 1.09

1973
42 30 9 1 1 13 10 4 -- .565 1023 245.0 214 21 89 4 5 131 11 0 103 90 3.31 1.24

1974
41 39 18 6 0 20 13 1 -- .606 1219 302.1 249 19 88 3 6 195 6 4 91 80 2.38 1.11

1975
39 37 13 1 2 15 15 0 -- .500 1160 275.2 285 29 72 3 11 144 15 2 115 98 3.20 1.30

1976
38 37 10 2 1 17 11 0 -- .607 1157 270.2 249 18 101 7 8 173 14 4 116 99 3.29 1.29

1977
44 43 20 2 0 16 20 0 -- .444 1428 330.1 315 26 164 12 8 262 17 3 166 148 4.03 1.45

1978
44 42 22 4 2 19 18 1 -- .514 1389 334.1 295 16 102 5 13 248 11 3 129 107 2.88 1.19

1979
44 44 23 1 1 21 20 0 -- .512 1436 342.0 311 41 113 8 11 208 18 4 160 129 3.39 1.24

1980
40 38 11 3 0 15 18 1 -- .455 1137 275.0 256 30 85 3 3 176 9 1 119 111 3.63 1.24

1981
22 22 3 3 0 7 7 0 -- .500 578 139.1 120 6 56 2 1 62 2 0 56 48 3.10 1.26

1982
35 35 4 2 1 17 4 0 -- .810 969 234.1 225 23 73 1 3 144 4 1 106 94 3.61 1.27

1983
34 33 2 0 0 11 10 0 -- .524 888 201.2 212 18 105 3 2 128 6 3 94 89 3.97 1.57

1984

NYY
32 31 5 1 0 16 8 0 -- .667 916 215.2 219 15 76 0 3 136 2 0 85 74 3.09 1.37

1985
33 33 7 1 0 16 12 0 -- .571 955 220.0 203 29 120 1 2 149 5 2 110 100 4.09 1.47

1986

CLE
34 32 5 0 1 11 11 0 -- .500 951 210.1 241 24 95 1 6 81 9 2 126 101 4.32 1.60

1987
22 22 2 0 0 7 11 0 -- .389 561 123.2 142 18 53 1 4 57 9 2 83 81 5.89 1.58

TOR
3 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 56 12.0 15 4 7 0 0 7 1 1 11 11 8.25 1.83
ATL
1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 3.0 6 0 6 0 0 0 0 0 5 5 15.00 4.00
'87計
26 26 2 0 0 7 13 0 -- .350 637 138.2 163 22 66 1 4 64 10 3 99 97 6.30 1.65
通算:24年
864 716 245 45 32 318 274 29 -- .537 22677 5404.1 5044 482 1809 86 123 3342 226 42 2337 2012 3.35 1.27


  • 各年度の太字はリーグ最高

  • ML1(ミルウォーキー・ブレーブス)は、1966年にATL(アトランタ・ブレーブス)に球団名を変更



獲得タイトル・表彰・記録




  • 最優秀防御率 1回:1967年


  • 最多勝利 2回:1974年, 1979年


  • 最多奪三振 1回:1977年


  • ゴールドグラブ賞 5回:1978年 - 1980年, 1982年, 1983年


  • MLBオールスターゲーム選出 5回:1969年, 1975年, 1978年, 1982年, 1984年


  • アメリカ野球殿堂入り:1997年



脚注




  1. ^ “1964 Pitching Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年3月30日閲覧。


  2. ^ ニークロが最後に300イニングを投げた1979年以後で、シーズン300イニングを投げた投手は翌1980年のスティーブ・カールトン(フィラデルフィア・フィリーズ、304回)唯一人のみで、以後30年以上いない。


  3. ^ 2004年6月25日放映『キヤノンスペシャル 野球・そのすばらしき世界 』より


  4. ^ Embarrassing Night for Niekro and Angels : Twins' Pitcher Ejected When Emery Board Is Found; Minnesota Romps - ロサンゼルス・タイムズ、1987年8月4日。



関連項目


  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 N


外部リンク






  • Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
















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