1975年の野球
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< 1975年 | 1975年のスポーツ
1975年の野球(1975ねんのやきゅう)では、1975年の野球における動向をまとめる。
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 パシフィック・リーグプレーオフ
1.1.3 日本シリーズ
1.1.4 個人タイトル
1.1.5 ベストナイン
1.1.6 オールスターゲーム
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 1月
2.2 3月
2.3 4月
2.4 5月
2.5 6月
2.6 7月
2.7 8月
2.8 9月
2.9 10月
2.10 11月
2.11 12月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 3月
3.4 4月
3.5 5月
3.6 6月
3.7 7月
3.8 8月
3.9 9月
3.10 10月
3.11 11月
3.12 12月
4 死去
5 出典
競技結果
この節の加筆が望まれています。 |
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 広島東洋カープ | 72 | 47 | 11 | .605 | - |
2位 | 中日ドラゴンズ | 69 | 53 | 8 | .566 | 4.5 |
3位 | 阪神タイガース | 68 | 55 | 7 | .553 | 6.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 57 | 64 | 9 | .471 | 16.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 51 | 69 | 10 | .425 | 21.5 |
6位 | 読売ジャイアンツ | 47 | 76 | 7 | .382 | 27.0 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 前・後 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 64 | 59 | 7 | .520 | 1・6 |
2位 | 近鉄バファローズ | 71 | 50 | 9 | .587 | 3・1 |
3位 | 太平洋クラブライオンズ | 58 | 62 | 10 | .483 | 2・4 |
4位 | ロッテオリオンズ | 59 | 65 | 6 | .476 | 6・2 |
5位 | 南海ホークス | 57 | 65 | 8 | .467 | 5・3 |
6位 | 日本ハムファイターズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 4・4 |
- 年間勝率順位では、総合優勝の阪急ブレーブスが2位・総合2位の近鉄バファローズが首位となるが、1・2位はプレーオフの結果により決定。また、後期に於ける太平洋クラブライオンズと日本ハムファイターズは同率の4位であり、総合順位では太平洋クラブライオンズが3位・日本ハムファイターズが最下位となる。
パシフィック・リーグプレーオフ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月15日(水) | 第1戦 | 近鉄バファローズ | 11-7 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月16日(木) | 第2戦 | 近鉄バファローズ | 4-5 | 阪急ブレーブス | |
10月17日(金) | 移動日 | ||||
10月18日(土) | 第3戦 | 雨天中止 | 藤井寺球場 | ||
10月19日(日) | 阪急ブレーブス | 3-0 | 近鉄バファローズ | ||
10月20日(月) | 第4戦 | 阪急ブレーブス | 5-3 | 近鉄バファローズ | |
年間優勝:阪急ブレーブス |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月25日(土) | 第1戦 | 広島東洋カープ | 3-3 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月26日(日) | 第2戦 | 広島東洋カープ | 1-5 | 阪急ブレーブス | |
10月27日(月) | 移動日 | ||||
10月28日(火) | 第3戦 | 阪急ブレーブス | 7-4 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月29日(水) | 第4戦 | 雨天中止 | |||
10月30日(木) | 阪急ブレーブス | 4-4 | 広島東洋カープ | ||
10月31日(金) | 第5戦 | 阪急ブレーブス | 2-1 | 広島東洋カープ | |
11月1日(土) | 移動日 | ||||
11月2日(日) | 第6戦 | 広島東洋カープ | 3-7 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
優勝:阪急ブレーブス(初優勝) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 山本浩二 | 広島 | 加藤秀司 | 阪急 | | |
最優秀新人 | 該当者なし | 山口高志 | 阪急 | | ||
首位打者 | 山本浩二 | 広島 | .319 | 白仁天 | 太平洋 | .319 |
本塁打王 | 田淵幸一 | 阪神 | 43本 | 土井正博 | 太平洋 | 34本 |
打点王 | 王貞治 | 巨人 | 96点 | 加藤秀司 | 阪急 | 97点 |
最多安打 | 井上弘昭 | 中日 | 149本 | 弘田澄男 | ロッテ | 148本 |
盗塁王 | 大下剛史 | 広島 | 44個 | 福本豊 | 阪急 | 63個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 王貞治 | 巨人 | 236個 | 小川亨 | 近鉄 | .394 |
最優秀防御率 | 安仁屋宗八 | 阪神 | 1.91 | 村田兆治 | ロッテ | 2.20 |
最多勝利 | 外木場義郎 | 広島 | 20勝 | 東尾修 | 太平洋 | 23勝 |
最多奪三振 | 外木場義郎 | 広島 | 193個 | 東尾修 | 太平洋 | 154個 |
最高勝率 | 星野仙一 | 中日 | .773 | 鈴木啓示 | 近鉄 | .786 |
最多セーブ投手 | 鈴木孝政 | 中日 | 21S | 村田兆治 | ロッテ | 13S |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 外木場義郎 | 広島 | 鈴木啓示 | 近鉄 |
捕手 | 田淵幸一 | 阪神 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 加藤秀司 | 阪急 |
二塁手 | 大下剛史 | 広島 | B.マルカーノ | 阪急 |
三塁手 | 衣笠祥雄 | 広島 | 有藤通世 | ロッテ |
遊撃手 | 三村敏之 | 広島 | 大橋穣 | 阪急 |
外野手 | 井上弘昭 | 中日 | 佐々木恭介 | 近鉄 |
山本浩二 | 広島 | 白仁天 | 太平洋 | |
ロジャー.R | ヤクルト | 弘田澄男 | ロッテ | |
指名打者 | 長池徳二 | 阪急 |
オールスターゲーム
詳細は「1975年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
第47回選抜高等学校野球大会優勝:高知(高知県)
第57回全国高等学校野球選手権大会優勝:習志野(千葉県)
大学野球
- 第24回全日本大学野球選手権大会優勝:駒澤大
第6回明治神宮野球大会優勝:駒澤大
東京六大学野球連盟優勝 春:明治大、秋:明治大
東都大学野球連盟優勝 春:駒澤大、秋:駒澤大
関西大学野球連合優勝 春:大阪商業大、秋:近畿大
社会人野球
第46回都市対抗野球大会優勝:電電関東
第2回社会人野球日本選手権大会優勝:鐘淵化学
メジャーリーグ
詳細は「1975年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ
シンシナティ・レッズ(ナ・リーグ) (4勝3敗) ボストン・レッドソックス(ア・リーグ)
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
1月27日 - 金田正一の通算400勝達成時のボールがアメリカ野球殿堂館に永久展示される[1]。
3月
3月1日 - 中日ドラゴンズがアメリカフロリダ州ブラデントンで球団初の国外キャンプを2週間おこなう[2]。
3月23日 - 読売ジャイアンツ前監督の川上哲治の引退試合が後楽園球場で行われる。
3月26日 - 日本ハムファイターズはMLBニューヨーク・ヤンキースとの技術援助協定の締結を発表[3]。
4月
4月5日
- プロ野球がセ・パ同時開幕[4]。
- 広島の外木場義郎が神宮球場での対ヤクルトスワローズ1回戦で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[5]。
4月6日 - 第47回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、高知高校が東海大相模を延長13回の末10対5で破り、大会初優勝を飾る[6]。
4月8日 - 太平洋の石井茂雄が平和台球場での対近鉄1回戦に先発し、プロ通算600試合登板を達成[7]。
4月11日
大洋ホエールズの江尻亮が川崎球場での対ヤクルト1回戦で1号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[8]。- 広島球場での広島対中日1回戦の9回表、広島の投手の宮本幸信が、中日の打者の木俣達彦へのカウント2-2からの5球目のハーフスイングの判定に激昂して、主審の胸を足で蹴り上げて審判から退場を命じられる[9]。
4月13日 - 阪急の足立光宏が後楽園球場での対日本ハム3回戦で完投勝利を収めて2勝目を挙げ、プロ通算通算150勝を達成[10]。
4月15日 - 読売ジャイアンツの柴田勲が小倉球場での対広島3回戦の3回裏に三盗を決め、プロ野球史上4人目の通算450盗塁を達成[11]。
4月20日
- 近鉄の神部年男が藤井寺球場での対南海ダブルヘッダーの第2試合に登板し、ノーヒットノーランを達成[12]。
- 日本ハムの張本勲が川崎球場での対ロッテ5回戦の7回表に1号3ランを放ち、プロ通算400本塁打を達成[13]。
阪神タイガースの江夏豊が後楽園球場での対巨人3回戦で3勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[14]。
4月21日 - ロッテオリオンズの監督の金田正一が心臓発作で1週間の休養、高木公男が代理監督を務めると発表[15]。
4月26日 - 日本ハムの阪本敏三が対阪急6回戦の7回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[16]。
4月27日
- 日本ハムの張本勲が西宮球場での対阪急7回戦の六回表に二盗を決め、プロ通算300盗塁を達成[17]。
- 甲子園球場での広島対阪神のダブルヘッダー第一試合の2回戦の八回裏、広島の監督のジョー・ルーツがボールの判定を下した線審の竹元勝雄に対し抗議し胸をついたとして退場を宣告される[18]。
4月28日 - ヤクルトの荒川尭が球団事務所を訪れ、左眼の視力障害のため引退を申し出て了承される。球団は荒川を任意引退とする[19]。
4月29日 - 広島は名古屋市のホテル名古屋キャッスルで記者会見し、監督のジョー・ルーツが退団し、当面の間野崎泰一が監督代行を務めると発表。27日の試合で審判の判定に抗議した際、球団代表の重松良典がグランドに出てきてルーツを説得した行為をフロントの現場の監督に対する越権行為と批判していた[20]。
5月
5月3日
- 広島は辞任したジョー・ルーツの後任監督として守備走塁コーチの古葉竹識の昇格を広島市内の球団事務所にて発表[21]。
- 阪急の米田哲也が平和台球場での対太平洋4回戦に登板し、プロ野球史上2人目の通算900試合登板を達成[22]。
5月11日 - 西宮球場での阪急対南海6回戦で阪急がプロ野球史上3度目の毎回得点[23]。この試合で南海の門田博光が9回表に2号本塁打を放ち、プロ通算100号を達成。
5月13日 - 南海の野村克也が後楽園球場での対ロッテ5回戦の5回表に安打を放ち、プロ野球史上初の通算2500安打を達成[24]。
5月14日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対太平洋9回戦の7回裏に二盗を決め、プロ通算450盗塁を達成[25]。
5月17日
- 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対阪神6回戦で2勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[26]。
- 太平洋の基満男が大阪球場での対南海5回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[27]。
5月18日
- 日本ハムの張本勲が鳴門球場での対阪急9回戦ダブルヘッダー第1試合の8回裏に二塁打を放ち、プロ通算4000塁打を達成[28]。
- ヤクルトのロジャー・レポーズが中日球場での対中日7回戦の6回表に10号本塁打を放ち、セ・リーグ史上通算15000本塁打を記録[29]。
5月20日 - 巨人の柴田勲が神宮球場での対ヤクルト10回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[30]。
5月21日 - 大洋の江尻亮が川崎球場での対中日8回戦の2回裏に二塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成[31]。
5月22日 - 南海の野村克也が後楽園球場での対日本ハム8回戦の5回表に9号3ランを放ち、プロ史上2人目の通算600本塁打を達成[32]。
6月
6月1日 - 太平洋の土井正博が川崎球場での対ロッテ13回ダブルヘッダー第2試合で16号本塁打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[33]。
6月5日 - 南海の野村克也が大阪球場での対ロッテ10回戦に出場し、プロ野球史上初の通算2500試合出場を達成[34]。
6月7日 - 阪急の高井保弘が西宮球場での対ロッテ9回戦の9回裏に代打で出場して3号本塁打を放ち、通算代打本塁打が18本となり、ピッツバーグ・パイレーツのジェリー・リンチのメジャー記録の代打本塁打18に並ぶ[35]。
6月12日 - 静岡球場でヤクルト対広島9回戦が行われ、ヤクルトの船田和英が2回裏に二盗を決め、セ・リーグ15000個目の盗塁を記録[36]。また広島の大下剛史が通算1000試合出場を達成[37]。
6月17日 - 大阪球場にて南海と阪急10回戦が行われ、延長10回の末引き分けとなり、阪急がパ・リーグ前期優勝を達成[38]。
6月19日 - 阪神の田淵幸一が中日球場での対中日13回戦の7回表に23号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[39]。
6月21日 - 阪急の米田哲也の阪神入りが決定[40]。
6月22日 - 阪急の長池徳士が平和台球場での対太平洋13回戦の7回表に16号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[41]。
6月30日 - 後楽園球場を運営する後楽園スタヂアムは、来年度より日本の球場で初めてとなる人工芝を全面的に導入すると発表[42]。
7月
7月6日 - 阪神のジョージ・アルトマンが甲子園球場での対中日15回戦ダブルヘッダー第2試合の4回裏に7号本塁打を放ち、通算200本塁打を達成。外国人選手としてプロ野球史上初めての記録[43]。
7月8日 - パ・リーグの後期が開幕[44]。
7月11日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神9回戦の8回裏に16号本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算650本塁打を達成[45]。
7月13日 - ロッテの山崎裕之が宮城球場での対太平洋後期1回戦で2回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[46]。
7月17日 - 太平洋の土井正博が平和台球場での対近鉄後期三回戦に9回裏にサヨナラ18号2ランを放ってプロ入り通算1001点とし、プロ野球史上10人目の1000打点を達成[47]。
7月26日 - 中日球場の中日対広島18回戦において、1回裏に球場の照明灯の1基が故障したため審判団は試合を中断、修理の見込みがないため1時間20分経った午後8時5分審判団と両チームの監督が協議してノーゲームとなる[48]。
7月30日 - 岡山球場で阪神対中日17回戦が行われ阪神が中日に3-2で勝ち、公式戦2500勝を達成[49]。
7月31日 - 阪急の加藤秀司が対太平洋後期3回戦の8回裏に18号3ランを放ち、プロ通算100本塁打を達成[50]。
8月
8月1日 - ロッテの成田文男が川崎球場での対阪急後期8回戦で完投勝ちして9勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[51]。
8月3日 - 第46回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場で午後3時より行われ、電電関東の千葉市が大昭和製紙北海道の白老町を3-0で下し、2度目の優勝[52]。
8月5日 - 巨人の王貞治が川崎球場での対大洋14回戦の4回表に20号本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算1500得点を達成[53]。
8月8日
- 広島の外木場義郎が西京極球場での対阪神16回戦の5回表に遠井吾郎から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[54]。
- 大洋のジョン・シピンが中日球場での対中日14回戦の8回表に20号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[55]。
8月14日 - 阪神の安仁屋宗八が後楽園球場での対巨人16回戦の6回裏途中からリリーフ登板して10勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[56]。
8月16日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対大洋18回戦の7回裏に適時打を放ち、野村克也に次いでプロ野球史上2人目の通算4500塁打を達成[57]。
8月17日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対阪急後期3回戦に登板しプロ通算2000奪三振を達成[58]。
8月20日 - 阪神の米田哲也が広島球場での対広島20回戦に先発登板して5回まで投げ、金田正一に次いでプロ野球史上2人目の通算5000投球回を達成[59]。
8月21日 - 大洋の松原誠が宮城球場での対ヤクルト18回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[60]。
8月24日 - 第57回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、千葉県代表の習志野が愛媛県代表の新居浜商を5-4で破り8年ぶり2回目の優勝。
8月27日
- 阪急の高井保弘が宮城球場での対ロッテ後期11回戦ダブルヘッダー第2試合の1回表に指名打者の森本潔の代打で出場して6号本塁打を放ち、これで通算の代打本塁打が19となり、ジェリー・リンチの持つメジャーリーグ記録の代打本塁打18を上回る[61]。
- 太平洋の江藤慎一が平和台球場での対日本ハム後期11回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[62]。
8月28日 - 日本ハムの東田正義が平和台球場での対太平洋後期12回戦の6回表に6号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[63]。
8月31日 - 阪急の足立光宏が山形県営球場での対近鉄後期7回戦に先発し、プロ通算600試合登板を達成[64]。
9月
9月2日 - 中日球場で行われた中日対広島21回戦で、5回表に中日の星野仙一が広島の外木場義郎から三振を奪い、セ・リーグ通算10万個目の奪三振となる[65]。
9月3日 - 阪神の池田祥浩が対ヤクルト21回に8番・左翼で先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[66]。
9月4日 - 巨人の土井正三が後楽園球場での対大洋22回戦の9回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[67]。
9月6日
- 太平洋の監督兼選手の江藤慎一が藤井寺球場での対近鉄後期7回戦の九回表に二塁打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[68]。
- 近鉄の小川亨が藤井寺球場での対太平洋7回戦に先発出場し、第1打席から第4打席まで無三振で連続180打席無三振となり、吉田義男が1964年に記録した179打席無三振の記録を破るプロ野球新記録を達成。第5打席で三振を喫したため、記録は180でストップ[69]。
9月10日 - 広島市民球場での広島対中日25回戦の九回裏、二死二塁の場面で、広島の打者の山本浩二の中前に安打を打ち二塁走者の三村敏之が本塁へ突入するが中堅からの返球を受けた中日の捕手の新宅洋志が三村の顔面をタッチして試合終了、このプレーを巡って両軍がベンチから飛びだして乱闘になり、ファンが多数グランドへ降りてきて騒乱状態となり、さらに中日ナインの移動バスを取り囲む騒ぎが起きる[70]。
9月11日 - 広島は、この日試合予定だった広島球場での広島対中日26回戦を中止にすると球団代表の重松良典が広島市民球場で発表。前日にファンがなだれ込み騒乱状態となったことを受けて、広島はセ・リーグに対し「警備に自信がないでのこのカードを10月に回すことを認めてほしい」との要望を出して認められたため[71]。
9月13日 - 日本ハムの張本勲が後楽園球場での対ロッテ後期11回戦の6回裏に安打を放ってシーズン100本目の安打となり、17年連続100安打を達成、長島茂雄のプロ野球記録と並ぶ[72]。
9月14日 - 広島のリッチー・シェーンがユダヤ教信者懺悔の日という宗教的理由でこの日の広島市民球場での対巨人24回戦を欠場[73]。
9月15日 - 南海の野村克也が西宮球場での対阪急後期13回戦の7回表に2塁打を放ち、プロ通算1000本長打を達成[74]。
9月21日 - 西宮球場にて阪急対近鉄のダブルヘッダー第10、11回戦が行われ、第2試合で近鉄が阪急に3-0と勝利し、後期優勝を達成[75]。
10月
10月1日 - 1973年に倒産した「株式会社中日スタヂアム」に代わり「株式会社ナゴヤ球場」が設立、球場名も「中日球場」から「ナゴヤ球場」に改称。
10月10日
- 大洋対中日26回戦が川崎球場で行われ大洋が中日に12-8で勝利し、巨人の球団創設以来初の最下位が決定[76][77]。
- パ・リーグの シーズン公式戦全日程が終了[78]。
10月11日 - ヤクルトの大杉勝男が広島球場での対広島25回戦の7回表に13号本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[79]。
10月12日 - 太平洋のオーナーの中村長芳が福岡市の博多都ホテルにて午後4時より記者会見し、監督兼選手の江藤慎一の留任、球団社長兼球団代表の坂井保之の社長選任、専務の青木一三の球団代表就任を発表[80]。
10月15日 - 広島が対巨人26回戦(後楽園)に4対0で勝利し、球団創設以来26年目で初のセ・リーグ優勝[81][82]。
10月18日 - 日本ハムは六本木の球団事務所で中西太の監督解任を発表[83]。
10月20日 - パリーグのプレーオフの第4戦が藤井寺球場で行われ阪急が近鉄を5-3で下し、3年ぶりのパ・リーグ制覇[84]。
10月21日 - セ・リーグのシーズン公式戦全日程終了[85]。シーズン観客動員数が初めて900万人を突破し、1試合あたりの平均観客動員数が初めて2万人を越える[86]。
10月23日 - 広島の外木場義郎が沢村賞に選出される[87]。
10月24日 - 日本ハムは大沢啓二の監督就任を発表[88]。
10月28日 - 巨人は杉下茂が1軍投手コーチに就任したと発表[89]。
11月
11月2日 - 日本シリーズ第6戦が阪急西宮球場で行われ、阪急が広島に7-3で勝利し、球団創設初の日本一[90]。
11月18日 - NPBドラフト会議が行われる[91]
11月25日 - 巨人と日本ハムは、日本ハムの張本勲と巨人の高橋一三、富田勝との1対2の交換トレードが成立したと発表[92]。
11月26日 - 巨人と太平洋は、加藤初、伊原春樹と関本四十四、玉井信博の2対2のトレードを発表[93]。
12月
12月16日 - 太平洋はオーナーの中村長芳と選手兼監督の江藤慎一が福岡市内のホテルで記者会見し、レオ・ドローチャーを新監督として招聘し、江藤を選手兼任打撃コーチにすると発表した[94]。
12月25日 - 巨人は前監督で専務取締役・企画担当の川上哲治が球団に辞表を提出して受理したと発表、川上は巨人を退団[95]。
12月27日 - 太平洋は江藤慎一が球団に対して自由契約にしてほしいと申し出、中村オーナーはこれを認め、江藤は退団することに[96]。
誕生
1月
1月8日 - ジェレミー・ゴンザレス(+ 2008年)
1月9日 - 清水将海
- 1月9日 - デイモン・マイナー
1月11日 - 黒田哲史
1月15日 - 吉田道
1月17日 - スコット・マレン
1月19日 - フェルナンド・セギノール
- 1月19日 - ブライアン・マレット
1月24日 - 高橋顕法
- 1月24日 - 矢野正之
1月25日 - 竹岡和宏
2月
2月4日 - 戸叶尚
2月6日 - チャド・アレン
2月8日 - トニー・マウンス
2月9日 - ブラディミール・ゲレーロ
2月10日 - 黒田博樹
- 2月10日 - 開田博勝
2月21日 - 馬渕隆雄
2月24日 - 片山大樹
2月26日 - 田原晃司
3月
3月7日 - 菊地原毅
3月11日 - 八馬幹典
3月25日 - 金村康平
3月28日 - フリオ・ズレータ
3月31日 - ライアン・ループ
4月
4月2日 - 高橋尚成
4月3日 - 上原浩治
- 4月3日 - 高橋由伸
- 4月3日 - 広田庄司
4月5日 - ドミンゴ・グスマン
4月7日 - 小野晋吾
4月10日 - 高見澤考史
4月12日 - 本屋敷俊介
4月18日 - 斉藤秀光
4月21日 - カルロス・カスティーヨ
- 4月21日 - 平井正史
4月23日 - 山岡洋之
4月24日 - 宮崎一彰
4月28日 - 大塚明
4月29日 - ラファエル・ベタンコート
5月
5月1日 - 工藤友也
5月7日 - 笹山洋一
5月10日 - 白鳥正樹
5月12日 - 井端弘和
5月17日 - スコット・シーボル
5月21日 - 安藤正則
- 5月21日 - 福留宏紀
5月23日 - 鈴木郁洋
5月25日 - ランドール・サイモン
5月31日 - マック鈴木
6月
6月3日 - 田中充
- 6月3日 - 早川大輔
- 6月3日 - 吉武真太郎
6月12日 - 佐藤誠
6月13日 - 玉木朋孝
- 6月13日 - 面出哲志
6月17日 - 田中由基
6月22日 - 川上憲伸
- 6月22日 - エステバン・ジャン
7月
7月4日 - 平馬淳
7月7日 - 高橋光信
7月12日 - 白坂勝史
7月14日 - 塚本洋
7月16日 - 井上貴朗
- 7月16日 - 橋本大祐
7月18日 - トリー・ハンター
7月27日 - 倉義和
- 7月27日 - アレックス・ロドリゲス
7月29日 - セス・グライシンガー
7月31日 - ゲーブ・キャプラー
8月
8月2日 - ジョー・ディロン
8月3日 - ルーズベルト・ブラウン
8月9日 - 於保浩己
8月11日 - 永井智浩
8月22日 - 中村隼人
8月23日 - 伊達昌司
8月30日 - 前田和之
8月31日 - ゲーブ・キャプラー
9月
9月9日 - 清水章夫
- 9月9日 - 萩原多賀彦
10月
10月1日 - ブランドン・ナイト
10月3日 - マイク・ジョンソン
10月6日 - 小島大作
10月7日 - 立川隆史
10月16日 - 中山光久
10月17日 - ヘクター・アルモンテ
10月23日 - 松井稼頭央
10月29日 - カリーム・ガルシア
11月
11月3日 - 高波文一
11月8日 - 金子誠
- 11月8日 - 木村茂
11月10日 - ジェイソン・ターマン
11月18日 - デビッド・オルティーズ
11月19日 - 山根雅仁
11月24日 - 清水直行
11月25日 - 平田洋
11月29日 - 礒恒之
12月
12月1日 - 下山真二
12月4日 - エド・ヤーナル
12月8日 - 玉峰伸典
12月14日 - 福浦和也
12月17日 - 福地寿樹
12月18日 - 宇佐美康広
12月25日 - 岩村敬士
- 12月25日 - 岡島秀樹
12月26日 - 建山義紀
12月31日 - 平尾博嗣
死去
5月22日 - レフティ・グローブ(* 1900年)
8月18日 - 中山武(* 1916年)
8月23日 - 大岡虎雄(* 1912年)
9月16日 - 日比野武(* 1920年)
9月29日 - ケーシー・ステンゲル(* 1890年)
出典
^ 『南海ホークス四十年史』 南海ホークス 編、南海ホークス、1978年、76頁。
^ 『中日ドラゴンズ70年史』 中日ドラゴンズ 編、中日新聞社、2006年、82頁。ISBN 4806205141。
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^ 毎日新聞1975年7月31日14面「阪神が2500勝」毎日新聞縮刷版1975年7月p842
^ 毎日新聞1975年8月1日14面「太平洋、山口をKO」日新聞縮刷版1975年7月p14
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^ 毎日新聞1975年8月9日15面「シピン来日百号」毎日新聞縮刷版1975年8月p213
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^ 毎日新聞1975年8月21日15面「米田が5千回投球」毎日新聞縮刷版1975年8月p515
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^ 毎日新聞1975年10月11日15面「東尾が単独最多勝 パ終了」毎日新聞縮刷版1975年10月p295
^ 毎日新聞1975年10月12日15面「大杉が通算三百号」毎日新聞縮刷版1975年10月p323
^ 読売新聞1975年10月13日14面「江藤『監督兼選手』で留任」読売新聞縮刷版1975年10月p404
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^ 毎日新聞1975年10月19日15面「中西監督の解任を発表」毎日新聞縮刷版1975年10月p523
^ 読売新聞1975年10月21日15面「阪急 3年ぶりの栄冠 福本、終回決勝アーチ 『日本一』かけ広島と決戦 25日から」読売新聞縮刷版1975年10月p663
^ 読売新聞1975年10月21日15面「波乱のセ、全試合終わる 山本浩初の首位打者 最多勝に外木場 盗塁王大下」読売新聞縮刷版1975年10月p693
^ 読売新聞1975年10月22日15面「広島は倍増 セ・リーグ入場者数」読売新聞縮刷版1975年10月p693
^ 読売新聞1975年10月24日17面「外木場(広島)初の『沢村賞』 V1に大きく貢献」読売新聞縮刷版1975年10月p761
^ 読売新聞1975年10月24日17面「ハム新監督に大沢氏(ロッテ元監督)に」読売新聞縮刷版1975年10月p797
^ 読売新聞1975年10月28日「『投手の長所生かす』 杉下氏の巨人入団発表」読売新聞縮刷版1975年10月p891
^ 読売新聞1975年11月3日15面「阪急、40年目の“日本一” 中沢、今度は逆転2ラン 山口高4連投、反撃絶つ」読売新聞縮刷版1975年11月p77
^ 『プロ野球ドラフト全史 2012最新版』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2012年、44頁。ISBN 9784583618241。
^ 読売新聞1975年11月26日19面「張本の巨人入りを発表 『見返り』に高橋一と富田」読売新聞縮刷版1975年11月p805
^ 読売新聞1975年11月27日17面「今度は太平洋と 加藤初(投手)伊原(内野手)巨人へ 関本、玉井と交換」読売新聞縮刷版1975年11月p839
^ 毎日新聞1975年12月17日15面「太平洋の新監督にドローチャー(元大リーグ監督)招く 江藤はコーチに格下げ」縮刷版p477
^ 毎日新聞1975年12月26日11面「"巨人生活に別れ" 川上哲治氏 今後は少年野球道に専念」
^ 毎日新聞1975年12月28日11面「太平洋 江藤去る」縮刷版pp755
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