エトワール凱旋門
エトワール凱旋門 | |
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仏: Arc de Triomphe de l'Etoile | |
エトワール凱旋門 | |
概要 | |
用途 | 凱旋門 |
建築様式 | 新古典主義 |
所在地 | 8区 シャルル・ド・ゴール広場 |
自治体 | パリ |
国 | フランス |
座標 | 北緯48度52分25.7秒 東経2度17分42秒座標: 北緯48度52分25.7秒 東経2度17分42秒 |
着工 | 1806年8月15日 |
落成 | 1836年7月29日 |
高さ | 50 m |
寸法 | |
他の寸法 | 幅 : 45 m 奥行き : 22 m |
設計・建設 | |
建築家 | Jean Chalgrin Louis-Étienne Héricart de Thury |
エトワール凱旋門(エトワールがいせんもん、フランス語: Arc de triomphe de l'Étoile)は、フランス・パリのシャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門である。
目次
1 概要
2 歴史
3 住所表記
4 ギャラリー
5 関連作品
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
概要
パリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっている。シャンゼリゼ通りの地下入口から地下道を通って近づける。料金を払い、らせん階段を上まで登ることもできる。エレベーターもあり、基本的に体の不自由な人のために使われているが、中二階の美術館やお土産ブティックの階までしか登れず、屋上のテラスまでのエレベーターは無い。
この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射状に延びておりその形が地図上で光り輝く「星=étoile」のように見えるので、この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」と呼ばれていた。そのため、「エトワール広場の凱旋門」の意味の「Arc de triomphe de l'Etoile」との正式名称がある。但し、現在この広場は「シャルル・ド・ゴール広場 Place Charles-de-Gaulle」と名称が変更になっている。
なお、「凱旋門 Arc de triomphe (アルク・ド・トリヨーンフ)」の直訳が「戦勝のアーチ」であることでも分かるように、「凱旋門」自体は戦勝記念碑である。そのため、凱旋門はパリだけでもカルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門など多数存在する。
因みに、シャンゼリゼ通りとこのエトワール凱旋門の延長線上のラ・デファンスには「新凱旋門 グランダルシュ」 (la Grande Arche、またはl'Arche de la Défense) があるが、これは戦勝記念碑ではないので、正式名称に "triomphe" が付いていない。すなわち「凱旋門」ではない。しかし、シャンゼリゼ通りの都市軸(パリの歴史軸)上にある、カルーゼル凱旋門・エトワール凱旋門に続く第3番目の「門(arc, arche)」であるとの認識があるため、フランスの国の標語である「Liberté, Égalité, Fraternité」(自由、平等、友愛)から、「La Grande Arche de la Fraternité」(直訳 - 友愛の大アーチ)との正式名称を持つ。
なお、日本では、「凱旋門」が「エトワール凱旋門」を示す固有名詞として扱われがちであるため、実際は凱旋門ではないこのグランダルシュまで「新凱旋門」と称されることが多い。
古代ギリシア、古代ローマを模範とする新古典主義建築の代表作である。
歴史
エトワール凱旋門は、前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。ルイ・フィリップの7月王政時代、1836年に完成した[1]。建設中には様々な政治的変遷と、プロジェクトを率いる建築家の権力闘争の影響を受けた。1830年7月、数日間のうちに起こった革命の後に王位に就いたルイ・フィリップは、革命軍に軍隊の過去の歴史を思い出させ、また帝政支持者への配慮に努めた。記念建造物が捧げられる対象は変更され、崇拝の目的は革命軍と帝政の軍隊の栄光を称えるものとなった。なおナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時だった。その後1885年のヴィクトル・ユーゴー国葬における遺体安置、あるいは1919年7月14日の第一次世界大戦の同盟国の勝利のパレードなど、国家の歴史的な出来事を執り行う場所として機能した。
古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。
エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓や、多くの祈念のプレートが埋め込まれ、フランスの為に亡くなった兵士たちを祈念している。
・1870年9月4日の共和国宣言プレート
・1918年のアルザス・ロレーヌ地方のフランスへの帰属プレート
・1939-1945年の大戦で戦死した兵士の祈念プレート
・1940年6月18日のシャルル・ド・ゴール将軍の演説記念プレート
・1940年11月11日ドイツ軍(ナチス)占領下の学生デモで亡くなった学生の祈念プレート
・インドシナ戦争祈念プレート
・アルジェリア戦争祈念プレート
・朝鮮戦争祈念プレート
第二次世界大戦ではナチス・ドイツのパリ占領に際してハーケンクロイツが掲げられ、ドイツ軍兵士が凱旋した。
住所表記
- Place Charles de Gaulle Etoile 75008 Paris
ギャラリー
建設図面(1806年)
ナポレオンの帰還(1840年)
ナポレオン3世の入城(1852年)
手前からカルーゼル凱旋門、テュイルリー宮殿、エトワール凱旋門(1860年)
夜のエトワール凱旋門
『1792年出発』
(ラ・マルセイエーズ)
『1810年勝利』
『1814年抵抗』
『1815年平和』
凱旋門を潜り抜けるニューポール11(1919年8月7日)
関連作品
- 『凱旋門』 - エーリヒ・マリア・レマルクの小説
第二次世界大戦前夜のパリで、失意の日々の中に鮮烈な恋を見出したドイツ人医師が、怒涛のような混乱の中でまたその恋を失う波乱万丈のラブストーリー。映画化・舞台化もされた。
脚注
^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年3月11日閲覧。
関連項目
- エトワール凱旋門に名前を記された人物の一覧
凱旋門賞 : フランスのロンシャン競馬場で行われる競馬の競走で、エトワール凱旋門から競走の名称である凱旋門賞となった。- パリの歴史軸
凱旋門 (平壌) : 北朝鮮の首都平壌にある。エトワール凱旋門を意識して造られたといわれる。
外部リンク
- Arc de Triomphe Paris - Paris Attractions - Arc De Triomphe
『エトワール凱旋門』 Arc de triomphe de l'Etoire (1845年) (京都大学附属図書館 - 電子図書館 - 貴重資料画像 - フランス建築・地誌資料コレクション)