民主社会主義

















































民主社会主義(みんしゅしゃかいしゅぎ、英: democratic socialism)とは、革命を否定し、議会制民主主義の中で社会主義の理想を実現しようとする、中道左派の穏健な社会主義思想であり、社会民主主義の捉え方の一つである。資本主義社会の「改良」を訴え、階級闘争を否定するのが特徴。


様々な考え方のある社会民主主義からマルクス・レーニン主義の考え方を除去し、階級政党ではなく国民政党として議会政治をさらに尊重する立場をとる。19世紀末にドイツのエドゥアルト・ベルンシュタインらが使用し始めた言葉で、イギリスのフェビアン協会なども含まれる。


用語としては1951年6月に社会主義インターナショナルが、『フランクフルト宣言』(『民主的社会主義の目的と任務』)として採択した。日本では民主的社会主義(みんしゅてきしゃかいしゅぎ)とも呼ばれ、民社党が標榜した。


なお、旧東ドイツの支配政党であったドイツ社会主義統一党(SED)の流れを汲むドイツのドイツ民主社会党(2007年にドイツ社会民主党左派の離党組と連合して左翼党を結成)や、日本で活動する政治団体「民主主義的社会主義運動」(MDS)は共産主義的な政党・団体であり、ここでいうところの民主社会主義政党ではない。ただし旧来の共産主義の流れを汲む共産党グループや新左翼諸党派が、東西冷戦の終結後、ソ連型社会主義やスターリン主義との決別を強調するため、民主主義に立脚した社会主義という意味で使う場合がある。またフランスでは日本と同様に社会民主主義に修正主義のニュアンスがあったため、民主社会主義が比較的よく使われていた。アメリカ上院の無所属議員であるバーニー・サンダースも左派として知られているが、民主社会主義者を自称している。このように場合によっては「民主社会主義」が「社会民主主義の左派」を指す場合もあり、注意が必要である。




目次






  • 1 社会民主主義との関わり


  • 2 大韓民国の民主社会主義政党


  • 3 参考文献


  • 4 関連項目





社会民主主義との関わり


社会民主主義」という言葉は20世紀初頭の第一次世界大戦勃発と「城内平和」による第二インターナショナル崩壊までは、もともと共産主義、マルクス主義の実践面を指す言葉として使われており、ウラジーミル・レーニンやヨシフ・スターリンらをはじめとするロシア社会民主労働党員も「社会民主主義者」(ソツィアル・デモクラート)を名乗っていた。ロシア社会民主労働党ボルシェビキが共産党に改称し、ソビエト連邦と第三インターナショナル(コミンテルン)が国際共産主義運動の中心となって以降、ドイツ社会民主党などを中心に、社会民主主義はマルクス・レーニン主義と距離を取り、修正主義を意味するようになっていった。ただし、修正主義路線に傾いた当初も社会民主主義勢力は理論的にマルクス・レーニン主義の影響が強く、それを正統な考え方とする者も多かった。


一方、フェビアン協会など社会改良主義を掲げていた潮流もイギリスや英連邦などその影響下にある諸国を中心に根強くあり、またフランスやイタリアでは労働組合を中心とするサンディカリスムの潮流が力を持ったなど、マルクス・レーニン主義と別路線の社会主義を追求する動きも無視できない大きさを持っていた。


第二次世界大戦後の1951年6月、社会主義インターナショナルが『フランクフルト宣言』で「共産主義はマルクス主義の批判的精神と相容れない偏狭な神学をつくりだした」と批判し、民主社会主義を正式に採択し、国際的には社会民主主義は民主社会主義と基本的に同義となった。日本社会党は社会主義インターナショナルに加盟していたものの、党内には社会主義協会ら戦前の労農派マルクス主義の流れを汲み、マルクス・レーニン主義を是とする社会党左派勢力も存在しており、それに反発する勢力の一部は社会党を離脱して、1960年1月に「民主社会主義」を掲げる民社党を結成した。民社党は「民主社会主義と社会民主主義は違う」と強調していた。その後も日本社会党からは1978年3月に社会民主連合が分離している。


なお、最も代表的な民主社会主義の例は、サルバドール・アジェンデ政権下(1970年 - 1973年)のチリが代表的である。アジェンデ政権は、政治的自由を保障しており、かつ国民による直接選挙によって成立した政権である。これらが、ソビエト連邦のような、政治的抑圧に熱中して、社会主義国家を称する独裁国家とは異なる点である。



大韓民国の民主社会主義政党


軍政下の大韓民国(韓国)では、社会民主主義政党ですら、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と同一視され、弾圧の対象にされた。


軍政下の韓国では、「民主社会主義」政党の存在しか許されず、朴正煕執政期(1961年 - 1979年)の時代には統一社会党、全斗煥政権期(1980年 - 1987年)の時代には、民主社会党・新政社会党のみが存在していた。これらの「民主社会主義」政党は、いずれも反共を標榜しており、必ずしも反共でない社会民主主義政党が結成されるには、1987年の民主化宣言を待たなければならなかった。


結局、民政下の国会で本格的に議席を得たのは2004年の第17代総選挙で、労組母体の民主労働党は第3党に進出した。また与党ウリ党内においても、この選挙で左派が多数当選した。



参考文献


  • 『imidas 1989』(集英社、1989年)・・・民主社会主義と社会民主主義の違いについて記述


関連項目



  • 民主社会党

  • エドゥアルト・ベルンシュタイン

  • フェビアン協会

  • 修正主義

  • フランクフルト宣言

  • 社会改良主義

  • 社会民主主義

  • 反共主義


  • ゴーデスベルク綱領 - 1959年から1989年までのドイツ社会民主党の綱領。


  • 日本における社会主義への道 - 1964年から1986年までの日本社会党の綱領的文書。


  • 日本社会党の新宣言 - 1986年から1995年までの日本社会党の綱領。


  • 自由と民主主義の宣言 - 1976年の第13回臨時大会で採択された日本共産党の準綱領的文書。

  • サルバドール・アジェンデ

  • 江田三郎#江田ビジョンと構造改革論争


  • 民主主義的社会主義運動(MDS) - この政治団体はdemocratic socialism(民主主義的社会主義)を掲げているが、構造改革派系の新左翼団体であり、本項目で説明した民主社会主義とは全く異なる。




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