クイーンズベリー公爵
クイーンズベリー公爵 | |
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創設時期 | 1684年2月3日 |
創設者 | チャールズ2世 |
貴族 | スコットランド貴族 |
初代 | ウィリアム・ダグラス |
現所有者 | リチャード・モンタギュー・ダグラス・スコット |
相続人 | ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット |
相続資格 | 2代公の限嗣相続人、初代クイーンズベリー伯の男系もしくは女系(2nd Duke's heirs of entail, male or female, descended from the body of the 1st Earl of Queensberry) |
付随称号 | ダンフリーズシャー侯爵 ドラムランリグ=サンクアー伯 ニース=トーソルウォルド=ロス子爵 ダグラス=キルマウント=ミドルビー=ドーノック卿 |
クイーンズベリー公爵(クインズベリー公爵/クイーンズベリ公爵; 英: Duke of Queensberry)は、イギリスの公爵位。スコットランド貴族。
1684年に初代クイーンズベリー侯爵ウィリアム・ダグラスが叙位されたことに始まる。継承法の違いによりクイーンズベリー侯爵とクイーンズベリー公爵の保持者は4代公を最後に別人となり、以後公爵位はバクルー公爵に相続されている。
目次
1 歴史
2 ギャラリー
3 クイーンズベリー公爵 (1684年)
4 系図
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
6 外部リンク
歴史
第2代ダグラス伯爵ジェイムズ・ダグラス(1358-1388)の私生児ウィリアム・ダグラス(-1427)の子孫は、代々スコットランド・ダンフリーズ・ドラムランリグの地主(Laird)を務めた。その9代目の当主であるウィリアム・ダグラス(-1640)は、国王ジェームズをドラムランリグに迎えたり[1]、ダンフリーズのシェリフ等の官職を務めるなどして、1628年4月1日にドラムランリグ子爵(Viscount of Drumlanrig)とホーイック=ティバーズのダグラス卿(Lord Douglas of Hawick and Tibbers)、1633年6月13日にクイーンズベリー伯爵(Earl of Queensberry)に叙せられた。いずれもダグラスの紋章と姓名を受け継ぐ男系男子に継承させる旨の継承規定("heirs male bearing the surname and arms of Douglas")が付けられたスコットランド貴族爵位である[2]。
初代クイーンズベリー公爵となるウィリアム・ダグラスは、その孫で[3]、1680年から1682年までLord Justice General[訳語疑問点]を、1682年から1686年までスコットランド大蔵卿(Lord High Treasurer of Scotland)[訳語疑問点]を務めた政治家であった。1685年の議会ではLord High Commissioner to the Parliament of Scotland[訳語疑問点]としてスコットランド王ジェイムズ7世(イングランド王ジェイムズ2世)に仕えたが、翌年に公職から追放された[3]。しかし晩年にウィリアムとメアリーの即位を支持し、王室からの信頼を回復している[3]。彼は1671年に父親の第2代クイーンズベリー伯爵ジェイムズ・ダグラスからクイーンズベリー伯爵を相続し、1682年2月11日にクイーンズベリー侯爵(Marquess of Queensberry)、ドラムランリグ=サンクアー伯爵(Earl of Drumlanrig and Sanquhar)、ニス=トーソルウォルド=ロス子爵 (Viscount Nith, Torthorwald and Ross)、キルモント=ミドルビー=ドーノックのダグラス卿(1st Lord Douglas of Kilmount, Middlebie and Dornock)に叙せられた。この4爵位はいずれも"heirs male whatsoever"
[注釈 1]の継承規定が付いたスコットランド貴族であった[4]。ついで1684年2月3日にはクイーンズベリー公爵(Duke of Queensberry)、ダンフリーズシャー侯爵 (Marquess of Dumfriesshire)に叙せられた。この2つの爵位は"heirs male of his body"[注釈 2]の継承規定が付けられたスコットランド貴族であった[5]。
第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラスは、初代クイーンズベリー公爵の息子である。彼は名誉革命においてオラニエ公ウィレム3世(イングランド王ウィリアム3世、スコットランド王ウィリアム2世)を支持してスコットランド枢密顧問官となった[3]。1695年に公爵位を相続すると、Extraordinary Lord of Session[訳語疑問点]およびスコットランド王璽尚書(Keeper of the Privy Seal of Scotland)[訳語疑問点]に、1700年に国務大臣(Secretary of State)[訳語疑問点]に指名された[3]。1703年に彼は初代アサル公爵ジョン・マーレイに対する対抗心からジャコバイトの第11代ロヴァート卿サイモン・フレイザーの計画に参加したが、この陰謀が発覚して解任された。しかし後に赦されて1705年にスコットランド王璽尚書に復し、1707年合同法の成立へ向けて尽力。統合後の1708年5月26日にドーヴァー公爵 (Duke of Dover)、ビバリー侯爵(Marquess of Beverley)、リポン男爵(Baron Ripon)へ叙され(すべてグレートブリテン貴族爵位)[5]、1709年にスコットランド大臣へ任命されている[3]。
2代公の嫡男である次男ジェイムズ・ダグラス(1697-1715)は、精神障害者で人肉を食らう殺人者だった[6][7][8]。そのため1706年6月17日にクイーンズベリー侯爵位を除く初代公の代に叙された爵位群(1682年と1684年の爵位)は一度王冠に返還し、三男チャールズ・ダグラス(1698-1778)に継承させる旨の特別継承権の規定を付け加えたうえで再び与えられた。またこの際に爵位継承範囲を初代伯に遡っての男子もしくは女子の子孫に拡張させる規定も加えられた[5]。
これにより2代公の死後、クイーンズベリー侯爵位および初代伯の代に叙された1628年と1633年の爵位群(クイーンズベリー伯爵位以下3爵位)は次男ジェイムズ(3代侯)に継承されたが、クイーンズベリー公爵位以下1682年・1684年の爵位群は三男チャールズ(3代公)に継承された[5]。
3代公はLord Justice Generalやスコットランド王璽尚書を務めた政治家で、襲爵前の1706年6月17日にソルウェイ伯爵(Earl of Solway)、ティバーズ子爵(Viscount Tibbers)、ロッカービー=ダルヴィーン=ソーンヒルのダグラス卿(Lord Douglas of Lockerby, Dalveen and Thornhill)に叙せられていた(いずれも2代公の男系男子に継承権を認める規定の付いたスコットランド貴族爵位)[5]。また1715年には3代クイーンズベリー侯ジェイムズが子供なく死去したため、クイーンズベリー侯爵位も3代公が継承している[5]。
1778年に3代公は死去したが、彼の二人の息子もすでに子のないまま歿していたため、ドーヴァー公爵位以下1708年創設のグレートブリテン貴族爵位とソルウェイ伯爵以下1706年創設のスコットランド貴族は断絶した。一方クイーンズベリー公爵以下それ以外の爵位は第2代クイーンズベリー公爵の弟の孫にあたる第3代マーチ伯爵ウィリアム・ダグラスによって相続された。「Old Q」と渾名された彼は、競馬・演劇・美術のパトロンとして有名であり、また浪費家としても悪名高い[3]。
未婚であった4代公が1810年に死去すると、クイーンズベリー公爵、ダンフリーズシャー侯爵、ドラムランリグ=サンクアー伯爵、ニス=トーソルウォルド=ロス子爵、キルモント=ミドルビー=ドーノックのダグラス卿など1706年に女系継承を認める特別継承権の規定を付け加えられた爵位は、ドラムランリグ城などの財産とともに第2代クイーンズベリー公爵の娘の子である第3代バクルー公爵ヘンリー・スコット(1746–1812)が継承した。一方付け加えが行われなかったクイーンズベリー侯爵、クイーンズベリー伯爵、ドラムランリグ子爵、ホーイック=ティバーズのダグラス卿は第2代クイーンズベリー伯爵の弟の来孫にあたるサー・チャールズ・ダグラス準男爵が継承した[3][5]。なお第4代クイーンズベリー公爵が父親から相続したマーチ伯爵は初代クイーンズベリー侯爵の娘の玄孫であるフランシス・ダグラス(後の第8代ウィームズ伯爵)が継承し、母親から相続したルグレン伯爵は断絶した[5]。
以後、クイーンズベリー公爵の称号は代々のバクルー公爵が帯びている[5]。
ギャラリー
初代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラス
第2代クイーンズベリー公爵および初代ドーヴァー公爵ジェイムズ・ダグラス
第4代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラス
第3代バクルー公爵および第5代クイーンズベリー公爵ヘンリー・スコット
第5代バクルー公爵および第7代クイーンズベリー公爵ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット
第7代バクルー公爵および第9代クイーンズベリー公爵ジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット
第9代バクルー公爵および第11代クイーンズベリー公爵ジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット
クイーンズベリー公爵 (1684年)
ウィリアム・ダグラス (初代クイーンズベリー公爵) (1637年 - 1695年)
ジェイムズ・ダグラス (第2代クイーンズベリー公爵) (1662年 – 1711年)
1708年、ドーヴァー公爵に叙位
チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵・第2代ドーヴァー公爵) (1698年 – 1778年)
1706年、ソルウェイ伯爵に叙位
1778年、ドーヴァー公爵・ソルウェイ伯爵断絶
ウィリアム・ダグラス (第4代クイーンズベリー公爵) (1724年 – 1810年)
ヘンリー・スコット (第3代バクルー公爵・第5代クイーンズベリー公爵) (1746年 – 1812年)
チャールズ・モンタギュー=スコット (第4代バクルー公爵・第6代クイーンズベリー公爵) (1772 年 – 1819年)
ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット (第5代バクルー公爵・第7代クイーンズベリー公爵) (1806年 – 1884年)
ウィリアム・モンタギュー・ダグラス・スコット (第6代バクルー公爵・第8代クイーンズベリー公爵) (1831年 – 1914年)
ジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット (第7代バクルー公爵・第9代クイーンズベリー公爵) (1864年 – 1935年)
ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット (第8代バクルー公爵・第10代クイーンズベリー公爵) (1894年 – 1973年)
ジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット (第9代バクルー公爵・第11代クイーンズベリー公爵) (1923年 – 2007年)
リチャード・モンタギュー・ダグラス・スコット (第10代バクルー公爵・第12代クイーンズベリー公爵) (1954年 – )
- 公爵位の法定推定相続人は、当代の長男であるダルキース伯爵ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット(1984年 - )
系図
ウィリアム 初代クイーンズベリー伯爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジェイムズ 第2代クイーンズベリー伯爵 | ウィリアム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム 初代クイーンズベリー公爵 | ジェイムズ 初代準男爵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジェイムズ 第2代クイーンズベリー公爵 初代ドーヴァー公爵 | ウィリアム 初代マーチ伯爵 | ウィリアム 第2代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ 第3代クイーンズベリー公爵 第2代ドーヴァー公爵 | ジェイン | フランシス 第2代バクルー公爵 | ウィリアム 第2代マーチ伯爵 | ジョン 第3代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランシス ダルキース伯爵 | ウィリアム 第4代クイーンズベリー公爵 | ウィリアム 第4代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー 第3代バクルー公爵 第5代クイーンズベリー公爵 | チャールズ 第6代クイーンズベリー侯爵 | ジョン 第7代クイーンズベリー侯爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ 第4代バクルー公爵 第6代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウォルター 第5代バクルー公爵 第7代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム 第6代バクルー公爵 第8代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョン 第7代バクルー公爵 第9代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウォルター 第8代バクルー公爵 第10代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョン 第9代バクルー公爵 第11代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード 第10代バクルー公爵 第12代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
^ 初代の直系の男系男子の他、初代の男系先祖を遡って分かれた非直系の男系男子にも継承を認める爵位相続方法。
^ 初代の直系の男系男子にのみ継承を認める爵位継承方法。
出典
^ "Douglas, William (d.1640)". Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
^ Heraldic Media Limited. “Queensberry, Earl of (S, 1633)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月16日閲覧。
- ^ abcdefgh Chisholm, Hugh, ed. (1911). "QUEENSBERRY, EARLS, MARQUESSES AND DUKES OF.". Encyclopædia Britannica (英語). 22 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 730–731. Retrieved 2011-05-08.
^ Heraldic Media Limited. “Queensberry, Marquess of (S, 1681/2)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月16日閲覧。
- ^ abcdefghiHeraldic Media Limited. “Queensberry, Duke of (S, 1683/4)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月16日閲覧。
^ Maxwell vol ii, p284
^ “James Douglas (Earl of Drumlanrig)”. The Gazetteer for Scotland. 2006年9月13日閲覧。
^ “Why you've more than a ghost of a chance of seeing a spook”. The Scotsman. (2004年11月8日). http://www.scotsman.com/news/why-you-ve-more-than-a-ghost-of-a-chance-of-seeing-a-spook-1-1045900 2015年3月5日閲覧。
外部リンク
Buccleuch Scottish Estates. (英語) - バクルー・グループ