島原鉄道線
島原鉄道線 | |
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廃止された南目線を有明海に沿いながら走る キハ2500形気動車(2008年) | |
概要 | |
起終点 | 起点:諫早駅 終点:島原外港駅 |
駅数 | 24駅 |
運営 | |
開業 | 1911年6月20日 (1911-06-20)(島原鉄道) 1922年4月22日(口之津鉄道) |
部分廃止 | 2008年4月1日(島原外港-加津佐間) |
所有者 | 島原鉄道+口之津鉄道→ 島原鉄道 |
使用車両 | 島原鉄道#車両を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 43.2 km (26.8 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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凡例
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島原鉄道線(しまばらてつどうせん)は、長崎県諫早市の諫早駅から同県島原市の島原外港駅までを結ぶ島原鉄道の鉄道路線である。
目次
1 概要
2 路線データ
3 歴史
3.1 年表
4 運行形態
5 利用状況
5.1 輸送実績
5.2 収入実績
5.3 戦前の輸送収支実績
6 駅一覧
6.1 過去の接続路線
7 運賃
8 廃止区間の状況
9 脚注
10 参考資料・文献
11 関連項目
12 外部リンク
概要
島原半島の北岸から東岸を走る鉄道路線。非電化ローカル線であるが、諫早口では近郊輸送の役割も担っている。かつては博多駅までの国鉄線直通優等列車や、長崎駅・佐世保駅への直通列車も運行していたが廃止され、島原半島と福岡県・長崎県を広域に結ぶ連絡機能は失われた。
以前は島原外港駅からさらに南島原市の加津佐駅までを結んでいたが、同区間は2008年(平成20年)4月1日に廃止された(歴史にて詳述)。部分廃止以前は諫早 - 南島原間が北目線(きためせん)、南島原 - 加津佐間が南目線(みなんめせん)[1]と呼ばれていた。南目線は南島原 - 島原外港間の一区間が存続している。
路線データ
- 管轄(事業種別):島原鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):43.2km
軌間:1067mm- 駅数:24駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:自動閉塞式
歴史
通称・北目線と呼ばれる諫早 - 南島原間は島原鉄道によって、同じく南目線と呼ばれる南島原 - 加津佐間は傍系会社の口之津鉄道によって開業した。両社は1943年(昭和18年)に合併した。
1958年(昭和33年)から諫早駅より国鉄長崎本線に乗り入れて長崎駅まで直通運転を開始した。1960年(昭和35年)には国鉄の準急(後に急行化)に併結して博多駅までの直通運転を開始した。国鉄線への乗り入れは1980年(昭和55年)まで行われた。これについては、長崎本線優等列車沿革も参照されたい。
雲仙普賢岳の噴火活動が1991年(平成3年)頃から活発となり、同年火砕流により南島原 - 布津間が約半年間不通となる。翌年には島原外港 - 深江間が土石流により不通となり、1993年(平成5年)にこの区間を休止して防災工事が行われた。1997年(平成9年)に島原外港 - 深江間の高架化が完成し運行を再開した[2]。
南島原 - 加津佐間が赤字の約8割を占めていたことから、2004年度から廃止が検討され始め(同区間は1970年代にも廃止が検討されたが猛反対にあい撤回された[3])、島原鉄道は2007年(平成19年)1月31日に島原外港 - 加津佐間を2008年(平成20年)4月1日に廃止する方針を発表した[4](当初の廃止予定区間は南島原 - 加津佐間であったが、島原市の要望を受けて島原外港 - 加津佐間となった[5][6])。
普賢岳噴火災害復旧に伴って建設された設備の大半も10年余りで役目を終えることとなった。
年表
- 1907年(明治40年)5月18日 仮免許状下付(北高来郡北諫早村-南高来郡島原村間)[7]
- 1909年(明治42年)3月19日 本免許状下付[8]
1911年(明治44年)
6月20日 島原鉄道により本諫早 - 愛野村(現在の愛野)間が開業[9][10]。
8月21日 島原鉄道 諫早 - 本諫早間が開業[10]。
1912年(大正元年)10月10日 島原鉄道 愛野村 - 神代町間が開業[11]。
1913年(大正2年)
5月10日 島原鉄道 神代町 - 大三東間が開業[12]。
9月24日 島原鉄道 大三東 - 湊新地(現在の南島原)間が開業[13]。
1918年(大正7年)
- 3月25日 不知火鉄道(後に口之津鉄道)に対し鉄道免許状下付(南高来郡島原町-同郡口之津村間)[14]
7月16日 島原鉄道 湊新地駅を島原湊駅に改称[15]。
- 3月25日 不知火鉄道(後に口之津鉄道)に対し鉄道免許状下付(南高来郡島原町-同郡口之津村間)[14]
1919年(大正8年)5月6日 島原鉄道 湯江駅(現在の島鉄湯江駅)開業[16]。
1922年(大正11年)4月22日 口之津鉄道により島原湊 - 堂崎間が開業[17]。- 1923年(大正12年)3月24日 口之津鉄道に対し鉄道免許状下付(南高来郡口之津村-同郡加津佐村間)[18]
1926年(大正15年)7月2日 口之津鉄道 堂崎 - 南有馬(のちの原城)間が開業[19]。
1927年(昭和2年)6月 温泉鉄道・小浜鉄道と直通運転開始(1932年(昭和7年)まで)。
1928年(昭和3年)3月1日 口之津鉄道 南有馬 - 加津佐間まで開業し全通[20]。
1929年(昭和4年)5月17日 口之津鉄道 布津新田駅、龍石駅開業。
1930年(昭和5年)
- 6月1日 口之津鉄道 瓦斯倫動力併用[21]
9月1日 島原鉄道 釜ノ鼻駅開業。
- 6月1日 口之津鉄道 瓦斯倫動力併用[21]
1931年(昭和6年)10月1日 島原鉄道 松尾町駅開業。
1932年(昭和7年)11月15日 口之津鉄道 瀬野深江駅、蒲河駅、浦田観音駅、女学校前駅(現在の白浜海水浴場前駅)開業。
1933年(昭和8年)7月15日 口之津鉄道 常光寺前駅開業。
1934年(昭和9年) 湯江駅を島鉄湯江駅に改称。- 1934年(昭和9年)2月15日 島原鉄道瓦斯倫動力併用実施[22]
1943年(昭和18年)7月1日 島原鉄道が口之津鉄道を合併。
1949年(昭和24年)8月1日 愛野村駅を愛野駅に改称。
1955年(昭和30年)3月9日 吾妻崎駅(現在の阿母崎駅)、大正駅開業。- 1957年(昭和32年)
- 7月25日 諫早・島原地方大水害により諫早-島原間で線路寸断、鉄橋流出など列車、バスなど運行不能となる[23]。
- 9月18日 鉄道全線仮復旧[23]
1958年(昭和33年)4月11日 国鉄線への直通運転を開始。
1960年(昭和35年)
11月5日 吾妻崎駅を阿母崎駅に、山田村駅を吾妻駅に、島原湊駅を南島原駅に、安中村駅を安徳駅に改称。
11月11日 島原外港駅開業。
1962年(昭和37年)10月 南有馬駅を原城駅に改称。
1964年(昭和39年)
1月7日 小野村駅を小野本町駅に改称。
4月8日 中央高校前駅(現在の秩父が浦駅)開業。
1980年(昭和55年)10月1日 国鉄線への直通運転を廃止。
1984年(昭和59年)11月12日 諫早東高校前駅、島鉄本社前駅開業。
1990年(平成2年)10月10日 中央高校前駅を職業訓練校前駅に改称。
1991年(平成3年)6月3日 雲仙普賢岳の火砕流で南島原 - 布津間不通に。12月27日全線復旧[2]。
1992年(平成4年)
3月15日 島原外港 - 深江間が土石流により不通となる。4月14日復旧[2]。
11月3日 阿母崎駅 - 吾妻駅間において、正面衝突事故が発生。乗客74名が負傷。
1993年(平成5年)4月28日 島原外港 - 深江間が再び不通となり、翌29日からこの区間を休止[2]。
1995年(平成7年)4月20日 干拓の里駅開業。職業訓練校前駅を技術専門校前駅に改称。
1996年(平成8年)10月1日 技術専門校前駅を秩父が浦駅に改称。
1997年(平成9年)4月1日 島原外港 - 深江間の高架化が完成し全線で運行を再開[2]。
1999年(平成11年)3月13日 ワンマン運転開始。
2000年(平成12年)3月11日 幸駅開業。
2008年(平成20年)4月1日 島原外港 - 加津佐間廃止。同時にダイヤ改正を行い、列車を増発。
2010年(平成22年)11月2日 島原外港駅が全焼。詳細は島原外港駅を参照。
運行形態
2018年8月4日改正ダイヤ[24]では、諫早・本諫早 - 南島原・島原外港間に約15 - 60分に1本の24往復が運行されており(うち島原外港発着は下り20本・上り21本、島原外港行き下り始発列車のみ本諫早発)、うち1往復が急行列車として運行されている(運賃だけで利用可能で別途料金は不要。停車駅は「駅一覧」を参照)。このほか諫早 - 本諫早間のみ運転の区間列車が下り13本・上り12本、島原 - 島原外港間の区間列車も日中のみ5往復あり、諫早発の最終が22時台で2本ある。
ほとんどの列車で単行運用(1両編成)のワンマン運転を実施しているが、2両以上の編成の列車や、時間帯によっては車掌が乗務している(島原外港行きの場合、車掌乗務の列車であっても南島原 - 島原外港間では車両を切り離してワンマン運転となることが多い)。ワンマン運転の際には、駅員の配置の有無に関係なく、乗車時に車内で整理券を取って、降車時に乗車券・運賃とともに運転士に渡すことにより車内で精算を行う。一部の駅には自動券売機が設置されているが、磁気券ではないため諫早駅の自動改札機は通れない。諫早駅で運転士からもらえる出場証も自動改札機には対応しない。
列車番号は島原外港・南島原発着の普通列車が100番台、急行列車が200番台、本諫早発着の列車が50番台、島原 - 島原外港間の区間列車が60番台となっている。本諫早発着の列車については60番以降の番号は使われておらず、59番より後は51-1番のように枝番を使って表している。全列車が気動車によって運転されているが、気動車列車を表すDは使われていない。
2008年(平成20年)の島原外港 - 加津佐間の廃止前は、同年3月時点で諫早 - 加津佐間を通して走る列車(南島原駅で乗り換えとなる場合もあった)が1 - 2時間に1本程度(下り12本・上り13本)運転されていたほか、諫早 - 南島原間・諫早 - 本諫早間の区間列車も運転されていた[25]。急行列車は下り1本、上り2本のみの運転だった[25]。廃止区間においての最終は19 - 20時台であった[25]。島原外港 - 加津佐間の廃止後は列車が増発され、2009年1月時点で急行列車は下り8本・上り9本が設定されていたが[26]、2017年8月時点には急行列車は下り3本・上り2本にまで減少している[27]。
1980年代まで運行されていた急行列車は10km以上乗車する場合に限り急行料金が必要であった。1997年(平成9年)に雲仙普賢岳噴火災害復旧工事完成に伴い復活した急行列車では急行料金が不要となっている。
1997年の災害復旧後に観光トロッコ列車「島鉄ハッピートレイン」が運行開始され、毎年4月から11月まで運行されていたが、島原外港 - 加津佐間の廃止により運行を終了している。
主力車両のキハ2500形気動車。画像の急行列車は「急行しまばら号」と書かれたヘッドマークを掲げている。
(2008年1月6日)
かつて運行されていた島鉄ハッピートレイン。
(2002年8月2日)
南島原駅に併設された車両基地(2008年1月7日)
利用状況
輸送実績
島原鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は減少している。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別輸送実績 | |||||||
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年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 | 貨物輸送量 万t/年度 | 特 記 事 項 | |||
通 勤 定 期 | 通 学 定 期 | 定期外 | 合 計 | ||||
1975年(昭和50年) | 13.1 | 141.3 | 131.1 | 285.5 | 1,824 | 10.7 | |
1976年(昭和51年) | 11.5 | 142.8 | 126.0 | 280.3 | 1,768 | 9.8 | |
1977年(昭和52年) | 11.4 | 144.1 | 125.1 | 280.8 | 1,725 | 9.1 | |
1978年(昭和53年) | 10.3 | 146.8 | 122.8 | 280.0 | 1,690 | 8.1 | |
1979年(昭和54年) | 9.7 | 143.9 | 119.5 | 273.1 | 1,634 | 7.9 | |
1980年(昭和55年) | 11.1 | 142.3 | 120.8 | 274.3 | 1,595 | 6.0 | 国鉄線への直通運転を廃止 |
1981年(昭和56年) | 9.7 | 145.0 | 122.1 | 277.0 | 1,572 | 5.4 | |
1982年(昭和57年) | 10.5 | 147.6 | 122.2 | 280.2 | 1,587 | 3.6 | |
1983年(昭和58年) | 9.9 | 141.1 | 119.1 | 270.1 | 1,517 | 2.5 | |
1984年(昭和59年) | 8.6 | 143.3 | 117.1 | 269.0 | 1,508 | 0.2 | 諫早東高校前駅、島鉄本社前駅開業 |
1985年(昭和60年) | 7.7 | 147.0 | 113.3 | 268.0 | 1,474 | 0.0 | |
1986年(昭和61年) | 7.2 | 143.2 | 110.8 | 261.2 | 1,447 | 0.0 | |
1987年(昭和62年) | 7.5 | 139.6 | 111.2 | 258.3 | 1,417 | 0.0 | |
1988年(昭和63年) | 6.5 | 140.7 | 114.6 | 261.8 | 1,451 | 0.0 | |
1989年(平成元年) | 5.9 | 132.5 | 115.1 | 253.5 | 1,406 | 0.0 | |
1990年(平成2年) | 6.3 | 138.7 | 118.8 | 263.8 | 1,454 | 0.0 | |
1991年(平成3年) | 5.9 | 119.5 | 105.2 | 230.6 | 1,152 | 0.0 | 雲仙普賢岳の火砕流で南島原 - 布津間不通 |
1992年(平成4年) | 6.2 | 139.7 | 116.6 | 262.5 | 1,363 | 0.0 | 島原外港 - 深江間が土石流により不通 |
1993年(平成5年) | 6.2 | 114.2 | 103.1 | 223.5 | 1,085 | 0.0 | |
1994年(平成6年) | 6.1 | 108.7 | 102.1 | 216.9 | 1,066 | 0.0 | |
1995年(平成7年) | 6.1 | 111.3 | 103.6 | 221.0 | 1,074 | 0.0 | 干拓の里駅開業 |
1996年(平成8年) | 6.8 | 109.9 | 103.2 | 219.9 | 1,087 | 0.0 | |
1997年(平成9年) | 6.4 | 111.0 | 115.7 | 233.1 | 1,206 | 0.0 | 島原外港 - 深江間の高架化完成 運行再開 |
1998年(平成10年) | 5.6 | 113.8 | 105.3 | 224.7 | 1,162 | 0.0 | |
1999年(平成11年) | 30.7 | 87.7 | 96.7 | 215.1 | 1,108 | 0.0 | ワンマン運転開始 |
2000年(平成12年) | 12.8 | 120.1 | 97.1 | 230.0 | 1,175 | 0.0 | 幸駅開業 |
2001年(平成13年) | 20.3 | 117.4 | 93.7 | 231.4 | 1,205 | 0.0 | |
2002年(平成14年) | 23.5 | 118.0 | 89.6 | 231.1 | 1,213 | 0.0 | |
2003年(平成15年) | 27.8 | 111.3 | 89.7 | 228.8 | 1,200 | 0.0 | |
2004年(平成16年) | 27.0 | 103.9 | 82.3 | 213.2 | 1,121 | 0.0 | |
2005年(平成17年) | | | 78.8 | 210.0 | 1,098 | 0.0 | |
2006年(平成18年) | | | | 199.9 | | 0.0 | |
2007年(平成19年) | | | | 210.8 | | 0.0 | |
2008年(平成20年) | | | | 144.3 | | 0.0 | 島原外港 - 加津佐間を2008年4月1日付で廃止 |
2009年(平成21年) | 21.6 | 58.9 | 56.3 | 136.8 | 1,246 | 0.0 | |
2010年(平成22年) | | | 55.8 | 139.7 | | 0.0 | |
2011年(平成23年) | | | | 144.5 | | 0.0 | |
2012年(平成24年) | | | | 151.4 | | 0.0 | |
2013年(平成25年) | | | | 158.3 | | 0.0 | |
収入実績
島原鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。手小荷物収入には郵便物収入を含む。
表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別収入実績 | ||||||||
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年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 貨物運輸 収入 千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 | 総合計 千円/年度 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | ||||
1975年(昭和50年) | 143,209 | ←←←← | 434,567 | 60,461 | 638,237 | 71,120 | 61,881 | 771,238 |
1976年(昭和51年) | 153,525 | ←←←← | 416,000 | 60,893 | 630,418 | 79,532 | 65,459 | 775,409 |
1977年(昭和52年) | 176,607 | ←←←← | 458,075 | 63,839 | 698,522 | 94,226 | 77,960 | 870,709 |
1978年(昭和53年) | 176,634 | ←←←← | 438,623 | 59,987 | 675,244 | 85,924 | 81,975 | 843,143 |
1979年(昭和54年) | 198,499 | ←←←← | 486,645 | 49,837 | 734,981 | 106,168 | 105,425 | 946,576 |
1980年(昭和55年) | 196,774 | ←←←← | 489,257 | 42,748 | 728,779 | 108,156 | 89,952 | 926,888 |
1981年(昭和56年) | 224,558 | ←←←← | 530,075 | 37,532 | 792,165 | 106,543 | 79,021 | 977,730 |
1982年(昭和57年) | 239,195 | ←←←← | 533,911 | 35,868 | 808,974 | 72,913 | 23,454 | 965,342 |
1983年(昭和58年) | 262,699 | ←←←← | 574,447 | 31,740 | 868,886 | 52,213 | 77,226 | 998,325 |
1984年(昭和59年) | 268,851 | ←←←← | 561,882 | 0 | 830,733 | 4,903 | 85,958 | 921,593 |
1985年(昭和60年) | 288,703 | ←←←← | 563,137 | 0 | 851,840 | 0 | 75,674 | 927,514 |
1986年(昭和61年) | 284,131 | ←←←← | 553,446 | 0 | 837,577 | 0 | 79,761 | 917,338 |
1987年(昭和62年) | 19,237 | 265,755 | 558,559 | 0 | 843,551 | 0 | 68,294 | 911,845 |
1988年(昭和63年) | 17,183 | 276,536 | 604,476 | 0 | 898,195 | 0 | 57,812 | 956,007 |
1989年(平成元年) | 15,883 | 261,991 | 600,236 | 0 | 878,110 | 0 | 45,718 | 923,828 |
1990年(平成2年) | 17,956 | 273,835 | 626,130 | 0 | 917,921 | 0 | 65,590 | 983,511 |
1991年(平成3年) | 16,257 | 222,277 | 508,267 | 0 | 746,801 | 0 | 67,521 | 814,322 |
1992年(平成4年) | 17,044 | 271,229 | 583,569 | 0 | 871,842 | 0 | 71,378 | 943,220 |
1993年(平成5年) | 16,787 | 207,931 | 486,835 | 0 | 711,553 | 0 | 71,902 | 783,455 |
1994年(平成6年) | 16,012 | 191,740 | 494,059 | 0 | 701,811 | 0 | 79,753 | 781,564 |
1995年(平成7年) | 15,271 | 202,797 | 521,612 | 0 | 739,680 | 0 | 99,000 | 838,680 |
1996年(平成8年) | 17,832 | 211,073 | 550,362 | 0 | 779,267 | 0 | 92,100 | 871,367 |
1997年(平成9年) | 16,993 | 224,649 | 620,542 | 0 | 862,184 | 0 | 79,108 | 941,292 |
1998年(平成10年) | 15,563 | 254,663 | 598,859 | 0 | 869,085 | 0 | 86,240 | 955,325 |
1999年(平成11年) | 13,937 | 254,680 | 552,000 | 0 | 820,617 | 0 | 80,918 | 901,535 |
2000年(平成12年) | 20,935 | 262,247 | 538,511 | 0 | 821,693 | 0 | 75,231 | 896,924 |
2001年(平成13年) | 24,814 | 258,487 | 507,719 | 0 | 791,030 | 0 | 74,196 | 865,226 |
2002年(平成14年) | 25,093 | 257,473 | 469,987 | 0 | 752,553 | 0 | 62,183 | 814,736 |
2003年(平成15年) | 29,351 | 244,831 | 455,350 | 0 | 729,532 | 0 | 83,266 | 812,798 |
2004年(平成16年) | 27,799 | 230,510 | 426,446 | 0 | 684,755 | 0 | 72,442 | 757,197 |
2005年(平成17年) | | | | | 669,095 | 0 | 69,934 | 739,029 |
2006年(平成18年) | | | | | 662,849 | 0 | 68,214 | 731,063 |
2007年(平成19年) | | | | | 710,593 | 0 | 103,982 | 814,575 |
2008年(平成20年) | | | | | 492,423 | 0 | 87,606 | 580,029 |
2009年(平成21年) | 34,586 | 118,990 | 316,060 | 0 | 469,636 | 0 | 102,213 | 571,849 |
2010年(平成22年) | | | | | 467,027 | 0 | 71,784 | 538,811 |
戦前の輸送収支実績
年度別実績 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
1911 | 66,825 | 565 | 15,685 | 13,935 | 1,750 | 利息配当金補填1,750 | |||
1912 | 200,680 | 6,221 | 28,271 | 23,296 | 4,975 | 繰越欠損補填金1,302 創立功労者慰労金16,665 | 516 | 16,111 | |
1913 | 358,680 | 10,694 | 72,040 | 59,879 | 12,161 | 資本欠損補充金63 | 15,572 | 26,962 | |
1914 | 473,597 | 15,703 | 101,118 | 76,934 | 24,184 | 24,679 | 28,682 | ||
1915 | 463,704 | 17,303 | 96,367 | 83,237 | 13,130 | 21,164 | 33,181 | ||
1916 | 474,003 | 23,371 | 109,160 | 69,249 | 39,911 | 19,467 | 22,913 | ||
1917 | 563,768 | 34,746 | 144,170 | 92,334 | 51,836 | 補助金返戻3,104 | 15,584 | 5,523 | |
1918 | 647,964 | 46,893 | 204,974 | 119,410 | 85,564 | 14,053 | |||
1919 | 790,607 | 57,235 | 288,178 | 163,225 | 124,953 | 償却金18,000 | 14,175 | ||
1920 | 857,982 | 67,996 | 386,397 | 246,817 | 139,580 | 14,189 | |||
1921 | 856,328 | 51,326 | 406,712 | 222,286 | 184,426 | ||||
1922 | 954,823 | 61,411 | 437,051 | 234,236 | 202,815 | ||||
1923 | 964,570 | 62,890 | 427,439 | 283,549 | 143,890 | 13,641 | |||
1924 | 998,798 | 65,811 | 444,021 | 264,315 | 179,706 | 13,449 | |||
1925 | 1,081,748 | 64,633 | 446,345 | 258,411 | 187,934 | 13,105 | |||
1926 | 1,197,548 | 74,089 | 469,498 | 283,362 | 186,136 | 12,842 | |||
1927 | 1,259,792 | 65,278 | 473,770 | 270,546 | 203,224 | 12,562 | |||
1928 | 1,346,386 | 66,422 | 480,253 | 268,717 | 211,536 | 12,262 | |||
1929 | 1,324,541 | 68,219 | 504,123 | 285,071 | 219,052 | 11,942 | |||
1930 | 1,314,813 | 57,771 | 448,892 | 277,480 | 171,412 | 自動車業その他5,270 | 11,600 | ||
1931 | 1,174,948 | 50,256 | 428,411 | 239,170 | 189,241 | 自動車業1,648 | 11,235 | ||
1932 | 1,081,577 | 46,190 | 400,822 | 223,173 | 177,649 | 自動車業433 | 償却金500 | 10,845 | |
1933 | 1,126,887 | 55,735 | 365,461 | 226,890 | 138,571 | 自動車業2,182 | 13,240 | ||
1934 | 1,195,815 | 70,891 | 390,645 | 248,621 | 142,024 | 34,062 | |||
1935 | 1,279,163 | 58,730 | 396,326 | 249,450 | 146,876 | 自動車業その他1,665 | 雑損6,663 | 33,172 | |
1936 | 1,300,595 | 61,928 | 410,083 | 236,247 | 173,836 | 自動車業5,328雑損償却金20,630 | 31,226 | ||
1937 | 1,363,492 | 69,440 | 449,554 | 289,446 | 160,108 | 諸税引当金戻入58,230 | 自動車業7,727諸税引当金21,000 償却金30,000雑損16,187 | 21,669 | |
1939 | 1,540,583 | 112,186 | |||||||
1941 | 2,189,154 | 150,937 | |||||||
1943 | 4,893,814 | 262,937 | |||||||
1945 | 4,941,906 | 144,972 |
年度別実績 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) | |
1922 | 245,462 | 4,154 | 58,796 | 56,584 | 2,212 | ||||
1923 | 274,571 | 4,665 | 67,511 | 72,644 | ▲ 5,133 | 雑損金574 | 6,962 | 57,085 | |
1924 | 278,594 | 5,038 | 74,728 | 57,944 | 16,784 | 41,256 | |||
1925 | 306,145 | 5,516 | 72,013 | 72,395 | ▲ 382 | 雑損3,672 | 5,164 | 41,716 | |
1926 | 474,259 | 8,675 | 124,656 | 94,082 | 30,574 | 雑損8,121 | 1,242 | 50,502 | |
1927 | 543,959 | 9,858 | 155,192 | 137,150 | 18,042 | 雑損307 | 6,548 | 74,433 | |
1928 | 653,833 | 12,416 | 180,900 | 163,159 | 17,741 | 雑損3,128 | 43,829 | 99,324 | |
1929 | 738,910 | 11,621 | 186,292 | 160,664 | 25,628 | 雑損1,235 | 39,359 | 120,920 | |
1930 | 698,929 | 7,977 | 165,614 | 142,445 | 23,169 | 雑損2,158 | 35,667 | 122,481 | |
1931 | 617,736 | 6,415 | 139,746 | 140,365 | ▲ 619 | 雑損2,198償却金4,674 | 32,596 | 110,513 | |
1932 | 568,028 | 6,435 | 125,800 | 116,660 | 9,140 | 雑損8,794 | 28,346 | 92,663 | |
1933 | 581,929 | 9,258 | 126,424 | 117,139 | 9,285 | 雑損償却金4,303 | 22,717 | 82,216 | |
1934 | 625,147 | 10,845 | 142,866 | 124,598 | 18,268 | 雑損3,080 | 17,581 | 82,731 | |
1935 | 643,905 | 11,336 | 151,274 | 129,479 | 21,795 | 自動車業3,315雑損償却金4,150 | 13,488 | 82,867 | |
1936 | 657,188 | 12,592 | 159,262 | 140,446 | 18,816 | 自動車業7,174雑損償却金26,131 | 9,790 | 73,428 | |
1937 | 737,431 | 16,179 | 179,107 | 149,028 | 30,079 | 雑損296償却金20,000自動車業1,906 | 8,075 | 62,185 | |
1939 | 951,440 | 32,212 | |||||||
1941 | 1,396,405 | 44,271 | |||||||
1943 | 556,439 | 9,762 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
駅一覧
- 全駅長崎県に所在(廃止区間も含む)。
- ●:停車、|:通過
- 普通列車は省略:各駅に停車
- #印は、列車の交換可能な駅。
- 廃止区間の停車駅などは廃止直前時点のもの。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 急行 | 接続路線・航路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
諫早駅 | - | 0.0 | ● | 九州旅客鉄道:長崎本線・大村線 | 諫早市 |
本諫早駅# | 1.5 | 1.5 | ● | | |
幸駅 | 1.4 | 2.9 | | | | |
小野本町駅 | 1.9 | 4.8 | | | | |
干拓の里駅 | 0.7 | 5.5 | | | | |
森山駅# | 2.0 | 7.5 | | | | |
釜ノ鼻駅 | 2.1 | 9.6 | | | | |
諫早東高校前駅 | 1.8 | 11.4 | | | | |
愛野駅# | 1.0 | 12.4 | ● | | 雲仙市 |
阿母崎駅 | 2.0 | 14.4 | | | | |
吾妻駅# | 2.2 | 16.6 | ● | | |
古部駅# | 3.0 | 19.6 | | | | |
大正駅 | 1.2 | 20.8 | | | | |
西郷駅# | 2.2 | 23.0 | ● | | |
神代町駅# | 2.5 | 25.5 | ● | | |
多比良町駅# | 3.9 | 29.4 | ● | 有明フェリー | |
島鉄湯江駅 | 2.4 | 31.8 | | | | 島原市 |
大三東駅# | 2.3 | 34.1 | ● | | |
松尾町駅 | 1.1 | 35.2 | | | | |
三会駅# | 2.3 | 37.5 | | | | |
島原駅# | 3.0 | 40.5 | ● | 南目線廃線区間(深江、原城、口之津方面)代替バス | |
島鉄本社前駅 | 1.0 | 41.5 | ● | | |
南島原駅# | 0.8 | 42.3 | ● | | |
島原外港駅 | 0.9 | 43.2 | ● | 九商フェリー・熊本フェリー | |
廃止区間 | |||||
秩父が浦駅 | 1.1 | 44.3 | ● | | 島原市 |
安徳駅 | 1.1 | 45.4 | ● | | |
瀬野深江駅 | 2.1 | 47.5 | ● | | 南島原市 |
深江駅# | 2.1 | 49.6 | ● | | |
布津新田駅 | 2.4 | 52.0 | ● | | |
布津駅# | 1.9 | 53.9 | ● | | |
堂崎駅 | 3.0 | 56.9 | ● | | |
蒲河駅 | 1.5 | 58.4 | ● | | |
有家駅# | 1.5 | 59.9 | ● | | |
西有家駅 | 1.3 | 61.2 | ● | | |
龍石駅 | 2.2 | 63.4 | ● | | |
北有馬駅# | 1.9 | 65.3 | ● | | |
常光寺前駅 | 0.8 | 66.1 | ● | | |
浦田観音駅 | 1.0 | 67.1 | ● | | |
原城駅# | 1.1 | 68.2 | ● | | |
有馬吉川駅 | 2.4 | 70.6 | ● | | |
東大屋駅 | 4.0 | 74.6 | ● | | |
口之津駅 | 1.2 | 75.8 | ● | 島鉄フェリー | |
白浜海水浴場前駅 | 1.0 | 76.8 | ● | | |
加津佐駅 | 1.7 | 78.5 | ● | 島鉄バス(小浜方面) |
過去の接続路線
- 愛野駅(当時は愛野村駅):雲仙鉄道 - 1938年8月16日廃止
運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年(平成26年)4月1日改定[28]。急行料金は不要。長崎スマートカードでの支払いは不可。
キロ程 | 運賃(円) |
初乗り1 - 3km | 150 |
4 | 170 |
5 | 200 |
6 | 240 |
7 | 280 |
8 | 320 |
9 | 360 |
10 | 390 |
11 | 430 |
12 | 470 |
13 | 520 |
14 | 560 |
15 | 590 |
16 | 630 |
17 | 670 |
18 | 710 |
19 | 750 |
20 | 780 |
21 | 820 |
22 | 860 |
23 | 910 |
キロ程 | 運賃(円) |
24 | 940 |
25 | 980 |
26 | 1010 |
27 | 1040 |
28 | 1060 |
29 | 1090 |
30 | 1120 |
31 | 1150 |
32 | 1170 |
33 | 1200 |
34 | 1230 |
35 | 1270 |
36 | 1290 |
37 | 1320 |
38 | 1350 |
39 | 1380 |
40 | 1400 |
41 | 1430 |
42 | 1460 |
43 | 1490 |
44 | 1510 |
廃止区間の状況
2013年時点では、レールおよび標識等は撤去されたものの、大部分で路盤や橋梁等は残されている[29]。廃線跡は大部分が島原鉄道の私有地となっており、沿線自治体であった島原市や南島原市が今後の土地活用を模索している[29]。駅舎は旧口之津駅を除いて現存している[30]ほか、旧有家駅舎はバス待合所として活用されている[31]。
島原鉄道では廃止区間の代替交通として、並行するバス路線を増便した[32](1時間あたり1 - 2本程度、途中区間便あり。)。
脚注
^ 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P95
- ^ abcde「雲仙普賢岳災害から再起」、『鉄道ジャーナル』第31巻第8号、鉄道ジャーナル社、1997年8月、 71-77頁。
^ 『ありがとう南線 思い出をつないだ20の駅』島原鉄道 2008年 p64
^ “島原鉄道線一部区間(島原外港 - 加津佐)の廃止について” (PDF) (プレスリリース), 島原鉄道, (2007年1月31日), オリジナルの2007年2月2日時点によるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20070202013427/http://www.shimatetsu.co.jp/rail/press-2.pdf 2015年5月19日閲覧。
^ 「島鉄が南島原 - 加津佐間廃止を検討 07年度末」長崎新聞 2007年1月31日 (Internet Archive)
^ 「島鉄が島原外港駅 - 加津佐駅廃止を発表 来年三月末 [リンク切れ]」長崎新聞 2007年1月31日
^ 「私設鉄道株式会社仮免許状」『官報』1907年5月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「私設鉄道株式会社本免許状下付」『官報』1909年3月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『鉄道院年報. 明治44年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ ab官報では6月19日「軽便鉄道運輸開始」『官報』1911年9月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1912年10月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年5月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年10月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年3月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1918年7月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「軽便鉄道停車場設置」『官報』1919年5月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年4月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年3月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年7月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年3月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ ab『島原鉄道100年史』島原鉄道、2008年、136頁
^ 時刻表・運賃表 - 島原鉄道、2017年8月27日閲覧
- ^ abc『JTB時刻表』2008年3月号、JTBパブリッシング、特集pp.18-19
^ 『JTB時刻表』2009年3月号、JTBパブリッシング、p.863
^ 『JTB時刻表』2017年10月号、JTBパブリッシング、p.873
^ 時刻表・運賃表 - 島原鉄道、2014年4月1日閲覧
- ^ ab『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P96
^ 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P101
^ 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P98
^ 『鉄道ジャーナル』2013年4月号、P99
参考資料・文献
- 栗原景「失われた鉄路の記憶8 島原鉄道」『鉄道ジャーナル』2013年4月号(通巻558号)、鉄道ジャーナル社、2013年4月。
関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
聞きこみ!ローカル線 気まぐれ下車の旅(2016年2月22日放送、旅人は中山麻聖と小林綾子)
外部リンク
- 島原鉄道
- 島原鉄道百年物語
トロッコ列車キハ2000形キハ2500形
- 安新大橋
- 土石流災害から鉄道を守るために