東レ・アローズ (男子バレーボール)
東レ・アローズ | |
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原語表記 | 東レ・アローズ |
ホームタウン | 静岡県三島市 |
クラブカラー | 青、白 |
創設年 | 1947年 |
所属リーグ | V.LEAGUE Division1 |
チーム所在地 | 静岡県三島市 |
体育館所在地 | 静岡県三島市 |
代表者 | 山野春雄 |
監督 | 小林敦 |
ホームページ | 公式サイト |
東レ・アローズ(とうレ アローズ)は、静岡県三島市を本拠地とする東レ三島工場の男子バレーボール部である。2018年7月現在、V.LEAGUE Division1(V1リーグ)に所属している。
目次
1 概要
2 歴史
3 成績
3.1 主な成績
3.2 年度別成績
4 選手・スタッフ
4.1 選手
4.2 スタッフ
5 在籍していた主な選手
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
概要
発足は、1947年に滋賀県大津市の東洋レーヨン(現・東レ)滋賀工場にて9人制のバレーボールチーム『東洋レーヨン九鱗会』としてである。後に6人制となり、静岡県三島市の三島工場に移り現在に至る。
チームネームの『アローズ』とは、社内公募して誕生したもので、矢のような鋭さという意味が込められている[1]。また、2000年に女子強豪のユニチカ・フェニックスからチームを引き継ぎ、元本拠地である大津市に本拠地を置く女子チームにも同じチームネームが採用されている。
練習場は東レ総合研修センター横の体育館であり、練習見学も一部可能である[2]。
実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)に第1回から参加している。
ファンクラブは、東レとは別のボランティア団体が運営している[2]。
歴史
チームは1947年に滋賀県大津市の滋賀工場で設立された9人制のバレーボールチーム『東洋レーヨン九鱗会』としてスタート。『九鱗会』とは、9人制であることと、Vの形を取る陣形『鶴翼魚鱗の陣』に由来する[3]。
1961年に全日本都市対抗大会(現・黒鷲旗大会)で優勝すると、6人制でも活躍し、全日本総合6・9人制のタイトルを獲得して全国大会のタイトルを独占する。1963年、再び都市対抗(1962年に6人制に移行)で優勝を果たした。
1964年にチーム本拠地を三島工場に移した[3]。
実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)に第1回(1969/70シーズン)から参加。第1回では3位となる。
1970年、社名変更により、チーム名も『東レ九鱗会』となる。
第3回実業団リーグ(1971/72シーズン)で優勝、第4回準優勝で入替戦に出るものの、日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)に昇格できずにいた。1975年、第6回実業団リーグで優勝して出場した入替戦で勝利し、ようやく日本リーグ昇格を果たした。
日本リーグでは下位に低迷し続け、4年後の1979年に実業団リーグ降格。その後しばらく実業団リーグ在籍が続き、1988年に10年ぶりの日本リーグ復帰を果たす。
復帰戦となった第22回(1988/89シーズン)以降、しばらくは下位に低迷しながらも日本リーグに残留し続ける。第24回は7位となり日本リーグ出場チーム決定戦(入替戦)出場となるものの、セット率でNKKナイツに勝ち残留した。
6人制に移行してからも長らく『東レ九鱗会』として活動を続けてきたが、1991年、社内公募により、チーム名が現在の『東レアローズ』となった[1]。
泉川正幸がエースとしてデビューした第26回日本リーグ(1992/93シーズン)でチームが躍進し、自己最高の3位に入る。
1994年に日本リーグに替わってVリーグが開幕。第1回(1994/95シーズン)はレギュラーラウンドを1位突破するが、決勝トーナメントで連敗し4位で終わる。以降チームはしばらく低迷するが、第5回で準優勝、第6回でも準優勝を果たした。
第8回Vリーグ(2001/02シーズン)では、レギュラーラウンドを1位突破するが、決勝でサントリーサンバーズにフルセットで敗れ、惜しくも初優勝を逃す。しかし、同シーズンの黒鷲旗大会では39年ぶりとなる優勝を果たした。
第9回Vリーグは1勝差でファイナルラウンド進出を逃して5位。大混戦となった第10回Vリーグは、10勝11敗で終えるもの、セット率で7位となり久々の入替戦出場となる(警視庁に勝って残留)。
入替戦出場の悔しさから「総力結集」のスローガンで2004/05シーズンに臨んだ[3]。第11回Vリーグで、開幕20連勝のリーグ新記録を達成する快進撃を見せ、圧倒的な成績でレギュラーラウンド1位となる。ファイナルラウンドで決勝進出を果たし、優勝決定戦でNECブルーロケッツに連勝して、ついに悲願の初優勝を遂げた。同シーズンの黒鷲旗大会でも決勝でNECを降し優勝。2冠を達成した。第12回Vリーグは6位で終えるもの、同シーズンの黒鷲旗で連覇を果たした。2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグより改称)で準優勝、2007/08シーズンも準優勝を果たす。
2008/09シーズンは、天皇杯で優勝。V・プレミアリーグでも決勝で堺ブレイザーズを破り2度目の優勝を果たした。女子も東レアローズが優勝し、2008/09V・プレミアリーグアベック優勝の快挙ともなった。2冠達成となり、史上初の3冠達成を目指して臨んだ黒鷲旗では、決勝でパナソニック・パンサーズに敗れ、惜しくも3冠はならなかった。
以降、そのパナソニックの躍進もありV・プレミアリーグ制覇から離れるが、しばらくは連続して4強入りを果たし、安定した成績を残す。2011年黒鷲旗で優勝。2011/12V・プレミアリーグはレギュラーラウンドを圧倒的な成績で1位突破し、決勝進出も果たすが、決勝でパナソニックにフルセットの末惜敗し優勝を逃している。2012/13シーズンもセミファイナルラウンド最終戦でパナソニックに敗れたことで決勝進出を逃し、篠田歩は当シーズン限りで引退する宇佐美大輔との最後の勝負に勝てなかったことを悔やんだ[4]。
2014年12月、東京体育館で開催されていた平成26年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会に出場中、所属選手が窃盗容疑で逮捕され同大会を出場辞退した[5]。東レは自らの処分として、(1)当該選手の無期限活動停止、(2)部長・監督の今季活動停止を発表した[6]。12月26日、日本バレーボール協会は処分を発表し、当該選手を2年間のJVA登録抹消処分、チーム及び部長・監督を譴責処分とした[7]。
2015年からはマケドニア共和国のニコラ・ジョルジェフを主砲に迎えた。2016/17シーズンでは、レギュラーラウンド2位、ファイナル6では首位となり、ファイナルでは前年覇者の豊田合成トレフェルサを二連勝で下して8年ぶり3度目の優勝を飾った[8]。
成績
主な成績
Vリーグ/プレミアリーグ、V.LEAGUE Division1
- 優勝 3回(2004年度、2008年度、2016年度)
- Vカップ
- 優勝 1回(2001年)
- 全日本総合(6人制)
- 優勝 2回(1961年、1962年)
- 全日本総合(9人制)
- 優勝 1回(1961年)
- 黒鷲旗全日本選抜
- 優勝 6回(1961年、1963年、2002年、2005年、2006年、2011年)
- 天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会
- 優勝 3回(2008年度、2013年度、2016年度)
国民体育大会成年男子(6人制)
- 優勝 4回(1961年、1989年、2000年、2015年)
国民体育大会成年男子(9人制)
- 優勝 4回(1953年、1958年、1960年、1961年)
- 日韓Vリーグトップマッチ
- 優勝 1回(2009年)
年度別成績
大会名 | 順位 | 参加チーム数 | 試合数 | 勝 | 敗 | 勝率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
実業団リーグ | 第1回 (1969/70) | 3位 | 6チーム | 10 | 4 | 6 | 0.400 |
第2回 (1970/71) | 4位 | 6チーム | 10 | 5 | 5 | 0.500 | |
第3回 (1971/72) | 優勝 | 6チーム | 10 | 8 | 2 | 0.800 | |
第4回 (1972/73) | 準優勝 | 6チーム | 10 | 7 | 3 | 0.700 | |
第5回 (1973/74) | 3位 | 6チーム | 10 | 7 | 3 | 0.700 | |
第6回 (1974/75) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
日本リーグ | 第9回 (1975/76) | 5位 | 6チーム | 10 | 3 | 7 | 0.300 |
第10回 (1976/77) | 5位 | 6チーム | 10 | 2 | 8 | 0.200 | |
第11回 (1977/78) | 6位 | 6チーム | 10 | 1 | 9 | 0.100 | |
第12回 (1978/79) | 6位 | 6チーム | 10 | 0 | 10 | 0.000 | |
実業団リーグ | 第11回 (1979/80) | 5位 | 6チーム | 10 | 1 | 9 | 0.100 |
第12回 (1980/81) | 4位 | 6チーム | 10 | 3 | 7 | 0.300 | |
第13回 (1981/82) | 4位 | 6チーム | 10 | 5 | 5 | 0.500 | |
第14回 (1982/83) | 準優勝 | 6チーム | 10 | 6 | 4 | 0.600 | |
第15回 (1983/84) | 準優勝 | 8チーム | 14 | 11 | 3 | 0.786 | |
第16回 (1984/85) | 準優勝 | 8チーム | 14 | 11 | 3 | 0.786 | |
第17回 (1985/86) | 4位 | 8チーム | 14 | 8 | 6 | 0.571 | |
第18回 (1986/87) | 3位 | 8チーム | 14 | 11 | 3 | 0.786 | |
第19回 (1987/88) | 優勝 | 8チーム | 14 | 14 | 0 | 1.000 | |
日本リーグ | 第22回 (1988/89) | 6位 | 8チーム | 14 | 5 | 9 | 0.357 |
第23回 (1989/90) | 6位 | 8チーム | 14 | 3 | 11 | 0.214 | |
第24回 (1990/91) | 7位 | 8チーム | 14 | 4 | 10 | 0.286 | |
第25回 (1991/92) | 5位 | 8チーム | 14 | 8 | 6 | 0.571 | |
第26回 (1992/93) | 3位 | 8チーム | 20 | 11 | 9 | 0.550 | |
第27回 (1993/94) | 5位 | 8チーム | 14 | 7 | 7 | 0.500 | |
Vリーグ | 第1回 (1994/95) | 4位 | 8チーム | 21 | 15 | 6 | 0.714 |
第2回 (1995/96) | 5位 | 8チーム | 21 | 11 | 10 | 0.524 | |
第3回 (1996/97) | 6位 | 8チーム | 21 | 10 | 11 | 0.476 | |
第4回 (1997/98) | 7位 | 8チーム | 21 | 5 | 16 | 0.238 | |
第5回 (1998/99) | 準優勝 | 10チーム | 18 | 13 | 5 | 0.722 | |
第6回 (1999/00) | 準優勝 | 10チーム | 18 | 12 | 6 | 0.667 | |
第7回 (2000/01) | 3位 | 10チーム | 18 | 13 | 5 | 0.722 | |
第8回 (2001/02) | 準優勝 | 10チーム | 18 | 14 | 4 | 0.778 | |
第9回 (2002/03) | 5位 | 8チーム | 21 | 12 | 9 | 0.571 | |
第10回 (2003/04) | 7位 | 8チーム | 21 | 10 | 11 | 0.476 | |
第11回 (2004/05) | 優勝 | 8チーム | 28 | 25 | 3 | 0.893 | |
第12回 (2005/06) | 6位 | 8チーム | 28 | 15 | 13 | 0.536 | |
V・プレミアリーグ | 2006/07シーズン | 準優勝 | 8チーム | 28 | 22 | 6 | 0.786 |
2007/08シーズン | 準優勝 | 8チーム | 28 | 17 | 11 | 0.607 | |
2008/09シーズン | 優勝 | 8チーム | 28 | 20 | 8 | 0.714 | |
2009/10シーズン | 3位 | 8チーム | 28 | 19 | 9 | 0.679 | |
2010/11シーズン | 3位 | 8チーム | 24 | 15 | 9 | 0.625 | |
2011/12シーズン | 準優勝 | 8チーム | 21 | 19 | 2 | 0.905 | |
2012/13シーズン | 3位 | 8チーム | 28 | 17 | 11 | 0.607 | |
2013/14シーズン | 4位 | 8チーム | 28 | 15 | 13 | 0.536 | |
2014/15シーズン | 7位 | 8チーム | 21 | 8 | 13 | 0.381 | |
2015/16シーズン | 3位 | 8チーム | 21 | 13 | 8 | 0.619 | |
2016/17シーズン | 優勝 | 8チーム | 21 | 15 | 6 | 0.714 | |
2017/18シーズン | 4位 | 8チーム | 21 | 14 | 7 | 0.667 | |
V・LEAGUE Division1 | 2018/19シーズン |
選手・スタッフ
選手
バレーボールの ポジション |
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|
2018年8月27日版[9][10]
背番号 | 名前 | シャツネーム | 国籍 | P | 備考 |
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1 | 富松崇彰 | TOMIMATSU | 日本 | MB | |
2 | 高橋健太郎 | TAKAHASHI | 日本 | MB/OP | |
3 | 伏見大和 | FUSHIMI | 日本 | MB | |
4 | アントニン・ルジェ | フランス | OP | ||
5 | 米山裕太 | YONEYAMA | 日本 | WS | |
6 | 渡辺俊介 | WATANABE | 日本 | L | 主将 |
7 | 峯村雄大 | MINEMURA | 日本 | WS | |
8 | 瀬戸口竜矢 | SETOGUCHI | 日本 | WS | |
9 | 阿部裕太 | ABE | 日本 | S | コーチ兼任 |
10 | 星野秀知 | HOSHINO | 日本 | WS | 主将 |
11 | 戸嵜嵩大 | TOZAKI | 日本 | WS | |
13 | ファンの皆様 | サポーター | |||
15 | 李博 | LEE | 日本 | MB | |
16 | 落合一貴 | OCHIAI | 日本 | WS | |
18 | 鈴木悠二 | SUZUKI | 日本 | WS | |
21 | 藤井直伸 | FUJII | 日本 | S | 副将 |
22 | 井手智 | IDE | 日本 | L |
スタッフ
2018年7月24日版[10][11]
役職 | 名前 | 国籍 | 備考 |
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部長 | 山野春雄 | 日本 | |
副部長 | 濵野今日子 | 日本 | |
監督 | 小林敦 | 日本 | |
コーチ | 篠田歩 | 日本 | |
コーチ兼選手 | 阿部裕太 | 日本 | |
メディカルトレーナー | 足立清 | 日本 | |
アスレティックトレーナー | 加藤翔 | 日本 | |
アナリスト | 渡辺拓人 | 日本 | |
シニアマネージャー | 山本太二 | 日本 | |
マネージャー | 渡辺久美 | 日本 | |
総務 | 林有紀奈 | 日本 |
在籍していた主な選手
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脚注
- ^ ab“チーム紹介”. 東レ・アローズ. 2013年10月19日閲覧。
- ^ ab“FAQ”. 東レ・アローズ. 2013年10月19日閲覧。
- ^ abc“チーム沿革”. Vリーグ機構. 2013年10月19日閲覧。
^ “東レの悲願達成を阻止 改めて見せた宇佐美大輔の存在感”. バボChannet (2013年4月3日). 2013年10月19日閲覧。
^ 日本バレーボール協会. “男子・東レアローズの「平成26年度 天皇杯・皇后杯 全日本選手権大会」への出場辞退について”. 2014年12月12日閲覧。
^ 東レ・アローズ. “東レアローズ男子バレーボール部選手の不祥事について”. 2014年12月16日閲覧。
^ 日本バレーボール協会. “本会登録チーム所属選手の窃盗事件に関する処分について”. 2014年12月27日閲覧。
^ “【レポート】東レが2連勝で8年ぶり3度目の戴冠!!~V・ファイナルステージ 男子グランドファイナル(3/19)~”. Vリーグ機構. 2017年4月1日閲覧。
^ “選手紹介”. 東レアローズ. 2018年8月27日閲覧。
- ^ ab“チーム登録選手”. Vリーグ機構. 2017年8月14日閲覧。
^ “スタッフ紹介”. 東レ・アローズ. 2018年7月24日閲覧。
関連項目
- 東レ・アローズ (男子バレーボール)の歴代選手・スタッフ一覧
- 東レ・アローズ (女子バレーボール)
外部リンク
- 東レ・アローズ男子バレーボールチーム
- Vリーグ - チーム概要
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