バレーボールアメリカ合衆国男子代表
バレーボールアメリカ合衆国男子代表 | |
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国または地域 | アメリカ合衆国 |
大陸連盟 | 北中米バレーボール連盟 |
協会 | 合衆国バレーボール協会 |
監督 | ジョン・スパロー |
国名コード | USA (United States of America) |
FIVBランキング | 2位(2017年7月版)[1] |
オリンピック | |
出場回数 | 11回 |
初出場 | 1964 東京 |
最高成績 | 1 金メダル(1984、1988、2008) |
世界選手権 | |
出場回数 | 15回 |
初出場 | 1956 世界選手権 |
最高成績 | 1 金メダル(1986) |
ワールドカップ | |
出場回数 | 9回 |
初出場 | 1977 ワールドカップ |
最高成績 | 1 優勝(1985) |
北中米選手権 | |
出場回数 | 22回 |
最高成績 | 1 優勝(1973、1983、1985、1999、2003、2005、2007) |
バレーボールアメリカ合衆国男子代表(バレーボールアメリカがっしゅうこく だんしだいひょう、英語: United States men's national volleyball team)は、バレーボールの国際大会で編成されるアメリカ合衆国の男子バレーボールナショナルチームである。
目次
1 概要
2 歴史
3 過去の成績
3.1 オリンピックの成績
3.2 世界選手権の成績
3.3 ワールドカップの成績
3.4 北中米選手権の成績
4 歴代監督
5 歴代コーチ
6 歴代代表選手
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
概要
他国に先駆けて1980年代中盤に、二人制サーブレシーブシステム、スーパーエースシステム(セッター対角に一番攻撃力のあるエースを配置)、バンチリードブロック[2](ダグ・ビル監督の考案[3])、アナリストとPCを駆使したリアルタイムデータバレーなど、画期的な戦法を考案した。
なお、同国のバスケットボール代表は元より、女子代表と比較しても、アフリカ系選手の数は少ない。競技人口に占める割合自体が少ない可能性がある。
歴史
1947年に国際バレーボール連盟へ加盟[4]。1980年代に入るまで中堅国に過ぎなかったが、1984年の自国で行われたロサンゼルスオリンピックで強豪を倒し、金メダルを獲得。このロサンゼルスオリンピックではソ連が参加をボイコットしたため、ソ連が出場していなかったおかげで優勝できたと言われたが、1988年のソウルオリンピックの決勝で宿敵のソ連を破り、2連覇を果たした。1980年代後半は世界選手権、ワールドカップでも金メダルを獲得するなど輝かしい成績を残した。
2008年北京五輪では決勝で2002年以降の主要大会で全て優勝してきたブラジルを破り、金メダルを獲得。メダルの獲得は、1992年バルセロナ五輪以来16年ぶりだが、金メダルとしての獲得は1988年ソウル五輪以来20年ぶりである。
過去の成績
オリンピックの成績
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世界選手権の成績
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ワールドカップの成績
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北中米選手権の成績
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歴代監督
ヒュー・マッカーチョン
アラン・ナイプ
ジョン・スパロー
歴代コーチ
ゲーリー・サトウ
歴代代表選手
- カーチ・キライ
- スティーブ・ティモンズ
- ボブ・ストブルトリック
- クレイグ・バック
- ジェフ・ストーク
- ダグ・パーティ
- スコット・フォーチュン
- ロバート・サミュエルソン
- エリック・サトウ
- アダム・ジョンソン
- ロイ・ボール
- クレイトン・スタンリー
- ガブリエル・ガードナー
- ショーン・ルーニー
- デビット・リー
- リチャード・ランボーン
- ウィリアム・プリディ
- ライアン・ミラー
- ライリー・サーモン
- トーマス・ホフ
- ケビン・ハンセン
- スコット・タウジンスキー
脚注
^ “FIVB Senior World Ranking - Men”. FIVB. 2017年8月22日閲覧。
^ 眞鍋政義「精密力」p.106
^ SPORTS COMMUNICATIONS - 川北元(全日本女子バレーボールチーム戦術・戦略コーチ)<前編>「既成概念破りの“ハイブリッド6”」
^ “Norceca Volleyball Confederation (NORCECA)”. FIVB. 2010年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月30日閲覧。
関連項目
- バレーボールアメリカ合衆国女子代表
外部リンク
バレーボールアメリカ合衆国男子代表(英語)
合衆国バレーボール協会(英語)