エニウェトク環礁
座標: 北緯11度30分 東経162度20分 / 北緯11.500度 東経162.333度 / 11.500; 162.333
エニウェトク環礁(Eniwetok Atoll)とは中部太平洋、マーシャル諸島にある環礁。円周80kmのラグーンとその周囲のおよそ40の島からなり、島の面積は合計6km2以下である。ラリック列島で2番目に西にある環礁で北緯11度30分、東経162度20分に位置する。人口は1990年現在で820人である。エニウェタク環礁とも呼ばれる。
エニウェトク環礁は1794年にイギリスの商船Walpoleが訪れるまでヨーロッパ人には知られていなかった。そして、1885年にドイツ領となるまでにも数十隻しか船は訪れなかった。他のマーシャル諸島の島同様、第一次世界大戦中の1914年に日本が占領する。1920年に日本の委任統治領となり、ブラウン環礁とも呼ばれた。
第二次世界大戦まで日本はこの環礁をほとんど無視していた。1942年11月、日本はEngebi島に飛行場を建設し、これはカロリン諸島や他のマーシャル諸島の島へ向かう飛行機が利用した。ギルバート諸島の陥落後、1944年1月4日に日本陸軍は島の防衛のため海上機動第一旅団を派遣したが、2月のアメリカ軍の侵攻の前に防御を固めることはできず、環礁はアメリカ軍が占領した(エニウェトクの戦い)。
戦後住人は立ち退かされ、環礁は太平洋核実験場の一部となり、1948年から1962年までアメリカ合衆国の核実験に使われた。1948年4月30日のサンドストーン作戦(エックスレイ実験)を皮切りに、1952年には最初の水爆実験アイビー作戦(Operation Ivy)が行われた。
核爆発による雲の調査のため1957年、1958年には幾つかのロケットが打ち上げられた。
1970年代に住民が島に戻り始めた。1977年5月15日、アメリカ政府は汚染された土壌などの除去を開始した。そして1980年に安全宣言が出されたが、30年を経ても島ではヤシの木や穀物が育たなかった。現在も島の北半分は放射能汚染レベルが高く活用できず、南半分で生活している。取り除いた放射能汚染物質をコンクリートで格納したルニットドームも存在する。プルトニウムの半減期は2万4000年だが、コンクリートの耐用年数は長くて100年であり、すでにひび割れも始まっている。
ギャラリー
1944年に環礁を攻撃する米軍
1948年4月14日に行われたサンドストーン作戦X-Ray実験
1952年11月1日に行われたアイビー作戦マイク実験
1952年11月1日に行われたアイビー作戦マイク実験で生じた巨大なキノコ雲
グリーンハウス作戦ジョージ実験の爆発20ミリ秒後の火球
1952年11月15日に行われたアイビー作戦キング実験
レッドウィング作戦セミノール実験(爆発直後)
レッドウィング作戦セミノール実験(放射性降下物が降り注ぐ様子)
ハードタック作戦アンブレラ水中実験で発生した巨大な水柱
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エニウェトク環礁で行われた3回の核実験の映像
関連項目
- ビキニ環礁
- 沈降説
- ラリック列島
- マーシャル諸島
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