新宅洋志




















































新宅 洋志
基本情報
国籍
日本の旗 日本
出身地
島根県浜田市片庭町
生年月日
(1943-12-19) 1943年12月19日(74歳)
身長
体重

175 cm
80 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
捕手
プロ入り
1965年 ドラフト2位
初出場
1966年
最終出場
1978年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴




  • 島根県立浜田高等学校

  • 駒澤大学


  • 中日ドラゴンズ (1966 - 1978)




コーチ歴



  • 中日ドラゴンズ (1984 - 1989, 1992 - 1994)



新宅 洋志(しんたく ひろし、1943年12月9日 [1]- )は、島根県出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。




目次






  • 1 経歴


  • 2 人物


  • 3 詳細情報


    • 3.1 年度別打撃成績


    • 3.2 記録


    • 3.3 背番号




  • 4 脚注


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





経歴


浜田高では1961年の夏の甲子園島根県予選準決勝に進出するが、大社高の若月宏之投手(立大-全大丸)に抑えられ敗退。甲子園には出場できなかった。高校卒業後、同期の竹野吉郎外野手とともに駒澤大学へ進学。東都大学リーグでは1962年から春季リーグ3回連続優勝。1964年には左腕エース盛田昌彦(北海道拓殖銀行)を擁し、全日本大学野球選手権大会決勝で早大を降し優勝した。同年10月には、東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に捕手、五番打者として出場している。リーグ通算85試合出場、301打数70安打、打率.233、3本塁打、38打点。最高殊勲選手1回(1964年春季)、ベストナイン4回受賞。


1966年に中日ドラゴンズへ入団。捕手としてのポテンシャルは優れていたが、打力で勝る木俣達彦が正捕手に君臨していた為、出場機会は少なかった。しかし、木俣が故障した1967年には88試合に出場し、オールスターゲームにも選出されている。その後も貴重な二番手捕手、右の代打として活躍した。1978年限りで現役引退。


引退後は東海テレビ・東海ラジオ野球解説者、球団スカウトなどを歴任し、1984年~1989年、1992年~1993年には中日の一軍バッテリーコーチ、1994年は二軍バッテリーコーチを務めた。その後は全国担当のスカウト、少年野球担当も務め、NPB12球団ジュニアトーナメントでは中日ジュニアチームの監督を務めており、2008年大会では優勝を果たした。2011年末に退団。



人物


1975年9月10日、首位を走り初優勝に邁進する広島東洋カープと2位の中日ドラゴンズが広島市民球場で対戦。9回裏二死、1点を追う広島が山本浩二の中前打で二塁走者の三村敏之が本塁に突入[2]。クロスプレーとなったが、新宅が三村の顔面にタッチしアウト。4対5で中日が逃げ切った[2]。これに三村が激怒し両軍選手及びファンもグラウンドに入り乱れての大乱闘となり、翌日の試合は中止という異常事態となった(山本文男の項目も参照)[2]



詳細情報



年度別打撃成績




























































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1966

中日
37 48 45 2 7 0 0 0 7 1 1 0 1 0 1 0 1 9 3 .156 .191 .156 .347

1967
88 264 242 24 52 7 0 6 77 24 1 1 6 0 14 4 2 43 3 .215 .264 .318 .582

1968
66 133 122 5 25 4 0 1 32 9 1 2 1 1 9 2 0 22 5 .205 .258 .262 .520

1969
40 85 75 4 17 3 1 1 25 6 0 1 2 0 8 1 0 11 1 .227 .301 .333 .635

1970
35 39 36 4 6 2 0 1 11 2 0 0 2 0 1 0 0 6 1 .167 .189 .306 .495

1971
60 69 63 2 12 2 0 0 14 3 0 1 0 0 5 0 1 9 2 .190 .261 .222 .483

1972
28 49 42 3 6 2 1 0 10 1 0 0 0 0 7 1 0 16 1 .143 .265 .238 .503

1973
51 87 76 2 14 2 0 0 16 4 0 0 1 1 9 0 0 14 3 .184 .267 .211 .478

1974
42 48 46 4 10 1 0 0 11 4 0 0 0 0 2 0 0 7 1 .217 .250 .239 .489

1975
54 73 64 1 16 2 0 1 21 8 2 0 1 1 7 1 0 12 3 .250 .319 .328 .648

1976
52 73 65 5 20 3 1 0 25 8 1 0 3 0 5 0 0 6 5 .308 .357 .385 .742

1977
20 20 20 0 5 1 0 0 6 3 0 0 0 0 0 0 0 3 2 .250 .250 .300 .550

1978
28 27 23 2 6 0 0 0 6 4 0 0 1 0 3 0 0 6 1 .261 .346 .261 .607
通算:13年
601 1015 919 58 196 29 3 10 261 77 6 5 18 3 71 9 4 164 31 .213 .272 .284 .556


記録



  • オールスターゲーム出場:1回 (1967年)


背番号




  • 19 (1966年 - 1970年)


  • 7 (1971年 - 1978年)


  • 79 (1984年 - 1989年)


  • 86 (1992年)


  • 93 (1993年 - 1994年)



脚注


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  1. ^ 一般社団法人日本野球機構. “新宅 洋志(中日ドラゴンズ) | 個人別年度成績” (日本語). NPB.jp 日本野球機構. 2018年9月27日閲覧。

  2. ^ abc“【8月3日】1975年(昭50) 巨人は蚊帳の外 0・5差でセ4強がデットヒート”. スポーツニッポン (2007年8月3日). 2012年12月27日閲覧。




関連項目



  • 島根県出身の人物一覧

  • 駒澤大学の人物一覧

  • 中日ドラゴンズの選手一覧



外部リンク


  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)




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