白仁鉄
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基本情報 | |
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階級 | スーパーミドル級 |
身長 | 178cm |
リーチ | 183cm |
国籍 | 大韓民国 |
誕生日 | (1961-12-20) 1961年12月20日(56歳) |
出身地 | 忠清南道天安市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 50 |
勝ち | 47 |
KO勝ち | 43 |
敗け | 3 |
白 仁鉄(ペク・インチョル、朝鮮語: 백인철、英語: In Chul Baek、1961年12月20日 - )は、大韓民国(韓国)の元男子プロボクサー。現役時代は世界ボクシング協会 (WBA)世界スーパーミドル級王座を2度防衛しており、メジャー4団体にてアジア出身のボクサーとしては史上最も重い階級での世界王者となった。
デビュー以来、初敗戦を喫するまで全KO勝ち(26戦26勝26KO)を収めた。これは、男子プロボクシングのアジアおよびオセアニア記録となっている。
目次
1 来歴
2 脚注
3 関連項目
4 外部リンク
来歴
1980年5月9日、プロデビュー。
1981年12月27日、東洋太平洋ボクシング連盟 (OPBF)東洋スーパーウェルター級王座決定戦で李尚虎( 韓国)と対戦し、12回KO勝ちで王座を獲得した。
1982年3月21日、宮田賢二( 日本、ヨネクラジム)とノンタイトルマッチで対戦し、9回KO勝ち。
1982年6月13日、堀畑道弘( 日本、協栄山神ジム)と対戦し、2回KO勝ちで2度目の防衛に成功した。
1982年10月23日、新井容日( 日本、大星ジム)と対戦し、10回KO勝ちで3度目の防衛に成功した。
1983年3月27日、金宗縞( 韓国)と対戦し、7回KO勝ちで5度目の防衛に成功。デビュー以来、26連続KO勝ちを記録した。
1983年5月20日、ショーン・マニオン( アイルランド)とノンタイトルマッチで対戦し、判定負け。キャリア初黒星となった。
1983年7月10日、新井容日と再戦し、5回KO勝ちで6度目の防衛に成功した。
1984年3月24日、マイク・デ・グスマン( アメリカ合衆国)と対戦し、3回KO勝ちで7度目の防衛に成功した。
1984年7月、王座を剥奪され、7月23日に改めてOPBF東洋スーパーウェルター級王座決定戦に出場。アルバート・パパイモ( インドネシア)と対戦し、4回KO勝ちで王座に返り咲いた。同王座は6度の防衛に成功した。
1987年11月21日、WBA世界スーパーウェルター級王座決定戦でジュリアン・ジャクソン( アメリカ合衆国)と対戦し、3回TKO負けで世界王座獲得ならず。
1988年4月17日、階級を上げOPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦でウディアナ( インドネシア)と対戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した。同王座は1度の防衛に成功した。
1988年12月22日、元WBA・国際ボクシング連盟 (IBF)世界スーパーミドル級王者朴鍾八( 韓国)とノンタイトルマッチで対戦し、8回KO勝ち。
1989年5月28日、WBA世界スーパーミドル級王者フルヘンシオ・オベルメヒアス( ベネズエラ)に挑戦し、11回KO勝ちで世界王座を獲得した。
1990年1月13日、田島吉秋( 日本、ベル協栄ジム)と対戦し、7回終了時に棄権TKO勝ちで2度目の防衛に成功した[1]。この試合で右拳を負傷した。
1990年3月30日、3度目の防衛戦でクリストフ・ティオゾ( フランス)と対戦し、6回TKO負けで王座から陥落した。この試合を最後に引退した。
脚注
^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
関連項目
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
- 東洋太平洋ボクシング連盟王者一覧(OPBF)世界王者一覧
外部リンク
白仁鉄の戦績 - BoxRec(英語)
백인철(白仁鐵) - ウェイバックマシン(2016年10月24日アーカイブ分) - 韓国拳闘連盟
WBA世界スーパーミドル級王者 [表示] | ||
前 | 在位期間 | 後 |
フルヘンシオ・オベルメヒアス | 1989年5月28日 - 1990年3月30日 | クリストフ・ティオゾ |