石上神宮
















































石上神宮

Isonokami Jingu Haiden1.jpg
拝殿(国宝)
所在地
奈良県天理市布留町384
位置
北緯34度35分52秒
東経135度51分07秒
座標: 北緯34度35分52秒 東経135度51分07秒
主祭神
布都御魂大神
神体
布都御魂剣

社格等

式内社(名神大)
二十二社(中七社)
旧官幣大社
別表神社
創建
(伝)崇神天皇7年
本殿の様式

流造
札所等
神仏霊場巡拝の道19番(奈良6番)
例祭
10月15日
地図

石上神宮の位置(奈良県内)

石上神宮

石上神宮



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大鳥居



石上神宮(いそのかみじんぐう)は、奈良県天理市布留町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。




目次






  • 1 社名


  • 2 祭神


  • 3 歴史


  • 4 境内


  • 5 摂末社


    • 5.1 摂社


    • 5.2 末社




  • 6 祭事


  • 7 文化財


    • 7.1 国宝


    • 7.2 重要文化財(国指定)


    • 7.3 奈良県指定文化財


    • 7.4 その他




  • 8 忌火職


  • 9 現地情報


  • 10 脚注


  • 11 参考文献


  • 12 関連項目


  • 13 外部サイト





社名


別名として、



  • 石上振神宮[1]

  • 石上坐布都御魂神社

  • 石上布都御魂神社

  • 石上布都大神社

  • 石上神社

  • 石上社

  • 布留社

  • 岩上大明神

  • 布留大明神


などがある。幕末 - 明治期には地元で「いわがみさん」と呼ばれていた[2]


なお『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば日本最古設立の神宮となる。



祭神



主祭神



  • 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ) - 神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊。




配神



  • 布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ) - 十種神宝に宿る神霊。

  • 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ) - 天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊。


  • 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)


  • 五十瓊敷命(いにしきのみこと)

  • 白河天皇

  • 市川臣命(いちかわおみのみこと) - 天足彦国押人命(孝昭天皇皇子)後裔で、石上神宮社家の祖。





歴史


古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する。非常に歴史の古い神社で、『古事記』・『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述がある。古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。古くは斎宮が居たという。その中で、本当に斎宮であったかどうか議論が多いが、布都姫という名が知られている。また、神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称しており、伊勢神宮の古名とされる「磯宮(いそのみや)」と「いそのかみ」とに何らかの関係があるのかが興味深い。


社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(夢に天照大神、高木神、建御雷神が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡った。その後物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。


社伝ではまた一方で、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から当社へ遷されたとも伝えている。この剣は石上布都魂神社では明治以前には布都御魂剣と伝えていたとしている。


垂仁天皇39年には剣一千口と神宝が納められ、天武天皇3年(674年)には忍壁皇子(刑部親王)を派遣して神宝を磨かせ、諸家の宝物は皆その子孫に返還したはずだが、日本後紀 巻十二 桓武天皇 延暦二十三年(804年)二月庚戌 条に、代々の天皇が武器を納めてきた神宮の兵仗を山城国 葛野郡に移動したとき、人員延べ十五万七千余人を要し、移動後、倉がひとりでに倒れ、次に兵庫寮に納めたが、桓武天皇も病気になり、怪異が次々と起こり、使者を石上神宮に派遣して、女巫に命じて、何故か布都御魂ではなく、布留御魂を鎮魂するために呼び出したところ、女巫が一晩中怒り狂ったため、天皇の歳と同じ数の69人の僧侶を集めて読経させ、神宝を元に戻したとある。当時それほどまで多量の神宝があったと推測される。


神階は850年(嘉祥3年)に正三位、859年(貞観元年)に従一位、868年(貞観9年)に正一位。『延喜式神名帳』には「大和国山辺郡 石上坐布留御魂神社」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預り、臨時祭も執り行われると記されている。『延喜式』の「臨時祭」の項では殿舎と神門の鑰を宮中で保管し容易には開かないと記されている。


中世以降は布留郷の鎮守となったが、興福寺と度々抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発、戦国時代に入ってからは織田信長の勢力に負け、神領も没収された。しかし、氏子たちの信仰は衰えず、1871年(明治4年)には官幣大社に、1883年(明治16年)には神宮号を再び名乗ることが許された。


この神社には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていた。1874年の発掘を期に、出土した刀(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため本殿を建造(建造のための1878年の禁足地再発掘でも刀(天羽々斬剣)が出土し、これも奉斎した)。1913年には、本殿が完成した。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれている。



境内




楼門(重要文化財)




石上神宮の神使、鶏



拝殿


入母屋造、檜皮葺。白河天皇が新嘗祭を行う皇居の神嘉殿を拝殿として寄進したとの伝承があるが、実際の建立年代は鎌倉時代初期とみられる。仏堂風の外観をもち、貫(柱を貫通する水平材)を多用するなど、大仏様(だいぶつよう)の要素がみられる。国宝に指定。





七十二候にちなんで東天紅鶏・烏骨鶏など約30羽が境内に放し飼いされている[3][4][5]



摂末社



摂社




摂社出雲建雄神社 拝殿(国宝)



  • 出雲建雄神社


    • 祭神:出雲建雄神 (草薙剣の荒魂、縁起では「吾は尾張の氏の女が祭る神である。」とあり宮簀媛を示すとされる)


    • 式内社。社殿は切妻造、檜皮葺。内山永久寺(天理市杣之内町にあった寺院、明治時代初期に廃絶)の鎮守社拝殿だった建物を1914年に移築したもの。正安2年(1300年)頃の建立。桁行5間の建物の中央1間分を土間の通路とした「割拝殿」と呼ばれる形式の拝殿である。国宝に指定されている。



  • 天神社
    • 祭神: 高皇産霊神、神皇産霊神


  • 七座社
    • 祭神: 生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神、大直日神[6]


  • 猿田彦神社
    • 祭神:猿田彦大神、住吉大神、高靇神



上記4社は拝殿よりも南であるが、石段の上の隣接した高い位置にある。そのため拝殿前の中庭から見ると、楼門がまるで4社の楼門であるかの様に見える。なお、斎宮が居た場所は上記4社(西向)の真裏(東隣)と伝えられる。



末社



  • 神田神社
    • 祭神: 高倉下命


  • 祓戸神社
    • 祭神: 祓戸大神(聖域につき神職者以外は参拝不可)


  • 恵比須神社
    • 祭神: 事代主神 - 境外末社




祭事




文化財



国宝



  • 拝殿(建造物)
    鎌倉時代前期の造営。明治39年4月14日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、昭和29年3月20日に文化財保護法に基づき国宝に指定[7]


  • 摂社出雲建雄神社拝殿(建造物)
    鎌倉時代後期、正安2年(1300年)の造営。大正5年5月24日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、昭和29年3月20日に文化財保護法に基づき国宝に指定[8]



  • 七支刀(考古資料)

    古墳時代の作で、石上神宮伝世品。両刃の剣の左右に3つずつの小枝を突出させたような特異な形状を示す。金象嵌で記された銘文の中に「泰□四年」の年紀を有するが、「泰和四年(西暦369年)」に比定する説が有力で、その頃の百済での作と推定される。かつては神剣渡御祭(でんでん祭)で持ち出され、祭儀の中心的役割を果たした(詳細は「七支刀」を参照)。

    昭和24年5月30日に国の重要文化財に指定、昭和28年11月14日に文化財保護法に基づき国宝に指定[9]





重要文化財(国指定)





鉄盾(2枚のうち東京国立博物館寄託品、国の重要文化財)




  • 楼門(建造物)
    鎌倉時代後期、文保2年(1318年)の造営。正面には山縣有朋の筆による「萬古猶新」と記された木額が掲げられている。明治39年4月14日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行により国の重要文化財に指定[10]


  • 色々威腹巻 兜・壺袖付(工芸品)
    室町時代の作。明治34年3月27日指定[11]


  • 鉄盾 2枚(考古資料)
    古墳時代の作で、石上神宮伝世品。元禄12年(1699年)『石上大明神縁起 坤』では盾が3枚あったと記されており、1枚は失われたようだ。大きい方[12]は石上神宮保管、小さい方[13]は東京国立博物館に寄託されている。盾の模様は、一部の木盾や革盾で用いられる鍵手文を踏襲している[14]。一見するとそっくりな両者だが、よく見ると違いが見て取れる。石上神宮保管品は、鍵手文をよく理解しており制作手順が規則的で、鋲の直径が5mmと3mmのものが混在し、鉄板の厚さは2.4mmである。一方東博寄託品は、鍵手文の理解が不足し制作手順に規則性が見られず、鋲の直径は5~6mmで一定し、厚さは約3mmと2割ほど厚い。そのため東博寄託品のほうが、少し後に作られたと考えられる。また中世の石上神宮では、強訴などで鉄盾を持ち出すこともあったことから、古墳時代に作られた神宮保管品を手本に、中世に強訴など持ち出され破損・破棄された盾を補うために作られたのが東博寄託品とする説がある[15]。昭和24年5月30日指定[16]


  • 石上神宮禁足地出土品(考古資料)
    明細は以下。奈良国立博物館に寄託。明治30年12月28日「勾玉類11箇」として指定[17]、昭和33年2月8日追加指定[18]


    • 硬玉勾玉 11箇

    • 碧玉管玉 一括

    • 硬玉棗玉等 10箇

    • 碧玉琴柱形石製品 1箇

    • 金銅鐶 3箇

    • 金銅垂飾品 1箇

    • 環頭大刀柄頭 1箇

    • 銅鏃 2本

    • (附指定)金銅球形製品 1箇

    • (附指定)銅鏡 2面

    • (附指定)鏡形銅製品 2面





奈良県指定文化財



  • 有形文化財

    • 太刀「銘義憲作」(工芸品) - 昭和28年3月23日指定[19]

    • 須恵大甕(考古資料) - 昭和34年7月23日指定[19]



  • 天然記念物

    • 石上神宮鏡池棲息ワタカ - 昭和28年3月23日指定[19]

    • 石上神宮社そう - 平成7年3月22日指定[19]



  • 有形民俗文化財
    • 石上神宮祭礼渡御図絵馬 2対 - 昭和63年3月22日指定[19]




その他



  • 朱札紅糸素懸威鉄腹巻

  • 黒塗練革星兜鉢

  • 十六間筋兜鉢

  • 古備前義憲作太刀 小狐丸



忌火職


皇室・出雲国造と同じく、世襲の忌火(いんび)職があり、江戸時代まで物部氏の本宗として、代々森家が務めた。現在の宮司も森家出身。


忌火とは、本来神饌を煮炊きする、火鑽(ひきり)によって得た神聖な火の意味。石上神宮の長官職を意味し、皇室の大嘗祭、出雲国造の火継式(神火相続式)に似た、神主の忌火成り神事が行われた。


酒殿社(現存せず。柿本人麻呂の碑の西にあった。同地より、胴径160cmの巨大な古墳時代の須恵器大甕が発掘されている。)に臨時の清浄殿が設けられ、神主はそこに籠もり、忌火が鑽り出され、その火によって神聖な食事をし、現人神となった神主は、比礼(千早?)を肩に掛け、布留山の榊・梅の楚(すわえ:若枝のこと)を持って行進し、忌火になったことを示した。



現地情報


所在地



  • 奈良県天理市布留町384

交通アクセス



  • 天理駅(近鉄・JR)から

    • 徒歩:約30分

    • バス:奈良交通バス 苣原(ちしゃわら)経由 国道針行きまたは針インター行きで「石上神宮前」バス停下車 (下車後徒歩5分) - 1日3~4往復の運行。




脚注


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  1. ^ 日本書紀巻12、履中天皇代に拠る


  2. ^ 天理教の初期資料より。


  3. ^ 鶏始乳の意味


  4. ^ ニワトリ


  5. ^ 天理市のパワースポット石上神宮~武具と鶏に彩られた不思議な空間


  6. ^ 天神社は西面に、七座社は北面に向き建立され、古来より神宮の鎮魂祭に関係が深く創建時より現存地に鎮座するとされる。


  7. ^ 石上神宮拝殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)


  8. ^ 石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)


  9. ^ 七支刀 - 国指定文化財等データベース(文化庁)


  10. ^ 石上神宮楼門 - 国指定文化財等データベース(文化庁)


  11. ^ 色々威腹巻〈兜、壺袖付/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁)


  12. ^ 縦143.0cm、上幅73.6cm、中央幅67.6cm、下幅79.7cm。鉄鋲数約900個。


  13. ^ 縦140.4cm、上幅70.5cm、中央幅65.0cm、下幅77.4cm。鉄鋲数約650個。


  14. ^ 櫻井久之 「鍵手文の盾 ―文様から見た石上神宮鉄盾の出現背景―」『大阪歴史博物館 研究紀要 第5号』 2006年10月30日、pp.41-62。


  15. ^ 伊藤純 「石上神宮鉄盾観察記 ―適切な展示で判ったこと―」『大阪歴史博物館 研究紀要 第4号』 2005年10月30日、pp.13-21。同 『歴史探索の面白さ―近世の人々と歴史観―』 和泉書院〈和泉選書185〉、2017年4月1日、pp.186-197。


  16. ^ 鉄盾 - 国指定文化財等データベース(文化庁)


  17. ^ 文部省宗教局保存課編・刊行『国宝(宝物類)目録』、1940、p.370(参照:[1])


  18. ^ 昭和33年2月8日文化財保護委員会告示第9号

  19. ^ abcde『天理市文化財・遺跡分布地図 天理市内の指定文化財』 天理市教育委員会、2016年、pp. 46-47。




参考文献



  • 『日本「神社」総覧最新版』(1996年、新人物往来社)

  • 『石上神宮』(1999年、石上神宮社務所)

  • 和田萃編『古代を考える 山辺の道 古墳・氏族・寺社』(石上神宮禰宜白井伊佐牟、1999年、吉川弘文館)

  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』8号(石上神宮 天理大学)、朝日新聞社、1997



関連項目



  • 布都御魂剣

  • 十種神宝



外部サイト












  • 石上神宮 - 公式サイト


  • 石上坐布留御魂神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」











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