丹羽長次






丹羽長次


丹羽 長次(にわ ながつぐ、寛永20年9月15日(1643年10月27日) - 元禄11年6月26日(1698年8月2日))は、陸奥二本松藩の第2代藩主。丹羽家第3代。先代藩主・丹羽光重の長男。母は安藤重長の娘。通称は鍋丸、大膳。官位は従四位下、左京大夫。正室は蜂須賀光隆の娘・幸姫。


承応2年(1653年)3月15日、将軍徳川家綱にお目見えする。万治元年(1658年)閏12月27日、従五位下若狭守に叙任する。延宝3年(1675年)12月26日、従四位下に昇進する。延宝7年(1679年)4月7日、父光重の隠居により、家督を継ぐ。元禄5年(1692年)12月18日、侍従に任官する。元禄11年に死去したが、実子に恵まれなかったため、跡を弟の長之が継いだ。


『土芥寇讎記』には、「父親(光重)は美童を甚だしく愛して問題が多かったが、息子(長次)にはその気配はない」「父は儒学の素養があったが息子にはない」と書かれており、「善に非ず悪に非ず」の普通の人、とされている。







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