東宝スタジオ
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年9月) |
東宝スタジオ TOHO STUDIOS | |
---|---|
メインゲート前の壁画とゴジラ像 | |
情報 | |
用途 | 映画及び映像作品の撮影、編集ほか |
事業主体 | 東宝株式会社 |
管理運営 | 株式会社東宝スタジオサービス |
敷地面積 | 78,000 m² |
竣工 | 1932年 |
開館開所 | 1932年10月25日 |
改築 | 2008年 - 2011年 |
所在地 | 〒157-8561 東京都世田谷区成城1丁目4-1 |
座標 | 北緯35度38分4.8秒 東経139度36分15秒 / 北緯35.634667度 東経139.60417度 / 35.634667; 139.60417座標: 北緯35度38分4.8秒 東経139度36分15秒 / 北緯35.634667度 東経139.60417度 / 35.634667; 139.60417 |
東宝スタジオ(とうほうスタジオ)は、日本のスタジオである。東京都世田谷区成城・砧にある東宝の映画・テレビのスタジオであることから、東宝撮影所(とうほうさつえいじょ)、砧撮影所(きぬたさつえいじょ)と通称される(ちなみに映像業界内で単に“東宝”に行く・いる・で撮影しているなどと言った場合、このスタジオの事を指す)。
日本国内の撮影スタジオでは最大規模であり、東映京都撮影所・東映東京撮影所・日活撮影所・角川大映撮影所などと並び日本の映像業界を代表する撮影スタジオである。
目次
1 歴史
2 概要
2.1 施設・サービス
3 おもなフィルモグラフィ
3.1 戦前
3.2 戦後 1940年代
3.3 1950年代
3.4 1960年代
3.5 1970年代
3.6 1980年代
3.7 1990年代
3.8 2000年代
3.9 2010年代
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
歴史
1932年(昭和7年) - 写真化学研究所(PCL)が同地に映画スタジオを竣工、「ピー・シー・エル映画製作所」とした。当初は録音専門のスタジオであったが、1933年(昭和8年)、『音楽喜劇 ほろよひ人生』を皮切りに自主製作に踏み切る。
1937年(昭和12年) - 小型スタジオのNo.3・5ステージ(後にNo.5・6ステージと改称)を建設。
- 1937年(昭和12年) - PCL、PCL映画製作所が、京都のJ.O.スタヂオと合併して「東宝映画株式会社」となったのに伴い、「東宝映画東京撮影所」と改称される。中型のNo.6・7ステージ建設(2002年に解体)。
1941年 - 京都撮影所(旧JO)が閉鎖され、さらに東宝映画が東京宝塚劇場と合併して、現在の東宝株式会社となった。以来、東宝撮影所、砧撮影所と呼ばれるようになる。
1948年(昭和23年) - 東宝争議の舞台となり、混乱して一時映画製作を中止するが再開する。
1971年(昭和46年) - 現在の「東宝スタジオ」に改称されて、もっぱら貸しスタジオとなる。
2003年(平成16年) - 総額50億円をかけて「スタジオ改造計画」を開始。スタジオ・施設の増改築やポストプロダクション施設の最新化を進める。
2008年(平成20年) - 第1次スタジオ改造計画完了。6つの新ステージと5つの施設が完成。
2009年(平成21年)1月 - 第2次スタジオ改造計画が発表された。新たに2つの新ステージとポストプロダクションセンター、スタッフルーム棟2棟の建設が発表された。計画の一次段階と合わせた総工費は約100億円。
2010年(平成22年) - 2004年から始まったスタジオ改造計画により、No.1・2・5・6ステージ解体。最新のポストプロダクションセンターと新No5・6ステージとスタッフルーム棟が完成した。現在も敷地内を横断する道路やメインゲート周辺の工事が進行中である。
2011年(平成23年) - 2003年から始まったスタジオ改造計画が完了し、新たにステージ8棟・スタッフルーム棟2棟・キャストルーム棟・装飾棟・大道具棟などを建設。スタジオの内の建物の90%以上が建て替えられた。
概要
施設・サービス
約79,000m2(約24,000坪)の敷地内に撮影用ステージ10棟(8棟の映画・テレビ用ステージと2棟のCM専用ステージ(スチールスタジオ完備)があり、2棟のポストプロダクションスタジオ、大道具関連会社2社と塗装会社・衣装会社(東宝コスチューム)の入る大道具棟、美術小道具会社(東宝映像美術)と以下の施設がある。
「オフィスセンター」東宝関連4社が事務所をもつ(公式ページ参照)。
映画用の8番9番ステージの床面積は32×41.4メートル、1,325平方メートル(402坪)。
「アクターズセンター」は、35部屋のキャストルーム(控え室)、7列1部屋のメイクルーム、5部屋の衣装部屋、フィッティングルーム、リハーサルルーム、約80人収容の会議室(面積138m2)、130席のカフェテリアを備える。
「プロダクションセンター」は、38部屋のスタッフルーム(事務所用の貸部屋)、14部屋の作品倉庫(貸倉庫)を備える。
2008年完成の大道具棟にはスタッフルーム等の他にシャワールーム、更衣室、ランドリーがあり、スタジオに入る作品のスタッフは自由に利用できる。撮影用の照明機材、特機等も一部だがレンタル可能である。
過去には特撮用の大プール(約4000m2、建設当時世界最大)も存在し数々の作品で使用されたが、近年は海上シーンなどをCGで表現する事が定着し特撮(ミニチュア撮影)などの需要減少や第1次スタジオ改造計画に伴い2004年に解体された。その規模の大きさは過去の東宝作品のメイキング映像などで窺い知ることはできる。現在は10番ステージの北側に小プール(10メートル×10メートル・深さ3メートル)がある他、7番ステージ床下に収納式のプールがある(使用頻度の低さから埋め立てが決まっている)。
2009年からの第2次スタジオ改造計画により映画用の1番・2番ステージとその間の技術課棟(1932年(昭和7年)完成で日本一古かった)と5番・6番ステージが解体され、2010年夏に新5番・6番ステージに生まれ変わった。
スタジオの主要施設内は、基本的には個人見学などは受け付けておらず、一般・部外者の立ち入りも原則禁止である(ただし、団体見学については事前に申し込めば行える場合もあるほか、不定期にスタジオを見学できるイベントも実施されている)。
おもなフィルモグラフィ
戦前
- 1933 『ほろよひ人生』
- 1934 『エノケンの青春酔虎伝』
- 1935 『妻よ薔薇のやうに』 、『噂の娘』
- 1937 『エノケンのちゃっきり金太』、 『女人哀愁』、『良人の貞操』、『人情紙風船』、『禍福』、『母の曲』
- 1938 『綴方教室』、『藤十郎の恋』、『鶴八鶴次郎』
- 1939 『まごころ』、『忠臣蔵』、『白蘭の歌』、『越後獅子祭』、『上海陸戦隊』
- 1940 『支那の夜』、『エノケンの孫悟空』、『蛇姫様』、『燃ゆる大空』、『熱砂の誓ひ』
- 1941 『馬』、『川中島合戦』、『指導物語』
- 1942 『ハワイ・マレー沖海戦』、『婦系図』
- 1943 『阿片戦争』、『姿三四郎』、『伊那の勘太郎』
- 1944 『一番美しく』
戦後 1940年代
- 1945 『続姿三四郎』
- 1946 『わが青春に悔なし』
- 1947 『素晴らしき日曜日』、『銀嶺の果て』
- 1948 『酔いどれ天使』
- 1949 『青い山脈』、『野良犬』
1950年代
- 1950 『暁の脱走』、『また逢う日まで』
- 1951 『めし』
- 1952 『虎の尾を踏む男達』、『生きる』
- 1953 『妻』、『太平洋の鷲』
- 1954 『七人の侍』、『宮本武蔵』、『ゴジラ』、『山の音』
- 1955 『浮雲』、『ゴジラの逆襲』、『ジャンケン娘』、『生きものの記録』
- 1956 『白夫人の妖恋』、『空の大怪獣ラドン』、『流れる』
- 1957 『蜘蛛巣城』、『大番』、『雪国』、『どん底』、『地球防衛軍』
- 1958 『無法松の一生』、『美女と液体人間』、『喜劇 駅前旅館』、『大怪獣バラン』、『裸の大将』、『隠し砦の三悪人』
- 1959 『社長太平記』、『独立愚連隊』、『日本誕生』、『宇宙大戦争』
1960年代
- 1960 『電送人間』、『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』、『悪い奴ほどよく眠る』、『独立愚連隊西へ』、『ガス人間第一号』
- 1961 『用心棒』、『大学の若大将』、『モスラ』、『世界大戦争』
- 1962 『椿三十郎』、『妖星ゴラス』、『日本一の若大将』、『ニッポン無責任時代』、『キングコング対ゴジラ』
- 1963 『社長漫遊記』、『太平洋の翼』、『天国と地獄』、『マタンゴ』、『ハワイの若大将』、『江分利満氏の優雅な生活』、『海底軍艦』
- 1964 『モスラ対ゴジラ』、『君も出世ができる』、『日本一のホラ吹き男』、『三大怪獣 地球最大の決戦』
- 1965 『怪談』、『赤ひげ』、『日本一のゴマすり男』、『太平洋奇跡の作戦 キスカ』、『フランケンシュタイン対地底怪獣』、『大冒険』、『怪獣大戦争』、『エレキの若大将』
- 1966 『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』
- 1967 『殺人狂時代』、『日本のいちばん長い日』、『怪盗ジバコ』、『乱れ雲』
- 1968 『首』、『怪獣総進撃』
- 1969 『俺たちの荒野』、『緯度0大作戦』、『華麗なる闘い』、『日本海大海戦』
1970年代
- 1971 『どですかでん』、『血を吸う眼』、『ゴジラ対ヘドラ』、『激動の昭和史 沖縄決戦』
- 1972 『忍ぶ川』
- 1973 『日本沈没』
- 1974 『華麗なる一族』、『血を吸う薔薇』、『ノストラダムスの大予言』、『伊豆の踊子』
- 1975 『青春の門』、『東京湾炎上』
- 1976 『犬神家の一族』、『大空のサムライ』
- 1977 『八甲田山』
- 1978 『聖職の碑』、『ブルークリスマス』
- 1979 『ああ野麦峠』
1980年代
- 1980 『影武者』
- 1981 『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』、『ブルージーンズメモリー』、『連合艦隊』、『駅 STATION』
- 1982 『幻の湖』、『海峡』
- 1983 『細雪』、『プルメリアの伝説』
- 1984 『さよならジュピター』、『夏服のイヴ』、『ゴジラ』
- 1985 『カリブ・愛のシンフォニー』、『乱』、『ビルマの竪琴』、『夜叉』、『雪の断章 -情熱-』
- 1986 『恋する女たち』
- 1987 『映画女優』、『竹取物語』
- 1989 『あ・うん』
1990年代
- 1991 『ゴジラvsキングギドラ』
- 1992 『ゴジラvsモスラ』
- 1993 『まあだだよ』
- 1994 『ラストソング』
- 1995 『四十七人の刺客』、『渚のシンドバッド』
- 1996 『八つ墓村』
- 1997 『誘拐』、『ラヂオの時間』
- 1998 『絆-きずな-』、『踊る大捜査線 THE MOVIE』
- 1999 『催眠』
2000年代
- 2000 『ホワイトアウト』
- 2001 『サトラレ』、『冷静と情熱のあいだ』
- 2002 『模倣犯』、『竜馬の妻とその夫と愛人』、『ゴジラ×メカゴジラ』
- 2003 『スパイ・ゾルゲ』、『踊る大捜査線 THE MOVIE2』、『g@me.』、『阿修羅のごとく』
- 2004 『ゴジラ FINAL WARS』、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『笑の大学』、『赤い月』
- 2005 『交渉人 真下正義』、『容疑者 室井慎次』、『タッチ』、『春の雪』、『ALWAYS 三丁目の夕日』
- 2006 『THE 有頂天ホテル』、『県庁の星』、『LIMIT OF LOVE 海猿』、『日本沈没』
- 2007 『犬神家の一族』、『愛の流刑地』、『それでもボクはやってない』、『アンフェア』、『眉山』、『そのときは彼によろしく』、『舞妓Haaaan!!!』、『西遊記』『HERO』、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』、『椿三十郎』、『マリと子犬の物語』
- 2008 『真夏のオリオン』、『BALLAD 名もなき恋のうた』、『ジェネラルルージュの凱旋』
- 2009 『なくもんか』、『ゼロの焦点』、『僕の初恋をキミに捧ぐ』、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』
2010年代
- 2010 『SP THE MOTION PICTURE 野望篇』、『SP THE MOTION PICTURE 革命篇』、『ゴールデンスランバー』、『岳 -ガク-』
- 2011 『ひみつのアッコちゃん』、『BRAVEHEARTS 海猿』、『あなたへ』、『鍵泥棒のメソッド』、『麒麟の翼』
- 2012 『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』、『ツナグ』、『今日、恋をはじめます』、『東京家族』
- 2013 『劇場版 SPEC〜結〜 漸ノ篇/爻ノ篇』[1]
- 2015 『幕が上がる』
脚注
^ PRODUCTION NOTES、『劇場版 SPEC〜結(クローズ)〜漸(ゼン)ノ篇/爻(コウ)ノ篇』OFFICIAL SITE、2013年12月7日閲覧。
関連項目
- ピー・シー・エル映画製作所
- 東宝映画配給
- 東宝映画
- 東宝ビルト
- 東洋音響
I Survived a Japanese Game Show(ジャパニーズゲームショー「マジで!?」)- 日本における撮影スタジオとして使用していた。
仙川 - スタジオ敷地を流れる多摩川水系の一級河川
ABCハウジング - 敷地内にある住宅展示場
外部リンク
- 東宝スタジオ
- 東宝株式会社
光跡 - 個人ページだがウルトラマンシリーズを中心に東宝スタジオを始め日活や東映など東京近郊の映画スタジオの歴史が詳しく記載されている。
|