浦和区
うらわく 浦和区 | |
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玉蔵院 | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
市 | さいたま市 |
団体コード | 11107-4 |
面積 | 11.51km2 |
総人口 | 160,457人 (推計人口、2018年10月1日) |
人口密度 | 13,941人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 | さいたま市(大宮区、見沼区、中央区、 南区、緑区) |
区の花 | ニチニチソウ |
区の色 | ■あか |
浦和区役所 | |
所在地 | 〒330-9586 埼玉県さいたま市浦和区常盤6丁目4番4号 北緯35度51分41.8秒東経139度38分43.8秒 |
外部リンク | さいたま市浦和区役所HP |
特記事項 | 世帯数:71,572世帯(2017年5月1日)[1] NTT市外局番:048(区内全域) 番号区画コード:254 経度・緯度は世界測地系 |
ウィキプロジェクト |
浦和区(うらわく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちの一つ。埼玉県庁やさいたま市役所などの行政機関が集積する。
目次
1 地理
1.1 位置
1.2 地形
1.3 人口構成
2 歴史
2.1 年表
2.2 住宅地として
3 人口
4 地域
4.1 旧大字浦和宿
5 本社を置く企業
6 主要施設
6.1 行政・司法等
6.2 寺社
6.3 ホテル・商業
6.4 医療・保健
6.5 公共施設
6.6 主な支社・支店
6.7 主な法人
6.8 マスメディア
6.9 公園・運動施設
6.10 学校
6.11 劇団・スクール
7 ギャラリー
8 交通
8.1 鉄道
8.2 バス
8.3 道路
9 旧跡・名物・イベント
10 出身者
11 脚注
12 関連項目
13 外部リンク
地理
位置
埼玉県さいたま市南部に位置する。旧浦和市の中央部北側に相当し、旧市の中心市街地を含む。さいたま市が政令指定都市に移行するに当たり、旧浦和市は4つの区に分割され、西部に桜区、中心市街地を含む中央部北側に浦和区、中央部南側に南区、東部に緑区が設置された。中央部北側に位置する浦和区の区域は、おおむね旧浦和町と木崎地区に相当するが、これに加えて六辻地区のうち神明の北側3分の2ほどが浦和区に含まれる。また、木崎地区のうち大原六・七丁目は区制施行と同時に大宮区となる。
地形
ほぼ全域が大宮台地(北足立台地)浦和大宮支台の上にあり、北端部のみが芝川低地にかかる。その他、区東部の大宮台地の縁に藤右衛門川などの中小河川が入り込んでおり、谷底平野が一部形成されている。
人口構成
浦和区の世帯数は6万6千世帯強、人口は15万人強である。人口密度は1万3千人/km²強と市内の区で最も高く、浦和区単体で見ると、人口密度は蕨市に次ぐ県内第2位である[2]。
歴史
浦和市の項目も参照。
古くは調神社や玉蔵院の門前町として栄え、六斎市が開かれた。また、奈良時代には律令制の政庁がおかれ跡地は氷川神社となった。江戸時代になると中山道浦和宿がおかれ宿場町として発展した。廃藩置県により浦和県の県庁所在地となり、岩槻県、忍県を合併し埼玉県が誕生した後も現在まで県庁所在地となっている。1883年(明治16年)には県内最古の駅の一つとして浦和駅が開業し、1889年(明治22年)の町村制施行により浦和町が誕生した。
1923年(大正12年)に関東大震災が発生すると、直前にすでに耕地整理事業が行われ市街中心部の整備が行われていた当地区では比較的震災の被害が少なかった(浦和町の死者は3人[3])ことや首都東京近傍でかつ大宮台地(北足立台地)上にあるという立地条件もあって東京府などから人口が流入し、後の都市化の礎となった(浦和区#住宅地としても参照)。人口増加に伴い1934年には市制施行し浦和市となる。
また当時「鎌倉文士に浦和画家」と言われたように数多くの文化人が移り住んだことでも知られ、国内屈指の公立進学校である埼玉県立浦和高等学校前身の旧制浦和中学校、埼玉大学前身の埼玉県師範学校(鳳翔閣)や旧制浦和高校、県内最古の女子校である埼玉県立浦和第一女子高等学校など埼玉県内屈指の教育機関が集積している。
太平洋戦争期には1945年(昭和20年)4月14日には県庁周辺、5月26日には北浦和駅付近が空襲を受け、計17人の死者[4]、740人の罹災者を出した。これは戦争末期の全国主要都市への空襲の一環であり、軍需工場などの存在しない浦和への攻撃は局所的であった。これが現在も戦前と殆ど変わらない区画の街並みとなっている理由である。常盤や岸町など比較的碁盤の目のように区画が整っているのは、戦後復興によるものではなく、戦前1934年(昭和9年)の耕地整理による区画整理のためである。1941年(昭和16年)には県全域を管轄する浦和連隊区司令部が置かれ、戦後1946年(昭和21年)6月には埼玉会館別館に進駐軍である埼玉軍政部(第79軍政中隊)が置かれた。
戦後も東京都心への通勤の利便性から人口は増え続け、1945年(昭和20年)に9万3,696人だった市人口が1975年(昭和50年)には33万1,145人に膨れ上がった。都内へ通勤する埼玉都民のベットタウン的性質もより濃くなっていった。人口増による業務増加もあり仲町にあった浦和市役所は狭隘化し、1976年(昭和51年)に常盤の埼玉大学跡に移転した。さらに都市改造の一環として1981年には浦和駅西口に再開発ビル(浦和コルソ)が建設、駅前広場が拡張され、現在も県下最大の売上高を計上している伊勢丹浦和店が開店した。それまでは旧中山道や県庁通り沿いが賑わっており十字屋(1984年閉店)などの百貨店や丸井浦和店(1985年閉店)、西友浦和店(1992年閉店)もあったが、徐々に駅前周辺部に買い物客の賑わいがシフトしていった。1999年(平成11年)浦和市役所跡地に浦和ロイヤルパインズホテルが開業、市内初の超高層建築物であった。その後駅周辺にて再開発の機運が高まり、エイペックスタワー浦和(2003年竣工)、コスタ・タワー浦和(2006年竣工)などの超高層ビルが完成した。
2001年(平成13年)に3つの市の合併によりさいたま市が発足、2003年(平成15年)には政令指定都市への移行に伴い市を構成する9区(現在は岩槻区を加え10区)のうちの1つとして浦和区が発足し、現在に至る。埼玉県庁やさいたま市役所の置かれる行政の中枢として機能している。また、近年では浦和駅周辺地区を中心に超高層マンションや商業施設などの再開発や道路整備が進められており、2007年(平成19年)には浦和駅東口に浦和パルコが開店した。また浦和駅西口南地区では27階建ての再開発も計画されており2020年(平成32年)に完成予定である。その上、上野東京ライン開業などにより東京駅や新宿駅への所要時間が25分と利便性が高まったため、マンション開発が活発化している。県庁所在地として繁華街を抱えるが、駅周辺は条例により風俗店などの営業が禁止されている。(浦和区#住宅地として参照)。
区の色は浦和をホームタウンとするJリーグのクラブ・浦和レッドダイヤモンズのチームカラーに因んだ[5]赤。
浦和センチュリーシティ
浦和パルコ
調神社
浦和駒場スタジアム
北浦和公園(埼玉大学跡地)
年表
1889年(明治22年) - 町村制施行、浦和宿の範囲をもって浦和町発足。
1934年(昭和9年) - 旧浦和市が市制施行。
2001年(平成13年) - 浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し、さいたま市発足。
2003年(平成15年) - 政令指定都市移行に伴い、浦和区発足。
詳細は浦和市を参照
住宅地として
住宅地としての人気は1923年(大正12年)の関東大震災以後に高まる。それに先立つ1916年(大正5年)初頭の國民新聞の紙上において東京近郊の理想的な住宅地・別荘地を投票により選定する企画が行われ、浦和町は郊外住宅地部門では9等、別荘地部門では8等に入賞し、良好な郊外住宅地として認知された。震災直前には鹿島台に官吏や教員向けの町営住宅を建設しており、また1922年(大正11年)9月には浦和耕地整理事業が着工し、町としても浦和の住宅地・別荘地の期待や住宅不足に対応するため実際に宅地としての開発が本格化していた。
その矢先に大震災が発生し、浦和は東京や横浜からの移住者で一気に3000人以上の人口増加が起こった。当時の人口は1万2000人程度であり、25%の増加率であった。特に前述の鹿島台エリアである別所沼周辺には、画家の移住や画家のアトリエが目立ったため、同じような理由で移住が増えた鎌倉の鎌倉文士という言葉と対になる浦和画家という言葉が生まれた。昭和初期には40人以上の画家が集住し、「さながら絵描き村である」と報道された[6]。アトリエの遺構は消えつつあるが、県展の開催される埼玉県立近代美術館やうらわ美術館など美術に関する施設が多い。
戸建て住宅地建設地の余地が少なくなった近年では駅周辺を中心にマンション開発も相次ぎ、10階建て以上の高層マンションが350棟(2017年現在)と、さいたま市内で最も高層マンションが多い区でもある。
人口
浦和区成立後から毎年4月1日の人口。住民基本台帳人口より(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)[7]。市内では南区、見沼区に次いで人口が多い区である。
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地域
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北浦和、高砂、常盤、針ヶ谷、前地、本太は住居表示実施前にはすべて「町」がついた。
市では文教都市や宿場町として長い歴史を持つ区内の文化財や観光スポットなどが一目でわかる「浦和区文化の小径マップ」を地区ごとに作成し、無料で配布している。「中山道浦和宿を歩く」、「北浦和界隈を歩く」、「浦和駅東口から本太界隈を歩く」、「上木崎界隈から見沼を歩く」、「前地・岸町界隈を歩く」、「常盤・仲町界隈を歩く」、「大東から駒場を歩く」の7地区が発行されている[8]。
旧大字浦和宿
浦和村・浦和町を経て浦和宿となった浦和の中心部であり、かつては小字として御殿山・上・中・下が存在した。また、中山道浦和宿時代には、北から「上町」、「仲町」、「下町」と呼ばれた。明治7年に岸村が浦和宿に編入され、上町、仲町、下町、岸(旧岸村)はそれぞれ「常盤区」、「仲区」、「高砂区」、「岸区」と称されるようになり、地域内にはこのような町名が存在した。
常盤区(→常盤町→現常盤1〜10丁目)
本石町は丁目で細分化された。 仲区(→現仲町1〜4丁目、東仲町)
仲町は丁目で細分化された。 | 高砂区(→高砂町→現高砂1〜4丁目、東高砂町)
日出町、本町、鹿島町は丁目で細分化された。 岸区(→現岸町1〜7丁目、東岸町) |
これらの公称町名は昭和初期の地図には確認できるが、現在ではほとんど使われることはない。NTTの電信柱に設置された管理プレートには「林町」、「弥生」、「本町」、「旭町」といった表示があり、電線の名称としては現在も残っているようである。また「日の出通り」という道路名としても旧町名が確認できる。
同様に現存しないが、稲荷丸や鯛ヶ窪といった小字(以下参照)も昭和9年の耕地整理前まで存在した。耕地整理後に現在の整然とした区画が生まれ、現在の町名の原型となる区割りが設定された(常盤町〜丁目、北浦和町〜丁目など)。仲町や高砂の西部の住宅街は通称鹿島台と呼ばれた。
- 小字
- 岸分宿、尺地、天神面、第六天前、竹之下、塚之越、窪堤、東裏、八田州、芝道通、中道通、中原・中之原、三本木、房ノ妻、一里塚、本太境、御殿尻、中向原、新山道、家頭、西川原、寺屋敷、清ヶ谷、鹿島後、下西向原、大ヶ窪南台、子ノ神、苗木原、下向原、本宿、一ノ窪、寺之下、岸之下、稲荷丸
本社を置く企業
企業集積拠点としてテクノシティ浦和がある。
埼玉りそな銀行本部、(旧埼玉銀行本店)- NTT東日本-関信越
- テレビ埼玉
- AGS
- LIXILビバ
- CityFMさいたま
- ジェイコムさいたま
- 日産ライトトラック
- りそな総合研究所
- りそな保証
- 日新火災海上保険
- 須原屋
- スミダ工業
- ナンブ
- 国大セミナー
- 埼玉県住宅供給公社
- 埼玉県道路公社
- ユーディケー
- 尾張屋
- 関東自動車
Category:浦和区の企業も参照。
主要施設
行政・司法等
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寺社
- 調神社
- 玉蔵院
- 氷川神社
- 廓信寺
- 大善院
- 蓮昌寺
- 成就院
ホテル・商業
- 浦和ロイヤルパインズホテル
- 浦和ワシントンホテル
ホテルメッツ浦和- 伊勢丹浦和店
- 浦和コルソ
- 浦和パルコ
大丸浦和パルコ店(2017年7月末に閉店予定)
アトレ浦和
- 浦和 蔦屋書店
- 浦和 蔦屋書店
ビバモールさいたま新都心店
イトーヨーカドー浦和店
クイーンズ伊勢丹北浦和店
須原屋書店(本店・コルソ店)
レッドボルテージ(浦和レッズのオフィシャルショップ)- エイペックスタワー浦和
- コスタ・タワー浦和
- ザ・パークハウス浦和タワー
- シティハウス浦和高砂
医療・保健
埼玉県県民健康センター
- 埼玉県医師会
- 埼玉県医師信用組合
- 埼玉県薬剤師会
- 埼玉県歯科医師会
- 埼玉県歯科技工士会
- 浦和医師会
- 浦和歯科医師会
- さいたま市薬剤師会
- 日本赤十字社埼玉県支部
- 地域医療機能推進機構埼玉メディカルセンター
- 彩の国すこやかプラザ
公共施設
- 埼玉県立近代美術館
- さいたま市立中央図書館 / 北浦和図書館
- さいたま市立教育研究所
- さいたま商工会議所
埼玉県立文書館
- 埼玉県立図書館浦和分室
- 埼玉会館
- うらわ美術館
- さいたま市青少年宇宙科学館
国際交流基金 日本語国際センター
労働者健康福祉機構 埼玉産業保健推進センター- 埼玉県障害者交流センター
さいたま市民会館うらわ(旧浦和市民会館)
さいたま市子ども家庭総合センター(あいぱれっと)- 浦和岸町コミュニティセンター
- 浦和ふれあい館
よみうりカルチャー浦和- 埼玉教育会館
- 埼玉私学会館
- 埼玉建設会館
- さいたま共済会館
全電通埼玉会館
主な支社・支店
日本信号北関東支店
戸田建設関東支店
大成建設埼玉営業所
奥村組北関東支店
鴻池組さいたま営業所
錢高組北関東支店
西松建設さいたま営業所
五洋建設関東営業所
積水ハウス埼玉南支店
アクサ生命埼玉支社
朝日生命さいたま支社浦和営業部
綜合警備保障埼玉南支社
セコム浦和支社
大京穴吹不動産埼玉事業所
主な法人
主な法人本部・支部。
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マスメディア
- NHKさいたま放送局
- テレビ埼玉
- CityFMさいたま
テレビ朝日さいたま支局
朝日新聞社さいたま支局
読売新聞社さいたま支局
日本経済新聞社さいたま支局
東京新聞社さいたま支局
毎日新聞社さいたま支局
産経新聞社さいたま総局
日本工業新聞社さいたま支局
日刊工業新聞社さいたま支局
時事通信社さいたま支局
共同通信社さいたま支局
公園・運動施設
- さいたま市駒場スタジアム
- 浦和駒場体育館
- 浦和総合運動場
- 市営浦和球場
大原サッカー場 - 浦和レッズの練習場
- 北浦和公園
- 浦和北公園
- 浦和中央公園
- 常盤公園
- 駒場運動公園
学校
- 高等学校
- 埼玉県立浦和高等学校
- 埼玉県立浦和第一女子高等学校
- 埼玉県立浦和西高等学校
- さいたま市立浦和高等学校
- 浦和麗明高等学校
ウィッツ青山学園高等学校埼玉LETSキャンパス
- 中学校
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- 小学校
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埼玉大学教育学部附属小学校(国立)
劇団・スクール
Youth Theatre Japan (YTJ)- ミュージカル座
ギャラリー
埼玉県庁
玉蔵院
埼玉メディカルセンター
青少年宇宙科学館
埼玉県立文書館
レッドボルテージ
市営浦和球場
交通
鉄道
東北本線( 宇都宮線、高崎線、 湘南新宿ライン、上野東京ライン)
- 浦和駅
京浜東北線
- 浦和駅
- 北浦和駅
- 与野駅
バス
- 東武バスウエスト
- 西武バス
- 国際興業バス
道路
- 一般国道
国道17号(中山道)
国道463号(越谷街道・旧中山道・県庁通り・中山道・埼大通り)
- 越谷浦和バイパス
- 県道
主要地方道
県道1号さいたま川口線(第二産業道路)
県道34号さいたま草加線(県庁通り・日の出通り)
県道35号川口上尾線(産業道路)
埼玉県道40号さいたま東村山線(志木街道)
県道57号さいたま鴻巣線(新六間道路)
- BP
県道65号さいたま幸手線(旧中山道・浦高通り)
一般県道
- 県道118号北浦和停車場線
県道120号上木崎停車場線(西高通り)
県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線(荒川サイクリング道路) - 区内は国道463号(埼大通り)と並行し、「自転車が通行可能な歩道」となっている。
県道159号さいたま北袋線(赤山東通り)
県道164号鴻巣桶川さいたま線(旧中山道)
県道213号曲本さいたま線(旧中山道)
都市計画道路
田島大牧線 - 区内の一部区間は「日の出通り」と呼ばれ、その区間の一部は県道34号さいたま草加線と重複。
町谷本太線(市役所通り・越谷街道) - 越谷街道の区間は国道463号と重複。
道場三室線 - 区内では国道17号(中山道)の西側は県道57号さいたま鴻巣線バイパス、東側は国道463号越谷浦和バイパスと重複。- 高砂仲町線
- 浦和駅周辺の渋滞を解消するため、環状に4車線道路を整備している(田島大牧線・産業道路・道場三室線・新大宮バイパス)。
- 橋梁
浦和橋 - 県道65号さいたま幸手線(旧中山道)
新浦和橋 - 国道463号越谷浦和バイパス・道場三室線
新都心大橋 - 県道159号さいたま北袋線(赤山東通り)- 大原陸橋
旧跡・名物・イベント
- 旧跡
- 浦和宿本陣跡
- 浦和宿石橋と供養仏
- 浦和宿二・七市場跡
- 名物
鰻の蒲焼が古くから名物で、満寿屋など創業100年を超える老舗が多い(浦和宿参照)。江戸時代には、練馬大根と並んで浦和大根の産地としても知られた。
- イベント
浦和うなぎまつり(5月、市役所前で開催)
浦和まつり(7月、浦和駅・南浦和駅周辺で開催)
さいたま市国際ふれあいフェア(浦和パルコ前で開催)
さいたま国際マラソン(11月、北浦和駅周辺・国道463号などで開催)
十二日まち(12月、調神社・旧中山道で開催)
さいたまトリエンナーレ(仲町にさいたまアートステーションを設置)
出身者
浦和市#浦和市出身の著名人を参照。
脚注
^ 市報さいたま浦和区版2017年6月号
^ 人口は2015年(平成27年)5月1日時点の推計人口、面積は2014年(平成26年)の全国都道府県市区町村面積調による。
^ 浦和市史通史編Ⅲ
^ 戦災概況図浦和による。
^ さいたま市公式サイト「区の色・ロゴマークの使用について」
^ 東京日日新聞 昭和6年8月18日付
^ http://www.city.saitama.jp/006/013/005/001/jikeiretsu.html さいたま市の人口・世帯(時系列結果)
^ 浦和区文化の小径マップ
関連項目
- 浦和レッドダイヤモンズ
- 浦和レッドダイヤモンズ・レディース
東日本実業団対抗駅伝競走大会 - 浦和区をスタート地点としている。- 日本通運硬式野球部
- 全浦和野球団
浦和の調ちゃん - 浦和地区を舞台としたアニメ作品。
おおきく振りかぶって - 浦和西高校がモデルとなっている作品。
エースをねらえ! - 浦和西高校がモデルとなっている作品。
外部リンク
- さいたま市浦和区役所 公式サイト
- 旧町名が確認できる地図
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