第10SS装甲師団








































第10SS装甲師団 フルンツベルク
10. SS-Panzer-Division "Frundsberg"

10th SS Divsion Logo.svg
創設
1943年2月1日
廃止
1945年2月12日
所属政体
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
所属組織
Flag of the Schutzstaffel.svg 武装親衛隊
部隊編制単位
師団
兵種/任務/特性
装甲
愛称
フルンツベルク
主な戦歴

第二次世界大戦



  • エプソム作戦(英語版)

  • マーケット・ガーデン作戦

  • ノルトヴィント作戦

  • ハルベの戦い


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第10SS装甲師団 フルンツベルク(だい10SSそうこうしだん フルンツベルク、ドイツ語: 10. SS-Panzer-Division Frundsberg)とは、武装親衛隊の師団の一つ。1943年初頭、予想される連合国軍の侵攻に対応するための予備兵力として設立された。しかし初陣を1944年4月のウクライナにて経験し、その後西部戦線へと移り西側連合国と戦闘を交えるが敗走。ベルリン南西部のラウジッツで終戦を迎えた。名称は15世紀のドイツ人の英雄ゲオルク・フォン・フルンツベルク(ランツクネヒトの父)に由来する。ノーベル賞受賞作家のギュンター・グラスは当師団に1945年2月に配属され、同年4月20日に負傷するまで戦車の砲手として務めていた。



歴史


東部戦線などにおけるSS師団の活躍により、ヒムラーは2個SS師団の新設を認められた。そのために1943年1月に編成され、北フランスで訓練が開始された。1943年4月にはカール・デア・グロッセと命名されたが、1944年1月にフルンツベルクと改名された。第17SS装甲擲弾兵師団と共に北フランスの守りにつき、兵員は充足したが、一部が同師団に譲渡され戦力は低下した。
その後、第9SS装甲師団と共に国防軍の総予備となったが、1944年3月のワルシャワ東方における第1SS装甲軍団の危機に対して投入された。タルノポリで包囲された同軍団の救出に成功すると、損害の編成のために北ウクライナで補充を受けていたが、ノルマンディー上陸作戦により西方へ転送された。
その後、カーン周辺での激戦やファーレーズ防衛戦に巻き込まれて大損害を受け、オランダで再編成を受ける予定であったが、マーケット・ガーデン作戦に巻き込まれ、イギリス軍に大損害を与えた。1945年1月まではライン中流のアルザス周辺での防衛線に参加していたが、1945年2月には東部戦線に回された。ポラメニア防衛線を経てベルリン南方でベルリン防衛の一翼を担ったが、第3帝国の崩壊と共に西へ逃れ、オーストリアのリンツ周辺でソ連軍に降伏した。


同師団は第9SS装甲師団と共に第1、第2、第3、及び第5SS装甲師団同様の精鋭師団として編成されていた。



歴代師団長


階級は師団長在任時のもの。


ミヒャエル・リッペルトSS中佐(1943年2月1日~2月15日)


ロタール・デベスSS中将(1943年2月15日~11月15日)


カール・フォン・フィッシャートレエンフェルドSS中将(1943年11月15日~1944年4月27日)


ハインツ・ハルメルSS少将(1944年4月27日~1945年4月28日)


フランツ・ローステルSS中佐(1945年4月28日~1945年5月8日)





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