マカオ
座標: 北緯22度10分00秒 東経113度33分00秒 / 北緯22.16667度 東経113.55000度 / 22.16667; 113.55000 (マカオ)
- 中華人民共和国マカオ特別行政区
中華人民共和國澳門特別行政區
中华人民共和国澳门特别行政区
Região Administrativa Especial de Macau da República Popular da China
(地域の旗)
(地域の紋章)
- 地域の標語:無し
- 地域の歌:義勇軍進行曲・Marcha dos Voluntários※中華人民共和国としての国歌。
公用語
広東語、ポルトガル語
主都
花地瑪堂区(ファティマ堂区)
最大の都市
花地瑪堂区
- 政府
行政長官
崔世安
行政法務司
陳海帆
- 面積
総計
28.6km2(N/A)
水面積率
0
- 人口
総計(2015年)
643,100人(167位)
人口密度
18,568人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2017年)
4,041億[1]マカオ・パタカ
- GDP (MER)
合計(2017年)
498億[2]ドル(83位)
- GDP (PPP)
合計(2017年)
717.8億[2]ドル(97位)
1人あたり
111,600[2]ドル
ポルトガルから中華人民共和国へ返還
特別行政区
1999年12月20日
通貨
マカオ・パタカ (MOP)
時間帯
UTC +8(DST:なし)
ISO 3166-1
MO / MAC
ccTLD
.mo
国際電話番号
853
澳門特別行政区 | |||||||||||||||||||||||||||||
中国語 | |||||||||||||||||||||||||||||
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繁体字 | 澳門特別行政區 | ||||||||||||||||||||||||||||
簡体字 | 澳门特别行政区 | ||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||
ポルトガル語 | |||||||||||||||||||||||||||||
ポルトガル語 | Região Administrativa Especial de Macau |
中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)、通称マカオ(葡: Macau、澳門、おうもん、広東語イェール式: Oumùhn、普通話: Àomén)は、中華人民共和国の特別行政区の一つ。中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル海外領土で、現在はカジノや世界遺産を中心とした世界的観光地としても知られる。
目次
1 概要
2 名称
3 歴史
3.1 明朝以前
3.2 ポルトガル人の居留開始
3.3 ポルトガルの領土に
3.4 第二次世界大戦
3.5 戦後
3.6 マカオ暴動
3.7 特別領
3.8 返還
3.9 現在
4 地理
4.1 行政地域
4.2 気候
5 政治
6 司法
7 軍事
8 経済
8.1 通貨
8.2 産業
8.3 観光とギャンブル
9 交通
9.1 海運
9.2 航空
9.3 域内
10 人口
10.1 民族
10.2 言語
10.3 宗教
11 文化
11.1 食文化
11.2 芸能
12 教育
13 スポーツ
13.1 モータースポーツ
13.2 マラソン
13.3 トライアスロン
13.4 国際バレーボール連盟・ワールドグランプリ
13.5 国際大会
14 観光名所
14.1 宿泊施設及びカジノ
15 姉妹都市・友好都市
16 舞台にした作品
17 関連項目
18 脚注
19 外部リンク
概要
マカオは中華人民共和国広東省の珠江の最下流域に位置し、広州からは南西に145km、香港からは南西に70km離れている。珠海市に接し、中国大陸本土南海岸に突き出たマカオ半島と、沖合いの島から構成される。この島は、もともとタイパ島とコロアネ島という二つの島であったが、島の間は埋め立てられてコタイと呼ぶ地域となり、全体がひとつの島のようになっている。現在、半島部と旧タイパ島の間は3つの橋でつながれ、コタイから西に珠海と結ぶ橋もできている。
1999年までポルトガルの海外領土であったマカオは、中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、2005年7月15日に、マカオの8つの広場と22の歴史的建造物がマカオ歴史地区という名前でユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
域内には多くのカジノが運営されていることから、「東洋のラスベガス」ともいわれている。歴史的建造物とカジノが、香港や中華人民共和国本土のほか、東南アジア、東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、それに隣接しているホテルを含む観光産業が盛んである。毎年11月に市街地を使って行われるマカオグランプリは世界的に著名で、この時期に多くの観光客をひきつけている。
マカオと香港間は24時間高速船が約1時間で結んでおり、ほかにもヘリコプターによる定期便が頻繁に運航される。日帰りで訪れる香港人や旅行客も多い。2018年10月23日に香港とマカオを結ぶ橋港珠澳大橋が完成した。
名称
マカオという名称の由来には多数の説があり定かではないが、マカオ半島にある道教の廟、媽閣廟に由来する説が有名である。ポルトガルの船員がマカオの媽閣の前から上陸するときに地名を聞いたら、廟の名前を聞かれたと思って「媽閣」(広東語:Ma1gok3)と答えたからと伝えられている[3]。媽閣廟は、1448年に媽祖を奉るために建設されたもので、現存し、海運、漁業の神として崇拝されている。
澳門は、「澳」が「水が奥深く入り込んだ湾や入り江」を表し、「門」は門のようにそびえ立つ南台山と北台山、また東の大字門と西の小字門から澳門と表記された。歴史的には、蠔鏡という名が明代に記録されているのが最初で、澳門のほか濠鏡澳、濠鏡、海鏡、香山澳などの名称もあった。文語的な表現でマカオは「濠江」(北京語:ハオジアン、広東語:Hou4gong1 ホウゴーン)とも表記される。また、蓮が多いことから蓮島、蓮海などの呼称もあり、区旗のモチーフにも使われている。
なお、「Macau」の広東語音訳として馬交(広東語:Ma5gaau1 マーガーウ)と言う表記が用いられることもある。また、ポルトガル領時代の正式名称は Cidade do Nome de Deus de Macau, Não Há Outra Mais Leal(「最も忠貞なる主の名の街・マカオ」の意味)であった。
歴史
明朝以前
珠江と南シナ海の境目に位置するマカオは、もともと、漁民や蛋民と呼ばれた水上居民を中心とする漁業の村であった。その後、東南アジアなどとの通商が始まると、貿易の町として栄えてきた。
ポルトガル人の居留開始
1513年に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人が中国に初渡来し、明王朝との交易を開始した。海禁下の明が1522年に屯門島を拠点とするポルトガル船を駆逐し、広州交易を禁止した。
その後、1557年にポルトガルがレオネル・デ・ソウサ艦隊司令官が、海賊退治などから明から正式に居留権を得、中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地となった。但し、この時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに税関を設置するなど主権を有していた。
この頃のマカオは、日本が鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めた。しかし、その後は明清交替期の動乱や広東(広州)の対外開放、スペインのフィリピン支配による交易低下等の影響から、アジアにおける貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。
ポルトガルの領土に
これまで居住確保を目的としたポルトガルから清国への継続的な献金は、アヘン戦争後の1849年(道光29年)に停止された。ポルトガル人は、1851年にタイパ島、続いて1864年にコロアネ島を占拠するところとなり、1887年の葡清修好条約で澳門はポルトガルへの正式割譲となり、これを持ってポルトガルの正式な領土となった。
これよりポルトガルにより、清国人及び領事以外の外国人については、1906年7月に旅券または書類提示による入出国となるなど、各方で近代的な法整備が進んだ。
その後、天然の良港に恵まれアジアにおける要衝として発展した香港とは対照的に、マカオの貿易港としての機能は低下し、その地位は全く凋落してしまった。マカオは珠江の土砂が堆積しやすい位置にあり、大型の船舶が入港しにくくなっていたこと、当時ポルトガルの国力は凋落していたことも衰退の原因に挙げられよう。
中華民国と日本との間に1937年より起きた日中戦争においては、両国と国交を持ち中立的立場にあるポルトガル領であることから戦火とは遠い存在であった。
第二次世界大戦
1939年9月に起きた第二次世界大戦においてポルトガルは中立国となり、その後1941年12月に勃発した太平洋戦争を通じて日本とも中華民国ともイギリスとも交戦状態に入らず、ポルトガルの海外県政庁のもとで中立港として機能した。このため、戦禍を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流れ込んだ。
イギリスなど各国領事館が在したマカオは、大戦中は諜報活動の場となった。日本も1941年1月に在マカオ日本領事館を設置、蒋介石の直属機関(藍衣社)等による抗日活動と標的テロも勃発し、ドイツの敗戦が濃厚となる1944年末には対日テロが激化した。
1945年には福井保光駐マカオ領事が中国人の襲撃に会い、拳銃で射殺されるという事件が起きている[4]。また、ポルトガル人警察官による澳門特務機関員への発砲事件などが発生するなど、緊迫した事件が相次いだ。
戦後
1945年8月に第二次世界大戦が終結し、日本軍が中国大陸から撤退した後に、中華民国総統である蒋介石率いる中国国民党と、毛沢東率いる中国共産党の間に国共内戦が勃発した。
その後1949年には、毛沢東率いる中国共産党が、北京を首都とした中華人民共和国を設立し、中華民国に代わって中国大陸の大部分を統治するようになったものの、その後もイギリスが統治を続けた香港同様、マカオも依然としてポルトガルの統治が続いた。
なおポルトガルは、中国共産党政府を早くも1950年に承認したイギリスとは異なり、強烈な反共産主義者であったアントニオ・サラザール首相による独裁政権下にあったこともあり、中華人民共和国との国交は持たないままであった。
マカオ暴動
中華人民共和国内で文化大革命が行われていた1966年11月に、中国共産党系小学校における無許可での増築工事に対するセルヴェイラ代理総督による制裁が行われ、この制裁に怒った住民によるデモがセナド広場などで数度にわたり行われた。当初は平和的なデモであったが、その後中国共産党系の住人によって暴動化し、12月3日には、これを鎮圧しようとしたポルトガル軍警察がデモ隊に発砲したために、数人のデモ隊が死亡する惨事となった。
これに怒った中華人民共和国政府は、人民解放軍によるマカオへの軍事侵攻をほのめかしながら、ポルトガル政府に対して事件の謝罪と責任者の処罰、共産党系の遺族に対する慰謝料の支払い、以後の中国共産党系住民による統治参加、そして中華民国の国務機関(諜報機関)によるマカオ内での活動の停止などを要求した。
当時のポルトガルは国力が低下し、マカオにわずかな軍事力しか駐留させていなかった上に、サラザール首相による独裁政権下にあったために、同年の香港暴動の際のイギリス政府のようにアメリカ合衆国などの西側政府による軍事的支援を受けられないことから、軍事対立が起きた場合全てを失うと判断したポルトガル政府はそれらの要求をほぼ全面的に呑み、総督が中国共産党系の住人組織に対して謝罪と慰謝料の支払いを行い、代理総督と警察幹部ら数名は国外へ追放された。
以後マカオにおいて中華人民共和国(中国共産党)の影響力が増すことになり、その後もポルトガル政府は中華民国との国交を保ち続けたにも関わらず、国連でアルバニア決議に賛成したり、その植民地であるマカオがあらゆる中華民国の活動を禁止[5][6][7]して単独で中華民国と事実上「断交」するなど中華人民共和国政府に配慮した政策をとる。
特別領
オテロ・デ・カルバーリョ大尉率いる国軍左派による1974年4月25日のカーネーション革命の後に、ポルトガル政府は民主化され当時所有していた全ての海外領土を放棄する方針を採ることになった。1976年にポルトガル政府は、マカオを「特別領」として再編成し行政上及び経済上の自治を多くの点で認めた。
その後1979年に、ポルトガル政府は中華人民共和国政府との国交樹立(と中華民国との断交)を行った。第二次世界大戦後に国力が低下しており、しかも地元民による自治が進んだマカオを海外領土として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は、即時移譲を望んだ。
しかし、同じく海外領土下にある香港市民の動揺を恐れた中華人民共和国政府は、マカオの主権を主張しつつ、当分の間のポルトガルによる統治を希望したと言われており、主権と統治権(行政管理権)を分離した形を取ることを希望した形となった。
返還
その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印し、マカオの行政管理権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになった。
現在
返還後のマカオの行政長官は、選挙委員会が選んだ者を中華人民共和国の中央政府が任命する形となっている。中華人民共和国の領土の一部であり、政治的にもその下に入ることとなったが、返還後50年間は現状の保全が取り決められている。このため、現在もポルトガル語が公用語として使用されるほか、ポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用される。住民は、中華人民共和国本土より大幅な自由が保障されている。
返還以来、マカオには中国人民解放軍が駐屯している。出動したのは2017年8月、台風被害の対応が初めてである[8]。
ポルトガル語は中国語(広東語)と並ぶ公用語とされ、政府の公文書におけるポルトガル語表記や、道路表示や看板などの全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられている他、一部のカトリック系学校においてポルトガル語の授業が設けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民が日常的に使用する言語は広東語である。尚、上述の通り、以前より中華人民共和国との結び付きが強かったため、香港に比べ若い世代を中心に普通話の理解度が高い(広州とほぼ同程度)。
2002年には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまでスタンレー・ホー経営の「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.(STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・カジノ(銀河娯楽場)」社とアメリカの「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放し、その結果ラスベガス・サンズなど多くの外国からの投資を呼び込むことに成功し、コタイを中心に多くの新しいカジノやホテルができるなど、経済的発展が進んでいる。
地理
南シナ海に面するマカオは、中心地となる半島部と、タイパ島とコロアネ島の間を埋め立ててつなげた島からなる。半島部は、東には珠江(パールリバー)、西には西江があり、中華人民共和国の本土の珠海経済特区と隣接している。
1970年代以降に大規模な埋立が行われたため、マカオの地形は概ね平坦であるが、多数ある険しい丘が、元の地形の名残をとどめている。マカオ半島は元々島だったが、徐々に砂州が伸びてゆき、狭い地峡になり、その後の埋め立てにより狭い水路を残して大陸と一体化した(陸繋島)。
マカオは高度に構造物が密集した都市であり、耕地、放牧地はなく、実質的に農業はほとんど行われていない。このために、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。
行政地域
かつては、半島部を澳門市、その他島嶼部を海島市とした基礎自治体により構成されていたが、2002年に両市は廃止され、全域を民政総署が管轄することとなった。
法人的地位を持たない行政区画としては、そこにある代表的な教会堂を冠した7個の堂区 (Freguesia)、タイパ島及びコロアネ島をつなぐ埋立地であるコタイ地区、中国本土にある澳門大学並びに帰属未定の埋立地(マカオ新城区)により構成される。
各堂区等は以下のとおり(右の地図の番号に一致)、なお、澳門大学校区はコタイ、コロアネ島の対岸である中国本土に位置し、マカオ新城区は、マカオ半島東岸及びタイパ島北岸の埋立地である。
花地瑪堂区(ファティマ堂区)
聖安多尼堂区(聖アンドレ堂区)
望徳堂区(聖ラザロ堂区)
大堂区(主教座堂区)
風順堂区(聖ロレンツォ堂区)
嘉模堂区(ノッサセニョーラドカルモ堂区) − タイパ島(氹仔島)- 路氹城 − コタイ地区
聖方済各堂区(聖フランシスコ・ザビエル堂区) − コロアネ島(路環島)
気候
マカオは、温帯夏雨気候 (ケッペンの気候区分: Cwa)に属し、年間の平均湿度が75% 〜 90%[9]とかなり高い。他の華南地域同様、モンスーンの影響を強く受け、夏と冬の気温差・湿度差が、大陸内部ほどではないにせよ、顕著である。年間平均気温は22.7℃[10]であり、7月が平均気温28.9℃と最も暑く、1月が平均気温14.5℃で、もっとも寒冷な月となる[9]。
マカオは、中国の南岸地域に位置しているので、年間降雨量2120mmと多雨地帯に属する。しかし、冬季はシベリア高気圧の影響を受け、比較的乾燥する。10月から11月にかけての秋季は、晴天に恵まれ、温暖で湿度も低いなど過ごしやすい季節となる。12月から3月初旬の冬季は、平均的最低気温は13℃と穏やかであるが、時折、8℃を割るほど低下することもある。3月から、湿度が上昇し始め、夏季は気温がかなり高くなり(しばしば、日中30℃を超える)、亜熱帯性の豪雨や時には台風に見舞われる[9]。
マカオの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 17.7 (63.9) | 17.7 (63.9) | 20.7 (69.3) | 24.5 (76.1) | 28.1 (82.6) | 30.3 (86.5) | 31.5 (88.7) | 31.2 (88.2) | 30.0 (86) | 27.4 (81.3) | 23.4 (74.1) | 19.6 (67.3) | 25.2 (77.4) |
平均最低気温 °C (°F) | 12.2 (54) | 13.1 (55.6) | 16.2 (61.2) | 20.2 (68.4) | 23.6 (74.5) | 25.7 (78.3) | 26.3 (79.3) | 26.0 (78.8) | 24.9 (76.8) | 22.3 (72.1) | 17.8 (64) | 13.8 (56.8) | 20.2 (68.4) |
雨量 mm (inch) | 32.4 (1.276) | 58.8 (2.315) | 82.5 (3.248) | 217.4 (8.559) | 361.9 (14.248) | 339.7 (13.374) | 289.8 (11.409) | 351.6 (13.843) | 194.1 (7.642) | 116.9 (4.602) | 42.6 (1.677) | 35.2 (1.386) | 2,122.9 (83.579) |
平均降雨日数 (≥ 0.1 mm) | 6 | 10 | 12 | 12 | 15 | 17 | 16 | 16 | 13 | 7 | 5 | 4 | 133 |
% 湿度 | 74.3 | 80.6 | 84.9 | 86.2 | 85.6 | 84.4 | 82.2 | 82.5 | 79.0 | 73.4 | 69.3 | 68.8 | 79.27 |
平均月間日照時間 | 132.4 | 81.8 | 75.9 | 87.8 | 138.4 | 168.2 | 226.2 | 194.7 | 182.2 | 195.0 | 177.6 | 167.6 | 1,827.8 |
出典: SMG [11] |
政治
マカオの行政長官は、各業界団体から選出された委員からなる選挙委員会が選んだ者を、中華人民共和国の中央政府が任命する。行政長官は7〜11人からなる行政会と呼ばれる内閣を組織する。マカオの中国系住民の名望家であり、銀行家でもあったエドモンド・ホー(何厚鏵)が1999年12月20日にポルトガル統治下で任命されたロシャ・ヴィエラ(Rocha Viera)総督に代わるマカオ特別行政区初代行政長官に中華人民共和国から任命された。
立法機関はマカオ特別行政区立法会であり、マカオ住民の直接選挙で選ばれた12人の議員と各種職能団体(職能代表制)を通じて間接的に選出される10人の議員、及び行政長官が指名する7人の任命議員で成り立っている。立法会はあらゆる分野での法規定立の責任を負っている。現在のマカオには政党を名乗る政治集団が存在せず、住民は政治目的ごとに社団を組織して議員選挙に参加している。(社団の一覧についてはマカオの政党を参照のこと。)
司法
マカオでは長年、大陸法系ポルトガル法に基いた司法制度が運用されてきたが、中国返還後も継続している。返還に際して制定されたマカオ基本法は、中国中央人民政府が澳門特別行政府に対して自治権および一部の対外事務につき、これらを授権する旨規定された。これによりマカオは将来も「中國澳門」名義により外交的行為を行い、広汎な裁量権に基づいた地方自治は継続する。
三審制であり、第一審は初級法院と行政法院がマカオ域内のほぼ全域を管轄している。中級法院(控訴裁判所)は五名の裁判官、終審法院(CFA)は三名の裁判官により構成される。陪審制が規定されているが、実例はない。裁判官は選出委員会が選出し、行政長官が指名する。なお、マカオには死刑制度は存在しない。
1991年以前、マカオはポルトガルの司法管轄区分によるものとして、リスボン地方裁判所管区の支部として運用されていた。
軍事
人民解放軍駐マカオ部隊
経済
世界銀行の統計によると、2015年のマカオのGDPは461億ドル(約5兆円)である。一人あたりのGDPは世界屈指[12]であり(2013年はカタールを超えて世界一でもあった[13])、また税収も非常に潤沢であるため、マカオ市民には一人あたり毎年約10万円相当の現金給付が行われ、また教育、医療費は無料であり、平均寿命は世界でも最も高い部類に入る[14]。
通貨
域内の法定通貨は大西洋銀行及び中国銀行マカオ分行(1995年より)が発券するマカオ・パタカであるが、流通通貨の相当部分は香港ドルである。パタカの発券に際しては1香港ドル=1.03パタカ(1983年より)と香港ドルにペッグされており[15]、香港ドルは米ドルにペッグされているので、米ドルにペッグされているのと実質同等となっている。1香港ドル=1.03パタカと、パタカがわずかに価値が低いが、ほとんどの店では等価に扱われたり、流通レート以上に値上げされることがある。
なお、香港ドルで支払っても釣り銭はパタカで返ってくることがある。香港ドル硬貨はマカオ内の自動販売機などでも使用が可能ではあるが、タクシーなどでは1香港ドル未満の硬貨は受け取りを拒否されることがある。逆にパタカを香港での支払いに使うことはできない。
産業
マカオの経済はギャンブルを含む観光産業と織物や衣類、花火の生産に大きく依存しているが、多角化に努めた結果、小規模ながら玩具や造花、電子機器の製造も始まった。
織物や衣類は輸出金額のおよそ4分の3を占めているが、GDPに占める製造業の割合は5%程度であり、GDPの40%~60%程度(さらにホテル、飲食業が5%程度)[16]、政府歳入の80%程度はギャンブルに依拠している[17]。
観光とギャンブル
2000年には800万人を越える観光客がマカオを訪れた。近年では、中華人民共和国本土からの訪問客が成長を押し上げる主な要因になっているが、香港からの観光客が現在でも最も多い他、台湾・日本をはじめとしたアジア各国・地域からの観光客がそれに続く。世界最大のカジノ設備が集客に貢献しているのは確かであるが、その他にも、世界遺産に登録されたマカオ歴史地区や、東西を融合した独特の食文化、また、カジノに隣接するブランド品の直営店など、ギャンブル以外の観光資源にも恵まれている。
なお、返還直前の1998年頃には経済の暗黒面である暴力団(黑社會)(マフィア、ギャング)の抗争により治安の悪化が伝えられたが、観光産業はそれほど影響を受けなかった。
2002年には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまでスタンレー・ホー経営の「マカオ旅遊娯楽有限公司(Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A. STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・マカオ(銀河娯楽場)」社とアメリカの「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放した。
このことが功を奏し外国からの投資が急増し、2009年5月現在、「ホテル・リスボア(Lisboa、葡京娯楽場)」、「グランド・リスボア(Grand Lisboa、新葡京)」、「サンズ・マカオ(Sands、金沙娯楽場)」、「ウィン・マカオ(Wynn、永利澳門)」や、新たに埋め立て開発されたコタイ・ストリップの「ザ・ベネチアン・マカオ(Venetian Macao-Resort-Hotel、澳門威尼斯人度假村酒店)」など20を超える大規模なカジノが運営されている。
これに伴い、観光客も2000年の800万人から2005年の1900万人と倍増したように、観光産業の隆盛で経済は活況を呈しており、中華人民共和国本土の一部直轄市や省がマカオ入境を解禁した。2006年のカジノ売り上げが69億5000万アメリカドル(約8400億円)に達し、これまで世界最大であったアメリカのラスベガスの推計65億ドルを超え、世界最大のカジノ都市となった。カジノ市場の対外開放からわずか4年でカジノ都市として世界首位に躍り出た背景には、膨張する中華人民共和国の経済からあふれ出る「チャイナ・マネー」と、新たな市場であるマカオの国際カジノ産業に流れ込む外資があると分析されている。
なお、マカオで合法とされているギャンブルは数多いが、人気があるのは駆け引きの要素の無い大小やバカラである。また、ほぼ全てのカジノにスロットマシーンが備えられている。
この他、古くからドッグレースが盛んであったが、人気を失い2018年7月に廃止された。競馬も行われているが、他のギャンブルの陰に隠れてあまり人気が無い。
交通
海運
マカオ半島にあるアウター・ハーバー・フェリーターミナルと、タイパ島にあるタイパ・フェリーターミナルから、香港・上環の香港・マカオ・フェリー・ターミナルまでTurboJET社やCotaiJet社運航によるジェットフォイル(ボーイング929など)と高速双胴船が24時間、15分-30分間隔で運航されている。所要時間はおよそ55分。香港とは九龍尖沙咀のチャイナ・フェリーターミナルとの間にも30分-1時間間隔でFirst Ferry Macauブランドによる高速双胴船が就航しており、こちらも約60分で結んでいる。また、同じく香港の新界にある屯門にある Tun Mun Ferry Terminalとの間にも、Hong Kong North West Express社による高速双胴船が一日に4往復就航しており、香港郊外北部とのダイレクトアクセスとなっている。
マカオ・中国本土間(深セン福永フェリーミナル・深セン蛇口クルーズセンターなど)にも高速双胴船の定期船が頻繁に運航されており、特に2006年の区域自由化以降は中国本土籍利用客が急増した。
香港国際空港スカイピアとマカオ間を発着する高速双胴船は、香港国際空港に発着する航空機との乗り継ぎ専用で、空港内で直接到着便から・出発便へ乗り換えて利用することができる。また、アウター・ハーバー・フェリーターミナルでは、香港空港を発着する一部航空会社の搭乗手続を行うことも出来る。出来ない航空会社の場合は、香港国際空港スカイピアに搭乗手続カウンターが設けられている。香港国際空港までの所要時間は1時間弱。
かつて、内港(zh:內港客運碼頭、Ponte 16)から、珠海の湾仔を結ぶ渡し舟があった。
航空
24時間運用のマカオ国際空港があり、マカオ航空などが中華人民共和国内の主要都市のほか、台北や東京、大阪、シンガポール、バンコク、クアラルンプールなどのアジア諸国の主要都市との間に定期便を運航している。
他にもエバー航空やチャイナエアライン、エアアジア、中国東方航空など多数の航空会社が乗り入れている。近年は日本からの観光客の増加に対応し、2007年7月26日から関西国際空港とマカオ国際空港間にマカオ航空による定期便が就航を開始し2008年7月16日より毎日就航している。2010年3月、成田国際空港にも定期便を就航させた。
なお、同空港の開港当時に宗主国のポルトガルの首都のリスボンとの間にTAPポルトガル航空が直行便を運航していたが、中華人民共和国への主権譲渡を待たず廃止された。しかしマカオとポルトガル間の旅行客が増加したことや、TAPポルトガル航空の経営状況が回復したことを受けて復活が検討されている。
また、アウター・ハーバー・フェリーターミナル屋上のヘリポートから発着する、「Sky Shuttle」という名称のヘリコプターによる定期便が運航されており、香港・マカオ・フェリー・ターミナル屋上にあるヘリポートや深セン宝安国際空港との間を結んでいる。香港との間はおよそ30分間隔で運航されており、おおよその飛行時間は約15分。
域内
Sociedade de Transportes Públicos Reolian, SA(レオリアン)、Transportes Urbanos de Macau SARL(Transmac、澳門新福利公共汽車有限公司)とTransportas Companhia de Macau(TCM、澳門公共汽車有限公司)の3社の路線バスやミニバスの路線が域内を網羅している。なお、これらの路線バスのルートマップなどは全てポルトガル語と広東語の両方で表記されて、バスの車内放送では広東語→ポルトガル語→普通話→英語 の順で案内される
他にも、サンズ・マカオやウィン・マカオ、ザ・ベネチアン・マカオなどの主なカジノやホテルが、5分から10分に1本程度の頻度でフェリーターミナルと各カジノの間の無料バスを運行している。
また、タクシーが安価な交通手段として市民だけでなく観光客の足として利用されている。また、市民の足としてスクーターが重宝されている。現在のところ地下鉄やモノレールなどの鉄道は無い。交通渋滞を緩和するため澳門軽軌鉄路という新交通システムが計画されている。
マカオの自動車道路は香港と同様に左側通行となっている。これはかつてポルトガルが左側通行だったことの名残とされている(ポルトガル本国は1928年に右側通行へ変更)。
人口
人口はおよそ52万人(2007年3月)。マカオを1つの「地域」とみれば、マカオは世界でもっとも人口密度が高い国・地域である。1平方キロメートル当たり実に約1万8000人が住んでいる。
民族
マカオの人口は92.4%が華人であり、最も多いのが広東人で、客家人もおり、いずれも近隣の広東省から来ている。ポルトガル人は0.6%で[18]、マカイエンサと呼ばれる華人とポルトガル人の混血のグループもいる。
言語
書き言葉としての公用語は、ポルトガル植民地時代からポルトガル語と中国語の2言語と定められ、官報を始めとする各種公布や注意表示、道路標示などの公的表示にはほぼ全て2言語併記が義務付けられている。テレビ局もポルトガル語専門局が設けられている。また市中の看板における表記なども、その多くで2言語併記がなされているのが目立つが、観光客対策に英語も含めた3言語表記になっている広告も目立ち、とりわけバスの言語表記では広東語、ポルトガル語、普通話、英語の4言語表記になっている。
しかし口語では、中国語方言のひとつである広東語が広く使われ、ポルトガル語はポルトガル人とマカイエンサなどを除けばほとんど使用されていない。マカイエンサの内、ごく少数はマカオ語とも呼ばれるクレオール言語を話す。2011年の言語調査では、広東語83.3%、普通話5%、客家語3.7%、その他の中国語2%、英語2.3%、タガログ語1.7%、ポルトガル語0.7%、その他1.3%となっている[18]。
また、年配者でも流暢に英語や普通話も話せる人が多く語学力が高い地域でもある。そして主な観光地ではまれに日本語を話す職員もいて、港や空港の表示、世界遺産の墓標の支柱の説明書にも漢文(繁体字中国語)、ポルトガル語、英語、日本語が常に表記されていて、域外からの観光客が訪れても苦痛を感じることが少ない。
宗教
2010年のピュー研究所による調査では、中国の民俗宗教58.9%、仏教17.3%、キリスト教7.2%、イスラム教0.2%、その他の宗教1.0%、所属宗教無し15.4%の割合である[19]が、各種調査ではキリスト教が5-7%程度で比較的安定している他は調査ごとに民俗宗教、道教、仏教、所属宗教無しの回答比率がまちまちである。80%近くが仏教を実践しているとする報告もある[20]。キリスト教の中ではポルトガル時代以来のローマ・カトリックが多数である他、少数のプロテスタント教会もある。
文化
食文化
中国系住民は広東料理系(順徳料理に近い)の中華料理を、ポルトガル系住民はポルトガル料理を基本とした食生活をしているが、これらの料理だけでなく、かつてポルトガルの植民地があったインドやマレーシア、アフリカ、ブラジルの料理の要素や、交易のあった日本料理の影響をも取り入れて融合した、マカオ料理が生まれている。
マカオ料理は一見ポルトガル料理風であるが、中華料理の様に皆で取り分けて食べることも当たり前で、中国大陸近辺でとれる食材もうまく生かしている。食事の際にはポルトワインもよく飲まれる。ただし、マカオ現地では「ポルトガル料理」(「葡国菜」)と区別されずに、呼称されることも多い。
また、香港同様に茶餐廳や麺類、粥、パン、菓子などの専門店も発達している。マカオ料理は香港をはじめとする中華圏で高い人気を誇っており、ポルトガルのパステル・デ・ナタを基にしたマカオ式のエッグタルトは、日本にもアンドリューのエッグタルトというチェーン店を出している例がある。
芸能
基本的に香港の芸能の影響が強く、香港や台湾などの中華圏の芸能人、そしてヨーロッパの芸能人に人気が集まっている。ポルトガル音楽のファドを歌うグループや粤劇の劇団がいくつかある。
教育
住民には、3年間の幼児教育、6年間の初等教育、6年間の中等教育、合計15年間の無償教育の機会が提供されている。
識字率は、93.5%で、非識字者の大多数は65歳以上の高齢者であり、若年層(15-29歳)では、99%以上となっている[21]。現在、授業にポルトガル語を用いている学校は1校のみである。
マカオは、統一的学制を有しておらず、中等教育までは英国式、中国式、ポルトガル式のものが並立している。10の高等教育機関があり、内、4機関は公立である[22]。国際学習到達度調査によると、2003年実施のもので実施41カ国(地域含む)中、数学的リテラシー9位、科学的リテラシー7位、問題解決能力6位、2006年実施のもので実施56カ国(地域含む)中、数学的リテラシー8位と上位を記録している。しかしながら、マカオの進学率は、他の高収入諸地域に比べ高いとはいえず、2006年の統計によると、14歳以上の住民のうち、中等教育を受けたものは51.8%であり、高等教育は 12.6%となっている[21]。
マカオ基本法第6章第121条において、以下の条項が定められている。
マカオ政府は、教育組織、管理・運用、教育に用いる言語、資金配分、入試制度、到達度の認識及び学位制度を含んだ政策について、教育的発展を促進するよう、教育政策の方針を定めなければならない。- 政府は法律に従って、順次、義務教育制度を整備するしなければならない。
- 地域社会と個人は、法律に基づき、各種の教育的事業を営むことができる。
スポーツ
モータースポーツ
1954年より行われているモータースポーツの祭典であるマカオグランプリが世界的に有名で、1983年より国際格式のフォーミュラ3のマシンによって行われるようになって以来、アイルトン・セナやミハエル・シューマッハ、佐藤琢磨など多くのレーシングドライバーがここで勝利を挙げた後にフォーミュラ1へとステップアップしている。
また、2000年のマカオグランプリでマカオ出身のレーシングドライバーとして初優勝したアンドレ・クートが、SUPER GTや国際F3000選手権など世界各国のレースで活躍している。
マラソン
毎年12月初旬に、旧3地域を一巡するマカオマラソンが行われる。
トライアスロン
- 毎年9月初旬に、国際規格ITU公認のコンチネンタルカップ兼アジアカップのトライアスロン大会が開催される。
国際バレーボール連盟・ワールドグランプリ
- 毎年バレーボール・ワールドグランプリの予選ラウンドが行われる。2001年と2011年の決勝ラウンドが行われる。
国際大会
マカオには、中華人民共和国の中国オリンピック委員会とは独立したマカオオリンピック委員会が存在する。
ただし、マカオオリンピック委員会はアジアオリンピック評議会からは承認済みであるが、国際オリンピック委員会からの承認は得ていない。このためアジア大会や東アジア大会には選手団を送り込めるが、オリンピックには出場できない。ちなみに、国とは独立したオリンピック委員会を持つ地域としては、他に、香港がある。
2005年10月に第4回東アジア競技大会が行われた他、2007年にはアジア室内競技大会が開催された。
観光名所
マカオ歴史地区も参照のこと。
- 聖ポール天主堂跡
マカオ博物館(en:Museum of Macau)- ペンニャ教会
- 媽閣廟
- 仁慈堂
- セナド広場
モンテの砦(en:Fortaleza do Monte)- マカオ・フィッシャーマンズ・ワーフ
- タイパ大橋
- マカオタワー
- カジノ
ドッグレース場- マカオグランプリ
石排湾郊野公園パンダ館
宿泊施設及びカジノ
- リスボアホテル
- グランド・リスボア
- マカオ・パレス
- サンズ・マカオ
- ウィン・マカオ
- ザ・ベネチアン・マカオ
- フォーシーズンズホテル
- MGMグランド
- スター・ワールド
- ハードロック・ホテル
- マンダリン・オリエンタルホテル
ポウサダ・デ・サンチャゴ(カジノなし)- フォーチュナホテル
姉妹都市・友好都市
- マカオ全体
リスボン、ポルトガル
ポルト、ポルトガル
ブリュッセル、ベルギー
サンパウロ、ブラジル
プライア、カーボベルデ
- Concelho das Ilhas地区
コインブラ、ポルトガル
リンシェーピング、スウェーデン
舞台にした作品
- 漫画
マカオの男(藤子不二雄Aブラックユーモア短編、1970年)
- テレビドラマ
ザ・ボディガード 第20話「愛の散る街 -マカオ-」(1974年8月15日)
- 映画
007 黄金銃を持つ男(1974年)
ゴルゴ13 九竜の首 (1977年)
関連項目
- 歴代マカオ総督一覧
- マカオの歴史
- スタンレー・ホー
- テディ・イップ
- 人民解放軍駐マカオ部隊
- 中華人民共和国の行政区分
香港関係記事の一覧 - マカオ関係記事の一覧も記載- 中国本土・マカオ経済連携緊密化取決め
- 健康都市連合
- ロイヤル・スーパーマーケット
- 世界三大夜景#世界新三大夜景
- ISO 3166-2:MO
脚注
^ 澳門特別行政區政府統計暨普查局>統計資料>澳門主要統計指標 2018年10月8日閲覧 [1]
- ^ abcThe World Factbook — Central Intelligence Agency
^ 黄翊、『澳門語言研究』p3、北京・商務印書館、2007年
^ 森島守人著、『真珠湾・リスボン・東京 続一外交官の回想』、岩波新書、1956年
^ 内藤陽介『マカオ紀行 ― 世界遺産と歴史を歩く』173p
^ Macao Is A Relic Of Bygone Era Of European Gunboat Diplomacy, David J Paine, Associated Press, Daily News, May 14, 1971, page 17
^ Macao Locals Favor Portuguese Rule, Sam Cohen, The Observer in Sarasota Herald-Tribune, June 2, 1974, page 4H
^ 人民解放軍、マカオで災害出動 返還後初めて日本経済新聞アジアニュース(2017年8月25日)
- ^ abc“Macau Climate, Temp, Rainfall and Humidity”. Nexus Business Media Limited. 2007年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月6日閲覧。
^ “100 years of Macau Climate”. Macao Meteorological and Geophysical Bureau. 2011年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月15日閲覧。
^ “100 Years of Macao Climate”. 2011年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月16日閲覧。
^ The World Factbook
^ “"GDP per capita, PPP (current international $)", World Development Indicators database”. 2015年11月5日閲覧。
^ “Life expectancy at birth”. CIA. 2015年11月5日閲覧。
^ 発行全額に相当する香港ドルがマカオ金融管理局に預託されている。
^ 澳門特別行政區政府統計暨普查局>統計資料>澳門主要統計指標 2018年10月8日閲覧 [2]
^ “マカオの17年1〜11月累計カジノ税収17.9%増の約1.2兆円…年間予算は10月終了時点で達成済み=歳入の8割占める(マカオ新聞)”. 大航海時代新聞出版社. 2018年10月8日閲覧。
- ^ abThe World Factbook — Central Intelligence Agency 2016年9月6日閲覧
^ GLOBAL RELIGIOUS LANDSCAPE 45 Table:Religious Composition by Country ピュー研究所
^ 2012 Report on International Religious Freedom: China (Includes Tibet, Hong Kong, and Macau) - Macau アメリカ合衆国国務省(2013年5月20日)
- ^ ab Global Results of By-Census 2006. Statistics and Census Service (DSEC) of the Macau Government. (2007).
^ Macau 2007 Yearbook. Government Information Bureau of Macau SAR. (2007). ISBN 978-99937-56-09-5.
外部リンク
- 政府
マカオ政府 (中国語)(ポルトガル語)(英語)
- 日本政府
日本外務省 - マカオ (日本語)
- 観光
マカオ政府観光局 (日本語)
マカオ政府観光局発行観光情報誌 センス・マカオ (日本語)
ウィキトラベル旅行ガイド - マカオ (日本語)
ウィキボヤージュには、マカオ(繁体字中国語)に関する旅行情報があります。
ウィキボヤージュには、マカオ(ポルトガル語)に関する旅行情報があります。
ウィキボヤージュには、マカオ(英語)に関する旅行情報があります。
- その他
マカオのウィキメディア地図 (英語)
地図 - Google マップ
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