バイアトロン
種類 | 株式会社 |
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設立 | 1967年 |
業種 | コンピュータ |
事業内容 | コンピュータ端末の製造、販売 |
代表者 | Edward Bennett |
バイアトロン(英:Viatron)はかつてアメリカ合衆国にあったコンピュータ企業である。
目次
1 概要
2 関連項目
3 脚注
4 外部リンク
概要
バイアトロンは1967年にマサチューセッツ工科大学から半自動式防空管制組織のシステム工学の業務のために設立された非営利のMITREで勤務していた技術者達によって設立された。社長のEdward Bennettはベトナムで使用するために開発されたデータ管理システムを管理した[1]。同社の指導者達はコンピュータのハードウェア、半導体、事業の運営に関して経験が浅かった。Bennettは博士号を持っており、熱心に売り込んだ。当初、バイアトロンは直接製造には関与せず、研究開発のみに専念する方針で創業者達はコンピュータ会社にとって製造は不可欠な技術ではないと信じていた[1]。
バイアトロンはSystem21端末を月額$39ドルで貸し出す事業を1968年10月に発表した。端末の価格は当初、製造費用を下回っており、習熟曲線に従って価格の低下を目指しており、製造費用の低減のために人件費の安い外国で生産された[2]。
バイアトロンはMOS半導体大規模集積回路をゼネラル・インスツルメンツ社から購入する方針だった。1968年の秋に大規模集積回路を使用せずに700の集積回路を使用した試作機が実演された[1]。バイアトロンはMOS技術を使用して50個にまで半導体の数を減らす事を望んだ。同社の計画は同様に集積回路の採算がとれるように大量のSystem21の受注を前提にしていた[1]。どの半導体製造会社もバイアトロンの予定するMOS半導体の大量生産を実証していなかったものの、同社は大量の受注を獲得した。1969年にバイアトロンは半導体製造の9社とMOS半導体の生産で契約を交わした。バイアトロンはCogerと組んだことで大企業として事業を開始できた[1]。同社は$10000万ドルの発注を受け毎月600台生産するために$3600万ドルを工面して$6300万ドルの半導体を発注した[2]。
バイアトロンの成功条件はあらゆる項目が不確定な計画を前提としていた。MOS半導体の生産能力は限られていたので同社は独自の集積回路を生産するために投資が必要だった。しかしそれには毎月5000から6000台の端末を売らなければならなかったがそれは不可能で製造費用を押し上げた[1]。
受注残は膨らみ、想定を超えた速度で拡大した結果、管理が追いつかなくなり、資金繰りが悪化したが、折悪く、市場での資金調達は容易ではなく、1970年5月に同社は価格を2倍にして一時解雇を開始した[2]。1500台の端末を出荷したのみだった。費用が高騰して顧客の不満が高まり、経営陣が去り、1971年3月に連邦倒産法第11章の適用を申請した[2]。
当時はMOS半導体は量産技術の開発途上で製造技術が確立されておらず、歩留まりが悪く、生産コストを引き上げる要因だった。
集積回路の集積度はムーアの法則に従って向上していたのでバイアトロンが必要としていた回路規模を実装するチップは数年待てば妥当な価格で入手できるようになっていたと考えられる[1]。
日本にも合弁会社が設立され[3]、端末が試験的に輸入され、倒産後はジャンク品として流通した[4]。
関連項目
Four-Phase Systems - 同時期に設立されたが、こちらは市場で一定の成功を収めた。
脚注
- ^ abcdefgRoss Knox Bassett (2007年2月). To the Digital Age: Research Labs, Start-up Companies, and the Rise of MOS Technology. JHU Press. pp. 253-256.
- ^ abcdJohn Gantz (1985年4月). “The Ultimate Stock Pick”. InfoWorld (InfoWorld Media Group, Inc.) 7 (13): 42. ISSN 0199-6649.
^ 当時は週刊文春のようなメディアに広告が数ページ掲載されたとされる
^ 安田寿明 (1977年3月). マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる. 講談社. pp. 245-246.
外部リンク
- System 21 microprocessor