オセロ (遊戯)
オセロ (Othello) は、2人用のボードゲーム。交互に盤面へ石を打ち、相手の石を挟むと自分の石の色に変わり最終的に石の多い方が勝ち。単純なルールながらゲームとしての複雑さは人間がゲームの木の全展開を把握可能な程度を超えており、いまだにコンピュータによる全解析は達成されていない。“A minute to learn, a lifetime to master”(覚えるのに1分、極めるのは一生)がオセロのキャッチフレーズである[1]。
「オセロ」「Othello」はいずれもメガハウス(旧ツクダオリジナル)の登録商標であるため、他社やコンピュータ上の製品では「リバーシ」(Reversi)や「白黒ゲーム」などの名前が使われることも多い。ただし、リバーシは、本来は、オセロと似た別のゲーム、あるいはオセロの原型となったゲームの名前であり、オセロの別名ではない(具体的には、リバーシは使用する石の色がオセロと異なる。詳しくは後述する)。
パーソナルコンピューターには、リバーシがWindows 3.0までは標準で付属されたが、Windows 3.1以降は付属されなくなった。その後、Windows MeおよびXPでは再びゲームとしてインターネットリバーシが付属されていたが、Windows Vista以降では付属されなくなった。
目次
1 遊び方
1.1 基本的なルール
1.2 白番・黒番の決定方法
1.3 ハンデのつけ方
2 オセロの歴史
2.1 オセロの起源
2.2 前史
2.3 オセロの成立
2.4 商品化とオセロブーム
3 オセロとリバーシ(源平碁)
3.1 オセロの別名としてのリバーシ
4 競技人口
5 オセロの販売メーカー
6 派生ゲーム
7 コンピュータオセロ
8 世界大会等
8.1 世界オセロ選手権(World Othello Championship)
9 関連文献・資料
9.1 定石書・戦術書
9.2 歴史
9.3 派生ゲーム
9.4 プログラミングなどとの関係
9.5 学習用ソフトウェア
9.6 コンピュータゲーム移植作品
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク
遊び方
基本的なルール
一言で言えば、プレイヤーは「石を黒白交互に挟むように打ってひっくり返し、最後に石が多い方が勝ち」となる。
具体的には次の通りゲームを進めていく。
- 8×8のマス目の緑色のオセロ盤に、図のように右上を黒として、石を黒白2個ずつ置き、ゲームを開始する。
- プレイヤーは交互に黒石、白石を打つ。石は両面が白と黒になっており、石を打つとき、縦・横・斜め方向に相手色の石を自色で挟み、挟まれた石を自色に返す。相手の石を返すことができないマスに石を打つことはできない。
- 打てるマスが全くない場合はパスとなり、相手が続けて打つことになる。パスの回数に制限はないが、返せる相手の石が1つでもある場合、パスをすることは認められない。
- 最後まで打って、石が多い方が勝ちである。なお最後とは「マスが全て埋まった場合」「両者とも打てるマスがなくなった場合」のいずれかである。
白番・黒番の決定方法
オセロは先手が黒、後手が白である。
公式ルールにおける黒白の決定は「伏石」というニギリに近い方式で行われる。
引き分けを認めない場合は、段級位が上の者が石を1個、相手に見えないように手で隠して盤の上に置き、上面の色を相手が当てる。的中であれば的中させた者が、不的中の場合は石を隠した者が「黒番・白番を選ぶ権利」、あるいは「石の数が同数で終局した場合に勝者となる権利」のどちらかを選択する。
引き分けを認める場合は、同様に段級位が上の者が石を隠し、相手が上面を選択してその面の色の手番を持つことになる。引き分けを認めるか否かは大会によって異なる。
オセロは黒白の有利不利はコンピュータでは解析されていない。
終局までパスがない場合、最後に打てるのは白なので白有利とする選手もいるが、黒番は定石を主導できることが多く、黒を得意とする選手もいる。
ハンデのつけ方
ハンデをつける方法としては、対局前に隅に次の通り黒石を置く方法で行われる。ハンデ戦の場合は下手が黒を、上手が白を持つが、上手先手で対局を開始する。
- 1子局―左上の隅に黒石を置いて対局を開始する。
- 2子局―左上と右下の隅に黒石を置いて対局を開始する。
- 3子局―左上と右下、右上の隅に黒石を置いて対局を開始する。
- 4子局―4か所全ての隅に黒石を置いて対局を開始する。
オセロの歴史
オセロの起源
現在普及しているオセロのパッケージは、日本オセロ連盟元会長の長谷川五郎がツクダオリジナル社に持ち込んで発売に至ったものである(なお、登録商標であるため他社が無断でオセロを発売することはできない)。長谷川がオセロを開発するに至った経緯については本人の説明が二転三転しており、定かではない。特に、オセロのルーツについては、当初「19世紀からイギリスを中心に親しまれていたリバーシ(源平碁)というゲームを改良したものである」と説明していたが[2]、後に「自身が中学生時代に考案した簡易囲碁ゲームの挟み碁がオセロの起源であり、完全に自身のオリジナルである」と主張を改めている[3](リバーシについては後述)。
以下では、長谷川晩年の著書である『オセロゲームの歴史』をはじめとする比較的新しい文献で、長谷川が主張しているオセロ開発の経緯を紹介する。
前史
近年の長谷川の主張によれば、第二次世界大戦が終わって間もない1945年の夏に茨城県水戸市で中学生時代の長谷川が考案した簡易囲碁ゲーム・挟み碁がオセロの起源である。
長谷川によると、当時の長谷川は相手の石を囲んだら取れるという囲碁のルールがよく分からなかったため、相手の石を挟んだら取れるという簡易ルールで遊んでいた[4][1]。その後、石を取るのではなく、相手の石を挟んだら自身の石と置き換えるというルールに改良し、現在のオセロに近いものとなった。さらに、自身の石と置き換える作業を簡単にするため、碁石ではなく表裏を白黒に塗り分けた紙の石を裏返すというアイデアに至り、現在のオセロの原型とも言えるゲームが完成した。
長谷川は、中学・高校・大学にわたって、この挟み碁を級友とプレイしていたが、大学卒業によってその機会がなくなり、挟み碁は一旦姿を消すことになった。
オセロの成立
1964年当時、製薬会社の営業として仕事をしていた長谷川は、会社の同僚の女子社員たちから何かゲームを教えて欲しいと頼まれた[5]。最初は囲碁や将棋を教えたが[6]、難しすぎるとのことで上手く行かず、そんな折に少年時代に考案した簡易囲碁ゲーム・挟み碁のことを思い出した。そこで、自宅で妻と家庭の牛乳瓶の紙蓋[7]を集めて石を自作し、女子社員たちにルールを教えたところ、彼女らが昼休みにこのゲームを楽しむようになった。
さらに、営業先の病院でもこのゲームを紹介したところ、入院中の患者の時間潰しやリハビリテーションに使えるとのことで好評を博した。長谷川が担当していたある病院の医局長からは「このゲームは社会復帰を目指す患者のリハビリに適し華がある」と太鼓判を押されたという[8][1][9]。
手応えを覚えた長谷川は、仲間たちとともに実験・研究を繰り返し、このゲームをさらに改良することにした。当初は自作の8×9の盤を使っていたが、1970年10月頃、メルク社(西ドイツの製薬会社)からチェスセットが日本の薬品関係者に贈られると、長谷川はこの8×8のチェス盤を採用して、チェス盤に合った牛乳瓶の紙蓋を使用するようになった。さらに、当初は間接挟みでも石を返すという現在よりもやや複雑なルールを採用していたが、直接挟みのみに限定した簡明なルールに変更した[10]。これにより、現在のオセロと同様のゲームが成立した。
完成したゲームには、長谷川の父親で旧制水戸高等学校(水高)の英国文学教授であった長谷川四郎の発案により、「オセロ」という名称が与えられた。これは、シェイクスピアの戯曲『オセロ』に由来し、「黒人の将軍・オセロと白人の妻・デズデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るというストーリーに、黒白の石がひっくり返りながら形勢が次々変わっていくゲーム性をなぞらえた。緑の盤面は、戯曲オセロの戦いの舞台、イギリスの緑の平原をイメージして作った」と長谷川は説明している[11][1]。
商品化とオセロブーム
1972年、長谷川が玩具メーカーのツクダオリジナルにオセロを持ち込んだところ、これが認められ、商品化されて販売されることになった[12][13]。商品企画部門の責任者だった和久井威によると、当時玩具に対してキャラクター以外のロイヤリティーを払うという意識が業界にはほとんどなく、オセロにもパテントは付いていなかったが、ツクダのオーナーは「おもちゃはアイデアだから」と支払を認めたという[13]。また、玩具業界にはボードゲームは4人以上で遊べるべきという意識があったため、大人をターゲットとしてパッケージにタバコやライターを映している[12]。価格も2200円に設定された[13][14]。
1973年4月25日[15](1973年4月29日とする資料もある[16])、「オフィシャルオセロ」が発売された。その初期ロットは在庫を残さないよう3千個で、経費の都合でテレビ宣伝も打たなかったものの、百貨店の店頭などで実演販売をすると着実に売れていった[13][14]。これに自信を得た和久井はその年の年末商戦に向けてテレビCM(ドンキーカルテットのジャイアント吉田を起用)を製作し、オンエア後の10月からの3ヶ月間で38万個、1974年に120万個以上[17]、1975年に280万個が売れ、『日経流通新聞』(現『日経MJ』)のヒット商品番付で2年連続で「大関」に選出された[13][14]。
1977年にアメリカ合衆国で発売され、その年に100万個が売れたという[14]。前記のキャッチフレーズは、この時にアメリカ側で考案されたものである[14]。
オセロ盤のバリエーションは販売開始以後、順次追加されている。和久井によると2007年時点でも年間40 - 50万個は売れているという[13]。
発売時期 | 主なオセロ盤名 | 特徴 |
---|---|---|
1973年〜 | オフィシャルオセロ | オセロ公式大会使用盤。 |
1975年頃〜 | マグネットオセロ | 石がマグネット式で石ずれ防止になり、かつ盤が折り畳み可能。 |
1970年代後半〜 | ベストオセロ、ナイスオセロ | 盤に石ケースを内蔵。2000年代にもマイナーチェンジあり。 |
1980年代前半〜 | ビクトリーオセロ | マス目に立体ガイド付きで石がずれない入門用。 |
2000年代前半〜 | 大回転オセロ | 盤に回転式の石を固定。発売当初は「オセロ極(きわめ)」と呼ばれていた。 |
視覚障害者向けに触って石を識別できたり、指の障害などで石をつまめない人が盤と一体化した石を回したりして楽しめるタイプ(上表の「大回転オセロ」もこれに該当する)も開発・発売されている[18]。
オセロとリバーシ(源平碁)
オセロとよく似たゲームにリバーシ(Reversi、レヴァルシー、源平碁)がある。
リバーシは、1870年にイギリスのジョン・モレット(John Mollett)が考案したアネクゼイションというボードゲームを改良して、1883年にイギリスのルイス・ウォーターマン(Lewis Waterman)が開発した[19]。リバーシは開発から5年後の1888年に商品化され、早くから日本にも輸入された[20]。
オセロとリバーシの違いは、オセロは白黒の石を用いるが、リバーシは赤黒の石を用いるという点である[21]。ゲーム内容については、基本的にオセロと同様であるが、初期のリバーシでは、
- 盤面の大きさが定まっていない。
- 初期配置が定まっていない。
- 打てる箇所がない場合の扱い(パスになるのか即座に負けになるのか)が定まっていない。
などルールに曖昧な点があったとされている。もっとも、1907年に編纂された『世界遊戯法大全』では、これらの曖昧な点は解消され、全て現在のオセロと同様(盤面は8×8、初期配置は互い違い、打てる箇所がなければパス)のルールが定められている[22](なお、これらのルールとは異なる様々なローカルルールが存在した可能性がある[23])。
オセロとリバーシの関連性については、「リバーシを改良したものがオセロである」とする文献もあれば「偶然似たようなゲームが独立に考案されただけで無関係である」とする文献もある。1973年にツクダオリジナルからオセロを発売したボードゲーム開発者の長谷川五郎は、オセロのルーツについて、当初「1883年にイギリスで考案されたリバーシがオセロの起源である」としていたが[24]、後に「1945年に自身が考案した簡易囲碁ゲーム(挟み碁)がオセロの起源である」と主張を改めている[25]。なお、長谷川の設立した日本オセロ連盟では、後者の立場を採っている。
いずれにしても、長谷川がオセロを発売した時点ですでにリバーシの開発者はこの世におらず、特に権利関係が問題視されることはない。また、現在のオセロの興隆は、ゲーム性のみならずオセロという名称や白黒のデザインを伴った長谷川の構築したブランド力によるものであり、先行するリバーシを上回る世界的認知度を得ている。
オセロの別名としてのリバーシ
現在では、赤黒の石を用いる本来のリバーシはオセロと比べて競技人口が著しく減っており、代わってオセロの別名としてリバーシという言葉が使われることが増えている。アメリカオセロ連盟によれば、これは、オセロの商標権との抵触を避けるためにリバーシの名を借りてオセロと完全に同一(白黒の石)のゲームを販売するメーカーが存在するためである[26]。
1973年のオセロ発売当初、「オセロ」という商品名は商標として、白黒の石や緑の盤面などのデザインは意匠として、ともに登録されて権利保護の対象となっていた。ゆえに、当時は、長谷川が商品化を持ち込み販売を応諾したツクダオリジナル以外の他社は、オセロの名称はもちろん、白黒の石を用いるデザインも無断で使用することができなかった。
その後、意匠権は保護期間の20年が満了し、他メーカーでもオセロと同様の白黒の石のゲームを販売することが可能となったものの、商標権は現在も保護されているため、他社が販売する場合に「オセロ」の名称を使用することはできないままである。そこで、他社が販売する場合には、白黒の石を使用していても「リバーシ」の名称を使用することが一般的となっている(他に「白黒ゲーム」などとする場合もある)。
リバーシという名前でのオセロと同様のゲーム(白黒の石を使用)は、インターネット上でのオンライン対戦を含むコンピュータゲームのほか、安価なポータブルゲームとしてコンビニエンスストアなど小規模な店舗などでも見られる(ただしコマ=石のサイズ等、オセロの公式規定とやや異なることもある)。
なお、NHKでは、「オセロ」「Othello」が商標登録されているために「オセロ」の名称の使用を避けてきたが、2018年の世界オセロ選手権関連の報道では「オセロ」の名称が使われている(他の商標については2010年頃から『ギネス世界記録』が、2017年頃から『ミシュランガイド』が使われるようになった)。
競技人口
オセロの競技人口は、 2001年に長谷川が著した文献『オセロの勝ち方』 によると約6000万人と書かれている。 ただしこの競技人口は、ルールを知っている人全てが含まれており、参考扱いでもある。
将棋(600万人:レジャー白書[27])や囲碁(220万人:レジャー白書[28])、チェス(『レジャー白書』では調査対象外。日本チェス協会のサイトで確認できる会員名簿では400人弱)などに比べると多いとしているが、定義を統一した調査が行われたわけではない。
現在はコンピュータゲームやスマートフォンゲームが全盛の中、アナログゲーム同士を比べる意味は低くなっている。
なお、休み時間の遊戯用として小学校の教室内にアナログのボードゲームであるオセロ盤や将棋盤などが置いてあるケースがよく見られている。また、オセロ盤を設置する老人ホームやデイサービスセンターが増え、ゲームを楽しむ高齢者も多くいる[29]。元ツクダオリジナルの和久井威はオセロがロングセラーとなった要因に対象年齢が幅広いことを挙げ、「夫とオセロをして勝つと夫の機嫌が悪くなり、「待った」をされて結婚以来初めて口答えをした」という87歳の女性の投書が『朝日新聞』に載ったという話を紹介している[13]。
オセロの販売メーカー
以下のように、何度かの変遷をたどっている。
- オセロの販売メーカーは、当初はツクダおよびその子会社のツクダオリジナル(1974年分社化)であった。
2002年、ツクダオリジナルがバンダイの子会社となる。
2003年3月、ツクダオリジナルと、元ツクダオリジナル企画部長でありオセロを長谷川と共に立ち上げた和久井威が経営するワクイコーポレーションが経営統合し、パルボックスとなった。
2005年、パルボックスはバンダイの子会社メガハウスに統合し現在に至っている。
アメリカではゲイブリル社が最初の販売元だった[14]。その後数社の変遷を経て、2007年時点では欧米の販売権はマテルが所有していた[14]。
派生ゲーム
コンピュータゲームやスマホゲームが全盛の中、アナログのボードゲームの売上は減少しており、オセロもその例外ではない。
アナログのボードゲーム販売強化手法の一つとして、オセロと他の家庭用ボードゲームを一緒にして販売されるケースも多い。この場合、オセロ石を活用して様々なバリエーションの派生ゲームが追加されるケースもある。
長谷川は、オセロの盤面を8×8から10×10に拡大した「グランドオセロ」、そこから隅を切り落とし、八角形状にして8つの隅を持つ「エイトスターズオセロ(旧称『88オセロ〈エイティエイトオセロ〉』)」を考案して市場に送り出したが、これらはマイナーゲームの域を出ていない。
オセロの石を使って、マス目の少ない囲碁、おはじき、積木崩し、トランプのチップ等で遊ぶケースがあるが、日本オセロ連盟が公式にルールを定めたものはない。
コンピュータオセロ
オセロにはルール上偶然の要素はない。ゲーム理論では、オセロは将棋、チェス、囲碁などと同じく二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。
オセロはルールが単純であるため、古くからプログラミングの教材として、あるいは実際の製品としてコンピュータ上で開発されてきた。1980年には、家庭用ゲーム機である Atari 2600用のオセロが発売されている。また、アスキーによりオセロプログラムを対局させる「マイクロオセロリーグ」が企画され、その模様は記事として掲載された。1986年には同社からオセロを題材とした思考ゲームのプログラミング解説書も出版された(森田ら(共著)『思考ゲームプログラミング』)。
当初はコンピュータの性能が低かったため人間は容易にコンピュータに勝つことができた。しかし徐々に、特に終盤でコンピュータに読み切られて圧倒されるようになった。1997年に当時のオセロ世界チャンピオン村上九段がコンピュータに6連敗したことが転換期となり、現在、高性能のオセロプログラムには人間はまず勝つことができない。例えば無料オセロアプリケーションであるゼブラはパソコン及びスマホで利用できるが、極めて強く人間で勝てるのは世界チャンピオンクラス以外は存在しない。歴史順としては、探索空間の狭い順にチェッカー、オセロ、チェスにおいてコンピュータが人間のチャンピオンに勝利し、その後は将棋や囲碁が焦点になっていったが、現在では将棋・囲碁もコンピュータが人間のチャンピオンに勝利している。
チェッカーについては双方の最善手が解明されているが、オセロはまだ完全には計算されていないゲームの一つである。オセロの盤をn×nに一般化した場合、ある与えられた盤の状態においてプレイヤーが必ず勝つことができるかを判定する問題はPSPACE完全であることが分かっている。盤の大きさが4×4あるいは6×6のケースは全て計算されており、例えば6×6のケースについて双方が最善の手順を取った場合、16対20で後手が必勝となることがその手順とともに解明されている[30]。しかし8×8の局面数に対しては、現時点では最善手順は発見されていない。
世界大会等
全日本オセロ選手権大会[31](1973年〜)や世界オセロ選手権大会(1977年〜)など、幅広く大会が行われている。なお第1回世界オセロ選手権大会は東京で行われているが、現在でも日本は世界最強国である。
2006年に行われた第30回世界オセロ選手権大会は、三十(みと)と、オセロの発祥地である茨城県の水戸市をかけて同市で行われた[32]。また水戸市では、2016年にも同市において2回目となる第40回世界オセロ選手権大会が行われた。
世界オセロ選手権(World Othello Championship)
開催年 | 開催地 | 世界チャンピオン | 団体戦優勝国 | |
---|---|---|---|---|
第01回 | 1977年 | 東京 | 井上博 | (未実施) |
第02回 | 1978年 | ニューヨーク | 丸岡秀範 | (未実施) |
第03回 | 1979年 | ローマ | 井上博 | (未実施) |
第04回 | 1980年 | ロンドン | ジョナサン・サーフ | (未実施) |
第05回 | 1981年 | ブリュッセル | 丸岡秀範 | (未実施) |
第06回 | 1982年 | ストックホルム | 谷田邦彦 | (未実施) |
第07回 | 1983年 | パリ | 石井健一 | (未実施) |
第08回 | 1984年 | メルボルン | ポール・ラル | (未実施) |
第09回 | 1985年 | アテネ | 滝沢雅樹 | (未実施) |
第10回 | 1986年 | 東京 | 為則英司 | (未実施) |
第11回 | 1987年 | ミラノ | 石井健一 | アメリカ合衆国 |
第12回 | 1988年 | パリ | 為則英司 | イギリス |
第13回 | 1989年 | ワルシャワ | 為則英司 | イギリス |
第14回 | 1990年 | ストックホルム | 為則英司 | フランス |
第15回 | 1991年 | ニューヨーク | 金田繁 | アメリカ合衆国 |
第16回 | 1992年 | バルセロナ | マーク・タステ | イギリス |
第17回 | 1993年 | ロンドン | デビッド・シェイマン | アメリカ合衆国 |
第18回 | 1994年 | パリ | 滝沢雅樹 | フランス |
第19回 | 1995年 | メルボルン | 為則英司 | アメリカ合衆国 |
第20回 | 1996年 | 東京 | 村上健 | イギリス |
第21回 | 1997年 | アテネ | 末國誠 | イギリス |
第22回 | 1998年 | バルセロナ | 村上健 | フランス |
第23回 | 1999年 | ミラノ | デビッド・シェイマン | 日本 |
第24回 | 2000年 | コペンハーゲン | 村上健 | アメリカ合衆国 |
第25回 | 2001年 | ニューヨーク | ブライアン・ローズ | アメリカ合衆国 |
第26回 | 2002年 | アムステルダム | デビッド・シェイマン | アメリカ合衆国 |
第27回 | 2003年 | ストックホルム | ベン・シーリー | 日本 |
第28回 | 2004年 | ロンドン | ベン・シーリー | アメリカ合衆国 |
第29回 | 2005年 | レイキャビック | 為則英司 | 日本 |
第30回 | 2006年 | 水戸 | 為則英司 | 日本 |
第31回 | 2007年 | アテネ | 冨永健太 | 日本 |
第32回 | 2008年 | オスロ | ミケーレ・ボラッシ | 日本 |
第33回 | 2009年 | ゲント | 高梨悠介 | 日本 |
第34回 | 2010年 | ローマ | 高梨悠介 | 日本 |
第35回 | 2011年 | ニューアーク | 信川紘輝 | 日本 |
第36回 | 2012年 | レーワールデン | 高梨悠介 | 日本 |
第37回 | 2013年 | ストックホルム | 岡本一樹 | 日本 |
第38回 | 2014年 | バンコク | 末國誠 | 日本 |
第39回 | 2015年 | ケンブリッジ | 高梨悠介 | 日本 |
第40回 | 2016年 | 水戸 | ピヤナット・アンチュリー | 日本 |
第41回 | 2017年 | ゲント | 高梨悠介 | 日本 |
第42回 | 2018年 | プラハ | 福地啓介 | 日本 |
関連文献・資料
定石書・戦術書
丸岡秀範 『ぼくたちオセロエイジ』 (C・D企画: 大和学芸図書、1979/03)
日本オセロ連盟(編纂) 『図解 オセロ入門』 (虹有社、1983/01) ISBN 4770900058
谷田邦彦 『図解 早わかりオセロ ― これが必勝のコツだ!!』 (日東書院本社、1986/12) ISBN 4528004933
- 谷田邦彦 『絵でわかるオセロ入門』 (日東書院本社、1988/05) ISBN 4528008440
- 井上博 『逆転の発見 ― オセロの定石と必勝戦術 (改訂新版)』 (ネコ・パブリッシング、1992/12) ISBN 4873660882
長谷川五郎 『オセロの打ち方 ― 勝つための基本戦術』(講談社、1981/12) ISBN 4061277596
- 長谷川五郎 『オセロ百戦百勝 ― 勝つための技術』(講談社、1990/07) ISBN 4062048434
- 長谷川五郎 『オセロ大観〈1〉』 (近代文藝社、1995/09) ISBN 477334718X
- 長谷川五郎 『オセロ大観〈2〉』 (近代文藝社、1995/09) ISBN 4773347198
- 長谷川五郎 『オセロの勝ち方 [改訂新版]』 (河出書房新社、2006/07) ISBN 4309269087
- 長谷川五郎 『オセロ教室』(近代文藝社、2008/8) ISBN 4773375825
中島哲也 『たのしく上達 図解オセロ ― 定石から必勝テクニックまでわかりやすく解説!』(成美堂出版、2009/05) ISBN 4415305490
- 村上健 『史上最強カラー図解 強くなるオセロ』(ナツメ社、2011/03) ISBN 4816350330
- 滝沢雅樹(監修) 『図解 オセロの基本―マンガで覚える』 (滋慶出版/土屋書店 、2011/11) ISBN 4806912344
- 松浦政泰『世界遊戯法大全』(1907年、博文館) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860315 (コマ番号111〜112)ASIN B008Y7Q9QU
歴史
- 長谷川五郎 『オセロの打ち方 ― 勝つための基本戦術』(講談社、1981/12) ISBN 4061277596
- 長谷川五郎 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』 (河出書房新社、2005/12) ISBN 4309906559
- 長谷川五郎 『オセロゲームの歴史』 (河出書房新社、2011/07) ISBN 9784309909134
- 「和久井威氏ロングインタビュー 第2回」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、東京玩具人形協同組合
派生ゲーム
- 長谷川五郎 『オセロの打ち方 ― 勝つための基本戦術』(講談社、1981/12) ISBN 4061277596
- 長谷川五郎 『ソクラテスの打ち方』(ソラリス、1994年) ISBN 4795203806
佐藤周二 『オセロ盤でもできる知的ゲーム 4・7』 (創栄出版、2006/08) ISBN 4434081616
プログラミングなどとの関係
森田和郎ら 『思考ゲームプログラミング ― オセロゲームのアルゴリズムと作成法』 (アスキー、1986/02) ISBN 4871481867
池原吉彦 『オセロで学ぶ BASIC 入門 ― 手作りプログラムで学ぶコンピュータ基礎講座』 (技術評論社、1990/07) ISBN 487408365X
Seal Software 『リバーシのアルゴリズム C++ & Java 対応 ―「探索アルゴリズム」「評価関数」の設計と実装』 (工学社、2003/06) ISBN 4875934289
学習用ソフトウェア
- 『中島哲也のオセロセミナー』(サクセス、2002年)--- Xbox 対応
コンピュータゲーム移植作品
- 『オセロマルチビジョン』(FG-1000、ツクダオリジナル、1983) - 本体にゲームを内蔵。セガのSG-1000シリーズと互換性があった。
- 『オセロ』(SG-1000、セガ、1985)
- 『オセロ』(ファミリーコンピュータ、河田、1986/10/13) - 旧ツクダオリジナル(現メガハウス)から正式にライセンスを受けて作られている。
- 『スーパーオセロ』(アーケード、フジワラ、1986)
- 『オセロ』(ゲームボーイ、河田、1990/2/9)
- 『究極のオセロゲーム』(アーケード、サクセス、1990)
- 『オセロワールド』(スーパーファミコン、ツクダオリジナル、1992/4/5) - 評論筋からは「単純に敵が強すぎて初心者に厳しい」と評されている[33]。
- 『オセロワールド』(ゲームボーイ、ツクダオリジナル、1994/9/30)
- 『オセロダービー』(アーケード、サンワイズ、1995)
- 『オセロワールドII 夢と未知への挑戦』(PlayStation、ツクダオリジナル、1995/12/8)
- 『オセロしようよ』(アーケード、サクセス、1998)
- 『オセロミレニアム』(ゲームボーイカラー、ツクダオリジナル、1999/10/8)
- 『SuperLite 2000シリーズ オセロ』(PlayStation 2、サクセス、2003/7/31)
- 『オセロ de オセロ DS』(ニンテンドーDS、メガハウス、2008/6/12)- タレントのオセロが登場する。
- 『オセロ』(ニンテンドーDSiウェア、アークシステムワークス、2009/7/29)
- 『オセロ』(Wiiウェア、アークシステムワークス、2009/12/22)
- 『オセロ』(PlayStation Portableオンライン配信、アークシステムワークス、2010/3/25)
- 『オセロ3D』(ニンテンドー3DSダウンロードソフト、アークシステムワークス、2011/6/7)
- 『オセロ』(Wii Uダウンロードソフト、アークシステムワークス、2013/4/17)
- 『オセロ』(PlayStation Vitaオンライン配信、アークシステムワークス、2014/8/7)
- 『オセロ』(Nintendo Switchダウンロードソフト、アークシステムワークス、2017/3/3)
脚注
- ^ abcd長谷川五郎 『オセロゲームの歴史』(河出書房新社、2011/07) ISBN 9784309909134
^ 長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。
^ 長谷川五郎著『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。
^ 日本オセロ連盟のサイトには長谷川の談話として「黒板をおいた青空授業が9月から始まりました。オセロの原型はそういう環境の下に生まれました。」と記載されている。オセロ誕生秘話(1)生い立ち (日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)
^ なお、『オセロゲームの歴史』では、会社の同僚の女子社員から頼まれたのがきっかけとしているが、このあたりの経緯については長谷川の発言が一定しておらず、病院の患者の時間潰しのために頼まれたのがきっかけであるとしている書籍もある。
^ なお、長谷川は囲碁・将棋ともに五段の腕前である。
^ なお、オセロの石のサイズ(約35ミリメートル)は、牛乳瓶の紙蓋とほぼ同じである。これは、当初牛乳瓶の紙蓋を利用してプレイしていたことに由来する。
^ 初期の全日本オセロ選手権大会の実力者に病院関係者が多いことはこのような経緯によるオセロ誕生秘話(2)〜オセロゲームの歴史はファンと共に歩むことによって作られて行った〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)。また、オセロ発売前に開かれた「第1回選手権大会」に来た客にも、長谷川の縁でファンとなっていた病院関係者が多かったという。
^ 長谷川五郎 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』(河出書房新社、2005/12) ISBN 4309906559
^ 井上博『逆転の発見 ― オセロの定石と必勝戦術』企画室ネコ、1977年10月10日、66頁。なお、長谷川は、1964年に同僚の女子社員に教えた時点から現在と同じ8×8盤を使用していたと主張している。
^ オセロ誕生秘話(3)〜オセロファンのエネルギーがオセロのビックバンを作った!!〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)
- ^ ab野口智弘 (2007年2月20日). “あの素晴しいトイをもう一度 第7回 オセロ(1) - パッケージにタバコ? 大人向けだったオセロ”. マイナビニュース. http://news.mynavi.jp/column/toyagain/007/ 2017年4月2日閲覧。 ここでは和久井は「製品として発売するまでには1年近くかけてます」と述べている。
- ^ abcdefg「特別企画 和久井威氏ロングインタビュー その2」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、pp.72-74。このインタビューでは持ち込みは「(昭和)47年の年末」と述べている。
- ^ abcdefg野口智弘 (2007年2月28日). “あの素晴しいトイをもう一度 第8回 オセロ(2) - 最初はたった3000個、オイルショックを乗り越え世界へ”. マイナビニュース. http://news.mynavi.jp/column/toyagain/008/ 2017年4月2日閲覧。
^ 『国産はじめて物語 Part2<1950〜70年代編> 戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2004年7月7日、143頁。
^ 日本オセロ連盟編『図解 オセロ入門』虹有社、1983年、13頁。
^ 和久井は2年目(1974年)の販売個数について、『トイジャーナル』では「160万個」、マイナビニュースでは「120万個」と述べている。
^ 【モノごころ ヒト語り】オセロ 誰もが楽しむ工夫で進化『日本経済新聞』夕刊2018年12月1日(社会・スポーツ面)2018年12月3日閲覧。
^ なお、モレットとウォーターマンとの間で権利関係の争いがあった。
^ 加藤周一ほか『世界大百科事典 第2版』平凡社。
^ 既述の通り、オセロという名称は、シェイクスピアのオセロで白人と黒人が出てくることをモチーフにしており、オセロでは白黒以外の石を用いることはできない。
^ 松浦政泰 編『世界遊戯法大全』博文館、1907年。
^ 骨董市で見つけた源平碁の小箱 では、市販の源平碁(リバーシ)に添付されたルール説明を確認することができる。ここでは、初期配置が互い違いではなく横並びとなっている。
^ 長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。
^ 長谷川五郎『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。
^ [1]
^ レジャー白書では将棋愛好者は約600万人。
^ 『レジャー白書』では囲碁愛好者は約220万人である。
^ 参考資料:2006年7月17日付フジサンケイ ビジネスアイ「“脳内革命”でオセロ人気 高齢者が熱視線、売れ行き好調」
^ “Perfect play in 6x6 Othello from two alternative starting positions”. 2008年6月1日閲覧。
^ 日本オセロ連盟HP 歴代世界チャンピオン一覧
^ 2005年12月20日『日本経済新聞』朝刊44P記事「オセロ故郷・水戸へ帰る」
^ マイウェイ出版『死ぬ前にクリアしたい200の無理ゲー ファミコン&スーファミ』 (ISBN 9784865119855、2018年10月10日発行)、70ページ
関連項目
- ミラクルファイブ
- ツクダオリジナル
- パルボックス
- メガハウス
ハナヤマ -- リバーシとして販売。- オセロマルチビジョン
パネルクイズ アタック25 -- 4色で行うオセロのようなボード形式に則るクイズ番組。
テンペスト (ゲーム) -- 4色版オセロ。『パネルクイズ アタック25』からクイズを省略した形で進める。
外部リンク
- 一般社団法人日本オセロ連盟
- Othello! JAPAN
- オセロの商品ラインナップ(株式会社メガハウス)
- オセロ総合サイト(アークシステムワークス)