戦車
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年12月) |
戦車(せんしゃ)は、戦線を突破することなどを目的とする高い戦闘力を持った装甲戦闘車両である。一般に攻撃力として敵戦車を破壊できる強力な火砲を搭載した旋回砲塔を装備し、防御力として大口径火砲をもってしても容易に破壊されない装甲を備え、履帯による高い不整地走破能力を持っている。
目次
1 概要
2 名称
2.1 制式名称と愛称
3 歴史
3.1 概観
3.2 第一次世界大戦
3.2.1 黎明期
3.2.2 発展
3.3 第二次世界大戦
3.4 冷戦期 - 現代
3.4.1 第1世代主力戦車
3.4.2 第2世代主力戦車
3.4.3 第3世代主力戦車
3.4.4 ポスト第3世代主力戦車
3.4.5 第4世代主力戦車
3.5 将来
3.6 日本の戦車開発史
4 装備と構造
4.1 過去の装備
5 兵装
5.1 主砲砲弾
6 装甲
6.1 装甲の配置
6.2 戦車の装甲の歴史
6.3 増加装甲
6.4 成形炸薬弾対策
7 乗員
8 走行装置
8.1 履帯
8.2 渡河
9 兵器産業における戦車
9.1 工業製品
9.2 近代化改修
9.3 戦車相当の戦闘車両の開発
10 対戦車戦闘
10.1 市街戦
10.2 空襲
10.3 歩兵
11 戦車博物館
12 脚注
12.1 注釈
12.2 出典
12.3 参考文献
13 関連項目
概要
戦車は戦う車の総称ではなく、自走砲や装甲車などとは区別される。しかし、何をもって戦車と定義するかは曖昧な部分もあり、また時代や国、地域によって変化する。21世紀初頭現在では大まかに
- (駆動について)走行装置が無限軌道(履帯、キャタピラ)であること[1]
- (防御について)戦線を突破できるだけの防御力を持つ。具体的にはあらゆる方向からの小銃弾に耐え、正面は対戦車兵器に耐え得る。
- (攻撃について)戦車をはじめとする敵装甲戦闘車両を待ち伏せでなく積極的に砲撃し、撃破できること[1]
- (武装について)全周旋回可能かつ全面を装甲化した砲塔[1]を有すること
- (歴史的補足として)固有武装を用いて、あらゆる敵陸上部隊と直接的かつ持続的な戦闘を行えること。一般に戦車砲を収納した全周砲塔を持つ。
などが挙げられる。
ただ上記の条件にあてはまらなくても、保有する側が戦車と呼べば戦車扱いされる可能性もある[注 1]歩兵戦闘車や自走砲の多くも上記に該当するが、戦車とは異なった兵器である。直射射撃によって敵の保有する(ほぼ)すべての装甲車輌を撃破するように設計された兵器であることも、上の条件に加えられるかもしれない。
21世紀初頭において明文化された戦車の定義としては、欧州通常戦力削減条約に定める定義が存在する。同条約[3]のArticle II (C) に定める定義によれば、まず
- 「戦車」とは、自走式装甲戦闘車両で、装甲目標等に対する高初速直接照準火砲による重火力を発揮可能で、路外機動能力に優れ、高い自己防衛能力を備え、加えて兵員輸送のために設計されていないものを言う。この種の車両は、陸軍の戦車又は装甲部隊の主要な兵器システムとして運用される。
という全体の定義を示し、これに加えた
- 装軌道式装甲戦闘車両
- 空虚重量16.5トン以上
- 口径75mm以上の全周旋回砲を有する
の細部条件を満たす満たす車両を「戦車」と定義している。また、これに加えて
- 上記条件を満たす装輪装甲戦闘車両も戦車に含まれる
ともしており、上記定義から言えば、陸上自衛隊の16式機動戦闘車も戦車に含まれることとなる。ただし、日本は上記条約を批准していないため、この定義に従う義務はなく、この定義をもって陸上自衛隊の主張に矛盾があるということにはならない。
名称
英語: Tank(タンク)
イギリスで作られた世界最初の戦車は、当初「水運搬車(Water Carrier)」という秘匿名称が付けられていた。イギリスでは委員会をその頭文字で呼ぶ風習があり、戦車開発のために委員会が設置されたが「W.C.(便所)委員会」では都合が悪かった。そこで「T.S.(Tank Supply=水槽供給)委員会」と呼ぶことにした。これにより戦車は「タンク」と呼ばれるようになり、のちに正式名称になった。この語源については「戦車を前線に輸送する際に偽装として『ロシア向け水タンク』と呼称した」など諸説あるものの、以後戦車一般の名称として定着した。
日本語: 戦車(せんしゃ)- もともと戦車という言葉は、中国同様に漢文中の戦車を意味していた[注 2]が、日本史上ではほとんど使われたことが無い兵器だった[注 3]。近代戦車については1917年(大正6年)の陸軍省調査書において『近迫戦に専用する「タンク」と称するものあり』と記され[2]、1918年(大正7年)に日本陸軍へ導入された当初は英語のtankをそのまま音写して「タンク」あるいは装甲車と呼んでいたが、程なくして戦車と呼ばれるようになった。はっきりとした時期は定かでないが、1922年(大正11年)発行の論文中に戦車の訳語が登場する[注 4]。また陸軍の会合の席上である大尉が思いつきで戦車と呼ぶのはどうかと提案したところ、その場の皆の賛同を得て受けいれられたという話もある[注 5][3]。1925年(大正14年)陸軍歩兵学校制作の「歩兵操典草案」では兵卒向けの心得の中で戦車という語を用いつつ「一般にタンクと称する」と説明し[4]、一般向けの冊子と思われる「学校案内」においても同様な表現を用いている[5]。第二次世界大戦後に発足した自衛隊は当初、戦車という軍事用語を忌避して「特車」と呼称していたが、1962年(昭和37年)1月からは「戦車」と呼ばれるようになった[6]。
中国語: 坦克(タンク)- 一方、 中国語では「戰車」は古代戦車を意味する。近代戦車は tank を音写して「坦克」と呼んでいる。ただし、台湾では日本語と同様に「戰車」と呼んでいる。
朝鮮語: 전차(チョンチャ/南)または땅크(タンク/北)
大韓民国では、日本語と同様に古代戦車・近代戦車ともに「전차(戰車)」の語を用いるが、緊圧茶(磚茶)や電車(電気機関車)も同じ表記である。外来語として英語の tank を音写した語の表記は탱크(テンク)である。 北朝鮮では、ロシア語の танк を音写した「땅크」と呼ぶ[7]。
ドイツ語: Panzer(パンツァー)
ドイツ語では Panzerkampfwagen(装甲・戦闘・車輌)の略称として Panzer(パンツァー)が一般的である。英語上ではPanzerは「ドイツの戦車」全般を意味する語として取り入れられている[注 6]。元来ドイツ語でPanzer は装甲という意味で、英語の Armour / Armor と同様に、かつては中世騎士などが身につけた金属製の甲冑・鎧を意味し、Panzergrenadier(装甲擲弾兵)などはこちらの用法から来ている。現代ではPanzerは装甲戦闘車両(戦車)の意味で使われる事が多いので、旧来の鎧はRüstungと呼んで区別されることが増えた[8]。但し、日本語では装甲戦闘車輌としてのPanzerでも、例えばPanzerdivisionは「戦車師団」ではなく「装甲師団」や「機甲師団」と訳される[注 7]。また、パンツァーファウストのように原語をそのまま音写するのが一般的な言葉もある。現代のドイツ軍でもパンツァーファウストの名前を受け継いだ後継兵器を使用しており、そのうちパンツァーファウスト3を日本の自衛隊が110mm個人携帯対戦車弾として採用している。そのため日本の公文書中にもパンツァーファウストの文字を見て取れる。
ヘブライ語: טנק(タンク)
ヘブライ語では近代戦車のことを、英語の「Tank」をヘブライ文字に置き換えた「טנק」(タンク)と表記する。なお古代戦車(チャリオット)は「מרכבה」(メルカバ)と呼ばれ、イスラエルの主力戦車の名称ともなっている。
フランス語: Char de combat(シャール・ド・コンバ)
フランス語では戦車のことを「Char」(シャール)と呼ぶが、もともとこの語は古代戦車(チャリオット)を指す名称であるため、近代戦車を指す際には「Char de combat」(シャール・ド・コンバ、直訳で「戦闘戦車」)と表記される。「char de bataille」(シャール・ド・バタイユ)や「char d'assaut」(シャール・ダッソー)とも表記される。
イタリア語: Carro armato(カルロ・アルマート)- 直訳で「装甲車輌」。単に「Carro」(カルロ)とも。
ロシア語: Танк(タンク)
英語の「Tank」をキリル文字に置き換えたもの。
制式名称と愛称
戦車の名称は、兵器としての制式名称と、軍や兵士達によって付けられた愛称とに大別される。愛称については配備国により慣例が見られる。アメリカは軍人の名前から(もともとは供与元のイギリス軍による命名則)、ドイツは動物の名前、ソ連・ロシアの対空戦車は河川名にちなんでいる。イギリスの巡航 (Cruiser) 戦車や主力戦車では「C」で始まる単語が付けられている。日本は旧軍では皇紀、自衛隊では西暦からきた制式名で呼ばれ、前者の場合、カテゴリーや開発順を表す秘匿名称(例・チハ…チ=中戦車のハ=いろは順の三番目)もつけられていた。
歴史
概観
戦車は第一次世界大戦時に、歩兵の突撃を支援して膠着した塹壕線の突破を目的とする、歩兵支援兵器として登場した。戦間期から第二次世界大戦にかけて運用方法が各国で研究され、その過程で武装、重量、装甲厚や機動性などの違いによる多種多様な形態の戦車が作られ、歩兵の突撃を支援する歩兵戦車、多目的の中戦車、重武装で重装甲の重戦車、機動性重視の軽戦車や巡航戦車、空挺戦車や水陸両用戦車といった多数の種類が登場した。
第二次大戦では陸上戦闘の主役となり、多くの戦訓をもとに戦車の運用法が大きく進歩し、戦車のみの部隊による集中運用方式の有効性が立証され、機甲部隊による運用方式が確立された。また生産性の問題から、いったん増えた戦車の種類も単一機種で多目的な用途をこなせる主力戦車(英: main battle tankMBT)に集約されはじめた。第二次世界大戦後は数次の中東戦争などの戦訓を経て、21世紀初頭現在各国の戦車編成は、一種類の主力戦車にほぼ統合されている。
第一次世界大戦
黎明期
メディアを再生する
近代工業化による内燃機関の発達にあわせて、第一次世界大戦前より各国でのちに戦車と呼ばれる車輌の構想が持たれるようになっていたが、技術的限界から実現されることはなかった。
第一次世界大戦で主戦場となったヨーロッパではドイツの西部において大陸を南北に縦断する形で塹壕が数多く掘られいわゆる西部戦線を形成した。戦争開始からそれほど間をおかずに巧妙に構築された塹壕線、機関銃陣地、有刺鉄線による鉄条網が施されることとなり防御側の絶対優位により、生身で進撃する歩兵の損害は激しく、戦闘は膠着することとなった。対峙する両軍は互いに激しい砲撃の応酬を行ったため、両軍陣地間にある無人地帯は土がすき返され、砲弾跡があちらこちらに残る不整地と化して初期の装甲車など装輪式車両の前進を阻んでいた。これらの閉塞状況を打破するため、歩兵と機関銃を敵の塹壕の向こう側に送り込むための新たな装甲車両が求められた[9]。
このとき注目されたのが、1904年に実用化されたばかりのホルトトラクターであった。これはアメリカのホルト社、現在のキャタピラー社が世界で最初に実用化した履帯式のトラックで、西部戦線での資材運搬や火砲の牽引に利用されていた。このホルトトラクターを出発点に、イギリス、フランスなどが履帯によって不整地機動性を確保した装軌式装甲車両の開発をスタートさせた。
イギリスではアーネスト・ダンロップ・スウィントン陸軍中佐がホルトトラクターから着想を得て機関銃搭載車として用いることを考えたが、このアイディアは実現されなかった。その一方、飛行場警備などに装甲自動車中隊を運用していたイギリス海軍航空隊のマーレー・スウェーター海軍大佐が陸上軍艦 (Landship) の提案を行った。1915年3月、この海軍航空隊の提案を受けて、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチルにより、海軍設営長官を長とする「陸上軍艦委員会」が設立され、装軌式装甲車の開発が開始された。
陸上軍艦委員会による幾つかのプロジェクトののち、フォスター・ダイムラー重砲牽引車なども参考にしつつ、1915年9月に「リトル・ウィリー」を試作した。リトル・ウィリー自体は、塹壕などを越える能力が低かったことから実戦には使われなかったが、のちのマーク A ホイペット中戦車の原型となった。リトル・ウィリーを反省材料とし、改良を加えられた「マザー (Mother)」(ビッグ・ウィリー)が1916年1月の公開試験で好成績を残し、マーク I 戦車の元となった。
マーク I 戦車が初めて実戦に投入されたのは1916年9月15日、ソンムの戦いの中盤での事だった。
世界初の実戦参加であったソンム会戦でマーク I 戦車は局地的には効果を発揮したものの、歩兵の協力が得られず、またドイツ軍の野戦砲の直接照準射撃を受けて損害を出した。当初想定されていた戦車の運用法では大量の戦車による集団戦を行う予定であった。しかしこのソンムの戦いでイギリス軍は49両戦車を用意し、稼働できたのは18両、そのうち実際に戦闘に参加できたのは5両だけだった。結局、膠着状態を打破することはできずに連合国(協商国)側の戦線が11kmほど前進するにとどまった。
その後、1917年11月20日のカンブレーの戦いでは世界初となる大規模な戦車の投入を行い、300輌あまりの戦車による攻撃で成功を収めた。その後のドイツ軍の反撃で投入した戦車も半数以上が撃破されたが、戦車の有用性が示された攻撃であった。第一次世界大戦中にフランス、ドイツ等も戦車の実戦投入を行ったものの、全体として戦場の趨勢を動かす存在にはなり得なかった。
発展
初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスのルノーFT-17という軽戦車であった。
FT-17は、それまでの車台に箱型の戦闘室を載せる形ではなく、直角に組み合わせた装甲板で車体を構成し、横材となる間仕切りで戦闘室とエンジン室を分離することでエンジンの騒音と熱気から乗員を解放した。小型軽量な車体と幅広の履帯、前方に突き出た誘導輪などによって優れた機動性を備えており、全周旋回砲塔は良好な視界と共に1つの砲で360度の射界を持っていた。
FT-17は3,000輛以上生産され、当時もっとも成功した戦車となった。第一次世界大戦後には世界各地に輸出され、輸出先の国々で最初の戦車部隊を構成し、また初期の戦車設計の参考資料となった。
第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、各国は来るべき戦争での陸戦を研究し、その想定していた戦場と予算にあった戦車を開発することとなった。敗戦国ドイツも、ヴェルサイユ条約により戦車の開発は禁止されたものの、農業トラクターと称してスウェーデンで戦車の開発、研究を行い、また当時の国際社会の外れ者であるソ連と秘密軍事協力協定を結び、赤軍と一緒にヴォルガ河畔のカザンに戦車開発研究センターを設けた。
第一次世界大戦中から第二次世界大戦直前までに開発された戦車は、第一次世界大戦において対歩兵戦闘に機関銃が大いに活躍したことから機関銃を主武装にするものが多く見られた。これは当初、想定された戦場が塹壕戦であったためであるが、第二次世界大戦初期には砲を主武装にした戦車に移行した。
第二次世界大戦
第二次世界大戦中を含め、各国において開発されたものは巡航戦車、歩兵戦車、多砲塔戦車、豆戦車、軽戦車、中戦車、重戦車など多岐にわたった。これは戦車の運用に対する様々な戦術が新たに研究・提案された結果ではあったが、その多くは一長一短があった。
第二次世界大戦では、戦術的に、戦車を中心に、それを支援する歩兵、砲兵など諸兵科を統合編成した機甲師団が対フランス戦においてその威力を発揮し、戦車は陸戦における主力兵器としての価値を証明した。
この事実を重く受け止めた各国は、戦車の改良と増産に着手し陸軍の改変をすすめることになる。ドイツでは独ソ戦におけるT-34ショックは、海軍艦艇における戦艦「ドレッドノート」の出現による既存・計画艦艇の陳腐化と同様の衝撃をもって受け止められ、独ソ間でのシーソーゲームは急速な戦車の発展及び対戦車兵器の開発を推し進める原動力となった。東部戦線で恐竜的な進化を遂げた独戦車は、西部戦線で戦った米英軍の戦車より性能で優越することになる。しかしアメリカの戦車は量産性が高く、アメリカの高い工業力とあいまって大量の戦車を生産することができた(M4中戦車だけで5万両以上)。しかもM4中戦車は機械的な信頼性が高く、アメリカ軍の高い兵站能力とあいまって、多数の戦車を戦線に配置することができた。これによりアメリカ軍は数の優越で、質の劣勢を補うことができた。
なお、用途に応じた戦車として、偵察戦車、指揮戦車、駆逐戦車、火炎放射戦車、対空戦車、架橋戦車、回収戦車、水陸両用戦車、地雷処理戦車、空挺戦車などが存在した。これらの殆どは、既存の戦車の車体や走行装置を流用して製作された。
冷戦期 - 現代
第二次世界大戦後第1世代の中戦車(第1世代主力戦車)は、アメリカではM36/41 90mmライフル砲、イギリスではオードナンス QF 20ポンド砲、ソビエトではD-10T 100mmライフル砲を搭載して開発された。しかし欧州正面では、東西双方の陣営がより重武装、重装甲のコンカラーやM103あるいはIS-3やT-10などの重戦車を並行配備していた。また、M24やその後継であるM41といった軽戦車もその機動力によって偵察などの任務に不可欠であると認識されていた。
1960年代半ばまではこの軽戦車・中戦車・重戦車という区分が軍事作戦上の意味を持っていたが、センチュリオン用に開発されたL7 105mm砲を装備する第二次世界大戦後第2世代の戦車(第2世代主力戦車)が十分な火力と機動力を得たことから、重量とアンダーパワーによる運用の不自由さを持つ重戦車や、貧弱な武装と装甲しか持たない軽戦車、あるいは自走化された対戦車砲である駆逐戦車は存在意義を失っていった。
第二次世界大戦戦後第2世代の戦車(第2世代主力戦車)が従来の軽戦車や重戦車の任務を統合していくなかで、従来の中戦車のみが主戦力として生き残り、その運用要求から第二次世界大戦戦後第3世代の戦車(第3世代主力戦車)が開発されるに及んで、生産や配備、編制上での「主力」ではない、あらゆる局面において活用される戦車としての「主力戦車」 (MBT) の概念が完成したとも言える。また、この過程において軽戦車や歩兵戦車などが果たしていた役割を担うための車輌として、歩兵戦闘車のような主力戦車よりも軽量の戦闘車輌が多数生み出された。
第二次世界大戦後の戦車の開発には、東西の冷戦が大きく影響している。双方で主にヨーロッパにおける地上戦を想定した軍備拡張が行われ、その中心である戦車の能力は相手のそれを上回る事が必須条件であった。そのため、ソ連を中心とする東側諸国が新戦車を開発すると、その脅威に対抗すべく米欧の西側諸国も新戦車を開発するというサイクルが繰り返された。その結果、大きく下記の様に世代分類されている。米ソが直接交戦する事態こそ無かったものの、朝鮮、中東、ベトナムなどでの代理戦争において、双方の戦車が対峙する事となった。
イスラエルとアラブ諸国が争った中東戦争ではしばしば(第一次中東戦争は歩兵支援にとどまったが)大規模な戦車戦が繰り広げられた。特に1973年10月に勃発した第四次中東戦争ではアラブ側・イスラエル側併せて延べ7,000輌(イスラエル約2,000輌、エジプト2,200輌、シリア1,820輌、その他アラブ諸国約890輌[10])の戦車が投入され、シナイ半島、ゴラン高原において複数の西側製戦車(センチュリオン「ショット」、M48パットン/M60パットン「マガフ」など)とソ連製戦車 (T-54/55、T-62、なおイスラエル軍も「Tiran-4/5/6」として使用)が正規戦を行った。シナイ方面で行われた10月14日の戦車戦はクルスク大戦車戦以来最大の規模[11]となり、また対戦車ミサイルが大規模に投入され戦車にとって大きな脅威となった事から、以後の戦車開発に戦訓を与えた。
なお、東側がソ連・ロシア製戦車の調達で統一されていたのに対して、西側においても開発費・調達費削減などの目的で競作や共同開発による戦車の共通化が幾度か試みられたが(レオパルト1とAMX-30の競作、MBT-70の共同開発など)、各国の戦術思想の違いや自国企業への利益誘導などによる仕様要求の不一致からいずれも失敗に終わっており、主砲などの装備レベルでのデファクトスタンダードに留まっている。
第1世代主力戦車
- 第1世代
- 90mm砲(西側)、100mm砲(東側)を搭載し、丸型の鋳造砲塔を持つ。基本的に第二次世界大戦時の戦車の後継・発展型がほとんどである。ジャイロ式砲身安定装置により走行中の射撃も可能である。
センチュリオン、T-54/55、M48パットン、61式戦車などが相当
第2世代主力戦車
- 第2世代
- 西側はイギリス製のロイヤル・オードナンスL7などの105mm ライフル砲を搭載(チーフテンのみ120mm砲)、東側は115mm滑腔砲を搭載し、より避弾経始に優れた亀甲型形状の鋳造砲塔と、アクティブ投光器による暗視装置を持ち、夜戦能力を得た。
対戦車ミサイルが発達し、随伴歩兵による携帯用対戦車兵器を持つ敵歩兵部隊の掃討がより重要となったことは歩兵戦闘車の開発を加速し、戦車部隊と機械化歩兵部隊がともに行動する戦術がより重視されることとなった。実戦で、歩兵部隊の対戦車ミサイルが大きな威力を発揮したことから「戦車不要論」(機動を防御力とする考え方)が生まれるなど、戦車の防御力が攻撃力に対し立ち遅れていた時代でもあった。
M60パットン、T-62、T-64、レオパルト1、Strv.103、チーフテン、AMX-30などが相当
- 第2.5世代
- 120mm級の火砲を搭載し、当時まだ珍しかった複合装甲を採用し、軽量化に裏づけされた機動性等、走・攻・守のバランスに優れたソ連の新戦車T-72の登場は西側に脅威を与え、 第3世代主力戦車開発の起爆剤となった。一方、イスラエル初の国産戦車メルカバは中東戦争の教訓と乗員保護重視の思想を反映した独自の設計と、初陣でT-72を破った事で注目を集めた。ただし中東戦争で使われたT-72は性能を落とした輸出型、いわゆるモンキーモデルであった上に乗員の練度や運用にも問題があったとされ、依然としてソ連製戦車は西側に脅威を感じさせていた。
- 先進国の多くは主力戦車を第3世代、3.5世代主力戦車に更新しているが、それ以外の国の多くではT-72などの第2.5世代主力戦車が採用されている。これは第3世代主力戦車と比べコストが低く、重量も軽量なため、道路などのインフラの未熟な国でも運用できることが大きい。そのため市場価値が未だ大きく、旧共産圏の国々では新規生産と改良が継続されている。
T-72、74式戦車、レオパルト1A1、メルカバ、CM11、K1、96式戦車などが相当
第3世代主力戦車
- 第3世代
- 西側はドイツのラインメタル社製120mm L44などの滑腔砲を搭載し[注 8]、複合装甲の導入による平面的なスタイルが特徴。パッシブ型(投光器で光を照射するアクティブ型と違い、敵の発した光を受容する)の暗視装置を持つ。東側は対戦車ミサイルも発射可能な125mm 2A46を搭載し、防御面では複合装甲と爆発反応装甲を併用している。
M1エイブラムス、チャレンジャー1、レオパルト2、T-80、90式戦車、98式戦車、アリエテなどが相当
ポスト第3世代主力戦車
- 第3.5世代
冷戦終結に伴う軍事的緊張の緩和と軍事費削減、重量の限界などで「第4世代主力戦車」の登場前に、第3世代主力戦車のアップグレードが図られた。モジュール装甲の導入のほか、トップアタック機能がある対戦車ミサイルなどの上方からの攻撃への考慮。火砲の長砲身化等による威力の向上。車間情報システムの搭載によるC4I化が図られている。
- 改修開発
- 既存の戦車を改修によりアップグレードがなされ、延命が図られている。火砲の換装や装甲の追加・改善、暗視装置など電子機器の改良がなされているが、重量が増加し概ね3トン以上、最大で約10トン増加している。
M1A2エイブラムス、チャレンジャー2、レオパルト2A5、T-84、T-90AM、99式戦車などが相当
- 既存の戦車を改修によりアップグレードがなされ、延命が図られている。火砲の換装や装甲の追加・改善、暗視装置など電子機器の改良がなされているが、重量が増加し概ね3トン以上、最大で約10トン増加している。
- 新規開発
- 上記にように緊張の緩和・軍事費削減等、戦車の新規開発は難しい環境にありながら、それでも以下の理由で戦車の新規開発が続けられている。
- 戦車開発技術の獲得・維持
- 現用戦車の陳腐化
- 改修による能力向上の困難・費用対効果の悪さ
ルクレール、メルカバMk.4、10式戦車、K2、T-14などが相当
- 上記にように緊張の緩和・軍事費削減等、戦車の新規開発は難しい環境にありながら、それでも以下の理由で戦車の新規開発が続けられている。
第4世代主力戦車
20世紀の内にも登場する筈であった「第4世代主力戦車」は未だ模索の段階であり、世界的な定義は決定していない。これは東西冷戦の終結によって、正規戦が起こる蓋然性が低下し、各国の新型戦車開発が停滞しているからである。同時に、戦車開発史上もっとも一般的な手法であった、「サイズを拡大することで主砲の大口径化と防御力向上を達成する」ということが困難になったからである。なぜならば、物理的条件から60tを超えるような戦車は行動を大きく制限され、主力戦車としての運用に支障が出るのである。この問題を解決するために、サイズ拡大によらない性能向上が模索されている。
サイズ拡大によらない性能向上の一つは、情報のデータリンクを強化して、集団的な戦闘力を高めることである。これは既に現実のものとなりつつあり、C4Iと呼ばれる情報指揮統制システムを備えることが、世界最新鋭の戦車(いわゆる3.5世代主力戦車)とみなされるための必須の条件となりつつある。情報連携力を強化する研究は各国で盛んに行われており、なかには戦車機能を数量で分担するなど斬新なアイデアも提案されている。
そして限られた資源で、非対称戦やネットワーク中心の戦いという新しい課題に対応しなければならず、従来の正規戦闘より柔軟さが求められる。前述のデーターリンク機能に加えて高度なセンサーによる周辺監視システム、不意打ちに備えた全周防御、迅速に戦場まで移動する戦略機動性、戦場における自由度を確保する戦術機動性などが求められている。
2010年度に装備化された10式戦車では、可視系の視察照準にハイビジョンカメラを用いたモニター照準方式を世界で初めて戦車に採用[12]、複数の目標を同時に捕捉識別する高度な指揮・射撃統制装置に加え、リアルタイムで情報を共有できる高度なC4Iシステムなどを装備しており、例えば小隊が複数の目標を同時に射撃するときシステムが最適な目標の割り振りを自動的に行って同時に発砲したり、小隊長が小隊内の他の戦車の射撃統制装置をオーバーライドして照準させることも可能である。また、1990年度に制式化された90式戦車では実現困難だった水準の小型軽量化を実現し戦略機動性が向上、戦術機動性も油圧機械式無段階自動変速操向機 (HMT) の採用により向上した。
戦車の軽量化路線については、米国(M1A3計画)や中国(99式改良0910工程)が追従する姿勢を見せている。しかし、世界的な趨勢とまでは言い切れず、第4世代主力戦車の定義を決定するものとはなっていない。
ロシアではアルマータと呼ばれる装軌車両用の共通車体プラットフォームを基に次期主力戦車T-14を開発中である。T-14は乗員全員を車体前方に設けられた装甲カプセルに搭乗させることで乗員を弾薬から隔離し、砲塔の操作を車体内から遠隔操作で行う無人砲塔を採用していると見られ、10式戦車と同じく車長と砲手の視察照準にはモニター照準方式が採用されていると考えられる。一方、ドイツではウクライナ問題の影響から戦車の配備数を増やし近代化改修を進める動きがあり、T-14の配備がドイツとフランスの次期主力戦車計画にどのような影響を与えるか今後の動向が注目される。
将来
各国の技術開発・研究などから、戦車は将来的に以下のような発展をみせると予想されている。
- 主砲
- 火力の強化については、ドイツのラインメタル社などが140mm砲を開発しており、「第4世代主力戦車」の主武装になると期待している。ただし140mm級の砲を純粋に搭載すると、反動を抑えるのに必要な重量は70トンから80トンに達すると想像され、現在の技術で取り扱える重量限界を超えてしまう。その為、ラインメタル社では反動低減のための研究が進行中である。
砲弾の大きさ及び重量も同時に増加することで、砲への装填や戦車への搭載が人力で行うには戦車兵に対して過度の負担になると考えられる。前者については自動装填装置の採用で解決できると思われるが、後者は砲側給弾車といった新たな機械的搭載装置の必要性が検討される。更に、砲弾の大型化で携行弾数が少なくなる可能性があり、これを解決するためには砲弾そのものを改良する必要があると考えられる。- 既にドイツではレオパルト2の強化案として同140mm砲の搭載テストを行ったが採用は見送られ、現在は120mm径のままで砲身長の延長や弾薬の改良などによる火力強化を図っており、他国もこれに追従する動きを見せている。なお10式戦車では、主砲の反動を計算して圧力を調整し反動を吸収するアクティブ・サスペンションの導入により44トンの車体に120mm砲の搭載を実現しており、今後同様の手法で重量を抑えつつ140mm級主砲を搭載した車輌が出現する可能性も考えられる。
- 主砲の新技術として液体装薬も期待されたが、実用化にはまだ遠い[13]。また、リニアモーターの原理で弾体を磁気の力で加速して打ち出す静電砲(リニアガン/コイルガン)や、ローレンツ力を利用した電磁投射砲(レールガン)も、まだ実験の域を出ていない。
- 防護
- 防護性能の向上では、被弾する可能性が最も高い砲塔の露暴面積を縮小する努力が払われている。これまでも、主砲の操作に関わる乗員を車体側の固定座席に座らせることで砲塔を小さくした無人砲塔戦車や、自動装填・遠隔操作の頭上砲 (Overhead Gun) をほとんど無装甲で搭載した無砲塔戦車が構想された。これらのうち、無人砲塔はロシアのT-14アルマータにおいて実現している。
- 主砲を操作する乗員を砲塔リングより下の砲塔バスケット内に配置して砲塔を小型化する低姿勢砲塔(Low Profile Turret:LPT)については、ヨルダン陸軍の主力戦車「アルフセイン」(輸出されたチャレンジャー1)の最新改良型に、南アフリカの企業と共同開発した「ファルコン2」砲塔[14]を搭載した事が発表され、今後の運用が注目されているほか、装甲車ではM1128 ストライカーMGSで先んじて実用化されている。即応弾の搭載場所は、ファルコン2が主砲の後方、MGSは砲塔バスケット内である。
電磁装甲も、未来技術であり実用化の目処はたっていない。
- アクティブ防護システム
- 装甲の強化に代わる新しいタイプの防御方法も模索されている。そのひとつに、対戦車ミサイルなどの接近をレーダーやセンサー類で探知し、自動的にジャミングで無力化したり飛翔体やミサイルで迎撃するアクティブ防護システム(Active Protection System:APS)がある。ソ連・ロシアは既に1980年代に一部で導入しており、最近ではイスラエルのラファエル社の開発したトロフィーAPSのメルカバMk.4への採用が公表され、欧米でも同種のシステムの開発・採用を進めている。一方で、探知用のレーダー波で自らの位置を暴露してしまうことや地上は空中や海上に比べて干渉要素が多くレーダー探知が有効に機能しにくいこと、ミサイルを迎撃するための反撃に、戦車付近に展開している随伴する歩兵を巻き込む恐れがある。
- 重量
- 現在の西側各国の主力戦車の重量は55-65トン程度ある。重量は装甲や防護力に直結している一方で自走可能な航続移動距離や速度、燃費などとトレードオフの関係にある。これ以上の重量増加は戦車の行動力を著しく損なう上、貨車やトランスポーターによる輸送、橋梁など架空構築物上の移動における重量制限、あるいは被害・故障車輌の回収などの点で困難になってしまう。
陸上自衛隊の90式戦車は約50トンだが、長距離輸送を考えた場合、大型のタンクトランスポーター(戦車輸送車輌)や大型RO-RO船が不足しており、北海道以外での平時における運用が難しいとされている。- 対抗兵器
対戦車ヘリコプターの出現や対戦車ミサイルが猛威をふるったことにより、一時は「戦車不要論」も唱えられていたが、湾岸戦争・イラク戦争は戦車が依然として陸上戦の主役であることを見せつけた。ヘリは機動性と攻撃力は優れているため攻撃的運用には適しても、飛行時間に制限があり装甲も脆弱で飛行安定性も悪く直撃でなくても近接での爆発による圧力で墜落する可能性も高いので、敵の攻撃を受けてもなお留まる防御/制圧的な運用には適していないという偏った能力を備えるためである。戦車は攻守両面でバランスが良いとしてその有用性が認められ、「戦車不要論」は勢いを失っている。- 情報の即時共有化
- 複数の戦闘車両や戦闘用航空機、艦船や兵員1人1人までもが情報技術の利用によって互いの情報を共有し、戦闘現場での状況が実時間で上級司令部にまで届き、逆に上級司令部の命令が遅れることなく戦闘現場まで届けられ、戦闘現場内においても相互の情報連結によって意思疎通が行えるようにする。こういった情報共有の能力を持った戦闘部隊はその戦闘力を何倍にも高められるという考え方がある。戦車でいえば、攻撃力より機動性を優先して、複数の戦闘車両を互いに連携させる事で、敵部隊に対してより柔軟に対応できるとするものである。
- ロボット化
- 陸上兵器のロボット化は技術的ハードルが大きく自動運転車と平行して研究が進められている。現在でも決まったルートを偵察する動作は可能であるが、航空機に比べメリットが少ないため実用化されていない。
- 遠隔操作
- 遠隔操作の無人戦車も研究は1920年代から行われており長山号など試作機が開発されたが、電波妨害の問題もあり実用化はされていない。アメリカ軍はArmed Robotic Vehicle (ARV) として、試作車両の製作と実験にまでこぎつけている[15]。また無人車両を有人車両からコントロールするロボット僚車などの研究が行われている。
- 低強度紛争への対応
- 近年、戦車に新たに求められているのが、低強度紛争(Low Intensity Conflict:LIC)への対応能力である。テロリストやゲリラの対戦車兵器に対する防御と、それを駆逐制圧する火器システムを備えた騎兵車輌としての能力も同時に求められており、この事がさらに開発を困難な物にしている。逆に、冷戦終結により戦車同士が撃ち合う従来の戦車戦の機会自体が失われつつあり、こうした時勢を反映して、今後の陸軍戦力の整備のあり方として、戦車と歩兵戦闘車や装甲車にヘリコプターなどを密接に統合運用する、近代的な諸兵科連合戦術に対応した戦車が求められている。
- 機動砲
- 各国の軍事費削減や緊急展開能力への要求から、アメリカ軍のストライカー装甲車の様に装輪装甲車を導入する例がある(Stridsfordon 90やASCOD歩兵戦闘車など装軌装甲車をベースにしたものもある)。
- これらは本質的には戦車を代替するものではないが、76 - 105mm砲クラスの低反動砲を搭載した機動砲 (MGS) は戦車の様に火砲を搭載していることから、装輪戦車のように報道されることがある。ストライカー装甲車のMGS仕様やイタリアのチェンタウロ戦闘偵察車などがあるが、他にも各国で多くの車両の開発・配備が進められており、日本の防衛省も16式機動戦闘車と呼ばれる105mm砲搭載装甲車の配備を進めている。
- 経済的に主力戦車を導入できない国がその代替として機動砲を導入する場合や、空輸での利便性が評価されて導入が進む場合が多いが、装輪装甲車が対戦車用に備える火力としては、軽量・無反動で射程が長く破壊力も大きい対戦車ミサイルの方が有効であり、機動砲はむしろ陣地破壊や狙撃手の掃討といった、高価なミサイルを使っていては費用対効果の悪い任務にも対応できる多用途性が求められている(さらにミサイルやロケットランチャーは最低攻撃距離が長く、発射までに時間を要する為に即応性が悪く突発的遭遇戦には向かない)。
- 装甲防御力が圧倒的に不足している事から真っ向な対戦車戦は望めず戦車の完全な代替には成り得ないという意見が強いが、相手が旧世代の戦車しか配備していない国、または戦車を所有しないゲリラやテロリストの様な非正規勢力である様な場合はその限りでは無いともされ、今後の推移が注目される[16]。とはいえ、RPGのような近接対戦車兵器は途上国でもよく普及しており、ストライカー装甲車では戦車のような歩兵の盾としての役目は果たせない(イラク戦争におけるストライカーはRPGへの対策からカゴ状の追加装甲を取り付けることを強いられている)。さらにタイヤでは射撃時の安定性が大きく劣るため、精度が悪く、射撃後の揺動が長時間つづく欠点がある(さらに走破性も悪く、長時間停車していると空気が抜けてしまう)。結局のところ機動砲は火力支援のための自走砲であって、戦車の代用とはなりえないのである。
日本の戦車開発史
第一次世界大戦の後、他の列強諸国同様、日本もまた登場した新兵器・戦車に注目しており、1915年(大正4年)には輜重兵第一大隊内に軍用自動車試験班が設立され、1918年(大正7年)には欧州に滞在していた水谷吉蔵輜重兵大尉によってイギリスからMk.IV 雌型 戦車が1輌輸入された。1919年(大正8年)には新兵器の発達に対処するために、陸軍科学研究所が創設された。以降、1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて、日本陸軍はルノー FT-17 軽戦車とマーク A ホイペット中戦車を試験的に購入して、研究している。当初は「戦車」と言う言葉が無く、「タンク」や「装甲車」と呼んでいたが、1922年(大正11年)頃に「戦う自動車から戦車と名付けては」と決まったようである。1923年 - 1924年(大正12 - 13年)頃には戦車無用論も議論されたが、1925年(大正14年)の宇垣軍縮による人員削減の代わりに、2個戦車隊が創設された。陸軍では当時(大正後期)の日本の不況経済や工業力では戦車の国産化は困難と考えられ、ルノーFTの大量調達が計画されていたが、陸軍技術本部所属で後に「日本戦車の父」とも呼ばれた原乙未生大尉(後に中将)が国産化を強く主張、輸入計画は中止され国産戦車開発が開始される事となった。
原を中心とする開発スタッフにより、独自のシーソーバネ式サスペンションやディーゼルエンジン採用など独創性・先見性に富んだ技術開発が行われ、それらは民間にもフィードバックされて日本の自動車製造などの工業力発展にも寄与している。こうして1927年に完成した試製1号戦車を経て、八九式中戦車、九五式軽戦車 、九七式中戦車などの車輌が生産された。しかし、自動車産業の発展に出遅れていた当時の日本では、技術的な問題から後継車両の開発が遅延を重ねたため、太平洋戦争において日本戦車はアメリカ軍戦車との対戦車戦闘で一方的にほふられる結果となった。幸いにも本土決戦用に温存されていた車輌と共に、原中将はじめ開発・運用要員の多くは終戦まで生き延び、戦後の戦車開発にも寄与する事となった。
戦後、共産主義勢力の台頭と朝鮮戦争の勃発により日本に自衛力の必要性が認められて警察予備隊(後の自衛隊)が組織され、アメリカより「特車」としてM4中戦車などが供給された。また朝鮮戦争中に破損した車輌の改修整備を請け負った事などで、新戦車開発・運用のためのノウハウが蓄積されていった。戦後初の国産戦車となった61式戦車は、当時の工業生産技術の限界もあり他国の水準からはやや遅れていたが、続く74式戦車、90式戦車は、世界最高水準に到達した主力戦車であった[17]。
2000年代に開発された10式戦車は、全国的な配備を考慮して90式戦車よりも小型軽量化しつつ同等以上の性能を有しているとされ、特に射撃機能やネットワーク機能などべトロニクスの進歩による戦闘能力の向上が著しい。10式戦車は耐用期限到達に伴い減耗する74式戦車の代替更新として2010年度から調達が開始された。一方、2013年に25大綱と26中期防が閣議決定されたことで、今後、本州配備の戦車は廃止され、戦車は北海道と九州にのみ集約配備、本州には戦車とは異なる新たなタイプの車両の16式機動戦闘車のみが配備される。16式機動戦闘車は装輪車のため10式戦車と比して火力と防護力だけでなく戦術機動性に劣るが、逆に戦略機動性は優れており、路上を高速で自走することにより74式戦車と同等の火力を素早く展開できる。本州配備の74式戦車が担っていた役割の一つ、普通科部隊への射撃支援については、16式機動戦闘車が引き継ぐことになる。
防衛省では有人戦闘車両の無人砲塔化と、有人戦闘車両と無人戦闘車両の連携に関するべトロニクスシステムの技術研究が行われている。この研究は2020年度まで行われる。
装備と構造
メディアを再生する
- 履帯と車輪 (1)
- 戦車は無限軌道(履帯、商標名でキャタピラ)で走行する。起動輪と誘導輪があるのは共通だが、転輪には様々な形が存在する。普通は1列に並べてあるが、かつてのドイツ重戦車の場合、転輪が千鳥型に2重になっていたり、3重に並べたり、荷重を分散するようにしていた。ただし保守が困難な上、手間の割に効果的とは言えなかったため第二次世界大戦後は、そのような形式は採用されていない。
- 転輪には騒音と振動を軽減する目的で周辺にゴム製のソリッドタイヤを装着するが、ゴム資源が不足していた第二次世界大戦中のドイツ・ソ連では、転輪内部や車軸にゴムを内蔵したり、やむを得ず全くゴムを用いない鋼製転輪を使用する場合もあった(イスラエルの戦車は砂漠でゴムタイヤの破損が激しいため一部に完全鋼製転輪を使用している)。
- 無限軌道の連結には金属製のピンが用いられるが、走行時の抵抗を低減するために、ピンとピン穴の間にゴムブッシュを設けることがある。
- 主砲 (2)
1970年代末以降の主力戦車では120mmクラスの滑腔砲が採用されることが多い。加えて射撃統制に環境センサーとコンピュータの組み合わせを用いることで、あらゆる条件下での精密射撃を可能にしている。- 射撃時の反動を抑えると共に、砲身後退量を抑えて砲塔を小さく済ませるため、油圧により反動を吸収する駐退機が備えられている(これがないと、発射のたびに車体前部が跳ね上がる)。以前は砲口にマズルブレーキを装備したものが多かったが、射撃精度を上げるため、最近の車輌では見られない。なお、戦後の対戦車用砲弾の主力であるAPDSやAPFSDSの発射時に、外れる装弾筒がマズルブレーキに引っかかってしまうというのは間違いである。先端近くに砲身の歪みをレーザー計測する反射体が取り付けられているものが多い。また中東・アフリカなどの高温地域で運用される車輌には、主砲身に熱による歪みを防ぐサーマル・ジャケット(遮熱カバー)の装着が見られる。
- 戦車砲弾は発砲時に煙と一酸化炭素などの有毒ガスが発生するため、排莢時に砲身から戦闘室内へこの発射ガスが逆流しないようエバキュエータ(排煙器)と呼ばれる空洞部が砲身に取り付けられている。
- 懸架装置(サスペンション) (3)
- 初めて実戦投入されたMk.I戦車にはサスペンションは存在しなかったが、その後におけるサスペンション形式はさまざまで、スプリングの種類も、リーフスプリング、コイルスプリング、渦巻きスプリング、クリスティー式(コイルスプリングと大型転輪の組み合わせ)、横置きトーションバー、縦置きトーションバーなどがある。
- 現用戦車では主に横置きトーションバーが採用されている。スウェーデンのStrv.103は前後左右の油圧を変えることで車体の角度を変えられる油気圧(ハイドロニューマチック・サスペンション)を史上初めて実用装備した。陸上自衛隊の74式戦車も同様の油気圧式サスペンションを採用しているが、この機能は地形を利用した待ち伏せ砲撃に有利であり、専守防衛を旨とする両国の防衛策に適していたと言える。また、90式戦車や韓国のK1は横置きトーションバー式と油気圧式を混合装備している。
- いくらエンジン出力の大きな車両でも、サスペンションの性能が悪ければ車体や乗員の負担が大きくなり十分な機動性は発揮できず、逆にエンジンが非力であっても、サスペンションの改良により機動性を向上させることが可能である。
- 発煙弾発射機(スモーク・ディスチャージャー) (4)
発煙弾を撃ち出す。多くの戦車で見られ、防御戦闘時に敵の視界を遮ったり、随伴歩兵の進撃を支援したり、ミサイル防御に用いられたりと用途は様々である。一部の車輌には、エンジン排気に燃料を噴霧して不完全燃焼させ煙幕を発生させる機構を装備する物もある。詳細は発煙弾発射機を参照。- 砲塔 (5)
第一次世界大戦で登場した極初期の戦車は、車体に火砲を直接搭載したり車体左右の張り出しに搭載していたが、第一次世界大戦末期にフランスで開発されたルノーFT戦車が、車体上部に360度旋回する砲塔を世界で最初に搭載した。死角を減らしたこの設計思想を持つ同戦車は、それ以降のほとんどの近代戦車の原型となった。
第二次世界大戦に入るまでは複数の砲塔を持つ多砲塔戦車もあったが、非効率性や高コストが明らかとなり、360度旋回可能な砲塔1基を持つものが主流となった。砲塔前部には主砲が装備され、後部は弾薬庫として使用されることも多い。砲塔内には車長、砲撃手、装填手の座席があることが多い。第二次世界大戦前半までは全てを車長一人が行うものや二人で行うものも存在したが、車長が戦闘指揮に専念できる三人用砲搭が一般化した。- 車体同様リベット留めの問題があり、現在[いつ?]では溶接式か鋳造式が用いられている。
- 戦車の中で最も被弾率の高い部位であり、なるべく形状を低く抑える事が望ましいが、T-62ではそのために主砲の俯角がほとんど取れず、中東戦争では地形を利用した伏せ撃ち射撃ができず却って撃破されてしまった事例がある。
- エンジン (6)
- エンジン部は給排気と放熱のために装甲によって閉鎖されるのには向かないために脆弱となり、通常は被弾による損傷を防ぐために車体後部に収められる。現在では多くの戦車がターボチャージャーの付いたディーゼルエンジンを搭載し、2ストロークと4ストローク、空冷と水冷のいずれも形式も存在する。
- ディーゼルエンジンはガソリンエンジンより油種を選ばず、軽油以外でも灯油やジェット燃料などが使用できて運用が楽である。ディーゼル燃料である軽油はガソリンに比べると発 火点や引火点が高いので比較的安全であるが、絶対に引火しない訳ではない。加速性に優れるガスタービンエンジン装備の戦車もあるが、燃費が非常に悪い上に技術的ハードルも高い[注 9]。
- 西側の戦車の多くは、現場でエンジンデッキを開放してエンジンや変速機を迅速交換できるパワーパック構造になっているが、東側の戦車ではそうした配慮はあまり行われていなかった。かつてはガソリンエンジンが使われることも多かったが、被弾時に引火・爆発しやすいため、第二次世界大戦後は次第に使われなくなった。
- 第二次世界大戦時には戦車用という大出力のエンジンは開発が難しかったため、航空機用エンジンで代替することもあった。大戦中の戦車の多くは車体後部のエンジンからドライブシャフトで前部の変速機に動力伝達する前輪駆動であったが、第二次世界大戦後はエンジンと変速機が直結した後輪駆動が主流となっている。一方でイスラエルのメルカバやスウェーデンのStrv.103の様に、乗員保護を優先してあえてエンジン・変速機を車体前方に配して装甲の一部としている例もある。
- キューポラ (7)
- 従来から司令塔、または車長展望塔とも呼ばれ、車長や装填手の外部視認用に砲塔上面に設けられた半球状などの突起が備わっていたが、20世紀末以降の戦車では、キューポラの形状は旧来の突出したものよりも低くなっている。防弾ガラス越しに直接覗くものや潜望鏡があった。キューポラには機関銃が備えられるものが多く、近接攻撃や対空攻撃用に搭載されていた。
- 同軸機銃 (8)
- 主砲の横にあって同じ方向を向くように装備された機関銃であり、歩兵や軽装甲車輌といったソフトターゲットに対して使用することで主砲砲弾の消費を抑えるよう計られた[注 10]。主砲発射に先んじて同軸機銃を射撃し、その着弾を見て照準を微調整する、スポッティングライフルとして利用されていた戦車もあった。
- 車体 (9)
- 強固な装甲で守られている。初期の戦車においては当時の溶接技術が低かったため、装甲板がリベット留めされた車体が大半であった。しかし、被弾時に千切れたリベットが車内を跳ね回り、乗員が死傷する事故が相次いだ。また、近くでの爆発による衝撃波にももろく、装甲板がバラバラになることもあった。第二次大戦前のフランス戦車には分割された溶接車体をボルトで接合したものもあったが、貫通しなくても被弾の衝撃でボルトが折損し装甲が脱落することがあった。そのため点ではなく線で接合される溶接式か一体鋳造式、または鋳造部品の溶接接合で製造されるようになった。
- 第3世代主力戦車においては、複数の装甲材をサンドウィッチ状に重ね、防御力の向上を狙った複合装甲が主流である。これは車体や砲塔の前面等の主要部に用いられるが重量があり、1990年代以降の主力戦車の総重量は50-70トン程度であることが多く、これに対して1,000-1,500馬力級のエンジンで機動性を確保している。
- 操縦席 (10)
- 車体前部にあり、普通の自動車同様、アクセル・ブレーキ・クラッチで操縦する。運転は、土木用重機同様の、中心から伸びた左右のレバーを前後に操作する古い方式(乾式クラッチ式からシンクロメッシュ方式まで様々)と、自動車やバイクのようなハンドルを用いるオートマチック式がある。速度が遅いので停止の際はアクセルを緩めれば、キャタピラと地面の摩擦によってすぐに止まる。戦闘中の視界は、かつては小さな覗視孔付きの小窓から直接覗くしかなかったが、その後潜望鏡や最近ではカメラによる間接視認法が用いられている。
- 弾薬庫
- 初期の戦車では砲弾は車体側面・砲塔後部・床下・砲塔バスケット周囲など、詰め込めるだけ詰め込まれ、被弾時の砲弾の誘爆に関してあまり考慮されていなかったが、第二次世界大戦時のM4中戦車は誘爆が問題となり、ウェット(湿式)弾薬庫を採用した。しかし、誘爆を根絶するには至らなかった。
- 現代の西側戦車は砲塔後部に砲弾を格納することが多いが、これは被弾によって内部の弾薬が誘爆した際に爆圧で上面の装甲が比較的早期に吹き飛ぶことで内部への被害を最小にするように開発された「ブローオフパネル方式」になっていて、弾薬庫と戦闘室とは隔壁で仕切られ、1発の砲弾装填ごとに小さなドアが開け閉めされるものが多い。
- ソ連戦車は自動装填装置が装填しやすいように砲弾を砲塔基部を取り囲むように配置しているが、被弾時の誘爆で被害が拡大する場合が多く、チョールヌィイ・オリョールのように西側同様の方式に改造された試作車もある。
- 自動装填装置
- 射手の選択指示に従って、装填手に代わり自動装填装置が砲弾を弾薬庫から受け取り、主砲へ自動的に装填する。人間の占有スペースが削減でき、人的損耗や給食などの補給、人件費や教育訓練の負担などが軽くできるが、故障リスク増大や人的冗長性の低下、戦闘時以外での保守整備と警備人員の減員が問題となるため、早計に機械化が有利とは決められない。
- 一方で、装填速度も錬度の高い装填手であれば数発までは同等の速度が可能だが、荒地での走行間射撃や長い連続発射時には差が生まれる。1人の装填手が扱える一体化砲弾カートリッジは現用の120mm弾や125mm弾までが上限であるといわれており、これを越える140mmや152mmといった砲弾は発射薬が分離されるか、完全に自動装填装置によって扱われる必要がある。
- 現代型の戦車では完全自動の装填装置でなくとも半自動で装填手の負担を軽減する装置が搭載される。被弾時の火災の延焼を避けるため、従来の油圧は避けて電動になる傾向がある[18]。
- 潜望鏡
- 砲塔上でハッチから頭部を出して目視視察するのが危険な戦闘中は、潜望鏡を通じて安全な位置から視認する。固定式のものを複数を環状に配置してほぼ全方位を監視できるものや、それ自体が回転するものもある。砲塔上では車長用のものが必須であり、装填手用のものも備わるものがある。また、操縦手用の物も前方向きに備わっている。
20世紀末からは可視光や赤外線によるカメラの映像取得や、21世紀の現在では車体各部のカメラ映像を統合処理して全周の外景を映し出す画像システムも開発されている。- ハッチ
- 厚い乗降ハッチに潜望鏡が付いているだけのものが多い。ハッチ脇に機関銃用マウントが備えられるものがあり、運用形態に応じて機銃が搭載される。
- 周囲を警戒するうえで、潜望鏡を用いずに肉眼や耳で直接視察することが見直されているが、大きく開く従来型のハッチでは、視察中の乗員の頭部が無防備になってしまう。そのため、ハッチを水平のまま少しだけ浮かせた状態で保持させ、乗員が車体とハッチとのすき間から周囲を視察できる機構を持つものが登場している。
- 小銃等
- 乗員が降車したり、弾薬が完全に尽きたときなどに備えて、車内に自衛用の小銃やサブマシンガンが備えられている。
- 基本的に戦車の内部狭いため、折りたたみストックが採用されることが多く、乗員それぞれに拳銃が支給されることもある。
- 近接防御兵器
- 近接する歩兵やヘリコプターなどを攻撃するために、従来の車長用機銃に代わって砲塔上部にRWS (Remote Weapon System) と呼ばれる車内から操作できる銃座を備えるものがある。
- 車内から装填できる擲弾筒を砲塔などに装備している戦車もあり、イスラエルのメルカバは砲塔に装備した迫撃砲をMk.IIで車内からの装填できるように改修した。また第二次世界大戦時のドイツ軍戦車の一部には、Sミーネ(Sマイン)と呼ばれる対人攻撃用の跳躍地雷を備えるものがあった。ただ、現在でもこの種の装備が搭載された戦車は主流にはなっていない。
- 電子機器(ベトロニクス)
- 20世紀末からは戦車にも、航空機搭載の電子機器であるアビオニクス(Aviation+electronics=Avionics)にならってベトロニクス(Vehicle+Electronics=Vetronics)と呼ばれる高度な電子機器が装備されるようになっている。ベトロニクスには、火器管制装置や通信情報共有システム、GPS、敵味方識別装置、車外監視システム、攻撃警戒システム、動力系制御装置などが連動されており、必要に応じて切替可能な表示装置によって乗員の意思決定を助け迅速な操作を可能としている。
- 砲塔バスケット
砲塔に付随する吊下げ式のカゴ。これがあると、その底(床、プラットフォーム)に装填手が立つことで本人も砲塔と一緒に回り、装填作業が楽になる。戦車長や砲手は、砲塔に付いた座席に座っているので関係ない。T-34のように床下に砲弾が収納されている戦車や、自動装填装置を備えた戦車には付いていない。またT-64、T-72、T-80などはここに弾薬が環状に置かれており、自動装填なのでプラットフォームはない。- 換気装置
核兵器や化学兵器に対する生残性を向上させるため、放射性物質や有毒ガス類を除去できる空気清浄装置を備えた換気装置を装備している。第二次世界大戦までの戦車は単純な換気扇を備え、エンジンや火器から発生する有毒ガスを排出するだけであった。当時日本軍の戦車は独立した換気扇を持たず、ハッチや視察窓を開くか、空冷エンジンの冷却ファンが回ることによる限定的な外気吸い込みで換気を行っていた。- 自動消火装置
- 戦闘室やエンジン室に取り付けられ、被弾時の延焼拡大を防ぐ。人体に有毒な消火剤を用いるものもあり、戦闘室で消火装置が作動した場合には、乗員は戦車から脱出しなければならない。
- トラベリング・ロック
- 移動・輸送中に主砲身を固定して、振動による破損・故障を防ぐための支持架。一般に車体後部に位置しており、砲塔を後ろ向きにして固定する形式の車両が多い。
- ウインカー
- 第二次世界大戦後の日本・ドイツ・イギリス・フランスなどの戦車には、一般道路走行用のウインカーが装備されている。戦闘時には不要なため取り外しできるタイプもある。
- ウィンカーを持たない戦車が平時や戦線後方地域で走る際には、戦車長がハッチから半身を出し、操縦手にインターホンで進路を指示しつつ、周囲に手信号で曲がる方向を示す(リヤカーや自転車と同じ)。
- 迷彩塗装
- 初期には単色の塗装が主流だったが、対戦車兵器の登場と共に隠密性が求められるようになり迷彩が施されるようになった。現地の風土や植生に適合した色やパターンが求められるため、塗装が不適合だった場合は現地であり合わせの材料で応急的に迷彩が施されることもある。マチルダII歩兵戦車には輪郭や進行方向を誤認させるためダズル迷彩風の塗装が施されていた。
- 近年は低強度紛争 (LIC) の増加を受けて、市街地戦闘で有効な迷彩の研究が進められており、可視光域だけでなく赤外線探知を回避するために、赤外線波長域まで迷彩塗装が考慮されている。
- 車外装備品
- OVM(On Vehicle Material)とも呼ばれ、予備の覆帯や牽引用のシャックル・ワイアー、ハンマー、ピッケル、シャベル、消火器、雨よけシート、テントなどを車体外部に付けていることが多い。この他に整備・修理に用いるジャッキや履帯張度調節器、汎用工具も備えている。
- 第二次世界大戦後は装甲外部に雑具箱を有する戦車が増え、空いたスペースに装備品を収納すケースが増えた。これは雑具箱を一種の空間装甲として、成形炸薬弾 (heat) への防御とするためである。第二次世界大戦時のドイツ戦車の砲塔後部にもゲペックカステン(Gepäckkasten)と呼ばれる用具箱がつけられており、中に工具や乗員の私物などが入れられていた。現代の戦車も砲塔後部に荷積み用のバスケットを有しているものが多い。
- ソ連/ロシア戦車では悪路脱出用の丸太と多用途の防水シートが標準装備されている。予備履帯は防御上の効果を狙って、車体前面や砲塔側面にびっしりと取り付けられる場合があった。
- インターホン
- 車体外部(主に尾部)に取り付けられた通話器で車外の歩兵と車内の乗員とが通話できるようになっている[19]。日本では、戦後初の国産戦車61式戦車から装備された。
- 地雷処理装備
- 対戦車地雷を排除するため車体前方に取り付ける装備。車輌幅全体や履帯が通過する幅の地雷を除去することで安全な通行帯を構築する。
- 大きな鋤(プラウ)で掘り起こすタイプの他、重いローラーで地雷を起爆させるタイプもある。
- ドーザーブレード
- 土砂をかくためにブルドーザーの様な排土板(ドーザーブレード)を装備することもある。本格的な塹壕を構築することは出来ないが、装備していれば歩兵が身を隠せる盛土を作ったり、整地して後続車両の進路を確保するなど簡易のブルドーザーとして行動できる。
- 舗装された都市部においても車両やバリケードの撤去に有効なため、市街戦が想定される際には装備される。
過去の装備
- ピストルポート
- 車内から応射するため各部に設けられた銃眼。撃つとき以外は閉められたが、装甲板にピストルポートが開けられている場合には防御上の弱点になり得る。また車内には大型の火器は持ち込めないため、接近する歩兵を牽制する程度しか出来なかった。
- 車体機銃
- 車体正面装甲板の左右どちらか(操縦室が右側にある場合は左、操縦室が左側なら右)、あるいは前部フェンダー上に設けられた口径7.62ミリ程度の機関銃。第二次世界大戦中に活躍した各国の戦車の大半に装備されていた。これは敵陣強襲の際、陣地にこもって抵抗、または爆薬などの携行兵器を持って肉迫してくる敵歩兵を駆逐するための火器だが、正面装甲板に設けられている場合には防御上の弱点となる。また射撃できる角度も限られている。第二次世界大戦後、遠距離からでも射撃できる小型軽量の対戦車火器を歩兵が携行するようになってからはその意義が薄れ廃止されたが、現代でもロシアの歩兵戦闘車など、固定式で装備しているものもある。
- リモート機銃
- 車長用機銃を車内から操作できるようにしたもの。対戦車ヘリコプターを迎撃する対空機銃として考案されたが、敵歩兵が接近した状態で使用しても狙撃される危険がなくなり、機銃を対人火器として積極的に利用できるメリットもある。ただし考案された当時はカメラやモニターなどの電子機器、火器管制装置が未発達であり照準はペリスコープから目視で確認し手動で操作していたため命中率は低く、74式戦車のように検討のみにとどまった例が多い。後に電子機器が発達したことによりRWSとして実用化された。
- 床下脱出口
- 戦闘時に車体上のハッチから脱出するのは極めて危険である。このため、車体底面や側面に脱出口が設けられる場合があった。ただし、側面のばあい車体底面と地面との間に十分なクリアランスがあることが必要である。また、トーションバー・サスペンションを採用している車輌では床下に横棒が通る構造上、脱出口の設置位置に制限がある。
- 近年の戦車では地雷に対する下部の装甲強化のために持たないものが多い。イスラエルのメルカバ戦車では車体後部に乗降ハッチが設けられており、乗員の脱出や弾薬補給に有利である。
- バイザー
- ドイツ戦車ではKlappe クラッペと呼ばれる、外部を視察するための直接視認型の覗き窓。単なる小ハッチである物や、銃弾や弾片が飛び込まないように細く空いたスリットから覗くものや、そこに防弾ガラスをはめ込んだものがある。
- 構造上被弾に弱いため、第二次大戦中には多くが間接視認型のペリスコープへと移行し、現在ではスリットは軽装甲車輌にのみ使われている。旧日本軍では「車内から外を覘く孔」という意味で「覘視孔(てんしこう)」と呼ばれていた。
- 補助燃料タンク
21世紀現在では行われないが、航続距離を伸ばすために車内搭載の燃料タンク以外に補助の燃料タンクを車内に搭載されることがあった。また、車体の側面や後部に専用の補助燃料タンクが備えられるものもあった。たとえ引火点の高いディーゼル燃料であっても、高温の砂漠地帯等で気化したり、榴弾の爆発の高温では引火して延焼の危険があったため、非常時や戦闘時のために車内から操作して投棄可能なものが多かった。- 第二次世界大戦中に燃料補給の利便にジェリカンが発明され、補助タンクとして車体外部に大量に搭載している例も見られた。第二次世界大戦後のソ連製戦車の場合、フェンダー上などにも露出した固定式の燃料タンクが搭載されたものが多いが、中東戦争では実際これらに着火してしまうことが多かった。
- 潜水筒
- 74式戦車やレオパルト1、T-62など一部の戦車は、河川を潜水して渡るために、キューポラや吸排気口に装着する潜水筒が用意されていたが、装脱着に時間がかかることや浸水などのトラブルが多かった。すべての車輌に使用頻度の少ない渡河器材を装備することの非効率性もあり、現在では架橋車両を用いることが多い。
- 手摺
- 第二次世界大戦中のソ連軍では不足していた装甲兵員輸送車の代わりに戦車や自走砲の車体や砲塔側面に手すりを付けることで、タンクデサントと呼ばれる跨乗歩兵を輸送した。敵からの攻撃目標とされる戦車の外面に取り付いた無防備の歩兵達は死傷率が高く、跨乗歩兵への配属は実質懲罰であった。見た目が勇ましいので、第二次世界大戦後も東側のプロパガンダ映像によく登場した。これ以外にも戦車への乗降用に設置された手すりもあり、現地改造で追加されたものも見られる。
- ツィメリット・コーティング
- 第二次世界大戦時に戦車攻撃用の磁力吸着地雷を開発したドイツ軍は、同様の兵器への対策として、硫酸バリウムにおがくずや黄土顔料を混ぜた、「ツィメリット剤」を自軍の戦車へ塗布していた。だが連合軍は磁力吸着地雷を使用せず、生産の手間や重量を増加させるだけだったので大戦末期には中止された。第二次世界大戦後期のドイツ戦車には重量軽減や剥離防止のために独特のパターンが刻まれており、車体表面がギザギザして見えるのはこのためである。
- 「セメントコーティング」とも云われ、「ツィンメリット」と表記される場合もある。「ツィメリット」、または「ツィンメリット」とは、この塗料を開発したツィンマー社にちなむ名称である。
兵装
敵の戦車を排除できるように貫通力が高い大口径の主砲が装備され、攻撃対象により砲弾の種類を変更する。
砲戦距離は地形条件により変化するが、1967年のゴラン高原での戦車戦では900 m から1,100 m の射程で戦闘が行われており、ヨーロッパでは2,000 m 程度で生起する想定がされている。一般に、1,000から3,000 m の距離で敵戦車と対峙した場合、3発以内で命中させないと相手に撃破されると言われている[20]。そのためには主砲の発射速度は毎分15発程度が求められる。
主砲は対物、対人用途でも重要な存在である。防御された陣地や建物、また歩兵に対する直接射撃にも使用される。特に市街戦では、主役である歩兵を援護するために主砲が活用される。狙撃手の立てこもる場所を建物ごと破壊するといった任務では、戦車が近接支援火力として投入される。
第二次世界大戦時には火炎放射機能を有する戦車も存在したが、被弾した際の引火のリスクが高く、また当初想定していた市街部や塹壕戦用途としては、歩兵用の対戦車兵器に対して射程不足でアウトレンジされ、あまりに無力なため、運用上の必然性が低くすぐに採用されなくなった。
車内から砲口を通して対戦車ミサイルが発射可能なガン・ランチャーも用いられたが、通常の戦車砲から発射可能な対戦車ミサイルも開発されている。
戦車砲に並べて取り付けられる主砲同軸機銃や、砲塔の上に搭載された機関銃も用意される。これらは対歩兵に対する直接射撃に用いられ、必要不可欠である。砲塔上の機関銃は限定的な対空防御を与える。建物の上や砲塔の向いていない側など、砲が届かない相手に対応するために重要である。
主砲砲弾
主砲の砲弾は攻撃する対象により弾種が選択される。主砲砲弾数の自走時に携行可能な数は40 - 60内外である。
戦車のような硬目標に対しては、多くが運動エネルギーによって装甲を貫徹する徹甲弾 (AP) の中でも細長い弾芯を持ち貫通力を高めたAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)が使用され、モンロー/ノイマン効果を狙った成形炸薬弾 (HEAT) も使用されることがある。21世紀の現在ではあまり使用されない傾向があるが炸裂時の衝撃によって目標の内部を破壊する粘着榴弾 (HESH) も存在する。
兵員装甲車のような軽微な装甲を備えた軟目標や陣地のような目標に対しては榴弾が使われ、多くの場合は榴弾の特性も備えた成形炸薬弾が使用される。
装填は今なお人の手で行われることが多いが、人力で円滑な装填動作を行うには砲弾重量は20 kg 程度が限界とされており、自動装填装置により装填が自動化されている戦車もある。また車内への砲弾の搬入は多くは砲塔上の装填手用ハッチから行われるが、労力軽減のため砲塔側面や車体に搬入口や自動装填装置の給弾口を設けている車輌もある。
装甲
戦車がその能力を発揮し続けるためには、外部からの攻撃に対して内部の乗員や火砲、機動力を守る必要がある。防護性という点では、秘匿性を維持するための低姿勢設計や隠密設計、被弾時の人員の脱出効率なども評価対象となるが、通常は対弾防御能力でもってその性能を評価される。
装甲の配置
重量と防御力を最適化するため、戦車の装甲厚は敵と向き合う砲塔前面や車体前面が最も厚く、一方で上面や底面が薄く造られている。現在の主力戦車の正面装甲は、対抗する主力戦車が搭載する火砲に対し1,000 m で攻撃を受けても耐えることが求められているとされるが、実際には常に競争を続ける盾と矛の関係であり、防護性能より火力性能が上回ることが多い[21]。
一般的には正面左右30度の範囲が最も防御力が高くなるように作られており、側面、後面、上面、底面の順番に防御力は弱くなっていく。近年では側面を携帯対戦車兵器で攻撃される事例が多くなり、これに対抗するために側面装甲の増加が行われている。車体下面も装甲は薄く対戦車地雷によって損傷を受けることが多いが、底面への増加装甲も取り付けられるなど、全周囲に対して均等な防御力を持つことが要求されてきている。低強度紛争においては大口径の戦車砲による攻撃を受けることがないため、正面の装甲を減らして側面に増加装甲を施す改良なども行われている。
対地攻撃機や対戦車ヘリコプター、地上の兵士が放つある種のミサイルでは装甲車輌の上面に攻撃を加えるトップアタック能力を持つものがあり、これらの兵器に対して脆弱である。乗員が車内に出入りするためのハッチ、キューポラ、また外部を観察するためのスリット、あるいはエンジン部などは装甲を厚くできない箇所で、履帯や転輪のような駆動系も攻撃に弱い。
戦車の装甲の歴史
出現した当初の戦車は、対人用の銃器に耐えられる程度の装甲しか持たなかったが、対戦車用の火砲が出現し、戦車自身もそれらを搭載するようになると、戦車は重装甲化への道を走る事になる。無論、厚くて重い装甲は機動性の妨げとなるため、両者のバランスが戦車開発の永遠の命題となった。
- 第一次世界大戦期 - 戦間期
- 第一次世界大戦や戦間期の戦車は圧延鋼板をリベットまたはボルト留めした構造であった。しかし敵弾が命中した時の衝撃でリベットが飛んで車内にいる搭乗員や随伴歩兵を殺傷する危険があった。溶接技術が進歩すると共に、圧延鋼や鋳造鋼を溶接組みする製法が採り入れられた。
- 第二次世界大戦期
- 第二次世界大戦中には、ソ連が避弾経始に優れた曲面形状の鋳造砲塔と傾斜装甲を装備したT-34戦車を投入、独ソ戦初期のドイツ側の攻撃を寄せ付けなかった。この後、第2世代主力戦車(いわゆる第二次世界大戦後第2世代の戦車)まで、各国で避弾経始を意識した戦車設計が行われた。
- 冷戦期 - 現代
1970年代には、従来の圧延鋼や鋳造鋼ではほとんど阻止不可能なAPFSDS弾が登場して、それまでの傾斜装甲による避弾経始の有効性に疑問が生じた。APFSDS弾を防ぐために、装甲板にセラミック板などの異素材を挟み込んだ複合装甲が1970年代後半から採用されはじめ、その後、世界中の第3世代主力戦車では装甲技術の主流となった。それらの戦車の中には傾斜装甲を捨てて垂直面の多い車体とするものも現れたが、21世紀初頭現在の第3.5世代主力戦車でも傾斜装甲が主流であり、あまりに傾斜角が強い為に砲塔の張り出しに引っ掛かってパワーパック交換に支障が出る物もある[注 11]。- 未来
- 現在の戦車は装甲はステルス性や・遠距離の弾の回避率を保ちながらの高い防御能力を戦車に与える為、姿勢が低く角ばった車体の装甲を持つものが開発されている。最新の戦車は小型で攻撃能力が高く、高い機動性を持つ共通点があり、トロフィー等のロケット弾回避装置で防御能力を埋める傾向にある。また運用能力を高めるため、軽量化を進める向きもある。軽量な戦車はより簡便な輸送や進軍を可能にする。また、電磁波を発生させて砲弾を無効化させる方法も研究させている。
増加装甲
戦車には防護力を高めるために増加装甲が取り付けられる場合もある。
はじめからその用途に開発されたものから、戦地にある部隊が独自に取り付けたものまである。素材も先進装甲から土嚢、セメントの類まで幅広い。工具箱や予備履帯の配置を工夫して増加装甲としての効果を期待する事もある。ただ、これらの事をすると当然車体重量が増え、機動性能が落ち、足回り装置に負担がかかる事になる。
第二次世界大戦では増加装甲の取り付けが積極的に行われた。
現代では車種ごとに車体にフィットするような専用の装甲ブロックが供給される。最近では、装甲の一部を取り外し可能にして、破損時の交換や新型装甲素材への換装を容易にしたモジュール装甲(外装式と内装式がある)も一部で導入されている。
中でも人的資源が限られているイスラエル国防軍が運用するメルカバでは、乗員の生存性を高めるために戦車の防御力強化に力を注いでおり、爆発反応装甲や中空装甲をいち早く導入し、エンジンを車体前部に配置して乗員を護る装甲の一部としている。
成形炸薬弾対策
第二次世界大戦後期には、成形炸薬によるモンロー効果を用いた成形炸薬弾(HEAT弾)が戦車の脅威となった。運動エネルギーに頼らずに砲弾自体が発生させる超高速噴流によって装甲を貫くため、発射装置を簡略化することが出来た。この原理を用いたバズーカやパンツァーファウストなどの携帯可能なロケットランチャーや無反動砲により、歩兵の対戦車戦闘力が向上した。第二次世界大戦後はソ連製のRPG-7などが、歩兵用の対戦車擲弾発射器として広く用いられている。
第二次世界大戦時にドイツ軍戦車が用いた「シュルツェン」(エプロンの意味) は、車体から離して薄い鋼板を張った増加装甲である。これはもともとソ連軍の対戦車ライフル対策であったが、HEAT弾に対し効果があることも判明した。HEAT弾を車体からできるだけ離れたところで起爆させ、ジェット噴流が車体に及ぼす効果を極力抑えようとしたもので、後にそれ専用として軽量化を意図した金網製の物も作られた。ソ連軍でもベルリン攻防戦時、ドイツ歩兵のパンツァーファウストへの対策として、砲塔の外側に金網やベッドスプリングを貼っている。
初期にはHEAT弾に対して装甲内に空洞を待たせることで対応するスペースドアーマーも登場し、燃料タンクとして利用する試みもなされ[注 12]、21世紀の現在でもプラスチックやディーゼル燃料を充填する試みが行われている[注 13]が、対HEAT装甲の主役は鋼鉄製の装甲板にセラミック材や重金属を積層した複合装甲に移っている。
イラク戦争後、米英を主体とした駐留軍の車両も対HEAT装甲である鳥籠状の構造物で車体を覆っているが、これは前述のように独軍が採用した防御方法であったもので、その後に同じ着想のものが世界中で採用された[13]。これがRPGの弾頭を数十%の確率で不発、または著しく効果を削ぐと云われている。
また対戦車ミサイル対策として、箱状の爆発反応装甲を主装甲の上に追加する事もある。初期にはHEAT弾にしか効果がなかったが、現代の爆発反応装甲はAPFSDS弾にも効果がある[注 14]。爆発反応装甲の作動時にはその爆発によって車体周囲の随行歩兵や自車の装甲に損傷を与える恐れがあり、作動後はその箇所の防御力は低下してしまう。新世代のミサイルに対する装甲防御力が弱い旧世代の主力戦車に、爆発反応装甲を全周に貼り付ける事で兵器寿命の延命を計ることがある。
乗員
- 乗員の人数と役割
- 一般的な主力戦車(かつての中戦車以上)の定員は、通常は車輌を指揮する車長、操縦を行う操縦手、主砲を照準し射撃を行う砲手、砲弾の装填を行う装填手の4名であるが、自動装填装置(オートマチック・ローダー)が導入されれば装填手は不要となる。しかし、3人だけでは整備や周囲警戒、防御陣地の構築などの非乗務作業を行うには負担が大きすぎるという考えや、戦闘によって1名でも負傷すれば直ちに有効な戦闘が行えなくなるという冗長性の不足を指摘する声もある。イスラエル陸軍では戦訓により「戦車を守るには最低4人必要」としている。
- 初期の戦車には上記の4名に加えて、通信を担当する無線手がいたが、無線機が進歩して車長が自分で扱える様になると廃された。また車体に前方機銃を備えた車輌では、操縦手の隣に副操縦手(または無線手)兼機銃手が配置されていた。第一次世界大戦の戦車などでは、エンジンルームとの仕切りが無く走行中でも点検できたこともあり、機関手も乗っていた。
- 服装
- 戦車兵の軍服は狭い車内で活動するため、他の兵科より裾を短くするなど、引っかからないように工夫されている。第二次世界大戦後になるとつなぎタイプの軍服を採用する軍隊が多数を占めるようになる。さらに生存性を高めるためボディーアーマーを着用することもある。戦車内部は狭く頭をぶつける恐れが高いので、衝撃から頭部を守るための戦闘帽(戦車帽)や革ヘルメットを被る。これらも車内装備やヘッドホンに引っかからないように縁が切り落とされている専用設計のものが一般的である。ドイツの国防軍などは当初戦車兵にクッション入りベレー帽を支給したが、第二次世界大戦開戦以降になると、車内では一般的な略帽で活動し、脱出時には車外装備品の歩兵用ヘルメットを着用するようになった。
- 車内はエンジン音や履帯の走行音などで騒がしいため、耳の保護と通話のためのヘッドセットが組み込まれたヘルメットを着用していることが多い。それぞれの席にはインターホンのジャックがある。
- 車内環境
- かつての戦車内は蒸し風呂のような状態であった[22]が、近年では車内の圧迫感の緩和と少ない光量で効率的に照明が行えるように白色系の色で塗装されることが多く、最新式の戦車はエアコンシステムを搭載している。ただ、戦闘行動中は探知センサーの感度を保持する必要から使用しないとされる[要出典]。車種によってはトイレが標準装備されている(メルカバ戦車など)が、一般にはポータブルトイレキットを使用する。
- 武器
- 戦車兵といえども車外で活動する機会は多く、また戦車を放棄して脱出するときのために個人用の武器が必要とされる。一般に戦車兵は、最も小型で邪魔にならない銃である拳銃を護身用として携帯しているが、短機関銃やカービン銃(短縮小銃)、手榴弾などの追加の歩兵火器が用意されている。
走行装置
履帯
戦車はキャタピラ、または無限軌道と呼ばれる走行装置によって、車体を支え走行する。
多くの場合現代的な無限軌道は、鋼製の履板(りばん)を1枚ずつキャタピラピンで接続したもので、転輪を一巡する輪を構成する。この帯状のものは履帯(りたい)、キャタピラ、無限軌道と呼ばれる。また履帯と走行用の車輪、起動輪、誘導輪、上部転輪などの走行装置をもつ車輛を装軌車両と呼ぶ。
履板は1枚1枚がピンによって連結され、地形に追従して転輪を支え、穴や溝に差し掛かっても一種のフタのような役を果たして転輪を落としこまない。このような働きによって、装軌車両は、装輪車両では通過できないような不整地や、砲弾の炸裂痕に満ちた大地、壕の設けられた戦場を走破、また鉄条網が引かれた阻止線を突破できる。履板を備えた無限軌道は、タイヤなどに比べて地面と接する面積が広い。これにより荷重が分散され、泥濘のような多少の不整地でも走行できる。また接地面積が広いことから、トラクションをかける力が高く、装輪車両では滑ってしまうような路面でも進んでいける。こうした能力は「不整地走破能力」と呼ばれる。多少の幅のある壕も越えて行け、これは「越壕能力」と呼ばれる。段や堤も通常のタイヤ方式(装輪式)よりは高いものまで越えられ、「越堤能力」と呼ばれる。履帯は接地している地面と大きな摩擦を生むため、「登坂能力」にも優れる。浅く川底の状態の良い河川ならば渡渉が可能である。
履帯はエンジンから出力される動力によって駆動するエンジンは変速機、操向変速機、最終減速機を経て起動輪へと動力を伝える。起動輪とはエンジンの駆動力を履帯に伝える車輪である。起動輪には歯輪が取り付けられており、履板に設けられた穴へ歯をかみあわせて履帯を動かす。
変速機はエンジンから出力された高回転の動力を順次低回転に調速し、ゆっくりしているものの強い力で数十トンの質量を動かすだけのトルクを作り出す。動力はさらに操向変速機へ送られ、ここで左右の履帯へ分配される。操向変速機によって履帯は動力を増減し、または停止させられる。これによって装軌車両は向きを変えたり、緩く円を描くような旋回、または急旋回を行える。ブレーキは操向変速機に組み込まれており、走行中の減速に使用される油圧多板ディスクブレーキと停車中のパーキング・ブレーキがある。一部の戦車ではディスク・ブレーキに加えてオイル式のリターダを備える。
履帯による操向は左右起動輪の回転数の差によって行われる。単純な進行方向の変更では左右回転数の小さな差で行われるが、片側の履帯を停止したまま逆側の履帯を動かすことで「信地旋回」と呼ばれる停止側の履帯を中心とするほぼそのままの位置での旋回が行える。また、左右の履帯を互いに逆回転させることで「超信地旋回」と呼ばれるその場で旋回が行える。
上記のように履帯は多くの長所を備えるが、短所も多い。履帯による走行はエネルギーロスが大きく、速度や燃費が犠牲になっており、装輪式のようにパンクはしないが、片方の履板1枚のキャタピラピンが切れたり、履帯が車輪から外れれば、その場で旋回する以上の動きは出来なくなる。履帯は騒音と振動も大きく、騒音は戦場での行動において容易に発見されることを意味し、振動は車載する装置の故障の原因となり乗員を疲労させる。路面の状況によっては大きく砂塵を巻き上げて自ら位置を露呈してしまう。またキャタピラと転輪類そのものが車重全体に占める重量も相当なものであり、大きなものでは履帯1枚が数十kgになる場合もあり、これを連結する履帯も数トンの重さとなる。装軌部分は車輛の側面の多くを占め、体積としても装輪車両より占有率が高い。
現代的な戦車の走行速度の調整、すなわち変速は、操向操作となる左右の起動輪の回転差の調整を含めてトルクコンバータ式のオートマチックトランスミッションによって実現されており、操縦手は、ステアリングハンドルとアクセルペダル、前進・後進を選ぶセレクター・レバーの操作によって、比較的簡単に操縦できる[13]。第一次大戦中の戦車はこのような機構は未熟であり、右履帯用のエンジンと左履帯用のエンジンを備え、車輛の向きを変えるにはエンジンの回転数を変えてステアリング操作を行うようなものもあった。戦間期から第二次大戦中にトランスミッションは進化し、単純なクラッチ・ブレーキ式のような機械式変速機から、流体変速機のような無段階式・オートマチックな変速機へと変遷した。
戦車の行動に適した場所としては開けた土地が挙げられる。これは戦車が攻撃に投入される兵科であり、速度と突進力を生かした機動がその戦術的な価値を高めるからである。電撃戦における機甲部隊は、迂回し、突破し、後方へ回り込んで敵の司令部、策原地などの急所をたたくことが用法の主たるものである。防御戦闘、市街地の防衛などは戦車の任務として本来不適である。戦車は開闊地(かいかつち・Open terrain)や多少凹凸のある波状地 (Rolling terrain) において本来の機動力を発揮できる。反対に密林地帯や森林地帯のような錯雑地 (Closed terrain)、都市部、急峻な山岳地帯、あるいは沼沢地のような車両の進入を拒む場所は、戦車の機動が阻害されるので不適な場所とされる。泥濘も履帯に絡みつき、転輪や起動輪を詰まらせて走行不能にすることがあり、不適である[18]。
渡河
メディアを再生する
橋梁による河川の通過は橋の強度が求められ、橋に頼れば移動経路が制約されて、戦争時には意図的に破壊されることもあり作戦上は好ましくない。履帯が隠れる程度の浅い河川では多くの戦車が渡河が可能である。車体を水密にすることで、エンジンの給排気だけ確保すれば水中でも[注 15]短距離であれば川底を走行することで渡河できる可能性が高く、給排気管や給排気塔と呼ばれる専用装備が用意される戦車もある。ただし運転席が水面の下に入ると目視での運転ができなくなり、計器頼りとなる。また中空構造の戦車が水中に入るとそれなりに浮力がかかり、その分無限軌道と水底との間の摩擦力が減ることから、走行は陸上よりも難しくなる。
戦車だけでなく車両全般の渡河を行うため、専用車両や舟艇が存在する。比較的狭い幅の川では、架橋戦車と呼ばれる戦車相当の車台上に折り畳んだ橋梁構造を固定運搬し川辺から素早く展開設置する機能を持った装甲車両が使用される。また、幅の広い河に対しては架橋戦車の数両分で橋脚を備え連結出来るものも存在する。ポンツーンやポンツーン橋と呼ばれる小型艇を数艇以上を川面に並べることで応急・簡易に戦車等が渡河可能とするものもあり、さらに広い河ではこれを橋ではなく艀として使用することもある。この専用運搬車両も存在する。
兵器産業における戦車
工業製品
現代の戦車は開発・製造に高度な専門技術と産業基盤が要求される工業製品である。強力なエンジンと走行装置、特殊な複合装甲とそれを支えるための強固な構造体、高い加工精度を要する戦車砲と砲弾、それを正確に操る精密な火器管制用の光学電子機器と情報処理装置、通信機器、そして乗員を護る空調換気装置。こうした数多くの要素の1つでも欠けていれば優秀な戦車は産み出せない。自国のみで近代的な戦車を開発し生産まで行えるのは先進工業国に限られているが、21世紀に入ってからは、戦車は1両の陸上車両単体での戦闘能力だけでなく複数の同種・異種の車両や航空機、人工衛星とも連携した戦闘が求められるようになっており、先進工業国の中でもさらに限られた数ヶ国だけが開発と生産を行っているのが現状である。
そのために戦車配備を欲しながらも工業力に乏しい国は他国から戦車を輸入せざるを得ず、戦車生産国はこういった国々へ輸出することによって経済的利益や量産効果による調達価格の低減と共に、軍事・政治的影響力の確保を図ろうとする。兵器メーカーが輸出専用の車輌開発を行う場合もある[注 16][注 17]。
発展途上国においては旧式戦車であっても貴重な戦力であり、半ば放棄されたようなスクラップでも火力支援用途で投入されることが多い。これらの戦車は原型を留めないほど改修されて現地で使用されており、砲塔を地面に埋めてトーチカ代わりにしたり、トラックやトレーラーに砲塔を移植するなど強引な改造をされる例が後を絶たない。これら戦車のスクラップも発展途上国では価値ある中古商品として取引され続けており、退役した戦車をこれらの国々に売り払う軍も少なくない。
近代化改修
現代型の最新戦車は、鋼鉄の塊であると同時に高度情報機器や精密機器の塊でもあるため高価であり、ある程度の数を購入するにはかなりの軍事予算を必要とする。
東西冷戦期には、ヨーロッパで対峙していた東側と西側の陣営各国だけでなく世界中の多くの国々が陸上戦闘での主戦力となる戦車を100輌単位から1,000輌単位で保有していたが、冷戦終結後は脅威の減少[注 18]に伴う軍事費の削減によって、徐々に旧式化する大量の保有戦車を次世代型の新たな戦車に置き換えるだけの予算は与えられなくなった。
先進国の軍隊が限られた軍事予算を有効利用するには、それまで、アフリカ諸国のような軍事予算の限られた国の軍隊が、旧式化した先進国の中古の陸上兵器を小さな改修によって実用的な兵器として購入していたように[注 19]、先進各国が保有している多くの戦車に対して、車体はそのままに追加の装甲や最新電子装置などの付加や交換による能力向上と寿命延長措置が計られることも行われている。こういった改修は「近代化改修」と呼ばれる[注 20]。
戦車相当の戦闘車両の開発
多くの国では近代化改修などにより旧型戦車の延命処置をおこなうなどして戦車を保有し続けているが、冷戦の終結により大規模戦争の可能性は小さくなっており、低脅威度地域紛争への派兵にともなう新たな戦闘車両への要求が大きくなっている。ソマリアの戦訓やイラク戦争の戦果は装甲車や歩兵戦闘車の有用性を示すものであった。戦闘車両の主敵は敵の戦闘車両ではなくなりつつあり、RPGや路肩爆弾などへの防護が求められるようになっている。また決戦兵器としてではなく歩兵支援兵器として輸送に適し小型軽量、高速走行できる軍用車両の必要性が高まり、従来とは異なった兵器体系の模索が開始された。
それまでにも戦車以外の中軽量級の戦闘車両の開発では、モジュール化やコンポーネントの共用化によって開発、生産、運用といった面での経費節減と運用効率向上を図ることがあったが、これらの戦闘車両ファミリーに戦車類似、又は戦車相当の車両を含めて作れないか検討され開発が進められている[注 21]。
こういった戦車類似車両を含む新たな戦闘車両体系は、いずれも味方側との無線ネットワークを使って情報化された高度に有機的な運用方法を想定しているため、戦闘車両単体での購入では能力は発揮できず、導入時には戦闘ファミリー全体の保有が求められる。このような戦闘車両が海外へ輸出販売される場合には、兵器技術の拡散という負の側面もあるが、兵器メーカーでは広範な兵器システムの売り込みが図れ、輸出国では購入国への軍事的影響力がこれまでの単体兵器以上に大きくなると考えられる。
対戦車戦闘
戦車は戦闘車両だけではなく、対戦車兵器を使う歩兵や航空機とも戦う必要がある。戦車は厚い装甲により防御力は高いが、開口部が極端に少ないため視界は狭く死角が多い。また外部音も遮蔽され一層周囲警戒が困難であるが、逆に戦車の走行音は大きいため関知されやすい。一方で歩兵は地形に潜んで、戦車に近接戦闘を挑むことが容易であり、航空機は察知・反撃しにくい上空から攻撃することができる。
戦車は登場した当初から歩兵の手榴弾や地雷による肉薄攻撃を受けてきたが、個人携行が可能な対戦車ロケットや対戦車ミサイルによって離れた位置から戦車への攻撃が可能になると、戦車兵や同行の歩兵は徒歩によって周囲警戒する必要に迫られた。そこで戦車の側は単独で進撃するのではなく視界の広い歩兵を随伴させ、警戒と火器による牽制・制圧で対戦車戦闘を困難にさせる。一方で対戦車攻撃を仕掛ける側は、随伴歩兵を無力化してから戦車を攻撃しようとする。
最新の戦車はモニターやセンサー類を充実することで不利を補おうとしているが十分とは言えず、随伴歩兵を必要としつづけている。歩兵が戦車の装甲に直接同乗するタンクデサントは歩兵の視野の広さと戦車の機動力を得られる反面、むき出しの歩兵は危険であり推奨される戦法とは言えない。RWSは周囲を監視するセンサーと対空攻撃を両立できる装置であるが、高価で装置自体の防御力は低いため万全とは言えない。
また戦車は大きく重いことから交通路には制限があり、防御側はこれを利用して対戦車壕や対戦車用バリケード、対戦車地雷等の障害物によって自由な移動を阻害する。戦車は車体の大きさから停止した状態では的になるため、走行不能な状態に陥った戦車は乗員が逃げるか味方の救出を待つ以外に手立てがない。
市街戦
市街戦は視界の狭さと通行の制限という二つの弱点から特に苦手としているが、歩兵の盾や強力な火力援護手段として戦車が必要されていることに違いは無く、非対称戦争対策として市街地向けの改修が行われている。また設計段階から市街戦を考慮した戦車も登場している。
M1エイブラムスは既存の車両に取り付ける市街戦対処用キットの開発を進めている。
レオパルト2の市街戦対応型『レオパルト2PSO』は、対戦車ロケットや地雷対策の増加装甲、デモ隊の排除や威嚇のため非殺傷兵器やサーチライト、バリケードの撤去にも使用できるドーザーブレード、モザイク状の都市迷彩を採用している。逆に射程距離は重視されないため、主砲を55口径から前期型で使われていた射程の短い44口径に戻し、代わりに遠隔操作式の銃架に多彩な小火器を装備できるようにしている。
都市部ではビルなど高所が多く、ここからのロケット弾で撃破される危険がある。
M1エイブラムス用の市街戦対処キット
レオパルト2の市街戦対応型
空襲
陸戦を主目的とする戦車にとって上空を高速で移動する航空機は対応が難しく、第二次世界大戦の中期から対地攻撃機が対戦車攻撃に導入され多くの成果を上げた。特にダイブブレーキを備えた急降下爆撃機は狙いを定めやすく、戦車側は直撃しないようにジグザグに動く、急停止・急発進するなど回避行動を取っていたが効果が薄かった。対策として大規模な戦車部隊には対空戦車が随伴することもあった。相手の空襲を受ける可能性がある場合は、高射部隊の援護が必要不可欠である。
戦車の上部装甲は概して薄く作られるため、正面であれば十分に耐えられる20mm~30mmの機関砲であっても貫通される可能性がある。このため第二次世界大戦後期には30mmクラスの機関砲を装備して対戦車攻撃機へと転用されたJu 87Gのような急降下爆撃機の改造型が登場している。
空中を自由に動き回る攻撃ヘリコプターは固定翼機以上の脅威であり、停止・横移動・前後進により適切な距離を保ったまま機関砲や対戦車ミサイルなどで一方的に戦車を撃破することが可能である。戦車側はヘリコプターの射程に入った場合、スモークで視界を遮りつつ遮蔽物の影に隠れる以外には手がなかったが、戦車が主に活動する平地では車体を隠す場所が少なく、スモークも拡散するまでその場に滞空して待つことが可能であるなど、戦車とは本質的に相性が悪い。そのため戦車を運用する側は、歩兵の持つ地対空ミサイルや対空攻撃の可能な機関砲、また専門の高射部隊との協調によってヘリコプターの接近を阻止する必要がある。
現代では対戦車攻撃はヘリコプターが主流であるが、アメリカ軍のA-10は戦車や装甲車への攻撃を主任務としており、30mmガトリング砲や空対地ミサイルなど多彩な武装を装備している。
この他にも攻撃能力を有する無人航空機など新たな脅威も出現している。
現代ではミサイルなどを利用した空からの対地攻撃により敵戦闘車両を破壊した後、地上部隊を展開させる戦術が基本であり、制空権の確保は戦闘車両の大規模展開の前提である。
翼下に37mm機関砲を備えたJu 87G
対戦車ミサイルを発射する陸上自衛隊の対戦車ヘリコプターAH-1S
歩兵
第二次世界大戦中に成形炸薬によるモンロー効果を利用した物が登場すると吸着地雷から対戦車手榴弾・銃砲利用の対戦車擲弾と続き、やがて個人携行可能な対戦車ロケット弾、対戦車無反動砲、携帯式対戦車用擲弾発射器(パンツァーファウスト)が登場した。またロケットランチャーと組み合わせたものはバズーカとして知られる。これら小型軽量の対戦車兵器は比較的安価で使用法も単純である事から対戦車兵器の主流となった。また第二次世界大戦後になると誘導装置を備えた対戦車ミサイルが開発された。
1970年代には、この対戦車ミサイルにより歩兵の対戦車戦闘力が大きく強化された。第四次中東戦争中の1973年10月8日に発生したエジプト軍第二歩兵師団とイスラエル軍第190機甲旅団の戦闘では、エジプト軍がRPG-7やAT-3「サガー」を大量に装備して迎え撃った。随伴歩兵を伴っていなかったイスラエル軍戦車は対戦車攻撃を満足に防げず、約120輌の戦車うち100輌近くが約4分間で撃破された。
このような携帯式の対戦車兵器の発達が、ゲリラやテロリストなど重装備を持たない武装勢力に対戦車攻撃能力を与えたため、いわゆる低強度紛争(LIC=Low Intensity Conflict)を増長させる要因となった。例えばソ連製のRPG-7は簡単な作りで途上国でもコピー生産できるため、紛争地帯で多く使用されている。
これらの武器は戦車や戦闘車両に限らず、防御された陣地や兵士に向けて直接発射されることも多く、仮に戦場に全く戦車の姿がなくとも、歩兵部隊にとって強力な火力投射手段として多用される。
野砲では対人砲弾としてキャニスター弾が使われていたが、戦車では搭載できる砲弾に限りがあるため車体機銃や車長用機銃が利用されていた。また現代ではRWSが普及している。対人用砲弾自体は生産されており、ラインメタル 120 mm L44には多数の歩兵に近接された際の対抗手段として爆発により1000個の金属球を飛散させる対人散弾が用意されている。
RPG-7対戦車擲弾
BGM-71 TOW対戦車ミサイル
RPG-29対戦車擲弾
即席爆発装置
戦車博物館
各国において、戦争に関する博物館が存在する。中でも、戦車を中心にした博物館がいくつか存在する。連合軍の博物館は自国の戦車はもとより、鹵獲した枢軸国の戦車の展示においても充実しており、戦車の変遷を理解する上においては重要な資料を提供している。
陸上自衛隊武器学校
陸上自衛隊広報センター
戦争紀念館
アバディーン陸軍兵器展示場
パットン戦車博物館
ボービントン戦車博物館
ダックスフォード帝国戦争博物館
ソミュール戦車博物館
クビンカ戦車博物館
ロシア中央軍事博物館
ムンスター戦車博物館
コブレンツ国防技術博物館
国立オーバールーン歴史博物館
ブリュッセル戦車博物館
パロラ戦車博物館
陸軍戦車博物館
ラトルン戦車博物館
脚注
注釈
^ スウェーデンのStrv.103主力戦車は、大戦中の定義で言えば、明らかに対戦車自走砲のような車両であるが、その開発・運用目的・戦闘能力から、スウェーデン軍では主力戦車として配備されていた。また、陸上自衛隊が導入している16式機動戦闘車は装輪式でありながら戦車と運用方法が類似し、105mmという戦車砲並みの大口径砲を有することから、財務省はこれを戦車と定義し、戦車調達費の枠内に収めようとし、それに反対する防衛省と議論が続いている。
^ tankが登場する直前の辞書大日本国語辞典(大正4年8月発行) には「せんしゃ【戰車】 戦争に用ふる車。軍用の車。兵車」とある
^ 中国大陸では青銅器時代には戦車が主力兵器とみなされるほど重視されていたものの、時代が下ると歩兵と騎兵に地位を奪われて廃れていった。日本では山がちな地勢や大陸から伝わった鉄器や騎馬の技術によって戦車の時代を経ること無く歩兵と騎兵の時代に移行したため、ほとんど使われなかった
^ 大正11年「偕行社記事」4月号に掲載された「作戦上に於ける自動車の利用について」という論文に戦車の語が確認できるという。佐山二郎『機甲入門』光人社NF文庫、2002年。70ページ ISBN 4-7698-2362-2
^ 奥村恭平大尉(陸士21期・輜重、のち陸軍少将)が軍用自動車調査会の席上で「戦車」と呼称することを提案した
^ 兵器の制式名としてPanzerkampfwagenではなくPanzerだけで「戦車」を意味するようになったのが確認できるのは、IV号駆逐戦車の長砲身型であるIV号戦車/70 (Panzer IV/70) が最初である。
^ 現在のドイツ連邦軍のpanzerdivisionも装甲師団と訳されるのが通例である。日本語中の頻度を調べるサービス[1]で検索すると「装甲師団」31件、「機甲師団」22件に対して、「戦車師団」は5件。しかも内訳をみていくと装甲師団はドイツのPanzerDivisionのことを表してる用例ばかりなのに、戦車師団はいずれもドイツのそれではなく日本や韓国の戦車師団についての用例である(2014年の検索結果)
^ チャレンジャー1は55口径120mmライフル砲L11A5を装備。
^ 21世紀現在では、戦闘用装甲車輌であってもセンサー類やC4Iシステムといった多数の電子機器を常時稼動させる必要があり、停車時に主たるエンジンを停止する間の補助電源としてAPUを搭載する必要が生まれている。
^ フランスのルクレールでは12.7mm機関銃を、日本の90式戦車と米M1エイブラムスでは7.62mm機関銃を主砲と同軸に備えている。
^ M1戦車は砲塔を90度横に向けても、パワーパックがそのまま垂直には引き上げられず、斜めに傾ける作業が必要となっている。
^ Strv 103では増加燃料タンクを足回りを覆うように並べ、HEAT弾の威力を減衰させる装甲としての役割を兼ねさせた。これに対する射撃実験の映像でも確認できるように、当然HEAT弾によって燃料に着火してしまうが、着弾時に飛び散ったり空いた穴から地面に流れるため、そのまま走り抜けてしまえば車体が炎上することは無いようである。さらに同車は車体前面に柵型の対HEAT装甲を設けたが、これは後述する鳥籠装甲と同じ原理によるものである。
^ スェーデンではHEAT弾の爆発的な加熱ではディーゼル燃料に着火しないことが実射実験で確かめられている(現代戦車のテクノロジー)
^ コンタクト5やFY-5など。
^ 川底が厚い泥であったり、特に急流であれば水中渡河は困難だと考えられる。
^ 兵器輸出入の実例を挙げれば、国内の企業が開発した車輌と他国の車輌とを比較検討した結果、他国製の輸入に決まる場合もあれば、逆にイランへの輸出用に開発したものの革命でキャンセルされ、開発企業救済のために本国イギリス陸軍に採用されたチャレンジャー1の例もある。一方で日本やイスラエルの様に、防衛上の方針や政治的制約からコスト面での不利を覚悟で輸出を行わずに国内での生産と運用に限定する国もある。また西側標準となったL7ライフル砲やラインメタル120mm滑腔砲のように、一部装備のみの輸出入やライセンス生産が行われる事も多い。
^ 戦車の性能は、開発国の工業力を推し量る指針となる。第二次世界大戦中、ドイツは同国ならではの優れた機械技術でティーガー、パンターなどの強力な戦車を開発したが、あまりに複雑な構造故に生産性が非常に悪く、戦場でも稼働率が上げられずに当初見込んだ戦果を得る事が出来なかった。対するアメリカはM4シャーマン戦車のような単純な構造で生産性と信頼性、可用性の高い戦車の大量生産を行い、物量でドイツ軍戦車を圧倒する事で連合国の勝利に大きく貢献した。
^ 冷戦終結による「脅威の減少」とは、戦車同士が大規模に砲火を交える可能性が小さくなったという事を指す。
^ こういった発展途上国の陸軍向けの兵器販売としては、ソビエト時代などに輸出された世界中に多く存在する旧型戦車へのアップデートキットや中古戦車の輸出などが代表的である。
^ 先進国や発展地上国でも、近代化改修に似て非なるものに、旧式化した戦車の車体や走行装置などを自走砲や工兵戦闘車両のような派生車輌として活用することも以前からよく行われた。
^ 軽量化に伴い防護性能の低下は避けられず、あるものは装軌(キャタピラ)式を止めて装輪(タイヤ)式とすることで路外走行性能も低下するが、空輸性を含めた輸送の利便性と単一ファミリー化によるコスト低減を優先した設計が行われている。
出典
- ^ abc三野正洋 (1997). 戦車マニアの基礎知識. イカロス出版.
^ 陸軍省臨時軍事調査委員 『欧洲交戦諸国ノ陸軍ニ就テ(増補再版)』 陸軍省、1916年6月、第九 欧州戦ニ於ケル兵器ノ趨勢 24頁。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1885847。
^ 扇広 (1982). 日本陸軍の戦車発達史 (1)、『戦車マガジン』1982年6月号. 株式会社戦車マガジン. pp. 88 - 89.
^ 細見惟雄、重信吉固 『中隊教練ノ研究 歩兵操典草案 下巻』 陸軍歩兵学校将校集会所、1925年3月、附表第二。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/914145。
^ 陸軍歩兵学校准士官下士集会所編 『陸軍歩兵学校案内』 陸軍歩兵学校准士官下士集会所、1925年8月、六 戦車 19頁。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964209。
^ 日本の陸軍、『Jグランド』vol.18. イカロス出版. (2008). pp. 41. JANコード 4910151760288.
^ “네이버 국어사전 - 땅크”. NAVER国語辞典. NAVER. 2017年9月18日閲覧。
^ アーマーモデリング誌創刊号での、ドイツ人編集者の証言より
^ ピーター チェンバレン、クリス エリス. 世界の戦車 1915 - 1945 (初版 ed.). pp. 114.
^ 高井三郎 『ゴランの激戦 第四次中東戦争』 原書房、1982年。ISBN 4-562-01250-1。
^ Chaim Herzog (2009). The War of Atonement:The Inside Story of the Yom Kippur War. A GreenHill Book. ISBN 978-1-935149-13-2. ,P205.
^ 三菱重工|「Best Innovation 2010」
- ^ abc日本兵器研究会編『現代戦車のテクノロジー』アリアドネ企画 2001年5月10日第2刷発行 ISBN 4-384-02592-0
^ KADDB - Projects - Falcon Turret Archived 2008年2月6日, at the Wayback Machine. - 写真1 Archived 2011年9月20日, at the Wayback Machine. - 写真2 Archived 2012年5月21日, at the Wayback Machine. - 写真3 Archived 2011年10月25日, at the Wayback Machine.
^ Armed Robotic Vehicle (ARV) UGV Robotic Armored Assault System (RAAS)
^ PANZER誌 2007年1月号特集「第4世代MBTは実現するか?」
^ ストライクアンドタクティカルマガジン別冊「戦後の日本戦車」古是三春、一戸祟 カマド社
- ^ ab高井三郎著『国土防衛と陸上作戦における戦車の役割(下)』軍事研究2008年10月号(株)ジャパン・ミリタリー・レビュー 2008年10月1日発行 ISSN 0533-6716
^ 上田信『戦車メカニズム図鑑』(グランプリ出版 1997年3月25日初版)
^ 林磐男. タンクテクノロジー (初版 ed.). pp. 52.
^ 林磐男. タンクテクノロジー (初版 ed.). pp. 77.
^ [2][リンク切れ]
参考文献
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2013年10月) |
- 扇広 『日本陸軍の戦車発達史 (1)、『戦車マガジン』1982年6月号』 株式会社戦車マガジン、1982年。
- リチャード・M.オゴルキィウィッチ 『近代の戦闘車両―開発・設計・性能』 林 磐男訳、現代工学社、1983年3月。ISBN 9784874721001。
- 林磐男 『タンクテクノロジー』 山海堂、東京都文京区、1992年7月15日、初版。ISBN 4-381-10051-4。
- ピーター チェンバレン、クリス エリス 『世界の戦車 1915~1945』 大日本絵画、東京都千代田区、1996年12月、初版。ISBN 4-499-22616-3。
- 『日本の陸軍、『Jグランド』vol.18』 イカロス出版、2008年、41頁。JANコード 4910151760288。
関連項目
- 戦車一覧
- 主力戦車
装甲戦闘車両 - 軍用車両
タンクトランスポーター(戦車運搬車)
- 履帯を備え重い戦車は、不整地走行には向いても舗装路を長距離走行するのには向かず、長距離の自走移動は故障を招き、乗員の疲労も増す。このため、長距離移動には「タンクトランスポーター」と呼ばれる専用の大型トレーラーで輸送されることが多い。また、可能であれば鉄道による輸送も行われる。
- 戦車回収車
装甲回収車とも呼ばれる。戦闘による故障などで動けなくなった戦車などを後方の修理可能な場所までレッカー車のように移動させる。パワーパックや主砲の交換などの保守やその他の修理作業でも、搭載する強力なクレーンが活躍する。
- 架橋戦車
- 戦車を渡河させるための橋を数分程度の短時間に展開設置する特殊車輌である。戦闘能力は無く、戦車の車体によって大きな橋桁を運搬するために存在する。
- ダミー戦車
- 敵軍に実際の戦車と誤認させるデコイ。
- 戦車バイアスロン
- 戦車を使ったモータースポーツ
|