クロアチア





クロアチア共和国

Republika Hrvatska











クロアチアの国旗 クロアチアの国章
(国旗) (国章)


国の標語:なし


国歌:Lijepa naša domovino(クロアチア語)
私たちの美しい故国


クロアチアの位置









































公用語

クロアチア語ラテン文字[1]

首都

ザグレブ
最大の都市
ザグレブ

政府












大統領

コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ

首相

アンドレイ・プレンコビッチ(英語版)


面積











総計

56,542km2(123位)
水面積率
0.2%


人口











総計(2008年)

4,416,000人(115位)

人口密度
80人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2013年) 3,269億[2]クーナ (kn)


GDP (MER)





合計(2013年) 573億[2]ドル(73位)


GDP (PPP)











合計(2013年)
866億[2]ドル(82位)
1人あたり 20,222[2]ドル


独立
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国より
1991年6月25日

通貨

クーナ (kn) (HRK)

時間帯

UTC +1(DST:+2)

ISO 3166-1
HR / HRV

ccTLD

.hr

国際電話番号
385



クロアチア共和国(クロアチアきょうわこく、Republika Hrvatska)、通称クロアチアは、東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家である。本土では西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアと国境を接している。南はアドリア海に面し対岸はイタリア、飛び地のドゥブロヴニクでは東にモンテネグロと接している。首都はザグレブ。


1991年に、それまで連邦を構成していたユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立した。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


    • 2.1 クロアチア統一


    • 2.2 同君連合


    • 2.3 オーストリア=ハンガリー帝国


    • 2.4 ユーゴスラビア王国


    • 2.5 クロアチア独立国


    • 2.6 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国


    • 2.7 独立




  • 3 政治


    • 3.1 クロアチアのEU加盟




  • 4 地方行政区分


  • 5 地理


  • 6 交通


    • 6.1 道路


    • 6.2 鉄道


    • 6.3 航空路


    • 6.4 水路




  • 7 経済


    • 7.1 鉱業




  • 8 国民


    • 8.1 言語


    • 8.2 宗教




  • 9 文化


    • 9.1 音楽


      • 9.1.1 ディスコグラフィー




    • 9.2 食文化


    • 9.3 世界遺産


    • 9.4 日本語教育


    • 9.5 祝祭日




  • 10 スポーツ


    • 10.1 サッカー


      • 10.1.1 主なサッカー選手




    • 10.2 バスケットボール


      • 10.2.1 主なバスケットボール選手




    • 10.3 テニス




  • 11 出身者


  • 12 脚注


  • 13 関連項目


  • 14 外部リンク





国名


正式名称はクロアチア共和国で、Republika Hrvatska Hr-Republika Hrvatska.oga 発音[ヘルプ/ファイル]。通称 Hrvatska [xř̩ʋaːtskaː](フルヴァツカ)。


公式の英語表記は Republic of Croatia。通称 Croatia [kroʊˈeɪʃə] ( 音声ファイル)(クロエイシャ)。


日本語の表記はクロアチア共和国。通称クロアチア。漢字表記では克羅地亜、呉呂茶など。クロアチア語による正式名称の発音は片仮名表記にするならフルヴァツカが近いが、フルヴァツカと表記されることはあまりない。「クロアティア」とはラテン語読みである。



歴史




クロアチア統一


9世紀になると、北方・西方からフランク王国、南方・東方から東ローマ帝国の圧力が強まった。カール大帝治世の9世紀初めには一時的にフランク王国の版図に含まれ、この時にカトリックを受容している。以降クロアチア(Duchy of Croatia)はカトリックの一員となっている。こうした中、両勢力を牽制しつつヴラニミル(英語版)がクロアチア統一を進め、879年にローマ教皇ヨハネス8世から独立国家として認められた。その後、トミスラヴのもとでクロアチア王国は発展をとげるが、彼の死後しばらくして、後継者争いから内乱へ突入した。



同君連合


このことがハンガリー王ラースロー1世の介入を招き、次のハンガリー王カールマーン1世が、1102年クロアチア・ダルマチアの王として戴冠を受けた。これによって、クロアチア(ここでのクロアチアはザグレブを中心とする地域)とスラヴォニアはハンガリー王国との同君連合の枠組みの中に組み込まれた(en)。ハンガリー王はクロアチアに広範な自治を認め、その際におかれた太守(総督)はバン(バーン)と呼ばれた。



オーストリア=ハンガリー帝国





オーストリア=ハンガリー帝国時代の行政区分(1910年)


この後15世紀にはオスマン帝国に征服され(Ottoman wars in Europe)、その領域に組み込まれた(軍政国境地帯の内クロアチア軍政国境地帯(英語版)スラヴォニア軍政国境地帯(英語版)にあたる領域はオーストリア=ハンガリー帝国側に残った)。


18世紀末までに、オーストリア、ハンガリーによって回復されている(ハプスブルク領クロアチア王国(英語版))。これ以来ハプスブルク体制寄りの姿勢をとり、1848年の三月革命の際にはクロアチア人の軍人イェラチッチがハンガリーなどでの革命の鎮圧に活躍している。1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立するが、ハンガリーがクロアチア=スラヴォニア王国(英語版)に対して認めていた自治権も併せて、実態的には「オーストリア=ハンガリー=クロアチア三重帝国」であったとする研究も存在する[要出典]。クロアチアは帝国内の他地域と比較しても体制側に協力的だった。


一方で、アドリア海沿岸のダルマチアは他2地域とは別の歴史をたどった。ダルマチアは10世紀末にヴェネツィア共和国の植民地になった。複雑な海岸とそれに連なる島々で構成されるダルマチアは天然の良港の宝庫であり、海洋国家ヴェネツィアにとって非常に重要な地域となった。ラグサ共和国として半独立していた時期もあるが、ナポレオン期のフランス帝国領イリュリア州(1809年 - 1816年)を経て、以降1815年のウィーン会議においてオーストリア帝国直轄領(ハプスブルク領イリュリア王国、ハプスブルク領ダルマチア王国(英語版))になるまでヴェネツィアの支配が続く。なお、オーストリア直轄となった点も、ハンガリー王国領域であった他2地域と歴史的性格を異にする。



ユーゴスラビア王国


1918年に第一次世界大戦の敗北からオーストリア・ハンガリーが崩壊。オーストリア・ハンガリーから離脱したスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国は、南スラブ民族による連邦国家の構成と言うセルビア王国の提案を受けて、セルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国の成立に参加。1929年は国名をユーゴスラビア王国に改名した。しかしこの連邦国家にはクロアチア人側から、セルビア人に対して政府をコントロールしているのはセルビア人であるとする反発が大きく1939年にはこの不満を解消する目的で、広大なクロアチア自治州(セルビア・クロアチア語版、英語版)を設定したが、批判も多かった。



クロアチア独立国


クロアチア自治州の設定だけでは満足しないクロアチア人勢力は、アンテ・パヴェリッチを中心として、クロアチアの独立を掲げる民族主義団体ウスタシャを設立。1941年反独クーデターによる親英政府打倒の為ユーゴスラビアに侵攻したナチス・ドイツの支援を背景として、クロアチア、ダルマチア、スラヴォニアとヴォイヴォディナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの一部に跨るクロアチア独立国を成立させる。それ以降、ユーゴスラビア共産党を中心とするパルチザンおよび旧ユーゴスラビア王国軍の成員を中心としたチェトニックとの間で凄惨な戦闘が繰り返される。1945年に戦闘が終結するまでの4年の間に、強制収容所などで70万人のセルビア人が虐殺されたとセルビアは主張している。一方で、クロアチアはその数は大げさだとしており、ほぼ同数のクロアチア人がセルビア人によって虐殺されたと主張している。この論争は後のクロアチア紛争の火種となり、同じような論争が繰り返されることになった。




ユーゴスラビア社会主義連邦共和国


ユーゴスラビアの混乱状態は、ユーゴスラビア共産主義者同盟が指導するパルチザンによってユーゴスラビアが自力開放されることによって収束された。戦後、以前のユーゴスラビアの枠組みの中で国家の再建が目指され、以降このパルチザン闘争を主導したヨシップ・ブロズ・チトーの巧みなバランス感覚と、カリスマ性によって多民族国家ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は維持された。しかし、1980年にチトーが死去したことを皮切りに、幹部会システムの導入や経済状況の不安定化によって、各共和国・自治州において不満が噴出しはじめた。クロアチアはユーゴスラビア連邦政府に忠実な立場を取り続けたが、1980年代半ばからスロボダン・ミロシェヴィッチを中心とするセルビア共和国とスロヴェニア共和国の対立が深まると、次第にスロヴェニアと歩調を合わせるようになっていった。



独立




独立した旧ユーゴスラビア諸国(2008年)


東欧革命以降、旧東欧地域でそれまで一党独裁の地位にあった社会主義政党が自由選挙を認め民主化の気運が高まると、ユーゴスラビアでもこれを認め1990年に戦後初の複数政党制による自由選挙が実施された(Croatian parliamentary election, 1990)。クロアチアではユーゴスラビアからの自立を掲げるクロアチア民主同盟(HDZ)が勝利し、スティエパン・メシッチが首相に指名され、政権を掌握。以降ユーゴスラビア・セルビアとの関係は険悪化の一途をたどっていった。


1991年3月2日には、スラヴォニアの帰属(西部に西スラヴォニア自治区(英語版)クライナ・セルビア人自治区(英語版)、東部に東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州)をめぐってクライナ・セルビア人自治区軍とクロアチア警察軍(英語版)の間でにらみ合う事態となり、3月31日にはプリトビツェ湖群で両者が衝突し、死者を出す事態となった(プリトビツェ湖群事件(英語版))。クロアチアの独立を目指す準備は着々と進められており、5月19日には独立の可否を問う国民投票が実施され、93%の圧倒的多数が賛成票を投じた[3]。これを受けて6月25日、スロヴェニアと同日に独立を宣言した。


一方でクロアチア領内にも多く住むセルビア人は、クロアチアの独立に反対していた。この地域はクライナ・セルビア人自治区(→クライナ・セルビア人共和国)として、クロアチア政府による統治を拒否する構えを見せた。また、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入した。これに対抗したクロアチア軍は、9月半ばにはユーゴスラビア軍との全面衝突クロアチア紛争へと進む。結果1995年に戦闘が終結するまでに大量の死者とセルビア人難民を生み出した。
これはクロアチア軍がセルビア人自治区を襲撃し、迫害を避けるためにセルビア人はユーゴスラビア地域へ退避移住せざるを得ない状況に陥ったことによる。破壊を避けるために先祖代々の墓も退避せざるをえない悲劇であった。移住せざるを得なかったセルビア人は20万人以上と言われている。その地域をクロアチア人居住区として併合することにより民族浄化路線を完了させる。


なお、クロアチア政府は1992年以降、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争にも介入し、セルビア人勢力やムスリム人勢力とともに戦闘、民族浄化を繰り広げた。



政治





バンの宮殿


1990年の憲法制定以来、クロアチアは民主主義を標榜している。1990年から2000年までは半大統領制、それ以降は議院内閣制を採用している。国家元首である共和国大統領は直接投票による選出で、任期は5年、憲法上、多選は禁止され、最長でも2期までと定められている。大統領は軍の最高司令官であり、議会の同意のもと、首相を任命し、国家元首として外交政策に影響を及ぼしている。ザグレブの大統領宮殿の他、避暑地のブリユニ島とフヴァル島に邸宅を所有している。


議会(サボル)は2001年まで二院制を取っていたが、上院(州議院)が廃止され、現在は一院制である。サボルの議員定数は100〜160人の可変で比例代表制によって選出される。任期は4年。本会議は1月15日から7月15日までと9月15日から12月15日まで行われる。


2011年12月4日、議会(1院制、定数151)選挙が行われた。暫定集計結果(開票率約70%)によると、野党・社会民主党を中心とする中道左派連合の予想獲得議席数は78で、政権交替が確実となった。一方、与党・中道右派48議席にとどまり、大敗した。[4][5]


政府(ヴラダ)は2人の副首相と14名の閣僚を率いる首相を首班とする。行政機関は予算案、法案の策定に責任を持ち、共和国の外交、内政を実行する。政府公邸はザグレブのen:Banski dvori(バンの宮殿、クロアチア社会主義共和国時代には大統領府)である。



クロアチアのEU加盟


クロアチアの欧州連合(以下EUとする)加盟交渉は、2005年中にスケジュールが組み立てられ、2008年1月に発足したサナデル内閣は2010年のEU加入を目標とした。


ただし、クロアチアの加盟交渉の開始に当たってはオランダのハーグに設置されている旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷から訴追されているクロアチア軍退役将軍アンテ・ゴトヴィナの同法廷への引渡しが条件となっていた。これに対してはクロアチア国内の民族派からの抵抗が大きく当初2005年3月に予定されていた加盟交渉の開始は、この条件が満たされないことを理由に見送られることになった。同年10月3日から行われたEU緊急外相会議において、トルコ及びクロアチアに対する参加交渉の開始をめぐる議論が行われ、翌4日にクロアチアに対しての加盟交渉の開始が決定された。


当初クロアチアの加盟交渉開始の障害となっていたアンテ・ゴトヴィナは同年12月初頭にスペインのカナリア諸島で身柄を拘束され、ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に移送された。


欧州委員会はクロアチアとの加盟交渉を終了し、同国のEU加盟を加盟27カ国に提案する方針を2011年6月に固めた。


2012年1月22日の国民投票で3分の2の賛成を得、議会によるEU加盟条約の批准を経て、2013年7月1日にクロアチアは正式にEUに加盟した[6]。28番目のEU加盟国であり、旧ユーゴスラビア構成国家での中ではスロヴェニアに続く2例目となる。



地方行政区分



クロアチアは20地方(županije, županija - 単数形)と1直轄市(grad - 単数形)に分かれる。



地理





クロアチアの地図


クロアチアの国土は大まかに



  • 中央クロアチア


  • スラヴォニア地方


  • ダルマチア地方

  • イストリア


の4地方に分かれる。


ドゥブロヴニク地方は、ボスニア・ヘルツェゴビナのネウムによって分離され、飛び地となっている。他国を通過せずに移動できるようにするため、ドゥブロヴニク側から伸びるペリェシャツ半島とクロアチア本土との間に、長大橋「ペリェシャツ橋(英語版)」の建設計画が存在したが、その後計画は中止された。



交通


陸路、航空路、水路交通は次のように整備されている。[7](クロアチアの交通はザグレブ中心なので、ザグレブ#交通に詳述されている。)



道路


国道には1号線(オーストリア国境〜ザグレブ〜スプリト)、3号線(ハンガリー国境〜ザグレブ〜リエカ)、8号線(リエカ〜ザダル〜スプリト〜ドブロブニク〜モンテネグロ国境)などがあり、高速道路はA1(ザグレブ〜ザダル〜スプリト〜プロツェ、E71)、A2(オーストリア国境〜ザグレブ、E59)、A3(スロベニア国境〜ザグレブ〜スラヴォンスキ・ブロド〜セルビア国境、E70)、A4(ザグレブ〜ハンガリー国境、E70=E65)などが近年急激に整備されてきた。[8] 都市間の移動には中長距離バスが利用されていて、便利である。市内の移動には、バス、路面電車(ザグレブなど)、タクシーなどが利用できる。



鉄道




ザグレブ中央駅


ユーゴスラビア鉄道が解体されたあとのクロアチア鉄道(国有鉄道)が運営している。主な路線にはザグレブ〜ヴィンコヴツィ、ザグレブ〜オシエク、ザグレブ〜リエカ、ザグレブ〜スプリトなどがあり、さらに隣国のオーストリア、スロベニア、ハンガリー、セルビアなどへの国際列車も多い。



航空路


クロアチア航空がある。空港はザグレブ(ザグレブ国際空港)、リエカ、スプリト、ドブロヴニクなどにあり、各社の航空機が発着している。



水路


リエカ、ザダル、スプリトに大きな港があり、アドリア海ではヤドロリニヤやブルーライン・インターナショナル(en:Blue Line International、スプリト〜アンコーナ)などの海運会社も活躍していて、アドリア海に面した有名観光都市(リエカ、ザダル、スプリト、ドブロヴニク、および諸島)へは各社の豪華客船の寄港も多い。ヴコヴァル(ドナウ川)、スラヴォンスキ・ブロド(サヴァ川)などでは川も利用されている。



経済




首都ザグレブ





リエカ


2013年のGDPは約574億ドルであり[2]、日本の山口県とほぼ同じ経済規模である[9]。一人当たりのGDPは13,401ドルで、旧ユーゴスラビア諸国の中ではスロベニアに次いで2番目に高く、隣国ハンガリーを若干上回る。[2]



鉱業


クロアチアの鉱業は同国の経済において補助的な役割しか果たしていない。原油(104万トン)と天然ガス(74千ジュール)は同国のエネルギー消費量の数%をまかなうに過ぎない。金属鉱物資源は産出せず、塩などが見られる程度である。



国民

































民族構成(クロアチア)

クロアチア人
  
90.4%
セルビア人
  
4.4%
ボシュニャク人
  
0.7%
その他
  
4.5%


住民は、クロアチア人が90.4%である。その他、セルビア人が4.36%、ボシュニャク人が0.7%などとなっている。クロアチアにおけるクロアチア人の割合はクロアチア紛争以降高くなっており、クロアチア紛争によってクロアチアに在住していたセルビア人の多くが難民としてクロアチア国外に退去したか、あるいは死亡した一方で、ボスニアからのクロアチア系難民が多く流入したものと見られている。民族浄化の最も成功した例といえる。



言語




クロアチアのクロアチア語の方言の地図


言語はクロアチア語のラテン文字が公用語であり[1]、広く使われている (96%)。一部セルビア語を使うものもいる (1%) が、この二つは文字が違う(セルビア語はキリル文字とラテン文字を使用)程度でほとんど同じ言葉であり、その違いは日本語の標準語(東京地域)と大阪弁の間の違いよりも小さいといわれる。実際、旧ユーゴスラビア時代はセルビア・クロアチア語という一つの言語として扱われていた。



宗教


宗教は、大部分がローマ・カトリック(中心はザグレブ大聖堂)である (86.3%)。残りは、セルビア正教会が4.4%、イスラム教が1.3%、プロテスタントが0.3%などである。



文化


ネクタイはもともとクロアチア人の風習であったことから、ネクタイを指す言葉が各国語で「クロアチア」を語幹に使っている例がある(フランス語: cravateやスペイン語: corbataなど)。



音楽


クロアチアの民俗音楽は地域によって大きく異なる。北部では旋律やリズムがハンガリーと似ているが、タンブリツァによる伴奏がクロアチア的であるとされ、ヴァイオリン・ツィンバロムといった構成はあまり使われない。また、リズムにハンガリー民謡のようなシンコペーションは見られない。男性合唱による「クラパ」はダルマチア地方ではいまでも盛んに行われていて、観光客もよく耳にする。[10] また、1919年に創立されたザグレブ四重奏団も名高い。



ディスコグラフィー


  • "Songs & Dances from Croatia"(Zagreb Folk Dance Ensemble / Dr.Ivan Ivančan - Mentor / EUCD 1500, dinaton & ®©1900, ARC Music Productions Int.Ltd.[11])

  • "Folk Music from Croatia"(Tamburaski Sastav "Veritas"(Tambura Ensemble "Veritas") / EUCD 1078, ARC M.P.Int.Ltd.)


食文化




世界遺産ドゥブロヴニク旧市街



  • チェヴァプチチ

  • ブレク

  • シュトゥルクリ



世界遺産



クロアチア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件ある。



日本語教育



  • 2014年現在、ザグレブ大学とザダル大学で日本語教育が行われている。[12]


祝祭日




















































































祝祭日
日付
日本語表記
クロアチア語表記
備考

1月1日

元日
Nova Godina(ノヴァ・ゴディナ)

...

復活祭および復活祭後の月曜日
Uskrs i Uskršnji ponedjeljak(ウスクルス・イ・ウスクルシニ・ポネディイェルイェヤク)
変動あり

5月1日

メーデー
Međunarodni praznik rada(メジュナロドニー・プラズニク・ラダ)


イースターより60日後

聖体の祝日
Tjelovo (ティイェロヴォー)
移動祝日

6月22日
反ファシスト闘争記念日
Dan antifašističke borbe(ダン・アンティファシスティチュケ・ボルベ)


6月25日

国家の日
Dan državnosti(ダン・ドルジャヴノスティ)


8月5日
解放の日
Dan pobjede i Dan domovinske zahvalnosti(ダン・ポブイェデ・イ・ダン・ドモヴィンスケ・ザファルノスティ)


8月15日
聖母被昇天の祭日
Velika Gospa(ヴェリカ・ゴースパ)


10月8日

独立記念日
Dan nezavisnosti(ダン・ネザヴィスノスティ)


11月1日

諸聖人の日
Dan svih svetih(ダン・スヴィ・スヴェーティー)


12月25日

クリスマス
Božić(ボージチュ)


12月26日
聖ステファノ殉教者の祝日
Sveti Stjepan(スヴェーティー・スティエパン)



スポーツ



サッカー


サッカーはクロアチアで最も人気のスポーツである。旧ユーゴスラビア時代から多くの名選手を輩出している。サッカークロアチア代表は1998 FIFAワールドカップで初出場、ダヴォール・シューケルが得点王に輝くなど初参加ながら3位という好成績を収めた。プルヴァHNLを筆頭とした国内リーグもあり、中でも首都のチームディナモ・ザグレブは旧ユーゴ以来の強豪である。2018年に行われたFIFAワールドカップ ロシア大会では準優勝を達成した。



主なサッカー選手




  • ズボニミール・ボバン

  • ダヴォール・シューケル

  • ロベルト・ヤルニ

  • ロベルト・プロシネチキ

  • ロベルト・コヴァチ

  • ダリオ・シミッチ

  • ルカ・モドリッチ

  • マリオ・マンジュキッチ

  • イヴァン・ラキティッチ

  • スティッペ・プラジバット

  • ミハエル・ミキッチ

  • マテオ・コヴァチッチ






アリーナ・ザグレブ



バスケットボール


多くのNBA選手を輩出している。代表は独立後の1992年に結成。初めてのオリンピックとなったバルセロナオリンピックでは、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンらを擁する初代ドリームチーム相手に決勝戦で敗れたものの、初出場で堂々の銀メダル獲得。この2年後の1994年世界選手権でも銅メダルを獲得。バスケットボール欧州選手権(通称『ユーロバスケット』)では、1993年と1995年に銅メダル獲得。


しかし、この後1996年のアトランタオリンピックで7位に終わった後は、長らく低迷が続いた。2008年の北京オリンピックでアトランタオリンピック以来のオリンピック出場を成し遂げ、再び復調の兆しをみせている。



主なバスケットボール選手




  • ドラゼン・ペトロビッチ

  • トニー・クーコッチ

  • ザン・タバック

  • ゴーダン・ギリチェック

  • ゾラン・プラニニッチ

  • マリオ・カスン

  • スタンコ・バラック

  • ロコ・ウキッチ




テニス


テニスが盛んで、世界ランク2位を記録したゴラン・イワニセビッチからイワン・リュビチッチ、イボ・カロビッチ、マリオ・アンチッチ、マリン・チリッチと常に長身のビッグサーバーを輩出するテニス大国である。
2005年には国別対抗戦であるデビスカップでイワン・リュビチッチ、マリオ・アンチッチの2人を中心に、みごと世界一に輝いている。



出身者


  • クロアチア人の一覧


脚注




  1. ^ abクロアチア共和国憲法(クロアチア語版、英語版)第12条で明確に定められている。

  2. ^ abcdef“World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年11月23日閲覧。


  3. ^ セルビア系住民の大半は投票をボイコットした。


  4. ^ クロアチア総選挙 野党連合が過半数の勢い 朝日新聞 2011年12月5日


  5. ^ クロアチア・スロベニア:バルカン2国で政権交代決まる 欧州債務危機影響 毎日新聞 2011年12月6日


  6. ^ “クロアチアがEU加盟、28カ国体制に バルカン半島安定に前進”. 産経新聞. (2013年7月1日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/130701/erp13070107390001-n1.htm 2013年7月1日閲覧。 


  7. ^ 『地球の歩き方、クロアチア スロベニア』(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年)


  8. ^ "Auto Karte Trsat, Hrvatska" (Trsat Polo d.o.o., 2012)


  9. ^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)


  10. ^ 『Lonely Planet, Croatia』 (Lonely Planet Publications, 2011)


  11. ^ http://www.arcmusic.co.uk


  12. ^ [1] 在クロアチア日本国大使館公式サイトにおける大使の挨拶、2014年12月22日閲覧。




関連項目



  • クロアチア関係記事の一覧

  • 日本とクロアチアの関係

  • クロアチアとセルビアの関係


  • クロトラム - クロアチアの車輌製造メーカー・コンソーシアム



外部リンク






政府



  • クロアチア共和国政府 (クロアチア語)(英語)


  • クロアチア大統領府 (クロアチア語)(英語)


日本政府


  • 日本外務省 - クロアチア

  • 在クロアチア日本国大使館


観光



  • クロアチア政府観光局 (日本語)


  • クロアチア政府観光局(日本) (日本語)












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