イスラエル
- イスラエル国
מְדִינַת יִשְׂרָאֵל
دولة إسرائيل
(国旗)
(国章)
- 国の標語:なし
国歌: התקווה (ヘブライ語)
ハティクヴァ
公用語
ヘブライ語
首都
エルサレム[注釈 1][注釈 2]
最大の都市
テルアビブ
- 政府
大統領
ルーベン・リブリン
首相
ベンヤミン・ネタニヤフ
- 面積
総計
22,072km2(153位)[1]
水面積率
2.12%
- 人口
総計(2014年)
8,157,300人(???位)(推計)[2]
人口密度
369.58人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2011年)
9,239億[3]新シェケル (₪)
- GDP (MER)
合計(2011年)
2,582.08億[3]ドル(???位)
- GDP (PPP)
合計(2011年)
2,481.12億[3]ドル(???位)
1人あたり
32,924.997[3]ドル
建国
1948年5月14日
通貨
新シェケル (₪) (ILS)
時間帯
UTC +2(DST:+3)
ISO 3166-1
IL / ISR
ccTLD
.il
国際電話番号
972
イスラエル国(イスラエルこく、ヘブライ語: מְדִינַת יִשְׂרָאֵל メディナット・イスラエル、アラビア語: دولة إسرائيل ダウラト・イスラーイール、英語: State of Israel [ˈɪzrɪəl, ˈɪzreɪəl])、通称イスラエルは、中東のパレスチナに位置する国家。北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にエジプトと接する。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)とは南西および東で接する。地中海および紅海にも面している。首都はエルサレムであると主張しているが、国際連合などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている(エルサレム#首都問題を参照)。
イスラエルは、シオニズム運動を経て1948年5月14日に建国された。建国の経緯に根ざす問題は多い。版図に関するものではパレスチナ問題がよく報道される。
目次
1 国名
2 歴史
2.1 古代イスラエル
2.2 中世
2.3 シオニズムの興隆
2.4 イギリス委任統治領パレスチナ
2.5 イスラエル建国と第一次中東戦争
2.6 第二次・第三次中東戦争
2.7 第四次中東戦争からインティファーダ
2.8 オスロ合意から現在
3 政治
3.1 大統領
3.2 立法
3.3 行政
3.4 司法
4 国際関係
4.1 米以関係
4.2 中東外交
4.3 南アフリカ共和国との関係
4.4 兵器の輸出
4.5 人口過密になるほどの移民
4.6 日本とイスラエルの関係
5 軍事
5.1 イスラエル国防軍
5.2 核兵器保有の有無について
6 地理
6.1 地理上の特徴
6.2 行政区画
6.3 イスラエルの地
7 経済
7.1 科学研究
7.2 貧困問題
8 国民
8.1 民族と言語と宗教
8.2 宗教
8.3 言語
8.4 「ユダヤ人」の多様性
8.5 非ユダヤ人への反応
9 交通
9.1 自動車・バス
9.2 鉄道
9.3 航空
10 社会
10.1 社会福祉
10.2 教育
10.3 結婚
11 文化
11.1 食文化
11.2 音楽
11.3 スポーツ
12 通信
12.1 電話
12.2 インターネット
13 脚注
13.1 注釈
13.2 出典
13.3 参考文献
14 関連項目
15 外部リンク
国名
アブラハムの孫にあたるヤコブの別名イスラエルに由来するものであり、ヤコブが神と組み合った際に与えられた「神に勝つ者」を意味する名前である[4]。ヤコブは古代イスラエルの王の祖先であり、伝統的にはユダヤ人の祖先と考えられている。この地域はイスラエルの地(エレツ・イスラエル)と呼ばれた。独立直前にはユダ(Judea)、エレツ・イスラエル、シオン(Zion)、新ユダ(New Judea)なども国名候補として存在した[5]。漢字表記は、以色列。
歴史
古代イスラエル
古代にはこの地は肥沃な三日月地帯であり、カナンの地と呼ばれ、カナン人をはじめ様々な民族が住んでいた。ユダヤ人の祖先となるヘブライ人も移住してきたが、子孫たちはエジプトに移住しエジプト人の奴隷となっていった。長い期間を経てエジプトを脱出したヘブライ人(イスラエル人)は、この地を征服し紀元前11世紀頃イスラエル王国が成立した[6]。しかし紀元前930年ごろ内乱のため、イスラエル王国は南北に分裂した。北のイスラエル王国は紀元前722年にアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされた[7][8]。新バビロニアもペルシア帝国に滅ぼされ、その後パレスチナの地はアレクサンダー大王の東方遠征により征服される。アレクサンダー大王の死後、マケドニアは分裂し、パレスチナはセレウコス朝(シリア王国)の支配下に入るがマカバイ戦争を経て、ユダヤ人の王朝であるハスモン朝が成立する[9]。紀元前1世紀にハスモン朝はローマ帝国の保護国となり、後にローマ帝国の属州ユダヤ属州となる[10]。66年には独立を目指し、ユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発するが、70年にローマ帝国により鎮圧された[11]。132年にバル・コクバに率いられたバル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)が起き、一時はユダヤ人による支配権を取り戻したが、135年に再びローマ帝国に鎮圧され、名称もシリア・パレスティナ属州に変わった[12][13][14]。離散ユダヤ人(ディアスポラ)は早い時期から存在したが、この時に数多くのユダヤ人がディアスポラとなっていった[15]。
中世
636年に東ローマ帝国が正統カリフに敗北し、以後オスマン帝国滅亡(1924年)までのほとんどをイスラム教国家の支配下に置かれることになる。1099年に第1回十字軍によりエルサレムが占領されキリスト教国であるエルサレム王国が成立した。しかし1187年、ヒッティーンの戦いでアイユーブ朝に破れエルサレムを再占領されると、1200年ごろにはエルサレム王国の支配地域は地中海沿いのみとなっていた。わずかな支配地域を維持していたエルサレム王国であったが、1291年にマムルーク朝により完全に滅亡した。1517年にはオスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼしこの地方を支配した[16]。
シオニズムの興隆
1834年にセルビアに住むセファルディム系の宗教的指導者イェフダー・アルカライが小冊子を発行し、聖地での贖罪を前提とした帰還を唱えた[17]。こうした宗教的意味合いの強い宗教的シオニズムとは別にモーゼス・ヘスは1862年、反ユダヤ主義への解決策としてユダヤ人の民族主義を復興し、ユダヤ人の国家を築くべきだと訴えた。これは世俗的(政治的)シオニズムと呼ばれる[18]。
1882年に第一次アリヤー(ヘブライ語で「上がる」こと、シオン(エルサレム)への帰還の意)が始まる。東ヨーロッパから2万5千人[19]から3万5千人[20][21]のユダヤ人がオスマン帝国支配下のパレスチナに移住した。後にシオニズム運動を主導していくテオドール・ヘルツルは同化主義者であったが、ユダヤ人が冤罪で逮捕されたドレフュス事件を新聞記者として取材し、ユダヤ人に対する差別に衝撃を受け民族主義者へと転じた[22][23]。この頃からシオニズムという言葉が現れるようになる[24]。ヘルツルはオスマン帝国のスルタンアブデュルハミト2世を含む、各国の要人たちにユダヤ人国家設立を請願した[25][26]。この頃、東欧やロシアではユダヤ人が虐殺されるポグロムが繰り返し発生していた[27]。
1897年にはスイスのバーゼルで第1回シオニスト会議が開催され、世界シオニスト機構が設立された[28]。1904年から始まった第二次アリヤーでは4万人ほどが移住し[29][30]、1909年にはルーマニアからの移民がテルアビブを建設した[31]。ヘルツルは必ずしも「ユダヤ人国家」の候補地としては、必ずしもパレスチナにこだわってはおらず、初期にはアルゼンチンやウガンダも挙がっていたが、「シオン無きシオニズム」はあり得ないとされ、パレスチナ以外の選択肢は存在しなくなった[32][33]。
イギリス委任統治領パレスチナ
1914年、第一次世界大戦が勃発し、オスマン帝国はドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国の三国同盟側で参戦する。イギリスは戦争を有利に進めるため、「三枚舌外交」と呼ばれる数々の密約を結んだ。フランス・ロシアとはサイクス・ピコ協定を結び、アラブ人とはフサイン=マクマホン協定を結んだ。そしてユダヤ人に対してはバルフォア宣言を行った[34]。これは1917年11月2日、英国外相バルフォアがユダヤ人の民族郷土建設について支持を表明したもので、ロスチャイルド卿に宛てた書簡に記されていたものである[35]。
1918年10月30日、オスマン帝国は降伏し、イギリスの占領統治が始まった。1922年には国際連盟で定められた委任統治制度により、この地はイギリス委任統治領パレスチナとして運営されることとなった。施政を担当する初代高等弁務官にはユダヤ人のハーバート・サミュエルが就いた。この委任統治決議の文書には、バルフォア宣言を再確認する文言が含まれていた[36]。アラブ人はバルフォア宣言の撤回を要求し続け、イギリスの提案する立法評議会への協力やアラブ機関の設立などを頑なに拒否した[37]。その間にもユダヤ人は移民を進め、ユダヤ機関の設立、自警組織ハガナーの結成、ヘブライ大学の開校など、ユダヤ人国家建設に向けてパレスチナにおけるユダヤ人コミュニティー(イシューブ)を着実に大きくしていった[38]。
1929年、嘆きの壁事件が発生した。アラブ人によるユダヤ人襲撃が行われ、133名のユダヤ人が殺害され339名が負傷した。アラブ人にも110名の死者が出たが、そのほとんどはイギリスの警察や軍によるものだった[39]。この事件を受けイギリスは2つの調査委員会を派遣した。調査委員会はどちらも、事件の要因はユダヤ人移民のコミュニティーが大きくなり、アラブ人がそれに脅威を感じたこととし、ユダヤ人の移民と土地購入について再検討を勧告した。一時は勧告に従った白書が出るものの、ユダヤ側の反発にあい撤回され、方針が変わることはなかった[40][41]。
1936年、アラブ人によるユダヤ人襲撃と、その報復が引き金となりアラブ反乱 (1936年)が発生する。イギリスはピール調査委員会を派遣し、パレスチナの分割を提案した。ユダヤ側は国家創設の足がかりとしてこれを受け入れたが、アラブ側はこれを拒否した[42]。調査委員会の活動が終わると、再びパレスチナ全土で反乱が起こり、1939年に収束するまでに、アラブ人に大勢の死傷者と逮捕者を出した[43]。
1939年5月に、イギリス政府の方針を大きく変えるマクドナルド白書が出される。この白書は移民および土地売買に関して制限を設けるものであった[44]。アラブの主張に沿った方針であったが、アラブ人はイギリスをもはや信用せず拒絶し、当然ユダヤ人も拒否しイギリス政府に対する不信を強めることになった[45]。ユダヤ人はアラブ反乱からさらなる防衛力の必要性を感じ、またイギリス政府の方針変更に武力で抵抗するため、ハガナーやイルグン、レヒといった武装組織を強化していった[46]。
第二次世界大戦が始まり、ナチスのホロコーストがイシューブに伝わり、多くのユダヤ人を震撼させた。ユダヤ人にとってパレスチナへの避難は急を要したが、イギリスは移民制限を変えることはなかった。しかしながら、戦時中はユダヤ人の反英闘争はなりをひそめ、義勇兵としてイギリス軍とともに戦った[47][48]。戦争が終わるとイギリス政府はアメリカに共同調査委員会の設立を提案し、英米調査委員会が設立された。委員会は強制収容所にいる10万人のユダヤ人をパレスチナに移住させるようイギリス政府に勧告したが、イギリス政府はこの勧告を受け入れず移民制限を変更しなかった。これを受け、キング・デイヴィッド・ホテル爆破事件などユダヤ人過激派の反英闘争が激化することとなった[49]。
イスラエル建国と第一次中東戦争
ついにイギリスは委任統治を諦め、パレスチナ問題について国際連合の勧告に委ねることにした。国連の調査委員会では、ユダヤ人の国家とアラブ人の国家を創設する分割案と連邦制国家とする案が出たが、最終的に分割案が国連総会で採択された[50][51]。イギリスは「1948年5月15日をもって委任統治を終了する」とした。イギリスは紛争への介入を止め、両陣営の相手に対する攻撃は活発となった。ベン・イェフダ通り爆破事件(死者ユダヤ人55名)とその報復で起こったレホヴォトの列車爆破事件(死者イギリス人28名)やデイル・ヤシーン事件(死者アラブ人100名以上)、ハダサー医療従事者虐殺事件(死者ユダヤ人70名以上)など、ユダヤ人・アラブ人双方による襲撃事件が多発した[52]。
緊迫した状況であったが、ユダヤ人は1948年5月14日イスラエル独立宣言を行った[53]。
これに対しアラブ諸国は、パレスチナ人を支援するため軍隊を動員し、5月15日、パレスチナに侵攻、第一次中東戦争が勃発した。装備が整っていなかったイスラエル軍は苦戦を強いられるもののアラブ諸国の軍を食い止め、両陣営は5月29日の国連の停戦呼びかけに応じて6月11日から4週間の停戦に至った[54]。イスラエルはこの期にハガナーを中心とした軍の再編成を行い、イスラエル国防軍を創設した。国連特使のフォルケ・ベルナドッテがパレスチナの問題解決のため新たな連邦案を提案したが、イスラエル・パレスチナ双方ともに受け入れることはなかった。彼は9月17日にイスラエルの過激派レヒによって暗殺された。イスラエルには非難が集まり、イルグン、レヒの解体につながった[55]。1949年2月24日、イスラエルはエジプトと休戦協定を締結した。続いて、レバノンと3月23日、トランス・ヨルダンと4月3日、シリアとは7月20日にそれぞれ休戦協定を結び、第一次中東戦争は終結した[56]。イスラエルの兵力は開戦当初3万人ほどであったが、終戦時には11万人近くになっていた。また、戦争前の内戦状態から戦時中にかけ数十万人ものパレスチナ難民が発生することとなった[57]。こうした難民が放棄していった財産は、1950年の不在者財産没収法により、イスラエルに没収された[58]。エジプトはガザ地区に軍隊を駐留させ、ヨルダンは1950年にヨルダン川西岸地区を領土に編入した[59]。
イスラエルは1949年5月11日国際連合の加盟を承認された[60]。
第二次・第三次中東戦争
1956年10月29日、エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻し、第二次中東戦争が勃発した。エジプトの敗北は目前と思われたが、この侵攻はアメリカの猛烈な反発を招き、結局11月8日に停戦した[61]。
1960年5月11日、モサドはナチスのホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンの身柄を確保した。裁判はメディアによって大々的に報道された。1961年12月15日、アイヒマンに死刑が宣告され、翌年5月31日に刑が執行された[62][63]。
1967年5月、エジプトはティラン海峡を封鎖した。これに対しイスラエルは6月5日奇襲攻撃を仕掛け、エジプト軍航空機のほとんどを離陸前に破壊した。エジプトからシナイ半島とガザ地区を、同戦争に参戦したシリアからゴラン高原を、ヨルダンからエルサレム旧市街を含む東エルサレムとヨルダン川西岸を奪い取り、その領土は戦前の3.5倍にもなった。6月10日に戦争は終結した。第三次中東戦争はわずか6日間でイスラエルの圧倒的勝利に終わった[64][65]。1967年11月22日、国際連合安全保障理事会は、イスラエルが占領した領地からの撤退を求める内容を含んだ国連安保理決議242号を全会一致で採択した[66]。この決議は中東和平の基本的枠組みとなっていくが、条文が曖昧といった問題をはらんでいた。イスラエルはこの決議に対し、「全ての」占領地域から撤退するとは書かれていないと主張した[67]。
1950年代の終わり頃、ヤーセル・アラファート率いるファタハが結成された。またアラブ諸国主導でパレスチナ解放機構(PLO)が設立された。当初PLOは過激な武装闘争グループではなかったが、アラファートがトップに立つと、その性格を過激なものに変えていった[68]。PLOはヨルダンを活動拠点としていたが、次第に関係が悪化し1970年9月17日ヨルダン軍はPLOを攻撃、内戦状態となった。これは「黒い九月事件」と呼ばれ、過激派組織「黒い九月」はここから名称をとっている。黒い九月は1972年に、ミュンヘンオリンピック事件を引き起こしている[69]。
第四次中東戦争からインティファーダ
1973年10月6日、エジプトとシリアはイスラエルに奇襲し、第四次中東戦争が始まった。開戦当初、エジプトとシリアは不意を突き、イスラエルに大きな損害を与えたが、その後の反攻でイスラエルは前線を押し戻した。10月22日には、停戦を要求する国連安保理決議338号が採択され、戦争は終結に向かった。イスラエル国内では先制されたことに対し軍と政府に批判が集まり、ゴルダ・メイアが辞任することになった[70]。
エジプトのサダト大統領は、アラブの大統領として初めてイスラエルを訪問し、11月20日、イスラエルの国会であるクネセトで演説を行った[71]。
1978年9月5日から、アメリカ・メリーランド州キャンプ・デービッドにおいて、アメリカのカーター大統領、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相の三者会談が開かれ、キャンプ・デービッド合意が成立した。イスラエルの占領地からの撤退とパレスチナ人の自決権についての合意であり、サダトとベギンは平和貢献を認められ1978年ノーベル平和賞を共同受賞している。1979年3月にエジプト・イスラエル平和条約が締結された。当事者であるパレスチナ人は「合意内容はイスラエルの主張寄りであり[72]、パレスチナ人のためのものではなく、エジプトとイスラエルのための合意である」と合意に反対した[73]。1981年10月6日、サダトはイスラム過激派により暗殺された。
1981年6月、イスラエルはイラクの核兵器開発を阻止すべく、イラクの原子炉を攻撃した(イラク原子炉爆撃事件)[74]。
1978年3月と1982年6月の二度にかけて、レバノンのベイルートに本部を移したPLOを駆逐し、内戦中であったレバノンの少数派キリスト教徒保護と親イスラエル政権の樹立を目指し、レバノン侵攻を開始。シャロン国防相に率いられたイスラエル軍とレバノンの同盟勢力ファランヘ党は、PLOをベイルートから追放し、ファランヘ党のバシール・ジュマイエルがレバノンの大統領に選出された。しかしジュマイエルは就任直前に暗殺され、ファランヘ党員は報復のためサブラ・シャティーラ難民キャンプに侵入し、数百人とも3千人とも言われる非武装の難民を虐殺した(サブラー・シャティーラ事件)[75][76]。アリエル・シャロン国防相は「殺害を傍観した不作為の罪」を問われ、国防相を辞任した。
1987年12月、イスラエル軍の車両が、アラブ人の労働者を乗せた2台の車と衝突し4人が死亡したことをきっかけに、民衆蜂起(インティファーダ)が起こった。民衆はバリケードを築き、投石を行い、火炎瓶を投げた。イスラエル当局はこれを鎮圧し、死傷者も出たが、インティファーダは全占領地に広がった。インティファーダには大人だけでなく子供も参加した。武装した兵士に立ち向かう少年の映像が報道され、国際的な非難がイスラエルに集まった[77]。国連安保理は1987年12月22日イスラエルを非難する決議を採択した[78]。1988年7月、ヨルダンはヨルダン川西岸地区の主権を放棄し、それに伴い1988年11月、PLOはエルサエムを首都とするパレスチナ国の樹立を宣言した[79]。
1991年、湾岸戦争が勃発し、イラクによるスカッドミサイルの攻撃を受けたが、イスラエルの報復攻撃は行われなかった[80]。
オスロ合意から現在
1992年、米ソ共催によるマドリード中東和平国際会議が開かれた。同年、パレスチナとの和平交渉に前向きな姿勢を見せるイツハク・ラビンが首相に選出された。またノルウェーの仲介により、パレスチナとの交渉が進められていった。1993年9月13日にオスロ合意が成された。PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエルもまたPLOをパレスチナ人の代表として認め、パレスチナ人の暫定的な自治を認めるものだった[81]。この功績からヤーセル・アラファート、イツハク・ラビンと外務大臣のシモン・ペレスはノーベル平和賞を共同受賞している。しかし、イスラエル・アラブ双方の過激派はこれを認めなかった。イスラエル人のバールーフ・ゴールドシュテインがヘブロン事件を起こし29人を殺害すると、報復にハマースが自爆テロを何度と無く繰り返し起こした[82]。このような状況下であったが、ラビンは更なる和平に向けてオスロIIに向けて邁進し、1995年9月、調印を行った。オスロIIはイスラエル国内の批判も大きく、野党からはラビンを売国奴と罵る者もいた[83]。1995年11月4日、平和集会に参加していたラビンはユダヤ人学生に射殺された[84]。
その後も、自爆テロを含むテロ行為が、ハマースなどによって絶え間なく引き起こされた。2000年9月にはアリエル・シャロンのエルサレム、アル=アクサー・モスク(神殿の丘)訪問をきっかけにアル・アクサ・インティファーダ(第2次インティファーダ)が起こった[85]。
2002年に、テロリストの侵入を阻むため、分離壁の建設を開始した。
2006年7月12日、ヒズボラの攻撃に対し、報復として拠点を破壊すべくレバノンに侵攻した。2008年12月27日、ハマース掃討のためパレスチナ自治区ガザ地区に大規模な空爆を実行、翌年1月には地上からの侵攻も開始した。この攻撃で民間人にも犠牲者が出た[86]。
2016年12月23日、国連安保理でイスラエルのパレスチナ占領地への入植活動を「法的な正当性がなく国際法に違反する」とし「東エルサレムを含む占領地でのすべての入植活動を迅速かつ完全に中止するよう求める」決議が採択され、賛成14票、反対1票で可決された。同様の決議に対ししばしば拒否権を行使していたアメリカは今回は棄権した[87]。この決議の後にネタニヤフ首相は、賛成した10ヶ国の大使を呼び出し直接注意し、外務省に対して、(賛成した14ヶ国のうちイスラエルと外交関係にある)12ヶ国(日本、イギリス、フランス、ロシア、中国、ウクライナ、アンゴラ、エジプト、ウルグアイ、スペイン、セネガル、ニュージーランド)との外交関係を制限するように命じた[88]。
イスラエル建国70周年を迎えた2018年5月14日、アメリカは在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。これを受けパレスチナとイスラエルとの軍事衝突が拡大している。
2018年7月19日、イスラエル議会は、イスラエルを「ユダヤ人の国家」と定義する法案の採決を行い、これを採択した[89]。この「ユダヤ国民国家法」はエルサレムを「統一された首都」と位置づけ、公用語はヘブライ語のみとしてアラビア語を除外した。このためアラブ系議員らは抗議し、賛成62人、反対55人だった[90]。
政治
イスラエルの政治は行政、司法、立法と国家元首である大統領からなる。議会制民主主義を採用し、行政府(政府)は、立法府(クネセト)の信任を受け、司法府(裁判所)は法により完全なる独立を保証されている。イスラエルは非成典憲法であり、国家の政治制度を規定した各「基本法」は通常の法律と同等に改正することができる[91]。選挙権は18歳以上に与えられ、被選挙権は21歳以上に与えられる。選挙投票日は休日となり、入院中の人間や受刑者にも投票権が与えられる。投票率は通常8割から9割程度である[92][93]。
イスラエルは建国宣言で「ユダヤ人の国家」(Jewish State)と規定されており、ユダヤ人の定義は、「帰還法」(1970年改正)により、「ユダヤ教徒もしくはユダヤ人の母親から生まれたもの」と定義している。同時にアラブ人の市民権なども認めており、ユダヤ人「のみ」の国家というわけではない[94]。ユダヤ教の教義に基づく安息日の労働を禁ずる法が存在し、教育に関する法ではユダヤ教文化を重視することが盛り込まれている[93]。1990年代に「基本法:人間の尊厳と自由」と「基本法:職業の自由」が制定された。また、1995年に最高裁が基本法は一般の法に優越するとの判断を下し、この時期を「憲法革命」と呼ぶ[93][95]。
大統領
イスラエルの大統領の任務は象徴的・儀礼的な性格が強く、新国会の開会式の開会宣言、外国大使の信任状受理、クネセトの採択ないしは批准した法、条約の署名、当該機関の推薦するイスラエルの大使、裁判官、イスラエル銀行総裁の任命などである。大統領はクネセトの投票で決定され、任期は当初5年であったが、1999年の法改正により、7年に延長された代わりに再選は禁止されるようになった[96][93]。
立法
イスラエルの国会であるクネセトは一院制。議員定数は120名で、政党名簿比例代表(拘束名簿式)により選出される。その名称と定数は紀元前5世紀にエズラとネヘミヤによってエルサレムに招集されたユダヤの代表機関、クネセット・ハグドラ(大議会)に由来する[97]。
イスラエルの政府は、伝統的に複数の政党による連立政権により運営されてきた。これは完全な比例代表制をとり、最低得票率も低いため、多数の政党が存在するためである[98]。
左派である労働党は1973年の選挙までは第一党であり、120議席のうち50議席程度を占めていた。1977年の選挙で右派のリクードが第一党となり、その後も労働党とリクードによる二大政党時代が続いた[99]。しかし少数政党が乱立するようになり、2006年には中道のカディマが29議席という議席数ながらも第一党となり、労働党などと左派中道連立政権が発足した[100]。2009年・2013年の選挙ではリクードを中心とした政権が発足している[101]。
2014年7月、女性司法大臣のアイェレット・シャクドが、「パレスチナ人の母親を皆殺しにするべきだ」と述べた[102][103]。
行政
国家の最高行政機関である政府は、国家の安全保障を含む内外の諸問題を担当し、クネセトに対して責任を有し、その信任を受けねばならない。政府の政策決定権には極めて幅がある。法により他の機関に委任されていない問題について、行動をとる権利を認められている[104]。首相は日本と同様、議会で選出されているが、1996年から2001年までは首相公選制を採用し首相選挙を行っていた[99][105]。
司法
司法の独立は法により完全に保証されている。最高裁判事3名、弁護士協会メンバー、政官界者(閣僚、国会議員など)で構成される指名委員会があり、判事はこの委員会の推薦により大統領が任命する。判事の任期は無期(70歳定年)[106]。最高裁判所、地方裁判所、治安判事裁判所、そして宗教裁判所が存在し、結婚および離婚に関する裁判は各宗教の宗教裁判所が扱っている[93]。
死刑は戦時の反逆罪および敵性行為に対する法律と、ナチスおよびその協力者を処罰する法律においてのみ存在する。なお、死刑判決は軍法会議においても下すことが可能である。アドルフ・アイヒマンとジョン・デミャニュクに死刑判決が下されたが、後者は後に無罪となっている[107]。
また、テロ対策のために、裁判も起訴状も、ときには説明すらなく、国家にとって危険だと見なされた人物を逮捕・拘束できる行政拘束(予防拘禁)という制度を持ち[108]、治安立法も数多く制定されている[109]。
イスラエルの軍法会議では、未成年でも12歳から起訴できると定めている。国連児童基金によれば、世界でもこうした例は他にないという。2016年現在、イスラエルは約450人の未成年パレスチナ人の身柄を拘束しており、うち100人ほどが16歳未満とされる[110]。
国際関係
自民族の国家を持たなかったことにより、600万人のユダヤ人が殺されたホロコーストの教訓から、イスラエルは「全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る」ということを国是にしている、とされる[111]。その一方で、同情を利用した外交や事業といったものも行われており、それはノーマン・フィンケルスタインによってホロコースト産業と呼ばれた。
イスラエルは建国直後の1949年に国際連合へ加盟している。2011年時点で、イスラエルは157の国連加盟国と外交関係を有している。残りの国連加盟35か国のうち、サウジアラビアやシリア等のイスラム圏を中心とする26か国[112]はパレスチナ問題を理由として建国以来一度もイスラエルを国家承認していない。また、イランやキューバ等の9か国[113]は一時期イスラエルと外交関係を有していたが2011年までに関係が断絶している。イスラエルと国交のない35か国はいずれもパレスチナ国を国家承認している。
欧米諸国とは欧州連合の研究機関への参加など、良好な関係を保っている。フランスは第三次中東戦争までは最大の兵器供給国であり、核開発の協力もなされていた[114][115]。ドイツとはホロコーストの記憶もあり外交関係は冷え切っていたが、ドイツの補償金と軍事支援を受け入れ、当時の西ドイツと1965年に国交を樹立している[116]。ただし、補償金の受け取りについては反対派がデモを起こし、国会を襲撃するなど受け取りの是非について激しい論争を呼んだ[117]。
1995年には北大西洋条約機構(NATO)のパートナー諸国である「地中海対話」(Mediterranean Dialogue)の加盟国となっている[118]。また2010年には経済協力開発機構(OECD)にも加盟している[119]。欧州連合の研究・技術開発フレームワーク・プログラムにも参加しており[120]、欧州原子核研究機構(CERN)には1991年からオブザーバー国として参加していたが2014年に正式にメンバー国となった[121]。欧州分子生物学機構(EMBO)[122]および欧州分子生物学研究所(EMBL)のメンバー国でもある[123]。
イスラエルは元来、アメリカ合衆国との関係を最重要視してきたが、近年、「世界の警察官」としてのアメリカ合衆国の国際的影響力に陰りが出てきたと判断して、日本、中国、インド、フランスなど多方面の外交に乗り出しつつある[124]。2011年中にイスラエルからリトアニアへの旅行者は62%増えて、リトアニアからイスラエルの輸出は54%増加した[125]。
米以関係
アメリカ合衆国は建国当初から最大の「盟友」であり、「特別な関係」とも言われる[126]。アメリカはイスラエルを「中東における最も信頼できるパートナー」と評し、国家承認も建国と同日に行っている[127]。エジプト・イスラエル平和条約をはじめ和平仲介も行っている。毎年30億ドル以上の対外軍事援助を行い、合同軍事演習も実施している。またイスラエルの最大の貿易相手国でもある[127]。
イスラエルの経済発展においてアメリカの経済支援が果たした役目は大きく、2008年以降経済援助は行われておらず軍事援助のみとなっているが、それでもなおアメリカの2012年の国別対外援助費では2番目に大きい[128]。軍事援助は対エジプト平和条約締結後の1981年以降全額無償援助となり、1985年以降は毎年経済援助12億ドル、軍事援助18億ドルであった。1999年より経済援助は毎年1.2億ドルずつ減額され10年間でゼロにすることとされたが、その半額は軍事援助の増額分として振り分けられた[129]。
国連でイスラエルへの非難決議が提出されると拒否権を発動させることもあり、またイスラエルから中国への軍事技術提供問題やヴェラ・インシデントなどのイスラエルの核兵器開発問題に対しては、見てみぬふりをしていると言われることもある[130]。
このようなアメリカの親イスラエル政策の背景には在米ユダヤ人のロビー活動がある。在米ユダヤ人は540万人ほどでアメリカの総人口の2%以下である[131]。しかしユダヤ人は投票率が高く、結束力も強いため選挙に無視できない影響を与えている。またニューヨーク州などの都市部や政治中枢に近い地域ではユダヤ人比率が高く、大統領選挙においては重要な意味を持つ[132][133]。このように在米ユダヤ人は政治に対し強い影響を持ち、さらにクリスチャン・シオニストたちがそれを後押ししている[134]。在米ユダヤ人は政治に対し強い影響力を持つことが、日本では書籍として販売されているようなユダヤ陰謀論と結び付けられてしまい、それが反ユダヤ主義につながっていくことに対し、強い警戒を持っている[135]。しかし、後に述べる南アは英米金融史の一舞台であった。陰謀論の背景となるユダヤ人の経済力に関して、南アに利権を持っていることまでは否定できない。
また、各国がエルサレムをイスラエルの首都と認めない中、アメリカのトランプ大統領は2017年12月に「エルサレムをイスラエルの首都と公式に認める時がきた」と発言し、更にイスラエルとの友好関係を築く姿勢を見せている。[136]
中東外交
近隣諸国とは、建国直後から何度か戦争状態となり敵対関係だったが、1979年にエジプトと1994年にヨルダンと平和条約を結んでいる。しかし2006年のレバノン侵攻の際に行われたエジプトの世論調査ではイスラエルを敵性国家とみなす意見が92%にも上った[137]。
イスラエルが「脅威」としてあげる国ではイランがある。イランとは核兵器開発問題、ヒズボラおよびハマースを支援している国家[138][139]として強い警戒を示し[140]、国連事務総長にイランの国連除名を要求したこともある[141]。また、イラン大統領のマフムード・アフマディーネジャードは、ホロコーストを認めない発言をするなどイスラエルに強硬な姿勢を示していた[142]。ただし、2009年には外相のアヴィグドール・リーベルマンは、パキスタンおよびアフガニスタンをイランよりも戦略的脅威と見ているとの発言を行った[143]。アフガニスタンではガザ侵攻の際、「イスラエルに死を」という声を上げ、イスラエルとの戦闘を望む多くの若者が集まった[144]。
シリア・レバノンも紛争当事国であり、関係修復には至っていない。2006年、レバノン首相のフアード・シニオラはレバノン侵攻を受けてイスラエルとの国交樹立はありえないと発言した[145]。またシリア内戦時にはヒズボラへの武器輸送を阻むためイスラエルはシリアに空爆を行っている一方で、イスラム過激派の影響力拡大や混乱の波及を警戒し、アサド政権崩壊を企図した本格的な介入は行っていない[146]。
一方で、近年ではイランに対抗するためアラブ諸国との関係改善を図る動きもあり、2018年10月26日にはオマーンを首相が公式訪問。また同月にはアラブ首長国連邦に閣僚を派遣するなど、水面下での動きもみられる。
南アフリカ共和国との関係
初代大統領ハイム・ヴァイツマンと南ア首相ヤン・スマッツのときから緊密な同盟関係にある。アパルトヘイト体制の基礎を築いたダニエル・フランソワ・マランは、英連邦諸国からイスラエルを表敬訪問した最初の首相だった。第三次中東戦争の直前に、エジプトがチラン海峡を封鎖していたのを破る目的で、南アはイスラエルに海軍艦艇を提供した。この頃から双方向の貿易関係が急速に進展した。イスラエルは化学製品や電気機器等を輸出。南アは鉱産資源を輸出したが、特筆に値するものは鉄、石炭、ダイヤモンドの3つである。[147]イスラエルは加工貿易で成り立っている。
研磨ダイヤモンドの輸出額は、イスラエルの総輸出額のうち約四分の一を占めている[148]。イスラエルは、ダイヤモンド産業を政府主導で基幹産業へと発展させてきた。産業の確立にはユダヤ系資本のデビアスが貢献したが、デビアスとは後に対立を引き起こしてもいる[149]。インドのダイヤモンド企業ヴィジェディモンと結んで原石の買い付けから輸出までを掌握したことに対して、1978年にデビアスがイスラエルに原石割当量の2割削減を通告したのである。イスラエル企業は負けじと原石を買いあさり、保有量がデビアスにほぼ追いついた。これはダイヤ価格の暴落を招いた。デビアスはさまざまな圧力をかけたが、ロナルド・レーガンの高金利政策もその1つと疑われる。イスラエルは輸出を激減させた。1980年には14億900万ドルであったのが、3年後に6億2500万ドルに落ち込んだ。この時期が1982年のレバノン侵攻と重なるのは興味深い事実である。イスラエルのパズ・ダイヤモンド社などは要職をデビアス出身者へ明け渡すようになった。もっとも、1986年時点で業容自体はかつての規模に戻りつつあった。[150]
資本の交流も盛んである。イスラエルは1978年に南アへの直接投資限度額を引き上げ、2年後には投資額が本当に増えた。この頃に特別の協定が結ばれ、南アの市民はドル建てでイスラエル債権を買えるという金融史上初の特権を得た。イスラエルは南アのシオニストから長年にわたる援助を受けている。1962-67年を除いて、この援助は資本流出を防ぐ措置としての規制を免れている。[151]
兵器の輸出
第一の輸出先は南アフリカ共和国である。かつての第二は軍政下のアルゼンチンであった。ブエノス・アイレスのイスラエル大使館が、ラテンアメリカで兵器を販売する企業を20社超にわたりマネジメントした。イスラエルは、ブラジル・キューバ・ニカラグアを除くラテンアメリカ諸国のほとんどに兵器を供給した。[152]
トルコも主要な輸出先であり[153]、近隣のイスラム諸国の中では珍しく友好な関係を築いてきた。しかしガザ侵攻においてトルコのパレスチナ支援団体と武力衝突が発生しトルコ人活動家が9名死亡、外交関係は冷え切っていた。2013年にはイスラエルからの謝罪が行われ、両者の関係は修復したと見られている[154][155]。インドおよび中国にもイスラエルは兵器輸出または軍事技術の提供を行っている[156][157]。中国では国際的な非難のあったガザ侵攻について理解を示す報道が成されている[158]。
人口過密になるほどの移民
建国以前、嘆きの壁事件等が起こる一方、ドイツ系ユダヤ人の富裕層がパレスチナへ渡ってきた。これには次のような手段が用いられた。1933年5月、興って1年も経たないナチス・ドイツは、パレスチナのユダヤ系オレンジ企業「ハノテア」との間に移送協定を結び、夏にはシオニスト上層部との間に正式なハヴァラー協定を成立させた。内容は次のとおり。ハノテアはドイツで必要なドイツ製品資材などを買いつけ、その代金をパレスチナに移住しようとするユダヤ人の銀行預金でひとまず支払い、その代わりパレスチナに移住したそのユダヤ人は、パレスチナで同額のポンドないし不動産の形で受け取った。協定が正式なものとなる頃には、ユダヤ人の富裕層がパレスチナ移住と引き換えに自分の金を持ち出す一般方式となった。移住した彼らは、自分の金をまずドイツ商品に替えてパレスチナに送っておき、パレスチナ到着後、その商品をポンドに替えることになった。この方法でパレスチナに持ち込まれた金は800万ポンドに達したという[159]。アメリカのユダヤ人がドイツ商品に対するボイコットを演じる間、パレスチナではドイツ製品の洪水が起きていた。「移送費」は1000ポンドを下らなかったので、それを払うことのできた富裕層が興国の原動力だったわけである。[160]
そもそも、バルフォア宣言がロスチャイルドにあてられていたり、ナチス・ドイツがチェコスロバキア中央銀行から略奪した金塊を売却するのにロスチャイルドが深く関わったイングランド銀行が協力していたりするところから、地獄の沙汰も金次第であった。帰還法によりユダヤ人の多様性が生まれるけれども、経済格差の由来に着目した研究が少なく、充実が望まれる。格差は深刻である。富裕層が牛耳るシオニズム団体はスイスからの和解金を握ってホロコーストの生還者へ交付しない。
ユダヤ系南ア人のデニス・ゴールドベルグは、アパルトヘイトに反対し国家転覆行為の終身刑で獄中にあったが、娘の求めでイスラエル政府の仲介が実現、釈放された。その拾った命でありながら、イスラエルがパレスチナを抑圧する行為は多くの点でアパルトヘイトに性質が共通すると指摘した。[161]
ソビエト連邦はアメリカに次いで2番目(建国から2日後)にイスラエルを国家承認した国である[162]。1967年の第三次中東戦争でソ連とイスラエルは国交を断絶となったが、1991年に国交を回復した。ソビエト連邦が崩壊すると、1990年代の10年間ほどで80万人以上が旧ソ連からイスラエルに移住している[163]。ロシア系移民は独自のコミュニティーを形成し、クネセトに議員も送り込んでいる[164]。街ではロシア語表記が見かけられるだけでなく、ロシア語が通用することさえある[165]。こうした現象のルーツには、そもそもロシア帝国の人口にユダヤ人が1割を占めた過去と、彼らが富裕なユダヤ人の支援で北米に移住したり革命に動いたりした歴史がある。
エチオピアにはベタ・イスラエルと呼ばれるユダヤ人が住んでおり、ソマリア内戦中の1991年にはソロモン作戦と呼ばれるイスラエルへの移民も行われている。
日本とイスラエルの関係
日本は2006年、持続的な経済発展を通じてイスラエル・ヨルダン・パレスチナ自治政府間の協力・信頼関係を築き、ひいてはパレスチナの平和を形成するという「平和と繁栄の回廊」構想を提案している[166]。2008年には4者協議が東京で開催されている[167]。この後、2008年以降4者協議は開催されていなかったが2013年に再開した[168]。2014年5月には、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が日本を訪問、天皇皇后や安倍晋三首相と会談を行った。安倍とネタニヤフの会談では、安全保障分野での協力や、中東和平交渉に関して意見が交わされた[169]。
軍事
イスラエル国防軍
1948年の建国と共に創設されたイスラエル国防軍(IDF)は、国の防衛の任にあたる。建国以来の度重なる周辺アラブ諸国との実戦経験を持つ。
文字通りの国民皆兵国家であり、満18歳で男子は3年、女子は2年の兵役に服さねばならないが、優秀な学生は徴兵が延期されることもある[170]。なお、その後も予備役がある。女性は結婚している者は兵役が免除される。また信仰上の理由により兵役免除も可能であるが、これも女性のみである[171]。少数派のドゥルーズ派の信徒とチェルケス人は兵役に服すが、ユダヤ人でないその他のマイノリティは男子でも兵役が免除されている[172][93]。また、かつては超正統派も兵役を免除されていたが[173]、これには批判も多く1998年に最高裁は兵役免除は違法との判断を下しており[174]、2014年3月に超正統派の男性を対象とした兵役を課す法案が国会で可決され、2017年から兵役の対象となった。さまざまな理由から兵役を拒否する人間も増えてきており問題となっている[175][176]。
イスラエルは国土が縦深性に欠け、一部でも占領されれば国土や産業、国民にとって致命的なダメージを受ける。そのため、戦時には戦域を敵の領土に限定し早急に決着をつけることを戦略計画としている[177]。先制攻撃を仕掛け、敵の攻撃力を早期に無力化することを主眼においている。この姿勢は、イスラエルには国家の安寧を守るという前提があるにもかかわらず、イスラエルを好戦的な国家とみなす論者が多い一因となっている。なお、イスラエル国防軍の現在の任務には、パレスチナ自治機関と協調しつつヨルダン川西岸及びガザの治安を保持すること、国内及び国境周辺で生じるテロ対策も含まれている。
兵器の多くは、建国初期は西側諸国からの供給や中古兵器の再利用に頼っていたが、その後主力戦車メルカバや戦闘機クフィルなど特別のニーズに応じた兵器を国内で開発・生産しており、輸出も積極的に行っている。海外との軍事技術交流(下記の科学研究参照)も多い。なお、国産兵器は、メルカバに代表されるように人的資源の重要性から防御力・生存性に重点を置いたものが多い。
国連児童基金はパレスチナ人の子供達がイスラエル軍から軍事裁判にかけられ、拘留下において「広範囲にわたる計画的で制度化された」暴行・虐待を受けているとする報告書を発表した[178]。
核兵器保有の有無について
イスラエルは核保有に関して肯定も否定もしていない。「イスラエルは最初に核を使用する国にはならないが、二番目に甘んじることも無い」という談話もあり、「曖昧政策」とも称されている[179]。この曖昧な態度は核兵器の有無を疑わせ、抑止効果を高めようとする狙いと、アメリカに対する配慮からである。核拡散防止条約(NPT)に加入していないイスラエルが核武装を公言すれば、イスラエルとアメリカのこれまでの関係が崩れるか、これまでインドやパキスタンを非難してきたアメリカがダブルスタンダードの謗りを受けることは免れないからである[180]。
しかし、核技術者モルデハイ・ヴァヌヌの内部告発などの状況証拠から、国際社会においては核保有はほぼ確実視されており、アメリカも核保有を事実上認めている。イスラエルがフランスの協力を得て核兵器を保有したのは1969年と見られ、アメリカ科学者連盟は、100発程度は保有しているのではないかと見ている[181][182]。
2006年12月5日、アメリカ上院軍事委員会公聴会で、次期国防長官に決定したロバート・ゲーツが「(イランが核兵器開発を進めるのは)核保有国に囲まれているからだ。東にパキスタン、北にロシア、西にイスラエル、ペルシャ湾には我々(アメリカ)がいる」と発言。アメリカ側が初めてイスラエルの核保有を公言したことになるため、注目された[183]。イスラエルはペレス特別副首相が「イスラエルは核保有をこれまで確認したことはない」と従来の見解を繰り返した。
しかし、12月11日、ドイツの衛星放送テレビ局「SAT1」のインタビューで、オルメルト首相は「イスラエルは、他国を脅かしたりしない。しかし、イランはイスラエルを地図上から消滅させると公言している。そのイランが核兵器を保有しようとしていて、フランス、アメリカ、ロシア、イスラエルと同じレベルで話し合えるはずがない」と、核保有を認めたと取れる発言を行った[184]。オルメルトは、翌日のドイツのメルケル首相との合同記者会見で核保有を否定したが、イランは非難声明を出した。
地理
地理上の特徴
北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にエジプトと接する。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)とは南西および東で接する。西に地中海があり、南は紅海につながっている。ヨルダンとの国境付近に、世界的にも高濃度の塩湖である死海がある。
イスラエルの支配地域は、22,072km²である。国土は狭く、南北に細長い。南北には470kmあるが、東西は一番離れた地点間でも135kmである。車での走行時間は、北のメトゥーラから最南端の町エイラットまでは約9時間かかるが、西の地中海から東の死海までならば90分ほどしかかからない[185]。ジュディアの丘陵にあるエルサレムから海岸沿いのテルアビブまで、また、標高835mにあるエルサレムから海抜下398mの死海までならば、1時間とかからない。
地中海沿岸の平野部は肥沃な農地地帯となっている。また、平野部に国民の大半が住んでおり、工業施設の大半も平野部に存在する。北部のガリラヤおよびゴラン地方は比較的豊富な雨量で常に緑が保たれている。南部のネゲブ砂漠は国土のかなりの割合を占めており、乾燥し切り立った山々が存在する[186]。
行政区画
イスラエルは7つの地区に分かれ、その下に郡が存在する(エルサレム地区とテルアビブ地区には存在しない)。郡には地方政府が設置されている。
イスラエルの地
「イスラエルの地」を意味するエレツ・イスラエル(ארץ ישראל)は神がアブラハム、子のイサク、孫のヤコブと与えることを約束した「約束の地」を意味する。その範囲は創世記[187]、出エジプト記[188]、民数記[189]、エゼキエル書[190]に記されている。現在のイスラエル国の領土よりも広い範囲であるが大イスラエル主義者においては、これらの地域をイスラエルが支配すべき領域と見なす[191]。第三次中東戦争において膨大な地域を占領すると大イスラエル主義は大いに広まった。イツハク・ラビン暗殺の理由も、オスロ合意は約束の地を売り渡す裏切り行為であると見られたからである[192]。
経済
IMFの統計によると、2011年のイスラエルのGDPは2,582億ドル(約20兆円)で[3]、埼玉県とほぼ同じ経済規模である[193]。一人当たりの名目GDPは37,222.38米ドル(2015年)で、36,221.81ドルの日本より高い。イスラエルはOECD加盟国であり、いわゆる先進国である[194]。貿易収支は慢性的な赤字となっている[195][148]。また、イスラエルは中東のシリコンバレーとも呼ばれ[196][197]、インテルやマイクロソフトなどの世界的に有名な企業の研究所が軒を連ねる。大企業は少ないがベンチャー企業は多いことでも知られ、失敗を恐れない起業家精神に富んだイスラエルの国民性が影響していると考えられている[198][199]。
イスラエルは人口800万人程度の小さな国ではあるが、農業、灌漑、そして様々なハイテク及び電子ベンチャー産業において最先端の技術力を持つ。建国からしばらくは、キブツやモシャブでの共同生活と、主導的立場にあった労働シオニズムの影響から社会主義的な経済体制であった[194]。建国当時は産業基盤もない上に周辺アラブ諸国との戦争状態にあるという悪条件であったが、ドイツの補償金やアメリカのユダヤ人社会から送られる寄付金など海外からの多額の資金援助を受けて経済を発展させていった[200]。これが1980年代後半に入り、ヨーロッパ諸国及びアメリカと自由貿易協定を結ぶなど自由主義経済へと転換していき、1990年代の加速度的な経済成長をもたらした。2001年から2002年にかけて、ITバブルの崩壊とパレスチナ情勢の悪化により経済成長率がマイナスに転じるも、2003年以降は堅実な成長を続け、2008年のリーマン・ショック以降もプラス成長を維持している。2010年にはOECDに加盟した。またイスラエル経済の発展にはアメリカ政府からの累計で300億ドル以上という多大な経済援助が大きく寄与している[201]。
1990年、イスラエルへの直接投資は1.51億ドル、証券投資はマイナス1.71億ドルという慎ましいものだった。それが直接・証券ともに漸増してゆき、特に1998年から飛躍した。2000年には直接投資が52.7億ドル、証券投資がプラス46.13億ドルに達した。[202]こうした外資の集中投下がイスラエルの経済成長率を回復させた。2011-2013年の間にはアップル・グーグル・マイクロソフト・フェイスブック、Amazon.comがイスラエルのベンチャーキャピタルを買収した。2012年でイスラエルのベンチャーキャピタル投資額は、総額でこそ8.67億ドル、英仏独とおよそ等しく、日本やカナダの3/5程度である。アメリカの266.52億ドルには遠く及ばない。しかし、国内総生産比では合衆国の0.17%を引き離してイスラエルは0.36%である。[203]
イスラエルの農業技術は先進的で、国土のほとんどが砂漠または半砂漠で降雨量も少ないといった農業には厳しい環境ながら食糧のほとんどを自給でき、農産物の輸出も行う農業大国である[204]。少ない水資源を有効に活用するため、水のリサイクルに力を入れ、リサイクル率は70%を超えているという。また水の利用効率が高い点滴灌漑を行っている。設備の制御は携帯電話などのモバイル機器からも可能であるという[205]。取水も効率的であり、ヨルダン川の流域は3%しかイスラエルを通っていないのに60%を国内需要に充てている[206]。
海水淡水化にも優れた技術を持つ。2005年以降、地中海沿いに相次ぎ淡水化プラントを設置し、2017年時点ではイスラエルで消費される飲料水の8割が海水から作られている。車載型の海水淡水化装置も実用化している。イスラエルのウオータージェン社は大気中の水分から飲料水を作る技術を持ち、水道の漏水防止や運営管理などを海外で請け負う企業もある。こうした水関連技術の輸出額は2016年で約22億ドルと推定され、10年で3倍に増えた。2017年7月にはイスラエルを訪問したインドのナレンドラ・モディ首相と、水・農業分野の協力覚書を結んだ[207]。
ダイヤモンド産業はイスラエル経済を語る上で重要な位置を占める。イスラエルはダイヤモンドの 流通拠点として世界的に有名であり、研磨ダイヤモンドの輸出額はイスラエルの総輸出額のうち約四分の一を占めている[148]。イスラエルはダイヤモンド産業を政府主導で基幹産業へと発展させてきた。産業の確立にはユダヤ系資本のデビアスが貢献したが、デビアスとは後に対立を引き起こしてもいる[208]。
また兵器産業も経済に大きな影響を与えている。高度な技術の民間転用がハイテク産業を急成長させ、また兵器の輸出によって直接的な収入源ともなっている。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によればイスラエルは2008年から2012年のデータにおいて兵器の輸出元として世界10位となっている[209]。またエルサレム・ポストは、2010年度の武器輸出額が72億ドルに上り、世界4位になったと報じた[210]。2010年の時点では兵器製造企業は約200社ほど存在する[211]。
イスラエルの鉱業を支えているのは、カリ塩とリン鉱石である。2003年の時点で、それぞれの世界シェアは5位(193万トン)、9位(102万トン)である。金属鉱物は採掘されていない。有機鉱物では亜炭、原油、天然ガスを産出するものの、国内消費量の1%未満にとどまる。天然ガスについては、イスラエル沖の東地中海に大規模ガス田が発見されており、ギリシャ企業のエネルジーン・オイル・アンド・ガス社が2019年にも採掘を始める計画である[212]。
科学研究
イスラエルは、科学研究の水準が非常に高い。イスラエルは専門資格を持った人材資源が豊富であり、科学技術の研究開発に注がれる資金の額は、2007年度のデータではGDPとの比率でみると世界1位である[213]。また国際的な研究協力も重視し、欧米諸国のみならず各国と積極的に連携を行っている[214]。
医学とその周辺分野、並びに生物工学の分野では極めて進んだ研究開発基盤を持ち、広範囲な研究に取り組んでいる。研究は大学医学部・各種国立研究機関を始め、医薬、生物工学、食品加工、医療機器、軍需産業の各メーカーの研究開発部門でも活発に行われている。イスラエルの研究水準の高さは世界によく知られており、海外の医学、科学分野、軍事技術の研究諸機関との相互交流も盛んである。また、イスラエルでは医学上の様々な議題の国際会議が頻繁に開催されている。さらに軍需製品の性能・品質は世界に見ても非常に高く、このような科学技術の発展にはソ連崩壊による100万人近くの移民に多くの研究者・技術者が含まれていたことも大きく影響している[215][216]。
暗号理論の水準が高いとされ、インターネットのセキュリティーにおいて重要な役割を演じるファイアウォールや公開鍵の開発において、イスラエルは、重要な役割を果たして来た。
また宇宙開発技術も高く、独自に人工衛星も打ち上げている[217]。通常の人工衛星では地球の自転を利用して東向きに打ち上げられるが[218]、イスラエルの衛星は西方以外に他国が存在するため、すべて非効率的な西向きに打ち上げられている[217]。また、2003年、イスラエル初の宇宙飛行士として空軍パイロットのイラン・ラモーン大佐がアメリカのスペースシャトル「コロンビア」で宇宙に飛び立ったが、大気圏再突入時の空中分解事故により亡くなった。
貧困問題
先進国とされているイスラエルだが、深刻な貧困問題を抱えている。イスラエルには1954年に制定された「国民健康法」に基づき、収入が最低基準以下の世帯と個人に対しては国民保険機構から補助金が支給されている。また、児童手当も支給されており、特に4人以上の子供がいる家庭には手厚い福祉が施されている[219]。しかしイスラエルは、かねてから所得格差が大きかったり、貧困に苦しむ国民が多いことが指摘されていた[220]。2010年12月22日の「ハアレツ」紙によると、イスラエルの全人口のうち、およそ177万人が貧困状態にあり、うち85万人は子供であるという。貧困状態にある世帯の約75%は日々の食料にも事欠いているとされ、極めて深刻な実態が浮き彫りとなった。貧困状態にある子供たちの中には物乞いをしたり、親に盗みを働くよう強制される事例もあるという[221]。イスラエルの中央統計局と福祉省の調査によると、2011年に福祉省に助成を求めた世帯の割合は28%で、これは1998年と比べて75%の増加に当たるという[222]。
貧しい子供たちのために無料給食や補講などを実施している学校「エル・ハ=マーヤン」の運営母体である超正統派政党「シャス」のエリ・イシャイ党首は、「国民保険制度研究所さえ、政府の俸給を増やすことのみが貧困を解消する唯一の方法と断定した。このような他の政府機関からかけ離れた見通しが長きに渡ってなされているのは恥である」と述べた。また、中道左派政党「労働党」の議員であるシェリー・ヤシモビッチはイスラエル国内でのワーキングプアの増大を指摘している。また、左派政党「メレツ」のハイム・オロン党首は「政府は(資本主義における)結果的格差を肯定しているが、貧困の根本原因を取り除かなければならない」と指摘している[223]。
2011年7月30日には、イスラエル国内で住宅価格や生活費の高騰、貧富の格差に対して抗議する15万人規模のデモが起きている。左派系のみでなく、保守系の人々も多数参加した極めて大規模なものである[224]。8月6日には、最低賃金引上げなどを求め30万人規模のイスラエル建国至上最大の抗議運動が起きた[225]。
経済協力開発機構(OECD)が2013年にまとめた報告書では、イスラエルが全てのOECD加盟国の中で最も貧困率が高いことが記されている。また、同年10月に発表されたイスラエル中央統計局の報告書では、イスラエルの全人口のうち31%が貧困線以下の生活をしているという。また、同報告書ではイスラエルの子供の40%が貧困に直面しているとしている。また、2013年に入ってから多くのイスラエル人がアメリカ合衆国やドイツなどへ経済的理由から移住しているという。ヘブライ大学のモミー・ダハン教授は、この問題の背景として、イスラエル政府が社会保障や児童予算を削減し続けていることを指摘している[226]。
国民
民族と言語と宗教
2013年のイスラエル中央統計局のデータでは、総人口は802万人である。そのうちユダヤ人が604万人(75.3%)、アラブ人が166万人(20.7%)、その他32万人(4.0%)となっている[227]。アラブ人の大半はムスリムで[228]、2009年のデータではアラブ人の78%がムスリムである[229]。なお、イスラエルでは1970年に改正された帰還法により、ユダヤ人の定義をユダヤ教を信仰しているか、母親がユダヤ人のものとしている。イスラエルは移民国家であり、出身地ごとに欧米系をアシュケナジム、アジア・アフリカ系をセファルディム、オリエント系をミズラヒムと呼び[230]、同じユダヤ人でも異なる人種の場合もある(ユダヤ人も参照)。
1990年から2009年までの統計によればユダヤ人の人口は減少傾向にあり、対してアラブ人は増加傾向にあるという。これはユダヤ人移民の減少によるものとイスラエル中央統計局は推測している[229]。
公用語はヘブライ語が採用されている[231]。
宗教
イスラエルは宗教の自由を認めている[232]。2004年のデータではユダヤ教徒が523.8万人(76.2%)、ムスリムが110.7万人(16.1%)、キリスト教徒が14.4万人(2.1%)、ドゥルーズ派が11.3万人(1.6%)、その他26.5万人(3.9%)となっている[233]。信仰のあり方についても多様で、戒律を厳しく守ろうとするユダヤ教徒は20%、ある程度個人の自由で守るものが多数派で60%、全く守ろうとしないものも20%いる[234]。
キリスト教徒の多くは東方正教会のエルサレム総主教庁ないしはローマ・カトリックの信者が多いがコプト正教会、アルメニア正教会等の信者もいる。一部のユダヤ人の中にはイエス・キリストをメシアとする「メシアニック・ジュダイズム」の人々もいる[235]。
言語
現代イスラエルの公用語であるヘブライ語は、古代ヘブライ語を元に20世紀になって復元されたものである。全くの文章語となっていた言語が復元されて公用語にまでなったのは、これが唯一のケースである。
上記の理由から、現代ヘブライ語の方言はない、とされる。あるとすれば、他国からの移住者のネイティブ言語の影響による「なまり」や、各コミュニティーでの伝統的な(聖書やラビ文学の朗読、礼拝などに用いる音声言語化された文語としての)ヘブライ語の発音などだろう。
イスラエル中北部やヨルダン川西岸地区に多く住むアラブ人はアラビア語の「ヨルダン定住方言」(アラビア語方言学の名称と思われるが、多分に反シオニズム的表現であると思われる。「パレスチナ方言」、「イスラエル方言」という表現も可能である)を、イスラエル南部に多いアラブ人は「ネゲヴ・ベドウィン方言」を、エルサレムのアラブ人は「エルサレム方言」を、ゴラン高原の住民は「ハウラン方言」を話し、すべてシリアからシナイ半島にかけて話される「シリア・パレスチナ方言」の一部であるとされる。
また、西岸地区ではサマリア語の新聞も出されている。
テルアビブ市内にはヘブライ語に並んでロシア語の看板なども多く見られる。
「ユダヤ人」の多様性
ユダヤ人は主に出身地ごとに大まかなグループに分類される。
- アシュケナジム
- 主にドイツ語・イディッシュ語を母語とするドイツ・東ヨーロッパからの移民で、エリート層を占める。イスラエル独立以前からの移民はアシュケナジームが多く、都市は西洋風である。無神論者も多い(アシュケナジム・セファルディムというのは、シナゴーグや生活面での宗教的伝統、言語的な違いなどによる呼称であって、そういう民族がいるわけではない)。独立以降は旧ソ連・ロシアからの移民が大半を占め、全ユダヤ人の2割を占めている。
セファルディム(イベリア系、イタリア、オランダ、南米、かつてのオスマン帝国領域)- 東アフリカや北アフリカなどのイスラム教圏や地中海や北海・バルト海などのヨーロッパ沿海部からの移民(および欧州から中南米への移民を経てパレスチナ地域に再移住した移民)が多い。失業率も高く、多くは辺境の砂漠地帯での居住・生活を甘受している。イスラエル国家の独立後に移住して来た場合が多い。ユダヤ教の戒律を重視する人が比較的多いが、イスラム教徒は概ねユダヤ教徒やキリスト教徒を同じ「啓典の民」として敬意を示すため、迫害されることは少なく、ユダヤ教徒としての伝統に則した暮らしを続けてきたからである。
ミズラヒム(山岳ユダヤ人・グルジア・インド・ブハラ・イラン・アラブ・イエメン・エチオピアなどのオリエント系移民の総称)- イスラエルには現在主席ラビが二つしかないため、アシュケナジム・セファルディムで総称されることが多いが、セファルディムとミズラヒムは本来は別のものである。ただ、セファルディムの故郷も一時はミズラヒムと同じイスラム圏に属したこともあるし、居住地から、身体的形質や使用言語・宗教的慣習などでも類似性・共通性はある。セファルディム・ミズラヒムは国民の40%弱を占め、ミズラヒムのうち最大グループはモロッコ出身のユダヤ人である。
- サマリア人
- 現在ではユダヤ教徒の一派として認められている。
カライム・クリムチャク人
ハザールとの関連も唱えられるテュルク系言語の話者。
その他、ユダヤ教に改宗した人々(ブラック・ジュー、ミゾ)などもユダヤ教徒として住んでいる。
非ユダヤ人への反応
21世紀に入って以降、アフリカのエリトリア、スーダン、南スーダンなどからシナイ半島を経由してイスラエルに不法入国する人々が後を絶たない。2012年現在、アフリカ系移民の人口は約6万人と推測されている。これは、母国での深刻な貧困や紛争などから逃れるためという側面があるが、イスラエル国内ではこの不法移民の扱いについて大きな議論を呼んでいる。「ユダヤ人国家」を穢されると懸念する右派勢力は移民排斥を訴え、特に過激なグループ(カハネ主義者)たちは不法移民の滞在するアパートに放火したり、移民に暴力を振るうなどしている。しかし、一方でホロコーストの記憶を有する国として、移民には寛容であるべきという意見もある[237]。
一部のユダヤ人による、アラブ系イスラエル人への襲撃事件が相次いでいる[238]。アラブ系イスラエル人への敵視は政府内でも目立ってきており、2015年3月17日、アヴィグドール・リーベルマン外相が、イスラエル国家に忠誠を誓わないアラブ系イスラエル人は「斬首の刑」に処すべきだと発言し、問題となったが、イスラエルの右派は、この演説を聞いて熱狂した[239]。
イスラエルには13万5000人のエチオピア系市民がいるが、彼らは日常的に暴力を受けている。エチオピア系兵士が警察官2人から暴行される様子が撮影されたビデオが公開されたことを切っ掛けに、2015年5月3日、テルアビブで大規模なデモが発生、参加者の一部は暴徒化した。ネタニヤフ首相は、エチオピア系市民の指導者と会談し、差別の撤廃を約束した[240]。
2015年5月20日、イスラエルは一部のバス路線でパレスチナ人がイスラエル人と同じバスに乗ることを禁止する措置を取った。これについて、人権団体などは南アフリカの人種隔離政策アパルトヘイトと同じだと強く批判。この措置は、運用の数時間後に撤回された[241][242][243]。
2018年7月19日、クネセトで可決したユダヤ国民国家基本法(国籍法)[244]では、民族自決権を持つのはユダヤ人のみと明確に限定した。公用語もヘブライ語のみとして、パレスチナ・アラビア系住民が主な話者のアラビア語は「特別な地位」を持つとしたが、公用語からは外された。
交通
自動車・バス
国土が狭いイスラエルでは、車、バス、トラックなどが主な交通機関である。近年、車の急速な増大に対応し、辺鄙な地域への交通の便を図るため、道路網の拡充が図られた。多車線のハイウェーは目下300キロの運営だが、2004年の時点で、南のベエルシェバから北のロシュハニクラ、ロシュピナまでハイウェー網が整備されつつある。さらに、人口稠密地にはバイパスが設けられた。緑色のエゲッドバスは、イスラエル全土を網羅しており、後部にトイレがある。運賃はエルサレム-エイラット間で70NIS(約2000円)。主要道路には、公道1号線(中央部を東西)、公道60号線(中央部を南北)、公道90号線(東部を南北)などがある。
イスラエルは2011年から国家プロジェクトとして電気自動車の導入を推進している。イスラエルは国土が小さい上、主要な石油原産国である近隣アラブ諸国との関係から電気自動車の導入に積極的である[245]。
鉄道
イスラエル鉄道は、エルサレム、テルアビブ、ハイファ、ナハリヤの間で旅客運送を行っている。貨物運送としては、アシュドッド港、アシュケロン市、ベエルシェバ市、ディモナの南部の鉱山採掘場など、より南部にまで及んでいる。貨物鉄道の利用は年々増加し、乗客の利用も近年増えている。
テルアビブとハイファでは、道路の交通渋滞を緩和するため、既存の路線を改善した高速鉄道サービスが導入されつつある。また、2004年10月より、ベングリオン空港とテルアビブ市内を結ぶ空港連絡鉄道が運行されている。
航空
国際線を運航する航空会社として国営航空会社のエルアル・イスラエル航空とアルキア・イスラエル航空、イスラエアーがあり、テルアビブのベン・グリオン国際空港をハブとしてヨーロッパやアジア、アメリカ諸国に路線を設けている。
社会
社会福祉
健康保険は1995年に、国民新保健医療法(NHCL)が成立し18歳以上の全国民に加入を義務付ける国民皆保険となっている[246][247]。社会福祉支出はOECDの2012年のにデータによると、2007年と比べ21.2%増加しているものの、GDP比15.8%でOECD諸国平均21.9%より低い値となっている[248]。相対的貧困率は2012年のデータで20.9%とOECD諸国で最も貧困率が高い[248]。しかし、2012年の人間開発指数は0.900の「非常に高い」となっており世界16位である[249]。
聖書には「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」という言葉もあり[250]、子供に対しては特別の配慮が払われている。出産に関しては不妊治療が45歳まで健康保険の対象項目となっており、大きな病院には大抵の場合体外受精科が存在する[251]。実際に体外受精は広く行われており、ヨーロッパ生殖医学学会(ESHRE)が刊行する Human Reproduction Update の2002年号では、イスラエルの体外受精実施件数は100万人あたり1,657件と報告している。2位のアイスランドの899件を大きく引き離している[252][253]。女性一人あたりの平均出産数(合計特殊出生率)はOECDの調査によれば2011年のデータでは3.0となり、OECD諸国平均の1.7を大きく上回っている[248]。一般家庭には児童手当も支払われている[254]。また児童虐待について、NICHDプロトコルを用いた司法面接を1998年に国家で採用している[255]。
出生時平均余命はOECDの2013年に公表されたデータによれば、2011年度は81.8歳となっており、先進国の中でも9位となっている[256]。また、 国連開発計画の2012年のデータによれば81.9歳で、世界で7位となっている[257]。
長寿国であるため高齢者問題も大きな課題となってきている。特に旧ソ連からはソ連崩壊に伴い、100万人近くが移民してきたが、そのうち12%以上が65歳以上の高齢者であったという[258]。高齢者は公共交通の割引や減税を受けられ、また高齢者介護を理由に有給休暇を認める法律も制定されている[246]。終末期医療については2006年に法律が制定され、尊厳死が認められている[246]。2008年の時点では65歳以上の高齢者の割合は10.0%となっている。しかしこれはOECD諸国平均の14.4%よりは低い数値である[259]。
教育
イスラエルは「ジューイッシュ・マザー(ユダヤ人の母)」という言葉が教育ママを意味するとおり、教育が重視されている。これにはユダヤ人が歴史的に教育熱心であったという背景もある[260]。イスラエルの教育は小学校6年、中学校3年、高等学校3年の6-3-3制である。義務教育は5歳から始まり、義務教育期間は5歳から18歳までである[261]。1949年に義務教育に関する法が施行された時点では5歳から15歳までであったが、法改正により18歳までとなっている[262]。この期間延長は徐々に移行が進んでおり、イスラエル政府は2014年か2015年には全国に適用させる予定としている[263]。義務教育期間と高等学校までの学費は無料である[264]。18歳になると通常は、兵役に就き、その後進学する者は大学に入学することになる。兵役後も海外旅行などで見聞を広めてから大学に進学するものも多い[265]。そのため、大学生の平均年齢は高くなっている。大学(ウニバルシタ)はすべて公立であり、比較的安価で高等教育を受けることができる。ほとんどの大学生はダブルメジャー(2つの専攻)で、平均3年で学位を取得する。また、専門学校(ミクララ)が各地に存在する。教育水準は高いが、欧米との結びつきが強いためか、優秀な研究者がイスラエルを離れ海外移住することも多く、この頭脳流出は大きな問題となっている[266]。
結婚
イスラエルは宗教婚のみ認めており、民事婚は認めていない。ユダヤ教はもちろんイスラム教など各宗教ごとに宗教裁判所が存在し、婚姻などを管轄している[267]。ユダヤ教においては超正統派が婚姻を司っており、宗教法により異教徒間の結婚は認められない。そのためユダヤ教徒以外のものと結婚する場合やその他の事情がある場合は、海外で結婚し、帰国後に結婚証明書を役所に提出するという国外結婚の形をとる[268]。国外結婚はキプロスで行うものが最も多く、毎年1000組ほどが結婚を行うという[269]。
結婚の際、伝統的には女性は婚姻に際して夫の姓を称する(夫婦同姓)が、いつでも自己の未婚時の姓又は従前の夫の姓を夫の姓に付加(結合姓)することができ、また、未婚時の姓または従前の姓のみを称する(夫婦別姓)こともできる。
文化
この節の加筆が望まれています。 |
食文化
イスラエル国民の中には外国の食文化を楽しむ者もおり、2017年の朝日新聞の記事によると世俗派の間で豚骨スープのラーメンが人気であるという[270]。
この節の加筆が望まれています。 |
音楽
この節の加筆が望まれています。 |
スポーツ
イスラエルでもスポーツは盛んであるが、サッカーが最もメジャーなスポーツである(国内リーグはイスラエル・プレミアリーグである)。また、1954年よりプロバスケットボール「イスラエル・バスケットボール・スーパーリーグ」が開かれており、加盟クラブのひとつマッカビ・テルアビブBCはユーロリーグで唯一連覇を果たしている屈指の強豪である。イスラエルにはプロレスリング・プロボクシングがない(イスラエル人のキックボクサー、総合格闘家はいる)。かつては競馬もなかったが、2006年10月に初めて開催された。ただし、金銭を賭けることは禁止されているため入場者は馬が走る姿や馬術競技を観戦するだけの純粋なスポーツとして今のところ行われている。また、最近では柔道も盛んである。
野球は国内で約3000人が行っている。2007年6月24日に同国初のプロ野球「イスラエルベースボールリーグ」の開幕戦が行われたが、1年ともたず中止になった。なお中止から5年後、“ベースボールプレミアリーグ”として野球リーグが再開された。
2016年9月22日より4日間に渡り開催された2017 ワールド・ベースボール・クラシックの予選4組において優勝し、本選への初出場を果たした。この時のイスラエル代表は主にアメリカ出身のユダヤ系の野球選手からなり、メジャーリーグベースボール(MLB)での所属経験のある選手も少なくなく、2017年3月の本選では1次ラウンドA組を3連勝で1位通過し2次ラウンドまで進出した。
イスラエルサッカー協会は、現在は欧州サッカー連盟 (UEFA) に加盟している。イスラエルは地勢的にはアジアの国であり、1954年5月8日に他の12か国と共にアジアサッカー連盟 (AFC) を設立したが、すぐには加盟せず、2年後の1956年にAFCに加盟した(なお、AFCは政治的配慮により現在もなお、イスラエルをAFC創立メンバーとしては認めていない)[271][272]。だが、イスラエル=アラブ紛争(パレスチナ問題および中東戦争等)により周辺アラブ諸国との関係が悪化し、アラブ諸国(ほかにインドネシアや北朝鮮や中国)を中心としたボイコット(対戦拒否、大会参加拒否)が激化。1973年10月に第四次中東戦争が起こると、もはや対戦不可能な状態に陥った。そして、1974年9月14日、イランアジア大会の開催期間中にイランの首都テヘランで開催されたAFC総会でAFCから除名された[273]。AFC除名以降は、地域連盟未所属のまま活動し、FIFAワールドカップアジア・オセアニア予選へ組み込まれたり、オセアニアサッカー連盟 (OFC) の暫定メンバーとなるなどの紆余曲折を経て、1992年にUEFAに加盟した[274]。これはイスラエルオリンピック委員会についても同様で、かつてはアジア競技連盟(後のアジアオリンピック評議会)に所属していたものの、その後ヨーロッパオリンピック委員会に加入した。
通信
電話
電話および携帯電話が広く利用されている。国際電話番号は972。
インターネット
イスラエルのインターネット普及率は高く、主な場所で無線LANが利用できる場所もある。インターネットカフェも普及しており、店内は禁煙の所が多い。日本の漫画喫茶のように雑然としておらず、端末ごとに整然と区画されている。
脚注
注釈
^ イスラエルは、エルサレムが首都であると宣言している。しかし、国際的な承認は得られていない。詳細はエルサレム#首都問題を参照。
^ 国際連合などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている。
出典
^ “country profile | Israel”. 国連統計部. 2014年4月4日閲覧。
^ “Time Series-DataBank”. イスラエル中央統計局 (2014年2月). 2014年4月4日閲覧。
- ^ abcde“Report for Selected Countries and Subjects”. 国際通貨基金. 2014年4月4日閲覧。
^ 創世記 32:24-29、創世記 35:9-10
^ “Popular Opinion”. パレスチナ・ポスト (1947年12月7日). 2014年4月7日閲覧。
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.8-20
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.24-37
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.12
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.53-59
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.63-64
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.75-79
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.82-59
^ Shimon Applebaum (1989). Judaea in Hellenistic and Roman Times: Historical and Archaeological Essays. Brill Archive. p. 93. ISBN 978-9004088214. http://books.google.co.jp/books?id=ScwUAAAAIAAJ&pg=PA93.
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.20
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.98-99
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 pp.22-25
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.113
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.118
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.129
^ “The First Aliyah (1882-1903)”. Jewish Virtual Library. 2014年4月4日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.44
^ シュラキ 『イスラエル』1974年 p.21
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.33
^ ハレヴィ『ユダヤ人の歴史』1990年 p.246
^ ハレヴィ『ユダヤ人の歴史』1990年 p.255
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.8-11, 125-127
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.251-254
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.124-125
^ “The Second Aliyah (1904-1914)”. Jewish Virtual Library. 2014年4月4日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.44
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.130
^ ハレヴィ『ユダヤ人の歴史』1990年 p.251
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.128
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.15-18
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.133
^ シュラキ 『イスラエル』1974年 p.26
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.22-31
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.134-141
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.33-34, 142-143
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.34-35, 144-145
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.46
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.149-150
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.277-278
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.41-42
^ 阿部『パレスチナ : 紛争と最終的地位問題の歴史』2004年 p.33
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.44, 150-152
^ ロス『ユダヤ人の歴史』1997年 pp.291-292
^ シュラキ 『イスラエル』1974年 pp.30-31
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.157-159
^ “UNITED NATIONS: General Assembly: A/364: 3 September 1947: OFFICIAL RECORDS OF THE SECOND SESSION OF THE GENERAL ASSEMBLY: SUPPLEMENT No. 11: UNTIED NATIONS SPECIAL COMMITTEE ON PALESTINE: REPORT TO THE GENERAL ASSEMBLY: VOLUME 1” (1947年9月3日). 2014年1月20日閲覧。
^ “A/PV.128 of 29 November 1947” (1947年11月29日). 2014年1月22日閲覧。
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.161-162
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.37
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.163-164
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.164-165
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.167
^ シュラキ 『イスラエル』1974年 pp.44-46
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.178-179
^ 阿部『パレスチナ : 紛争と最終的地位問題の歴史』2004年 pp.55-58
^ “Admission of Israel to membership in the United Nations (A/PV.207) (PDF)”. 国際連合 (1949年5月11日). 2014年4月3日閲覧。
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.168-170
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.172
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 pp.53-54
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.173-176
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.64
^ “S/RES/242 (1967) of 22 November 1967” (1967年11月22日). 2014年4月5日閲覧。
^ 阿部『パレスチナ : 紛争と最終的地位問題の歴史』2004年 p.75
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.58-68
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.67-72
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.68
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.75-76, 185
^ 阿部『パレスチナ : 紛争と最終的地位問題の歴史』2004年 pp.78-79
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.76, 83
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 p.186
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.187-188
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.69
^ 奈良本『君はパレスチナを知っているか : パレスチナの100年』1997年 pp.177-183
^ “S/RES/605 (1987) of 22 December 1987”. 国際連合 (1987年12月22日). 2014年4月5日閲覧。
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.84-85
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.70
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.92, 199
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.199-201
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.201-203
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.93, 203
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.203-209
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.339
^ [1] - 2016年12月27日閲覧
^ [2] - 2016年12月27日閲覧。
^ “イスラエル議会、「ユダヤ国家法」採択 アラブ系住民排斥への不安高まる”. AFP (2018年7月19日). 2018年7月29日閲覧。
^ 「ユダヤ国民国家法案 可決/イスラエル国会 2国家共存封じ」『産経新聞』朝刊2018年7月20日(国際面)2018年7月31日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.76
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 pp.83-84
- ^ abcdef“衆議院ロシア等欧州各国及びイスラエル憲法調査議員団報告書 (PDF)”. 衆議院. pp. 269-279 (2001年11月). 2014年4月7日閲覧。
^ “Declaration of Establishment of State of Israel”. イスラエル外務省 (1948年5月14日). 2014年4月7日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.171
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.77
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.79
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 p.16
- ^ ab立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 pp.17-18
^ “Israel: Background and Relations with the United States (PDF)”. アメリカ議会図書館. p. 7 (2006年5月18日). 2014年4月7日閲覧。
^ “イスラエル基礎データ | 外務省”. 外務省 (2013年10月1日). 2014年4月7日閲覧。
^ http://www.dailysabah.com/mideast/2014/07/14/mothers-of-all-palestinians-should-also-be-killed-says-israeli-politician
^ http://www.liveleak.com/view?i=ff7_1405613792
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 pp.81-82
^ 池田明史 (2001年11月21日). “イスラエルに於ける首相公選制度:導入と蹉跌”. 内閣官房内閣広報室. 2014年4月7日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.85
^ “Capital Punishment”. Jewish Virtual Library. 2014年4月7日閲覧。
^ アリス・ミリケン (2015年7月1日). “イスラエルが考え出した新たな「拷問」”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/07/post-3742.php 2015年7月11日閲覧。
^ Najeeb Farraj (2008年2月2日). “Palestinian Sources: Israel transferred 120 Palestinian prisoners to administrative detention”. 2014年4月5日閲覧。
^ “イスラエル刑務所に2か月超 パレスチナ人12歳少女、釈放される”. フランス通信社. (2016年4月25日). http://www.afpbb.com/articles/-/3085186 2016年5月22日閲覧。
^ 手嶋龍一・佐藤優「インテリジェンス 武器なき戦争」(幻冬舎新書)
^ アフガニスタン、アラブ首長国連邦、アルジェリア、イエメン、イラク、インドネシア、オマーン、カタール、クウェート、コモロ、サウジアラビア、ジブチ、シリア、スーダン、ソマリア、チュニジア、ニカラグア、マレーシア、パキスタン、バーレーン、バングラディシュ、ブータン、ブルネイ、モロッコ、リビア、及びレバノンの26か国。
^ イラン、キューバ、チャド、ニジェール、ベネズエラ、ボリビア、マリ、及びモーリタニアの9か国
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.188
^ Matthew Kroenig (2010). Exporting the Bomb: Technology Transfer and the Spread of Nuclear Weapons. Cornell University Press. pp. 71-74. ISBN 9780801476402. http://books.google.co.jp/books?id=8Rm8IqbPuZIC&pg=PA71.
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 pp.306-308
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 pp.149-150
^ 福田毅 (2007年6月). “冷戦後のNATOのパートナーシップ政策の発展 (PDF)”. 国立国会図書館. p. 3. 2014年4月8日閲覧。
^ “OECDとは?”. 経済産業省. 2014年4月8日閲覧。
^ “EU and Israel initiate negotiations on Israel participation in Framework Programme for Research and Innovation 2014-2020”. EU Neighbourhood Info Centre (2013年8月20日). 2014年4月8日閲覧。
^ “CERN to admit Israel as first new Member State since 1999”. 欧州原子核研究機構 (2014年1月15日). 2014年4月8日閲覧。
^ “EMBC Member States”. 欧州分子生物学機構. 2014年4月8日閲覧。
^ “EMBL History”. 欧州分子生物学研究所. 2014年4月8日閲覧。
^ “イスラエルが外交多角化 中印に急接近、日仏と連携強化”. 日本経済新聞. (2014年5月10日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0804P_Z00C14A5FF2000/ 2014年5月17日閲覧。
^ “Ažubalis in Jerusalem: Lithuania and Israel are simila”. en.15min.lt:. 2014年4月2日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.297
- ^ ab“U.S. Relations With Israel”. アメリカ合衆国国務省 (2014年3月10日). 2014年4月9日閲覧。
^ “Foreign Assistance Fast Facts: FY2012”. アメリカ合衆国国際開発庁. 2014年4月14日閲覧。
^ 外務省 イスラエル国基礎データ 2015年6月19日
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 pp.179-180
^ “Jewish Population of the World”. 2014年4月14日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 pp.291-292
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 p.180
^ 宮家邦彦 (2011年10月30日). “シリーズ:なぜ日本人は中東情勢を読み誤るのか 第三回:米国「イスラエル・ロビー」にまつわる7つの神話:中東情勢分析 (PDF)”. 中東協力センター. 2014年4月14日閲覧。
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 p.188
^ “トランプ大統領、エルサレムをイスラエルの首都と承認”. BBCニュース. 2018年1月8日閲覧。
^ “Denmark 'Egypt's foe', says poll”. BBCニュース (2006年11月1日). 2014年4月8日閲覧。
^ “ハマス、ヒズボラにシリア撤退要請 「敵はイスラエル」”. 朝日新聞 (2013年6月17日). 2014年4月9日閲覧。
^ “ヒズボラ | 国際テロリズム要覧(要約版)”. 公安調査庁. 2014年4月8日閲覧。
^ “イスラエル基礎データ”. 外務省. 2014年4月9日閲覧。
^ “Lieberman asks new UN chief to revoke Iran's membership Israel News”. ハアレツ. AP通信. (2007年1月2日). http://www.haaretz.com/news/lieberman-asks-new-un-chief-to-revoke-iran-s-membership-1.208874 2014年4月6日閲覧。
^ “ホロコースト、イスラエル建設のための口実=イラン大統領”. ロイター (2009年9月18日). 2014年4月8日閲覧。
^ “Lieberman: U.S. will accept any Israeli policy decision Israel News”. ハアレツ (2009年4月22日). 2014年4月8日閲覧。
^ “Afghans sign up to fight Israeli troops in Gaza”. ロイター (2009年1月8日). 2014年4月8日閲覧。
^ Leila Hatoum (2006年8月31日). “Siniora vows to be last in making peace with Israel”. The Daily Star. 2014年4月8日閲覧。
^ “イスラエル、またシリア空爆か ミサイルの輸送阻む狙い”. 朝日新聞 (2013年11月1日). 2014年4月8日閲覧。
^ 『ダイヤモンドと死の商人』 pp.124-127.
- ^ abc“ジェトロ世界貿易投資報告2012年版 (PDF)”. 日本貿易振興機構 (2012年8月31日). 2014年4月13日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.222
^ 『ダイヤモンドと死の商人』 pp.81-85.
^ 『ダイヤモンドと死の商人』 pp.128-132.
^ 『ダイヤモンドと死の商人』 pp.144-145.
^ Jonathan Marcus (1999年2月18日). “Analysis: Middle East's 'phantom alliance'”. BBCニュース. 2014年4月8日閲覧。
^ “外務省: トルコとイスラエルの関係正常化について(外務報道官談話)”. 外務省 (2013年3月25日). 2014年4月8日閲覧。
^ “イスラエル首相、支援船急襲事件でトルコに謝罪”. CNN (2013年3月23日). 2014年4月8日閲覧。
^ “Israel-India relations / Strong, but low-key Israel News”. ハアレツ (2008年12月1日). 2014年4月8日閲覧。
^ David Isenberg (2002年12月4日). “Israel's role in China's new warplane”. Asia Times. 2014年4月8日閲覧。
^ “Israel's image in China”. エルサレム・ポスト (2009年3月16日). 2014年4月8日閲覧。
^ 特に金額について。孫引きになるが Klaus Polkehn The Secret Contacts: Zionism and Germany Journal of Palestine Studies
^ 『ユダヤ人とは何か』 pp.157-159.
^ 『ダイヤモンドと死の商人』 pp.124-125.
^ コンシャーボク&アラミー『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』2011年 pp.163-164
^ “Statistical Abstract of Israel 2011 - No. 62 Subject 4 - Table No. 4”. イスラエル中央統計局 (2011年). 2014年4月7日閲覧。
^ “衆議院ロシア等欧州各国及びイスラエル憲法調査議員団報告書 (PDF)”. 衆議院. pp. 269-279 (2001年11月). 2014年4月7日閲覧。
^ “イスラエルの女性ファッション市場調査”. 日本貿易振興機構. p. 1 (2013年5月31日). 2014年4月14日閲覧。
^ “イスラエルとパレスチナの共存共栄に向けた日本の中長期的な取組:「平和と繁栄の回廊」創設構想”. 外務省 (2006年7月). 2014年4月8日閲覧。
^ “「平和と繁栄の回廊」構想第3回4者協議閣僚級会合におけるプレス・ステートメント(仮訳)”. 外務省 (2008年7月2日). 2014年4月8日閲覧。
^ “外相、23日から中東歴訪 5年ぶり4者閣僚級会合開く” (2013年7月23日). 2014年4月8日閲覧。
^ “安保分野の協力推進で一致…日・イスラエル首脳”. 読売新聞. (2014年5月12日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140512-OYT1T50138.html 2014年5月17日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 pp.91-92
^ “Defence Service Law -Consolidated Version 5746-1986”. イスラエル外務省 (1986年1月30日). 2014年4月8日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.143
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.102
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 p.77
^ 科学技術振興機構 『科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編』 p.6
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 p.139
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.91
^ “イスラエル軍がパレスチナ人未成年者を虐待、ユニセフ報告”. フランス通信社 (2013年3月7日). 2014年4月5日閲覧。
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 p.129
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 pp.183-184
^ “Nuclear Weapons - Israel”. アメリカ科学者連盟 (2007年1月8日). 2014年4月5日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 pp.183-184
^ “asahi.com:イスラエルの核保有「公表」 米次期国防長官”. 朝日新聞社 (2006年12月8日). 2006年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月5日閲覧。
^ “イスラエル首相、核兵器保有示唆で波紋広がる”. 中国国際放送局 (2006年12月13日). 2014年4月5日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.98
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 pp.98-101
^ 創世記 15:18-21
^ 出エジプト記 23:30-31
^ 民数記 34:1-15
^ エゼキエル書 47:13-20
^ 阿部『パレスチナ : 紛争と最終的地位問題の歴史』2004年 pp.263-268
^ 立山『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』2000年 pp.48-55
^ “平成22年度県民経済計算について (PDF)”. 内閣府経済社会総合研究所 (2013年5月29日). 2014年4月5日閲覧。
- ^ ab立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.214
^ “Statistical Abstract of Israel 2013 No.of Diagram 64 Chapter 16 No. of Diagram 1”. イスラエル中央統計局. 2014年4月13日閲覧。
^ “イスラエル国 / 新成長国各国ガイド|BRICs ネクスト11 新興国”. ゴールドマン・サックス. 2014年4月13日閲覧。
^ “イスラエルの至宝、女性起業家ヤエル・カロブ”. 日経BP (2014年1月14日). 2014年4月13日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.228
^ 科学技術振興機構 『科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編』 p.8
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 pp.215-216
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.302
^ Israel Central Bureau of Statistics, Statistical Abstract of Israel 2008, p.642.
^ OECD, Entrepreneurship at a Glance
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.219
^ “間近で見たイスラエル農業の先進性 (PDF)”. JA全農 (2011年3月28日). 2014年4月13日閲覧。
^ Helena Lindholm "Water and the Arab-Israeli Conflict" in Ohlsson ed. Hydropolitics p.58.
^ “イスラエル、水技術輸出に力/10年で3倍 2400億円”. 日本経済新聞電子版(2017年8月14日). 2017年8月18日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.222
^ “A summary of SIPRI Yearbook 2013”. ストックホルム国際平和研究所 (2013年6月3日). 2014年4月13日閲覧。
^ “Israel marks record defense exports in 2010”. エルサレム・ポスト (2011年6月16日). 2014年4月13日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.189
^ 「ギリシャ資源会社・エネルジーン イスラエル沖でガス開発 1700億円を投資」『日経産業新聞』2018年5月31日(グローバル面)。
^ 科学技術振興機構 『科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編』 p.7
^ 科学技術振興機構 『科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編』 pp.50-55
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.216
^ 科学技術振興機構 『科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編』 p.11
- ^ ab“マイクロ衛星打ち上げ用空中発射システムに関する調査研究 (PDF)”. 宇宙システム開発利用推進機構. p. 17 (2007年3月). 2014年4月15日閲覧。
^ “人工衛星についてのFAQ”. 宇宙航空研究開発機構. 2014年4月15日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.163
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.237
^ “Study: 850,000 children live in poverty in Israel”. ハアレツ. (2010年12月22日). http://www.haaretz.com/news/national/study-850-000-children-live-in-poverty-in-israel-1.332047 2010年12月24日閲覧。
^ “イスラエル経済月報 (PDF)”. 在イスラエル日本国大使館 (2013年2月). 2014年4月13日閲覧。
^ “Report: Standard of living rises, poor remain impoverished”. ynetnews.com. (2008年2月14日). http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-3506852,00.html 2010年12月25日閲覧。
^ “イスラエルで15万人デモ 住宅価格高騰に抗議”. 産経新聞. (2011年7月31日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110731/mds11073110240000-n1.htm 2011年7月31日閲覧。
^ “イスラエルで30万人デモ 物価高騰で「史上最大規模」”. 産経新聞. (2011年8月7日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110807/mds11080711310005-n1.htm 2011年8月7日閲覧。
^ “Israel ranked poorest member of OECD”. PressTV (2013年12月8日). 2014年4月5日閲覧。
^ “65th Independence Day - More than 8 Million Residents in the State of Israel (PDF)”. イスラエル中央統計局 (2013年5月19日). 2014年4月5日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.129
- ^ ab“The population of Israel 1990-2009 Demographic characteristics (PDF)”. イスラエル中央統計局 (2010年10月20日). 2014年4月5日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.20
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 pp.79-80
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.145
^ “POPULATION, BY RELIGION AND POPULATION GROUP (PDF)”. イスラエル中央統計局 (2005年9月14日). 2014年4月5日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.135
^ Guide: Christians in the Middle East(BBC)
^ “"Table 2.24 – Jews, by country of origin and age" (PDF)”. イスラエル中央統計局. (2010年3月22日). http://www.cbs.gov.il/reader/shnaton/templ_shnaton_e.html?num_tab=st02_24x&CYear=2009 2015年6月3日閲覧。
^ “【海外事件簿】イスラエルで強まるアフリカ移民排斥感情”. 産経新聞. (2012年6月10日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/120610/mds12061007000001-n4.htm 2012年8月6日閲覧。
^ “平和だったアラブ系イスラエル人の村、憎悪犯罪の標的に”. AFPBB News. (2013年6月26日). http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2952275/10926640 2013年6月26日閲覧。
^ ジャック・ムーア (2015年3月12日). “イスラエル総選挙でアラブ系統一会派が歴史的躍進”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/03/post-3584.php 2015年3月21日閲覧。
^ Hazel Ward (2015年5月5日). “イスラエル、「人種差別」取り締まり約束 エチオピア系市民のデモ暴徒化”. AFPBB News. http://www.afpbb.com/articles/-/3047424 2015年5月7日閲覧。
^ “イスラエル、パレスチナ人のバス同乗禁止を凍結 国内で批判”. CNN. (2015年5月21日). http://www.cnn.co.jp/world/35064844.html 2015年5月24日閲覧。
^ “パレスチナ人のバス同乗禁止措置、イスラエル首相が凍結命令”. AFPBB News. (2015年5月20日). http://www.afpbb.com/articles/-/3049252 2015年5月21日閲覧。
^ “パレスチナ人のバス同乗禁止 一転して中止”. NHK. (2015年5月21日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150521/k10010086501000.html 2015年5月24日閲覧。
^ Israel passes Jewish state law, enshrining ‘national home of the Jewish people’ 19 July 2018, 2:58 am - "The Times of Israel" Raoul Wootliff
^ 科学技術振興機構 『科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編』 p.5
- ^ abc“シンポジウム「高齢社会における人権」ILCイスラエル (PDF)”. 国際長寿センター (2007年10月16日). 2014年4月15日閲覧。
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.105
- ^ abc“Society at a Glance 2014 - Highlights: ISRAEL - OECD Social Indicators”. 経済協力開発機構 (2014年). 2014年4月16日閲覧。
^ “Human Development Reports”. 国際連合開発計画. 2014年4月15日閲覧。
^ 創世記 1:28
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.96
^ “Israel Is Leading the World in In Vitro Fertilization”. ニューヨーク・タイムズ (2011年7月17日). 2014年4月16日閲覧。
^ John A.Collins (2002年). “An international survey of the health economics of IVF and ICSI” (PDF). Human Reproduction Update (ヨーロッパ生殖医学学会) 8 (3): 268. http://humupd.oxfordjournals.org/content/8/3/265.full.pdf 2014年4月17日閲覧。.
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.163
^ “子どもへの司法面接:面接法の改善その評価: イスラエルを訪問し,司法面接事情を視察しました。”. 北海道大学 (2010年6月5日). 2014年4月15日閲覧。
^ “Life expectancy at birth, total population”. OECD iLibrary (2013年12月6日). 2014年4月15日閲覧。
^ “Human Development Report 2013”. 国際連合開発計画. pp. 144-146 (2013年). 2014年4月16日閲覧。
^ イスラエル外務省 『イスラエルの情報』 p.161
^ “OECD iLibrary: Statistics / OECD Factbook / 2011 / Elderly population by region”. 経済協力開発機構 (2011年). 2014年4月16日閲覧。
^ 科学技術振興機構 『科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編』 p.11
^ “イスラエル (PDF)”. 国際金融情報センター (2013年10月28日). 2014年4月15日閲覧。
^ “Knesset raises school dropout age to 18”. ハアレツ (2007年7月18日). 2014年4月15日閲覧。
^ “Piron extends compulsory education law” (2013年8月27日). 2014年4月16日閲覧。
^ “諸外国・地域の学校情報(国・地域の詳細情報)”. 外務省 (2011年3月). 2014年4月14日閲覧。
^ “外務省: 世界の学校を見てみよう! イスラエル国”. 外務省. 2014年4月14日閲覧。
^ 科学技術振興機構 『科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編』 p.8
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.88
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 pp.81-82
^ “Israeli couples wed at mass civil ceremony in Cyprus”. ハアレツ (2011年1月19日). 2014年4月17日閲覧。
^ 豚骨スープは禁断の味? イスラエルに日本のラーメン店
朝日新聞.朝日新聞社 2017年1月23日11時47分(文・テルアビブ=渡辺丘、2017年8月19日閲覧)
^ About AFC(AFCについて 歴史など説明)-AFC公式HP英語版2007年9月6日
^ デイヴィッド・ゴールドブラッド著・野間けいこ訳『2002ワールドカップ32カ国・データブック』株式会社ネコパブリッシング ネコウェブ
^ 後藤健生「日本サッカー史 日本代表の90年 1917→2006」
^ 立山『イスラエルを知るための60章』2012年 p.273
参考文献
- シーセル・ロス 『ユダヤ人の歴史』 長谷川真・安積鋭二訳、みすず書房、1997年、新装版。ISBN 978-4622049081。
- イラン・ハレヴィ 『ユダヤ人の歴史』 奥田暁子訳、三一書房、1990年。ISBN 4-380-90215-3。
- 立山良司 『揺れるユダヤ人国家 : ポスト・シオニズム』 文藝春秋、2000年。ISBN 978-4166600878。
- アンドレ・シュラキ 『イスラエル』 増田治子訳、白水社、1974年。ISBN 4-560-05555-6。
- 奈良本英佑 『君はパレスチナを知っているか : パレスチナの100年』 ほるぷ出版、1997年。ISBN 978-4593535200。
- ダン・コンシャーボク、ダウド・アラミー 『双方の視点から描くパレスチナ/イスラエル紛争史』 臼杵陽監訳、岩波書店、2011年。ISBN 978-4000244640。
- 阿部俊哉 『パレスチナ : 紛争と最終的地位問題の歴史』 ミネルヴァ書房、2004年。ISBN 978-4623041268。
- 立山良司編著 『イスラエルを知るための60章』 明石書店、2012年。ISBN 978-4750336411。
- “イスラエルの情報 (PDF)”. イスラエル外務省 (2010年). 2014年4月2日閲覧。
- “科学技術・イノベーション政策動向報告 イスラエル編 ~2010年度版~ (PDF)”. 科学技術振興機構 (2010年6月18日). 2014年4月15日閲覧。
- 広河隆一 『ユダヤ人とは何か』 三友社、1985年。
- 広河隆一 『ダイヤモンドと死の商人』 三友社、1986年。
関連項目
- イスラエル関係記事の一覧
- ユダヤ関連用語一覧
古代イスラエル、約束の地、旧約聖書
- ディアスポラ
ユダヤ教、ユダヤ人、ユダヤ暦、 ヘブライ語、聖地
- シオニズム
- 大イスラエル主義
クネセト - イスラエルの議会- キブツ
世界シオニスト機構、ユダヤ機関
アシュケナジムとセファルディム、イディッシュ文学
ヘブライ語文化(ヘブライ文学)、イスラエル文学
- イスラエルの国歌
外部リンク
- 政府
イスラエル国政府 (ヘブライ語)(アラビア語)(英語)
イスラエル大統領府 (ヘブライ語)(アラビア語)(英語)
在日イスラエル大使館 (日本語)(英語)
イスラエル大使館 (@IsraelinJapan) - Twitter(日本語)
- 日本政府
日本外務省 - イスラエル (日本語)
- 観光
イスラエル観光省 (ヘブライ語)(英語)
- その他
JETRO - イスラエル(日本語)
日本イスラエル親善協会(日本語)
イスラエルのウィキメディア地図(英語)
|
|
|