サンジャヤ・ベーラッティプッタ
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パーリ経典に登場する沙門[1] (六師外道) (沙門果経より[2]) | |
沙門[1] | 論(思想)[2] |
プーラナ・カッサパ | 道徳否定論者: 善行や悪行をおこなうことで、報酬を得ることも罰が与えられることも否定する。 |
マッカリ・ゴーサーラ (アージーヴィカ教) | 決定論者 (宿命論): 私たちは無力であり、苦しみは前もって定められていたものである。 |
アジタ・ケーサカンバリン(順世派) | 唯物論: 幸福に生きよ、死すればすべて無くなるのだから。 |
パクダ・カッチャーヤナ | 不変論 (永遠論):物質、喜び、痛み、魂は永遠であり、それらに相互作用はない。 |
マハーヴィーラ (ジャイナ教) | 戒律主義: 全ての邪悪を避け、浄化し、祝福せよ[3]。 |
サンジャヤ・ベーラッティプッタ | 不可知論: 私はそうは考えない。そうとも、その他の方法も考えない。間違っているのか、間違ってはいないのかも考えない。判断の放棄。 |
サンジャヤ・ベーラッティプッタ(パーリ語: Sañjaya Belaṭṭhiputta、音写:刪闍耶毘羅胝子、散若夷毘羅梨沸など)は、インドの懐疑論者で、六師外道の一人。
霊魂の存在・来世の存在・善悪の行為の報いの存在など形而上学的な重要問題に対して曖昧な回答をし、判断を中止する態度をとったといわれる。たとえば、「来世があるのか」という問いに対し、「あるとは考えない、来世があるとも、それとは異なるとも、そうではないとも、また、そうではないのではないとも考えない」と、とらえがたい議論をしたという。このような論法を「うなぎ論法」ということがある。
ジャイナ教においては、このような論は確定的な知識を与えないという点で、不可知論と称する。
また仏典によると、彼はマガダ国の王舎城(ラージャガハ)に住んでおり、名声がかなり高く多くの弟子を擁していたが、その高弟のサーリプッタ(舎利弗)とマハーモッガラーナ(目連)とが、250人の弟子全てとともに釈迦に帰依し去っていった。2人は彼に釈迦の弟子になることを勧めたが、「我、今師匠として弟子を率いており、また弟子となることは瓶が瓶にして同時に釣瓶(つるべ)となるようなものだから難しい」とこれをしりぞけた。しかし2人が弟子衆を引き連れて仏に帰依するのを見て憤激のあまり血を吐いたと言われる。
関連項目
- 六師外道
- 懐疑主義
参考文献
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- 山崎元一 「仏教興起時代の思想家たち」『人物世界史4 東洋編(南アジア、東南アジア、西アジア、アフリカ)』 山川出版社、1995年7月、ISBN 4-634-64330-8
辛島昇、前田専学、江島惠教ら監修 『南アジアを知る事典』 平凡社、1992年10月、ISBN 4-582-12634-0
外部リンク
- パーリ仏典を読む/沙門果経(10)サンジャヤ・ベーラッティプッタの教え(1)
- パーリ仏典を読む/沙門果経(11)サンジャヤ・ベーラッティプッタの教え(2)
- インド思想史略説
- ^ ab水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.334
- ^ abDN 2 (Thanissaro, 1997; Walshe, 1995, pp. 91-109).
^ DN-a (Ñāṇamoli & Bodhi, 1995, pp. 1258-59, n. 585).