洞海湾
洞海湾(どうかいわん)は、福岡県北九州市にある幅数百メートル、長さ10キロメートルほどの細長い湾。古名は洞海(くきのうみ)。
目次
1 概要
2 環境保全
3 交通
4 関連項目
5 参照
概要
北九州市の北西部に位置し、沿岸部は北九州工業地帯ならびに北九州港の一郭で、大規模工場が隣接して立地する工業地帯である。沿岸部の八幡周辺は1901年(明治34年)の官営八幡製鉄所(現・新日本製鐵八幡製鐵所)の操業を契機として工業が発達し、沿岸部は大半が埋め立てられ、工業用地・港湾として利用されている。埋め立て以前の海岸線は、おおよそJR鹿児島本線および筑豊本線に囲まれた部分まであった。
紀元前3世紀ごろに湾が形成され、遠浅で水深が浅く、19世紀まではクルマエビの漁場となっていた。洞海湾に直接注ぐ一級河川は存在しないが、江川や、堀川がそれぞれ遠賀川に通じている。
八幡製鐵所が洞海湾に面して立地したことで、洞海湾沿岸を埋め立て、工場を建設し、北九州の工業化が加速していった。また、対岸の若松も筑豊炭田の石炭積出港として発展し、湾内は多くの船が行き交っていた。
しかし、洞海湾の沿岸に重化学工業が立地したことにより、湾内に工場からの汚染された廃水が流入し始め、公害を引き起こしていった。当時は公害対策基本法など環境保護の法律が未整備であったため、工場廃水に対する規制はなく、シアニド・カドミウム・ヒ素・水銀などの有害物質が海中に排出された結果、1942年には水質汚濁により漁獲量がゼロとなり、1960年代の高度経済成長期にはあまりの汚染された状況に対し「死の海」と呼ばれた。
1966年、福岡県・北九州市は、公共用水域の水質の保全に関する法律および工場排水等の規制に関する法律に基づき国に要請し、1974年1月14日から、その時点で約480万㎥も海底に溜堆積していた汚泥(ヘドロ)の浚渫を開始した[1]のを皮切りに、官民共同で公害に対するさまざまな対策(工場廃水の浄化、・埋め立て処理など)を行った結果、現在では水質は改善され、多くの魚介類が生息するまでに改善している。
現在、洞海湾はほとんどが人工海岸であるが、ごく一部に砂浜(八幡東区かつら島)や干潟(八幡西区洞北町)がある。なお、若松区南二島四丁目の護岸沿いにおいて、干潟再生のための実験プロジェクトが行なわれている。
環境保全
1960年代の洞海湾は船舶のスクリューが溶け、魚介類はおろか大腸菌すら生息できない程に汚染されていた。その後、市や工場が水質の改善に取り組んだ結果、現在では魚介類が生息できるまでに改善した。なお、2007年には底質ダイオキシン類の環境基準を超過する底質汚染があることを行政が公開した。
交通
若戸渡船 - 1889年(明治22年)頃から運航されている若松区~戸畑区間の渡し船。
若戸大橋 - 1962年(昭和37年)開通。若松区~戸畑区を繋ぐ。全長2km。
若戸トンネル - 2012年(平成24年)開通。若松区~戸畑区間の海底トンネル。全長1.2km。
関連項目
戸畑祇園大山笠 - 戸畑渡場脇で「お汐井汲み」が行なわれる。
前田祇園山笠 - かつら島で「お潮井取り」が行なわれる。
公害 公害防止事業費事業者負担法
底質汚染 ダイオキシン類
江川 - 水源の無い両側に河口がある感潮河川。
堀川 - 遠賀川から分流し、洞海湾に通じる人工河川。
参照
^ 北九州市政だより 昭和49年2月1日号P1「とりもどそう 生命のふるさと」 北九州市 (PDF)
座標: 北緯33度53分17秒 東経130度47分20秒 / 北緯33.88806度 東経130.78889度 / 33.88806; 130.78889