八頭郡
八頭郡(やずぐん)は、鳥取県の郡。
人口25,997人、面積630.59km²、人口密度41.2人/km²。(2018年10月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
若桜町(わかさちょう)
智頭町(ちづちょう)
八頭町(やずちょう)
目次
1 郡域
2 歴史
2.1 変遷表
3 脚注
4 参考文献
5 関連文献
郡域
1896年(明治29年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町のほか、鳥取市の一部(河原町各町・用瀬町各町・佐治町各町)にあたる。
歴史
- 明治29年(1896年)
4月1日 - 郡制の施行のため八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足。郡役所が賀茂村に設置。(39村)
- 旧・八上郡(12村) - 賀茂村、国中村、船岡村(現・八頭町)、伊井田村、大江村、国英村、河原村、佐貫村、宇戸村、曳田村、五総村、明治村(現・鳥取市)
- 旧・八東郡(14村) - 大御門村、隼村、安倍村、登米村、逢郷村、八東村、小畑村(現・若桜町)、赤松村、若桜村、菅野村、池田村(現・八頭町)、上私都村、中私都村、下私都村(現・若桜町)
- 旧・智頭郡(13村) - 大村、用瀬村、社村、口佐治村、上佐治村、中佐治村(現・鳥取市)、智頭村、富沢村、大内村、虫井村、山郷村、中田村、那岐村(現・智頭町)
9月1日 - 郡制を施行。
- 明治36年(1903年)2月24日 - 中田村が改称して土師村となる。
- 明治38年(1905年)3月15日 - 登米村・逢郷村が合併して丹比村が発足。(38村)
- 明治42年(1909年)4月1日 - 赤松村・若桜村・菅野村が合併して若桜町が発足。(1町35村)
- 明治43年(1910年)1月1日 - 口佐治村・上佐治村・中佐治村が合併して佐治村が発足。(1町33村)
- 明治44年(1911年)9月1日 - 曳田村が改称して八上村となる。
大正3年(1914年)6月1日 - 智頭村が町制施行して智頭町となる。(2町32村)- 大正4年(1915年)4月1日 - 五総村・明治村が合併して西郷村が発足。(2町31村)
- 大正5年(1916年)4月1日 - 八東村・小畑村が合併し、改めて八東村が発足。(2町30村)
- 大正6年(1917年)10月1日 - 佐貫村・宇戸村が合併して散岐村が発足。(2町29村)
- 大正7年(1918年)
2月11日 - 用瀬村が町制施行して用瀬町となる。(3町28村)- 4月1日 - 伊井田村・大江村が合併して大伊村が発足。(3町27村)
- 大正8年(1919年)1月1日 - 大内村・虫井村が合併して山形村が発足。(3町26村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日
- 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 河原村が町制施行して河原町となる。(4町25村)
昭和10年(1935年)2月20日 - 山形村・那岐村・土師村が智頭町に編入。(4町22村)- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は877.84平方km、人口は64,157人(男31,674人・女32,483人)[1]。
- 昭和11年(1936年)2月26日 - 富沢村が智頭町に編入。(4町21村)
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 賀茂村が町制施行・改称して郡家町となる。(5町20村)
- 昭和27年(1952年)
11月1日 - 船岡村が町制施行して船岡町となる。(6町19村)
11月3日 - 船岡町・大伊村・隼村が合併し、改めて船岡町が発足。(6町17村)
- 昭和28年(1953年)5月5日 - 郡家町・国中村・大御門村・下私都村が合併し、改めて郡家町が発足。(6町14村)
- 昭和29年(1954年)
3月1日 - 若桜町・池田村が合併し、改めて若桜町が発足。(6町13村)- 7月1日 - 山郷村が智頭町に編入。(6町12村)
- 昭和30年(1955年)
3月28日 - 国英村・河原町・八上村・西郷村・散岐村が合併し、改めて河原町が発足。(6町8村)
3月31日 - 大村・用瀬町・社村が合併し、改めて用瀬町が発足。(6町6村)
- 昭和31年(1956年)3月15日 - 八東村・安部村が合併して八頭村が発足。(6町5村)
- 昭和32年(1957年)3月31日 - 郡家町・上私都村・中私都村が合併し、改めて郡家町が発足。(6町3村)
- 昭和34年(1959年)5月15日 - 八頭村・丹比村が合併して八東町が発足。(7町1村)
平成16年(2004年)11月1日 - 河原町・用瀬町・佐治村が鳥取市に編入。(5町)- 平成17年(2005年)3月31日 - 郡家町・船岡町・八東町が合併して八頭町が発足。(3町)
変遷表
自治体の変遷
旧郡 | 明治22年 以前 | 明治22年 10月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||||
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智頭郡 | 智頭村 | 大正3年6月1日 町制 智頭町 | 昭和10年2月20日 智頭町 | 昭和11年2月26日 智頭町 | 昭和29年7月1日 智頭町 | 智頭町 | 智頭町 | 智頭町 | |||
大内村 | 明治45年4月1日 山形村 | ||||||||||
虫井村 | |||||||||||
中田村 | 明治36年2月24日 改称 土師村 | ||||||||||
那岐村 | 那岐村 | ||||||||||
富沢村 | 富沢村 | ||||||||||
山郷村 | 山郷村 | ||||||||||
用瀬村 | 大正7年2月11日 町制 用瀬町 | 用瀬町 | 昭和30年3月31日 用瀬町 | 平成16年11月11日 鳥取市に編入 | 鳥取市 | ||||||
大村 | 大村 | 大村 | |||||||||
社村 | 社村 | 社村 | |||||||||
口佐治村 | 明治43年1月1日 佐治村 | 佐治村 | 佐治村 | ||||||||
中佐治村 | |||||||||||
上佐治村 | |||||||||||
八上郡 | 久長村 | 明治26年12月1日 河原村 | 大正15年7月1日 町制 河原町 | 河原町 | 昭和30年3月28日 河原町 | ||||||
三保村 | |||||||||||
曳田村 | 明治44年9月1日 改称 八上村 | 八上村 | |||||||||
五総村 | 大正4年4月1日 西郷村 | 西郷村 | |||||||||
明治村 | |||||||||||
佐貫村 | 大正6年10月1日 散岐村 | 散岐村 | |||||||||
宇戸村 | |||||||||||
国英村 | 国英村 | 国英村 | |||||||||
船岡村 | 船岡村 | 昭和27年11月1日 町制 船岡町 | 昭和27年11月3日 船岡町 | 船岡町 | 平成17年3月31日 八頭町 | 八頭町 | |||||
伊井田村 | 大正7年4月1日 大伊村 | 大伊村 | |||||||||
大江村 | |||||||||||
八東郡 | 隼村 | 隼村 | 隼村 | ||||||||
八上郡 | 賀茂村 | 賀茂村 | 昭和26年4月1日 町制 郡家町 | 昭和28年5月5日 郡家町 | 昭和32年3月31日 郡家町 | ||||||
国中村 | 国中村 | 国中村 | |||||||||
八東郡 | 大御門村 | 大御門村 | 大御門村 | ||||||||
下私都村 | 下私都村 | 下私都村 | |||||||||
中私都村 | 中私都村 | 中私都村 | |||||||||
上私都村 | 上私都村 | 上私都村 | |||||||||
八東村 | 大正5年4月1日 八東村 | 八東村 | 昭和31年3月15日 八頭村 | 昭和34年5月15日 八東町 | |||||||
小畑村 | |||||||||||
安倍村 | 安倍村 | 安倍村 | |||||||||
登米村 | 明治38年3月15日 丹比村 | 丹比村 | 丹比村 | ||||||||
逢郷村 | |||||||||||
若桜村 | 明治42年4月1日 若桜町 | 昭和29年3月1日 若桜町 | 若桜町 | 若桜町 | 若桜町 | ||||||
赤松村 | |||||||||||
菅野村 | |||||||||||
池田村 | 池田村 |
- なお久長村と三保村が合併し河原村となったのは1893年(明治26年)12月1日であり、これは智頭郡・八上郡・八東郡の合併以前であったため、久長村、三保村ともに八頭郡に所属したことは一度もない。
脚注
^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
参考文献
角川日本地名大辞典 31 鳥取県
関連文献
- 楢柴竹造 『八頭郡史考』 横山書店、1923年。NDLJP:1181910。
先代: 八上郡・八東郡・智頭郡 | 行政区の変遷 1896年 - | 次代: (現存) |
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