下町





下町(したまち)は、市街地の一部を区分して言う言葉で、複数の意味を有する。




目次






  • 1 概要


    • 1.1 地形的特性としての下町


    • 1.2 社会的特性としての下町




  • 2 東京における下町


    • 2.1 東京旧市街地、城下町




  • 3 大阪における下町


  • 4 日本国外における下町


  • 5 下町文学


  • 6 舞台にした作品


  • 7 脚注


  • 8 関連項目





概要


通常は下の二つの意味を同時に持つ言葉として用いられる。



地形的特性としての下町


第一の語義には地形的な特徴によって区分した「下町」があげられ、市街地中の海や川に近い低地の部分を示す。


この意味での下町は、東京では、山の手(武蔵野台地東端部分)の周辺をなす崖線より下側の地域がこれにあたる。大阪では、舌状に伸びる上町台地の西麓や大川北岸の地域がこれにあたる。江戸=東京についてはこの意味の下町と対をなす言葉は山の手であるが、通常は「山側」を意味する山手が対語となる。


大阪については下町という言い方はあまり用いられず、船場、島之内、堀江、下船場、中之島、堂島、天満など、川や堀で区切られたブロック毎の固有名称が一般的である。また、大阪では下町の対語は上町(うえまち)であり、「上町台地」の語源にもなっている。



社会的特性としての下町


江戸のような都市では、軍事上の有利性から軍事拠点となる大名屋敷、大身旗本屋敷、大寺院は幕府の近くの台地におかれることもあった。また、水運の便の良かった川沿城下町、陣屋町などにも見られる。


大阪の地理的高低差は、江戸のような社会的棲み分けとの関連性は弱く、市街地の時間的変遷との関連性が強い。



東京における下町



東京旧市街地、城下町


東京では、歴史的に江戸時代の御府内(江戸の市域)で、高台の地域を「山の手」と呼び、低地にある町を「下町」と呼称されたという。東京における下町の代表的な地域は日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川であるが、「山の手」のイメージで語られがちな旧小石川区や旧牛込区、旧芝区にも下町地域は存在する。また、城南に位置する大田区の蒲田、大森も、下町の扱いを受ける場合がある。


徳川家康は江戸城入城後、台地に屋敷を造ったのち、低湿地帯を埋め立てて職人町等を造ることにし、平川の河口から江戸城に通じる道三堀を造ったのを手始めに、掘割が縦横に走る市街地の下町を造成していった。芝居小屋や遊郭などの遊び場も栄え、江戸文化が花咲いた。[1]


東京の下町は運河や小河川が縦横にあり、橋を渡らないと隣町に行けないところという見解がある。この地域には道路や川を越した先を「むこうがし(向こう河岸)」という表現がある。


今日では地名を整理統合する動きが進行しており、「下町」「山の手」の区分が不明瞭になっている。



大阪における下町


豊臣時代初期は武家地、町人地とも上町台地上に展開していた。しかし、豊臣秀吉晩年の1598年に大坂城三の丸の造成が始まると、三の丸内に展開していた町人地の大半が船場へ移転された。西端部を除いて現在も船場に残る40間四方の区画は太閤地割と呼ばれる豊臣時代の名残である。


徳川時代に入ると下船場・島之内・中之島などが幕府や有力町人によって開発され、寺内町だった天満を大坂城下に取り込む一方、豊臣時代の三の丸にも再び町人地が展開され、上町台地上の渡辺、玉造、上本町、谷町などが上町と総称されるようになった。武家地については、大坂城代や大坂町奉行の屋敷地は基本的に城内および上町に置かれたが、一部は天満の北縁や川口に置かれ、天下の台所と称された都市の性格上、各藩の大名屋敷(蔵屋敷)はもっぱら堂島や中之島といった水運に利する地に置かれた。


地理的高低差によれば上町台地上の上町以外は全て低地の下町ということになるが、上述の通りブロック毎の固有名称が一般的であるため、下町という呼称はまず用いられない。しかし、近年メディアの影響で東京の下町に似た庶民的な街を下町と呼ぶことが多くなった。ただし、大阪においても東京の下町の雰囲気に通じる新世界、天下茶屋、天王寺や駒川の駒川商店街といった地域はもともとの大阪市域ではない。また、玉造、空堀商店街界隈、寺町群といった天王寺区域は上町台地上に位置している。今日的な下町のイメージのうち大坂城下の町人地としての歴史を有し、なおかつ上町以外に位置するのは天満の天神橋筋商店街界隈ぐらいである。



日本国外における下町


ダウンタウン(英:downtown)は都心、中心街、繁華街を指す言葉である。単語の成立に際し上下的な位置関係(ただしdowntownの場合は地形的な低地ではなく地図における下方、すなわち南を意味する。en:Downtownを参照)が影響した点を除き、日本語の下町との関連性はない。対義語はアップタウン。



  • ウクライナの首都キエフの下町 → ポジール


下町文学


独特の気質や美意識を持つ下町は、多くの文学者に愛され、下町を描いた近代文学作品は数多い。代表的な作家に、幸田露伴、久保田万太郎、舟橋聖一、円地文子、永井龍男、芝木好子、田久保英夫、吉村昭、川口松太郎、池波正太郎、長谷川時雨、樋口一葉、永井荷風、安岡章太郎、泉鏡花、川端康成、江戸川乱歩、佐多稲子らがいる[1][2]。また、西洋的な視座から隅田川河岸の江戸趣味を楽しむ文人の集まり、「パンの会」も一時結成された[2]



舞台にした作品


※発表順



  • 七色とんがらし (1976年) - 千葉真一主演のホームドラマで、東京・下町の鉄工所を舞台に、家族の人間模様・絆を描いている


脚注


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  1. ^ ab「東京と文学(1)-近代化過程における相互の関連について-」高木利夫法政大学教養部紀要、1994-2

  2. ^ ab東京と文学(2) -近代化過程における相互の関連について- 高木利夫法政大学教養部紀要、1995-2



関連項目



  • 城下町

  • 陣屋町

  • 門前町

  • 寺町

  • 東京市街の変遷

  • 史跡

  • 町並み保存

  • ノスタルジー

  • 谷根千




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